わたしは、おしょうさんのゆめにでてきたびしゃもんてんのいうとおりにすれば、むらをすくうことができたのがすごいなぁとおもいました。
それに、あんなに大きな一本すぎを大おとこがたおしたのがすごかったです。おてらのすぐそばにうみがあるとはおもわなかったです。
一かげつのあいだに、かいやえびやたこもいっぱいとれて、あたまがいいやりかただとおもいました。この大きな一本すぎをすみかにしていたさかなをとるほうほうはいいかんがえだとおもいました。
たべるものがなくてこまっていたひとたちは、みんな大よろこびでよかったなとおもいました。びょうきのひともげんきになったかもしれないとおもいました。
だから、おしょうさんをそんけいして、むらのひとたちは、おてらにおまいりにいくのだとおもいました。
わたしもその大きな一本すぎをみてみたいとおもいました。
わたしは、かたえむらの一ぽんすぎが、たべものがなくなっているむらのひとをたすけてくれたとおもいます。
おしょうさんがゆめでみたとおりに、一ぽんすぎにふといろうぷをむすんで、大おとこやむらびとたちがみんなで、いりえまでひぱりました。
一かげつまって、ろうぷをはずしたら、いっぱい一ぽんすぎが、ゆれました。
すると、そらからさかなとかたことかたべものが、いっはいおちてくるのが、おもしろかったです。
そして、大おとこが、いっぱいいてちからもちだということがわかりました。
みんなが、ちからをあわせてろうぷをのばしてむすんでいるところがすごいなあとおもいました。
そして、たべものがいっぱいたべれて、よかったなあとおもいました。
それをわたしもみたいなあとおもいました。
みんなが、さかなとかいとかをたべれてうれしそうにしていて、よかったなあとおもいました。
おかげで、たべものにこまっていたけど、いまは、たべるものがあるので、よかったです。
これは、みんなが、おしょうさんのゆめをしんじて、みんなで、がんばったからです。
みんなでちからをあわせるといいことがおきることが、よくわかりました。
ぼくは、このむらのひとたちが、たべるものがなくて、こまっていたら、おしょうさんのゆめまくらにびしゃもんてんがあらわれました。
びしゃもんてんのかおがこわかったので、しんじていいのかなぁとおもいました。
でも、みんなは、おしょうさんをしんじて、いうとおりにしました。
まず、かたえむらにある大きな一ぽんすぎにろうぷをつけていりえにしずめました。
一かげつすぎて、ふといひもをきりました。
するとそらからたくさんのさかながおちてきて、たべものがいっぱいになりました。
むらのひとたちは、うれしくなって、よかったとおもいました。ぼくもうれしくなりました。
ぼくもやってみたいです。
ぼくは、あのこわいびしゃもんてんは、かおはこわいけど、こころはやさしいなぁとおもいました。
みんながちからをあわせて、がんばったから、たべものがたくさんとれたとおもいました。
ぼくは、いいはなしだなぁとおもいました。
そして、そんなに大きな一ぽんすぎをみてみたいなぁとおもいました。
ぼくは、「かたえむらの一本すぎ」のびしゃもんてんさまは、はじめおばけだとおもいました。それは、ぴかとひかってでてきたし、とってもこわいかおをしていたからです。
もし、ほんとにおばけだったら、おしょうさんやむらの人をおそったりたべたりしたかもしれません。
でもおばけじゃなかったからよかったです。びしゃもんてんさまは、たべものがなかった人たちに、さかながとれるほうほうをおしえてくれました。
そのほうほうは、一本すぎをたおしてうみのなかにつけて、一かげつたったらむすんでいたひもをきります。するとすぎのきがとびあがり、そこをすにしていたさかなたちがふってきました。そのときにすぎのきがふるえていたので、すぎのきがさむいのかなあとおもいました。一かげつもうみのなかにつかっていたから、きっとさむかっただろうとおもいます。
一ぽんすぎもがんばったのではくしゅをしたいです。
わたしは、かたえむらのおしょうさんはなんでもかいけつして、すごいなとおもいました。
おはなしの、はじめのほうでは、むらの人たちが、たべものがなくてこまっていました。おしょうさんも、さいしょはどうしていいかわからずなやんでいて、わたしもドキドキしました。
