見聞記
100歳を超えても現役スキーヤーとして活躍した三浦敬三さんを招き、仙北市のたざわ湖スキー場で「三浦敬三さんと滑る会」が初めて行われてから、ことしで10年。2006年に主役が亡くなった後も「友の会」として存続し、県内外の敬三ファンが年に一度、同スキー場に集う。会の世話役を担う大潟スキークラブ・オールドパワー委員会の面々をはじめ、会の中心は60、70代だが、スキーへの情熱や敬三さんに寄せる思いは熱く若々しい。ことしも40人以上が10日から2泊3日でスキーを堪能。「敬三さんに続け」とばかり、ゲレンデに老年パワーが花開いた。
敬三さんは日本スキー界の草分けで、プロスキーヤー三浦雄一郎さん(76)の父。オールドパワー委の委員長佐藤弘さん(74)が海外のスキー場で雄一郎さんと偶然出会ったのを縁に敬三さんとも知り合い、2000年2月、1回目の「滑る会」が実現した。
「96歳の人が、上級者向けのコースをノンストップで滑り降りてくる。やっぱりすごい、とびっくりした」。岸本茂義さん(73)や菅原卯平さん(71)ら、初めて敬三さんの滑りに接した同委の面々は、度肝を抜かれた。
敬三さんに指導をお願いした佐藤さんは、「ぼくの教え方は全日本(スキー連盟)とは違うが、それでもいいですか」と尋ねられたことを覚えている。「当時の指導方法より重心を高めにし、へそを中心に曲がるというのが敬三さんのスタイル。疲れない合理的な滑りで、今は全日本もへそ中心に変わってきた」と、高度な技術に舌を巻いた。
「探求一筋」とは、敬三さんが好んで色紙に書いた言葉。「言葉通り、敬三さんは毎日何かを課題にし、それを追求しながら滑っていた」と佐藤さんは言う。厳しさを持つ半面、飾らない温かな人柄が多くの人を引き付け、夜の懇親会では、参加者が敬三さんのスキー人生に聞き入った。
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2003年、滑る会の懇親会で笑顔を見せる三浦敬三さん(上)と、敬三さんを慕い、ことしも県内外から集まった友の会メンバー=2月10日、仙北市のたざわ湖スキー場 |
敬三さんは99歳まで4年続けてたざわ湖スキー場を訪れた。会の様子は口コミで県外にも広まり、当初38人の参加者は、4年目には倍の74人に膨らんだ。敬三さんは06年1月、102歳の誕生日を目前に亡くなったが、「ファンには今も余韻が残っている」(佐藤さん)と、名称を「友の会」に変えて集まりを続けている。
ことしの会には青森から京都まで44人が参加。日中はスキー、夜は地酒を傾け敬三さんの思い出話。当時、敬三さんと行動を共にしていた谷藤繁さん(74)=神奈川県相模原市=も参加し、「敬三さんは秋田の人たちの人情に引かれ、田沢湖に来るのを楽しみにしていた。会のあるじはいなくなってしまったが、スキーを続けている限り、敬三さんはみんなの心の中に生きている」と語った。
10周年を記念し、同委は文集を発行。歴代参加者の中から52人が文章を寄せたが、年を重ねなお前向きに生きた敬三さんから、いかに多くの人が勇気をもらったかが分かる。
「君は何歳? じゃ、ぼくに追いつくにはまだ30年かかるね」。佐藤さんが挙げる敬三さんの究極の言葉だ。100歳で現役とはいかずとも、少しでも敬三さんに近づきたいと、年齢を気にせずやる気にさせる。若者のスキー離れが進んだゲレンデを、老年パワーがもり立てている。
(2009.2.15付) |