2009年2月15日(日)
EDD
このブログの主題は2009年1月29日の【花風社 浅見淳子】にあります。お仲間に是非こんな話があると電話を入れて下さい。
チョットした目くばせで事が分からない。
こういう人にはなかなか隠し事は出来ない。或いはうわさ話の輪には入れられない。
と、言うことは、当然定形発達の輪からは疎外されて当然だ。
彼らはそれが生活の根幹をなしてるからな。
このチョットした目くばせ、あるいはその人の目線というのは非常に重要なことである。
これを、EDD(Eye-Direction Detector)視線検出器と言うんだな。
集団生活をしていて、一斉に同じ方向を見る。これがヒトとして当然の行動なんだな。
その行動の根幹に、EDDの存在がある。
EDDが完全に動作していなければ、指さしが出来ないんだ。
或いは、指さしをしないと言うことだ。
自閉症児が指さししないと言うのはよく知られてるよね。
つまり俺たちは、ヒトとして基本条件である、目線を読むと言うことから出来ていないって事なんだ。
やっぱりと思った人も思わない人もリンクの一番下の行をポチットね。
自分ではEDDにも欠陥があるように感じてきていたので、あまり驚きませんでした。
よく目線・視線がおかしいと言われます。
EDDに欠陥があれば、当然SAMには欠陥が生じると推察されます。
ところで、生まれつきの盲の方々には当然EDDの欠落がありますが、SAMひいてはToMMには何の問題も生じていません。
なぜなのでしょうね。
自閉症は、実はIDにも何らかの欠陥があるということを示唆しているのでしょうか。
多分。 SAMに特化して説明した方がわかりやすいだけで、「心の理論」そのものが成り立っていないんだろうな。
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