桜井淳所長から東大大学院人文社会系研究科のH先生への質問 -神学研究の方法 15-
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これまでに、いろいろなテーマで講演してきました。最近では、意識的に、theology、すなわち、神学を掲げることもあり、自分でも、構え過ぎのように思っております。できることならば、哲学者・宗教家の梅原猛先生のように、まったく構えず、まず、印象からして、もっと、ソフトに、ふくよかに、安心感を与え、話す内容も、年齢相応の円熟味を示せ、ユーモアがあり、それでもって、話の内容に斬新さがあり、つまり、オリジナリティがあって、あるどころか、ものすごく高くて、聞くひとたちに、そのことの価値がよくわかるような話をしてみたいと念願しております。では、限られた時間内に、1時間半か、長くても、5時間半くらいで、まとまった話をするには、神学や宗教をどのように体系化して、どうしても触れなければならない話題が何なのかを考えなければならず、時間をかけて、詳細に話すのであれば、誰にでもできるようなことでも、その逆は、なかなか難しいものです。そのような迷いは誰にでもあることだと思います。私は、つぎのような内容を頭に描いており、実践しつつあります。(1)旧約聖書は、すべての基礎であり、すべてを省略することは、できないでしょう。(2)最低限、紀元前約13世紀の「モーセの十戒」の前後の神話と史的事実は、欠かせません。エジプト人とヘブライ人(ユダヤ人)の関係、その後のパレスチナ人のことも欠かせません。(3)天地創造やアダムとイブ、それに、ノアの方舟やバベルの塔は、省略してもよいでしょう。(4)そして、ここで、いきなり、新約聖書の世界に入り、イエス誕生の前後の神話と史的事実に触れます。(5)イエスをめぐるひとたちとの関係と出来事を詳細に語り、もちろん、数々のたとえ話や奇蹟等、イエスがメシア(キリスト)であることを示す数々のエピソードも欠かせません。(6)12名の弟子ついては特に詳細に語らなければなりません。(7)特に、12名の弟子を連れてエルサレムに向かう途中の出来事も重要です。さらに、続き、(8)最後の晩餐(イエスは最後の最後まで裏切り者ユダへの気配りを怠りませんでした)、(9)審判(どのような証人にたずねてもイエスの罪を証明できませんでした)、(10)十字架刑(イエスは、最後、7項目の言葉を口にしていますが、その中のひとつ、神に向かって、「父よ、彼らを赦し給え、その為すところを知らざればなり」と、実は、キリスト教の精神は、すべて、この言葉に集約されているのです)、(11)復活の話の順になります。1項目に10分かけても、すべて話すと、110分、つまり、2時間にもなってしまいます。ほんの少し話しただけで2時間にもなります。2時間では話の要約にもなりません。実際には、旧約聖書と新約聖書の話だけではなく、各項目の関係するところでは、釈尊(お釈迦様)や仏教、それから、日本の仏教について、私の場合には、特に、空海の教えと人生についても、触れることにしています。実際には、2時間では収まらず、その二倍から三倍もかかるでしょう。先生ならどのようなところにウェイトを置いてお話になりますか。
桜井淳