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2009/02/19

鄭成功のジャンク船復元

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価格:¥ 420(税込)
発売日:1927-08

日本の復元船については以前にまとめて書いた覚えがあるんだが、沖縄で作られた交易船で「進貢船」というのがあるんだけどね。まぁ、今で言う「ジャンク」というタイプで、コレが「琉球王国交易船・南都丸」として展示されているんだが、今度は台湾で、鄭成功の偉業を記念して、当時のジャンクを復元する事になった。

日本ではほとんど報道されなかったんだが、つうかネットに出てないんだが、2月16日の静岡新聞夕刊に出ていたので載せておきます。

明代武将の帆船復元へ【台湾】 日本に「里帰り」も

 長崎・平戸に生まれ、近松門左衛門の「国性爺合戦」のモデルにもなった明代の武将鄭成功(1624~62)の偉業をたたえるため、当時の帆船を復元する作業が十五日、台湾の台南市で始まった。
 船は、平戸に保存されていた一七〇六年の設計図を基にしたもので、全長約三十メートル、重さ約三百トン。建造費は八千台湾ドル(約二億一千五百万円)。十一月に完成予定で、その後は当時のルートをたどり日本に「里帰り」する。

鄭成功というのは、清代のゲリラです。清王朝というのは満州系だったので、漢族は明の王朝の遺族をかついで反抗したんだが、そのゲリラのリーダーが鄭成功です。この人、実は、日本の母と、アモイの密貿易商のあいだに生まれたハーフで、長崎出身です。満族と戦った漢族のヒーローなので、中国では、台湾だけでなく本土でも英雄として慕われているんだが、長崎を出て中国本土で戦い、敗北して台湾に逃げ、そこにいたオランダ軍を追い払い、本土への反抗を続けた。この人がいなかったら、今ごろ台湾はオランダ領です。つうか、母親が日本人・福松なので、台湾の半分は日本のものですw

で、復元船なんだが、ジャンクです。Wikipediaによれば、

ジャンク(戎克, 英: Junk)とは、中国における船舶の様式の1つ。古くから用いられきた木造帆船だが、物資・貨客の輸送業務においては、19世紀以降蒸気船が普及したことにより衰退した。独特のスタイルは絵画や写真の題材として好まれており、今日では観光用として用いられている。

中国語の「船(チュアン)」が転訛したマライ語の「j?ng」、更にそれが転訛したスペイン語・ポルトガル語の「junco」に由来するとされる。漢字では「戎克」と表記するが、これは当て字に過ぎない。中国語では「大民船」、または単に「帆船」という。

船体中央を支える構造材である竜骨(キール)が無く、船体が多数の水密隔壁で区切られている。また、横方向に多数の割り竹が挿入された帆によって、風上への切り上り性に優れ、一枚の帆全体を帆柱頂部から吊り下げることによって突風が近づいた時などに素早く帆を下ろすことを可能にしている。この二つが大きな特徴である。河川や沿岸を航行する小型のものから、400総トン程度で耐波性に優れた大型の外洋航行用のものもある。

というんだが、「日本においても唐船という名で建造されていた」という事なので、長崎あたりに設計図が伝わっていても不思議ではないわけだ。「キールがない」というんだが、現地新聞の報道を見ると、キールを据え付けて建造しているようなので、さて、どういう構造になっているのか。

095
復元船は11月の完成後、アモイまで行くそうだが、日本にも来るというので、駿河湾にも来て欲しいですね。まぁ、長崎あたりまでしか来ないと思うが。

コメント

キールの無い船を、キールのある船で、「復元」、ですか?

「韃靼疾風録」にも「鄭成功」は登場する。
漢族が女真族という少数民族に敗れ清が
成立するまでを面白く読ませる小説。

今の日本に当てはめると笑えない。

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