2009年2月9日(月)
三面図
このブログの主題は2009年1月29日の【花風社 浅見淳子】にあります。お仲間に是非こんな話があると電話を入れて下さい。
過剰な立体視は、横から見た図、上から見た図を組み合わせた「三面図」いわゆる図面だな、この図面を見るのに役に立っているようだ。
立っているようだと言うのも、昨日までの立体視の話をしているうちにそうかな?と思い始めたからだ。
私は、図面を見ただけで、頭の中でその立体像をイメージ出来る。
設計、開発に携わる人は、みんな当たり前に出来ると思い込んでいたが、どうもそうでは無いらしい。
立体を簡単にイメージ出来るから、その機械の組立も、それぞれの部品から組み立てたり、ばらしたり自由自在だ。
だから、組み立てるときに、ドライバーを入れるスペースが無いとか、組み立てられない等という機械を作ったことが無い。
図面だけで、機械の設計図を書く人は、時に勘違いで組み立てられない機械を設計する事がある。
それでも、ドライバーが通る穴を後からドリルで穴を空ければいいことだから、手間が掛かるだけでそれ程重要じゃない。
さほど役に立つ能力でも無いが、大学時代ほとんど授業に出ず、設計の事など全く大学では習わず、
それまでの自前の知識だけで、いまだに設計し続けているのは、その能力があったからなのかもしれない。
ほんまかいなと思った人も思わない人もリンクの最後の行をポチットね。
そういう能力ってあるのですね、凡人の私には想像ができないし、科学が進んだ現在では認められにくくなっていますが、科学が進む以前には、そういう能力が自由に発揮できる社会があったのでは?と思います。
歴史的建造物を目にすると、パソコンも技術もない時代に、よくこんな素晴らしいものができたな〜と先人の知恵に感動しますが、Chipさんのような能力を聞くと、なるほど!って思います。
ある学生さんの話をちらっとTVで観た事があります。彼は立体視が出来るので建築関係の勉強をしていました。でも確か識字障害でご苦労されていたと思います。
どこかに障害があっても、その代わり別の「類まれなる能力」が隠れているのなら、その能力がいかんなく発揮できる分野では大成功を収める事も可能だと思います。
少数派の人々を排除しようとするのではなく、受け皿の大きい(というか、いろいろな受け皿がある)社会が早くできるといいですね。
特殊な能力と言っても、特殊と言うだけで、別に生きて行くにはほとんど役に立たない。それであるなら、定形発達であることの方が余程生きて行くには役に立ち、生活力も高いことは明らかなんだ。にもかかわらず、定型であることを放棄し、特殊な自閉症になりたがるその理由はさっぱり分からないな。
そういえば先輩の漫画家さんで歯科技工士もやっていた人が
いたんですが、彼は写真や絵だけで精密なフィギュアや像を
作っていたのを思い出しました。
特殊な能力を活かすには、活かすためのポジションが必要ではないでしょうか。
企業で活かそうとすれば、就職活動で定型発達の人並み又はそれ以上の社会性を発揮しないと、めでたく入社ということにはなりません。
入社出来たとして、自分の特殊能力を発揮出来るポジションを得るには、定型発達の人以上の世渡り戦略が必要です。
同僚とうまくやりつつも一歩抜きん出て、上司にアピールする能力が必要です。
一度ポジションを得ても、同僚が虎視眈々と狙っていますから予断はなりません。
では自営業で特殊能力を発揮してはどうか。
自営業ですから、まず仕事をとってくるために営業をしなければなりません。営業スキルが必要です。
仕事を納品後は、代金を請求し、きちんと支払われるまでの管理が必要です。確定申告も自分でする必要があり、経理的な能力も必要となります。
上記が満遍なく出来ているのであれば、もはやその人は自閉症ではないでしょう。
発達障害の理解が「困り感」にばかり焦点があたっているのが「問題」なのでは?って思います。
特殊な能力がある事がもっと伝われば、ポジションも作られる?のではないかな〜、というか、出来るところに焦点を当てた理解をもっと進めたいと思います。
発達障害者自身が自分で気付けない能力を見抜き、それをうまく引き出して育んでくれるような人々、つまり単なるteacher=教える人=教師というよりは、educator=引き出す人=教育者がもっと増えるといいなと思います。
障害児を持つ親ごさんも、自らがeducatorの一人であろうと心がけた時、我が子を見る目(見方)が少し変わるかも・・・。
アメリカなんかのギフテッド教育はヒントになりそうですね。
シーカー様
本当におっしゃる通りですね。
こちらのブログにきてから、「助けたい」、「直したい」という視点から、息子のもつ本来の姿をありのままに知りたいという気持ちに変れました。
当事者の皆さんから、もっともっと生の感覚がお聞きしたいです。
個人的なお答えで良いのですが(一般論でなく)どんな時が一番心安らぎ、幸せを感じられますか?
息子に家庭では少しでも安らぎ、幸せを感じてすごしてもらいたいと願います。
概念が分からないから、安らぎ、とか幸せという所にはなり得ないんだな。本当に50過ぎてから、客先から入金があると、ホッと、なんとなく安らげるような感じがするぐらいで、それだって一瞬の間だ。
現実的には、認識出来ないと思う。それよりも、子供が不穏な動きをしているときに、何処かにストレスの芽があると考えた方が分かり易いと思う。
なるほど、なんとなくわかります。
息子の幸福感に近い感じは「ミントのアイス」「暖かい毛布」「好きなゲーム」「テストの順位」と物質的?なところから得られているような感じが納得です。
最近の一番の楽しみはゲーム(DSやwii)なのですが、日頃の不注意ぶりが嘘のように、画面全体をかなりの精度でみていて、びっくりするほど上手です。ゲームをする事で逆にすごく疲れるのでは?と心配になるほどの集中ぶりで、時間を制限しています。思う存分できない方がストレスなのか?ある程度疲労感を配慮すべきか?で悩みます。
個人的な質問ばかり、すみません。
ストレス解消法があれば教えてください。
とんさんへ
『安らぎ』に関しては、『交感神経より副交感神経が優位な状態』と理解しています。
時々、鍼灸院に行くのですが、外側から交感神経をゆるめてもらうと、普段は耐えられない音が耐えられるようになったりします。
これは施術前より施術後が安らいでいると思います。
あと、寝ていて寝相がよいときは、副交感神経が優位と聞きます。
朝起きて布団の肌触りが不快で入っていられない日と、出たくない日があります。
比較すれば、前者より後者が安らいでいるのだと思います。
そして、副交感神経が優位と言われる状態と同じような身体的変化が出ることといえば、私の場合、琉球ガラスや卵形の置物を見ているときです。
『安らぎ』=『幸せ』とするなら、私は寝ているときと置物を見ているときが幸せということになります。
ただ、一般に聞く、「わたし今とても幸せなの」というようなセリフは理解不能です。
釣りはいいみたい。近所のカナー型の女の子も釣りに行くと、大人より釣り上げて、飽きないみたい。
釣り!はまりそうです、なるほど〜。
そういえば、川や海は大好きですね〜遊園地の乗り物には酔うのに、船ではぜんぜん大丈夫で、フェリーの旅行が大好きです。川の流れる音や海のゆらぐ感が良いのでしょうか?身体が心地良いを考えたら良いのかな?
卵畑さんへ
お返事ありがとうございます。
お庭の方におじゃまします。
笛先生様 お説ごもっとも。 それこそが社会の真実。 誰か俺の営業やってくれぃ。
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