でも、ゆめのなかに、びしゃもんてんさまがでてきて、かいけつほうほうをおしえてくれたので、あんしんしました。
さいしょは、そのほうほうでどうやってかいけつするかわからなかったけど、びしゃもんてんさまのいうことなので、きっとだいじょうぶだとおもいました。
むらの人たちとちからをあわせて、いうとおりにするとたくさんのさかながとれるようになりました。
それからというものこまったことがあるとおしょうさんにたのむようになりました。こんどまた、むずかしいことがあったら、おしょうさんは、どうやってかいけつするのでしょうね。もしかしたら、またびしゃもんてんさまがでてきてくれるかもしれませんね。
わたしは、おひめさまをりゅうぐうじょうにつれていったしょうねんは、うらしまたろうだとおもいます。ひさしぶりにうみからあがってきたときに、きれいなおひめさまにあって、すきになったのかもしれません。けっこんしたくて、りゅうぐうじょうにつれてかえったのでしょう。
おひめさまも、しょうねんのことがすきでけっこんしたかったのでしょう。ふたりは、うみのなかにいってどんなせいかつをしたのでしょう。わたしは、こうおもいます。
おひめさまはにんぎょのふくをきせられてほんとうのにんぎょになってしまいました。しょうねんもいっしょににんぎょになりました。そして、ふたりはけっこんしました。
ふたりでさかなをとりにいったり、きれいなさかなをみたり、しあわせにくらしていました。
でもあるひ、おひめさまは、じぶんのあしをみてさかなのようになっていたので、じぶんがにんげんだったことをおもいだして、いきがくるしくなりました。そして、さいごにしんでしまったんだとおもいます。
そのときに、しょうねんは、にんぎょがにんげんだったことをおもいださないで、ずっといっしょにくらしたかったな、とかなしくおもったでしょう。
わたしもしあわせになってほしかったです。
わたしは、かたえむらの一ぽんすぎをみて、おしょうさまはびしゃもんてんさまのおつげをまもったところがいいとおもいます。そして、一ぽんすぎをみんなでがんばってたおして、うみにしずめました。一かげつたってから一ぽんすぎをたてたとき、さかなやかいがたくさんふってきました。だから、おなかがすいていたむらびとがたすかったので、よかったとおもいました。とうこうも、一ぽんすぎをたおして、さかなやかいが、いっぱいたべれたらいいなあ。
わたしは、このおはなしをみて、一ぽんすぎのうえから、さかながおちてきたところが、すごいなとおもいました。それはなぜかというと、一かげつ、うみにしずめてあったすぎのきに、さかなが、すをつくったり、たまごをうんでいたからだとおもいました。だから、たべものがなくて、なんにもたべていなかったむらのひとたちは、おなかいっぱい、たべることができてよかったですね。このおはなしは、めでたし、めでたしですね。
わたしは、かたえむらの一ぽんすぎをみて、おしょうさんのおかげで、むらのひとたちは、ごはんをたべれるようになったから、よかったなとおもいました。きから、いろいろなたべものがおちてきました。ねこが、さかなをくわえながらはしっていました。わたしは、そこが、おもしろかったです。きっと、ねこは、さかなをたべたかったんでしょうね。ねこがたべたさかなは、すごくおいしかったとおもいました。みんなが、しあわせにくらせるようになって、めでたしめでたしでした。
わたしは、かみさまがいてよかったとおもいました。それをかんがえているおしょうさんに、おしえてくれたいいかみさまだとおもいました。それをどんどんりれーみたいにしてていいとおもいました。そしてさいごさかなや、かいがらをいっぱいとりかたをおしえてくれるおしょうさんはいいとおもいました。でもぼくたち、わたしたちのふくおかはまずそういうことはないとおもうけどなったときのためおぼえとうほうがいいとおもいました。そんなおしえてくれるかみさまもそれをどんどんおおしょうさんもいいひとでそれをどんどんおしえてくれるふたりがにんきになれてせかいでいちばんいいひとにんきものになれたりするとすごくいいきもちでみんないいひとだなーとおもわれるほといいことしとうそのままいいこといっぱいで、たのしくできるとおもいました。