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本会議中、携帯電話を使用する議員に物申す
 私は本会議中に携帯電話を使用する議員に対して、強く注意を促したことがあります。国民の代表たる国会議員が、その大事な職務である本会議に出席している時に、携帯電話を 扱う等、もってのほかです。議会を軽んじる大変無礼な行為であることは言うまでもありません。私は国民の代表者である議員がなんと情けないことだろうと思いました。本会議中に携帯電話を使用する議員
 海外に出た時、外国人の方々の中には日本人の高い道徳観を賞賛してくださる方が多くおられます。きまって話に出てくるのは、神戸大震災の様な大災害の折に世界に配信される映 像に対する驚きです。被災者の方が学校の体育館などに整然と避難し、何日もの不自由な生活に耐えている様子や、ボランティアの人達が続々と集まってきて支援活動をする様子を見て、彼等の多くが 「どうして、日本では暴動や略奪が起きないのか?」「なんと!誇り高くて辛抱強い国民なのだろうか!」と口々に言うのです。しかし、このような世界に誇れる日本人の道徳観や倫理観が今、崩壊し つつあるのではないでしょうか?
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失われる日本人の道徳観
 戦後、日本は戦争による惨禍への反省から、それまでの<国のあり方>を全面的に否定することで、新しい社会や国民の意識を再構築してきました。もちろん、その裏には米国 による意図的な占領政策があったことは言うまでもありません。しかし、日本人は持ち前の勤勉さをいかんなく発揮することで、民主国家として世界にも承認され、そして同時に、 豊かな経済大国へと発展してまいりました。しかし一方で、我が国は、戦前の良い部分までも一緒に否定してしまったのではないか?今日の日本人の道徳観や倫理観の低下を見る につけ、私はそう感じざるを得ません。物の豊かさに走るあまり、日本人の心の在り様は、どこかに棚上げにされてしまいました。家族の中での躾はどうでしょうか?地域でのマナー の指導は充分でしょうか?私は難しい理屈を言うつもりはありません。たとえ地味であっても、身近な問題から始められる様、努力してまいりたいと思います。子どもの躾は、ま ず形から入ることです。「御飯を食べる時は、いただきます。そして食べ終わったら、ごちそうさま。」「家族の中でも、そして近所の人達同士でも元気に挨拶。おはよう、こんにち は、そしてさようなら。」「家に上がる時は、大人であれ、子どもであれ、靴はちゃんと揃えて・・・。」こうした生活に根付いた基本的な習慣は昔、日本人の間では極めて常識的な ことでした。しかし、そんな当たり前の習慣すら身についていない子どもが今、増えているのではないでしょうか?又、それがわかっているにも拘らず、注意しようともしない大 人が多くはないでしょうか?私は今一度、<家族力>や<地域力>を見直すことで、日本人が伝統的に大切にしてきた誇りある心を取り戻し、世界にも尊敬されてきた日本人の豊 かな<人間力>を再構築していきたいのです。
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祖母を背負って初詣・・・息子が教えてくれた人間力
 親馬鹿と思われるかもしれませんが、息子の話に少々お付き合い下さい。私にとっては今も忘れられない出来事です。それは、私の息子がまだ予備校に通っていた頃のことでし た。その年の正月に、東京に住む私の母が熊本に遊びに来ました。新年の何日かを親子四人と母で楽しく過ごし、子ども達がそれぞれ帰京する前日に、80歳になる母を是非、霧島 神宮の初詣に連れて行こうということになりました。あまり勉強もせず、すねた態度の息子ではありましたが、その時は珍しく「東京のおばあちゃん」に対する思いやりのせいか、 一緒に行くことになりました。ところが、霧島神宮に到着すると初詣客で、神社の周辺は大変混雑しており、私達は神社からかなり離れた所に車を駐車せざるをえませんでした。息子がおばあちゃんをおんぶ 母はその時、足が悪く神社まで歩けそうにない為、「車に一人で残るよ。あなた達だけで行きなさい。」と言いました。私も「そうしてもらおうか?」と 言いかけたところ、突然息子が、「何言ってるんだよ、おばあちゃん!折角ここまできて、初詣しないなんて!僕がおぶってあげるから、一緒に行こう よ!」と言って、母を神社までおんぶして歩いたのです。母は孫の背中におんぶされて嬉しそうに笑っていました。当時、息子は19歳。何かと恥 ずかしい盛りの年頃でした。しかし、もくもくと母をおぶって歩いてくれた息子の後姿を見ながら、私は・・・胸が熱くなるのを感じました。 そして・・・、無事に初詣の参拝を終わらせた帰り道。今度は夫が「息子だけにさせる訳にはいかないね」と、私の母をおぶって駐車場まで帰って くれました。私にとっては、<家族>の絆の深さを改めて知った・・・一日でした。
 その日の夜、夫も私に向かって嬉しそうに言いました。「今日は、あいつに教えられたね」と。いつから息子がそんなことが出来るようになったのか?日頃、口数も少なく、決して 素直ではなかった息子の優しい一面に接して、とかく息子の態度に不満の方が多かった自らの不明を恥じました。でも、いつのまにか息子にも備わっていた優しい心を嬉しく 思い、同時に母親としても大変安心致しました。息子にはいつまでも、この時の気持ちを忘れないで欲しいと思います。ぶっきらぼうな男の子の本当の優しさの様なものを見つけ ることができた出来事でした。・・・事実、私はそれ以後、彼には細かい注意をほとんどしなくなった気がします・・・。
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発信しよう!「お天道様が見ているよ」
 思えば、私の子ども時代は近所のおじいちゃん、おばあちゃんが<地域>の子ども達に常日頃から声をかけ、悪いことをするとたしなめてくれました。そして、最後には必ずと いって良い程、こう決まり文句の様に言われていました。「お天道様が見ているんだから、悪いことをしちゃいけないよ」と。私自身も子どもの頃、よく言われたものです。「お天道 様が見ているよ」・・・こう言われて育った子どもは、いつかきっと気づく筈です。それは、自分自身の心が見ているのだと言うことを・・・。ところが、今はどうでしょう。「時代が 変わったから」とか、「考え方が違うのだから、余計なことは言わない方が良い」と、おじいちゃん、おばあちゃん達が、親となった自分の息子や娘に遠慮し、子育てのこと等につ いて、殆ど口を出さなくなってしまいました。しかし、こうして生まれた距離感によって、日本が昔から大切にしてきた・・・道徳観が失われているのではないでしょうか?皆さん の御家庭ではどうでしょう?だからこそ、私は声を大にして言いたいのです。大人は子ども達に長年日本人が培ってきた道徳観や社会常識を是非教えてあげてください。おじいちゃ ん、おばあちゃんにも子育てに、どんどん口出しして頂きたいのです。<家庭>であっても<地域>であっても、こういう何気ない言葉の積み重ねが、次世代を担う子ども達の健 やかな成長を約束してくれるのではないでしょうか?家庭や地域の世代を超えたつながりや交流が子どもたちを確実に「まとも」に育てるのだと思います。
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