「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」での受賞に「よく選んだな、と感心してんですよ」。毎日新聞とは浅からぬ因縁がある。1965年、監督したピンク映画「壁の中の秘事」がベルリン国際映画祭で上映された際、毎日の記者に「国辱」とかみつかれたのだ。
政治的で過激なピンク映画を量産し、一時代を築いた。70歳を過ぎ、荒々しさこそいささか影を潜めたものの、映画作りの姿勢は変わらない。
「腹立てないと、映画を撮れない」。怒りが創作の源という。今回は、事件を警察側から描いた「突入せよ!あさま山荘事件」を見て、「表現者が権力側から撮っちゃいけない」と製作を決めた。
72年の連合赤軍事件。その時代状況を丹念に説き起こし、当事者の証言を基に山荘内部の様子を克明に再現した。「事件を知らない若者にウソの歴史を見せちゃいけない」との思いだった。
連赤メンバーとは今も親交がある。事件への思いは複雑だ。「社会変革の運動を失速させたのは間違いない。しかし、彼らがいたから、今でも日本には徴兵制がなく、日本人は戦争に行かずに済んでいるのではないか」
映画の中には、警察側の見方は一切出てこない。といって、事件の正当化にもくみしない。「鳥の背中から、右翼にも左翼にも落ちないように」という視点を取った。
自ら資金調達し、製作費を切り詰めて撮影する方法も不変だ。今回は「あさま山荘」に見立てた自身の別荘をぶっ壊した。冬山の撮影では「俳優の付き人なし、メークも衣装も自前」。厳しい環境が事件を知らない俳優やスタッフを、追い詰められた連赤メンバーの心情に近づけた。
「もっと腹立てなきゃ」。優しくなった日本人に活を入れるべく、次なる問題作を準備中だ。【勝田友巳】
受賞対象作の「奈緒子」(古厩智之監督)で、高校駅伝全国大会出場を目指す天才ランナーの雄介を演じた。約1カ月の撮影中は、駅伝部員役の同世代の俳優たちとホテルで“合宿”した。
「みんなで一つの作品を作るって言うけど、それまでよく分からなかった。『奈緒子』で、その意味が初めて理解できました」
思い入れがある作品だけに、何か賞が取れればいいなと思っていた。「すごくうれしい」と喜ぶ笑顔には、旬の俳優らしい自信も見え隠れする。
スピード感を出すために、長距離を全速力で走る撮影を繰り返した。「故障してしまう子もいて、『もうちょっとだよ、頑張ろうよ』と励まし合いながらの撮影でした。ライバル心も生まれ、きずなもできて、いい状況で演じられました」
中学時代はサッカー部に所属。走るのは得意だが、駅伝のことはよく知らなかった。今は陸上競技をテレビで見るようになった。「都道府県対抗駅伝で、出身県の茨城がいい位置にいないと残念ですね」と笑う。
目指す俳優像はまだ定めていない。「いい作品に出合い、自分が楽しめれば」というスタンスだ。
雄介と同様、自身も間もなく高校を卒業する。これから俳優一本でやっていくと決めたわけではない。「いろいろ道はある。目の前のことを一生懸命やりながら考えたい」【若狭毅】
「私のことを清純派だと思っていた人は、驚いたと思います」。受賞対象作の「純喫茶磯辺」(吉田恵輔監督)で演じた咲子は、気が強い高校生。これまでのイメージとは違う役柄だ。しかし、実は「芝居をしている気がしないほど、地に近かったんです」と笑う。
「現場がすごく楽しくて、父親役の宮迫博之さんとも本物の親子みたいでした。この大好きな作品で、10代最後の年に新人賞をいただけるのは本当にうれしい」と喜ぶ。
吉田監督は「適当にやってみて」といった感じで、最初は「大丈夫なのかな」と心配だった。セリフも長くて覚えにくいと思ったが、「実際に動いてみると、言葉がすらすら出てくる。そういう脚本も書いた監督は天才だと思いました」。
女優を目指したのは「派手なものが好きだから」。しかし、長崎に住んでいた幼いころは、目立ちたがり屋ではなかった。オーディションに受かって仕事が決まるのがうれしくて、だんだん華やかさにひかれてきた。
「スティーブン・セガールさんに似ていて、かなり目立つ存在の父の影響かもしれません」と、うれしそうに自己分析する。
もともと、映画は大好きだった。最近は「このカットはどうやって撮っているんだろうって、考えながら見ます」と話す。今後は「一つ一つの仕事に取り組み、しっかり勉強して20代を迎えたい」。【若狭毅】
毎日新聞 2009年2月17日 東京夕刊