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中国の測位衛星が意味するもの

2003年5月30日
 中国は5月25日、西昌衛星発射センター(四川省)から測位衛星「北斗1号」を「長征3A」ロケットで静止軌道へ打ち上げた。中国の測位衛星は、2000年12月に次いでこれが3機目。打ち上げを伝える新華社電は「今回の打ち上げは、我が国が衛星利用測位システムを自らの力で完成させたことを意味する」とその意義を報じた。

 中国は、国際的にアメリカ、欧州に次ぐ世界における「第3のパワー」となろうとする姿勢を明確に見せており、宇宙開発もその国家戦略の一環と位置付けられている。地球上のどこでも自分がどこにいるかが分かる測位衛星システムは、民生用途と軍事用途の両方で極めて重要であり、その保有は国家の国際地位向上に大きな意味を持つ。中国は、「世界の第三極」となるために必要な宇宙インフラストラクチャを着々と整備しつつある。

●2010年までに本格的なシステムを構築

 中国の「北斗」測位衛星システムは、1980年代に研究が始まった。1993年から本格的な開発に入り、2000年10月と12月に最初の2機の「北斗」衛星が打ち上げられている。

 中国は長期の宇宙開発計画で、2010年までに測位衛星システムを構築することを明らかにしている。このことから現在軌道上にある3機の衛星は技術試験を目的とした第一世代と推測される。最終的には、赤道上空3万6000kmの静止軌道に実際に利用する衛星4機と、軌道上予備の衛星2機の合計6機の衛星からなるシステムを構築する予定だ。

 測位方式の詳細は不明だが、最低2機の静止衛星が地上から見通せれば測位が可能ということから、時刻情報を載せた2機以上の静止衛星からの信号の到達時間差から位置を測定するというものらしい。公称ではアメリカが運用するGPSと同等の測位精度を持つとしている。もっとも衛星の数が少ないので、衛星が建物の影に入るなどの理由で測位不可能になる場合が多いのではないかと思われる。

 今回新華社電が「測位システムを完成」と報じた意味は、3機の衛星がそろったことで、静止衛星を見通せない両極地方を除く世界中のどこでも測位が可能になったということだろう。

●国家主権のパワーの源である測位衛星システム

 測位衛星システムは、大航海時代以来連綿と開発されてきた「自分が地上のどこにいるか」を知るための仕組みの到達点だ。それは安全な貨客輸送を可能にするだけでなく、軍隊の迅速な展開、さらには巡航ミサイルの誘導にも使える。つまり測位衛星システムは軍民両面において、国家の国際的な地位を確保するための重要な宇宙インフラストラクチャである。社会全般に与える影響からすれば、その存在意義は「核兵器以上」といっても過言ではない。

 現在、アメリカの国防総省が1970年代から開発を続けてきたGPSが世界的に使われている。GPSは本来軍事用に開発されたシステムで、民間用にはノイズを乗せてわざと精度を落とした測位信号を提供する仕組みになっている。しかしクリントン政権時に、民間にも高精度の測位を無償で提供するという方針転換があり、現在は数mという軍用と同等の測位精度が民間にも提供されている。普及初期には「海の中を走っている」などと測位精度の低さが指摘されたカーナビだが、最近そのような話を聞かなくなったのは、補正技術の進歩もさりながら、アメリカが方針転換したことが大きい。

 もちろんアメリカは、莫大な開発費を投入したGPSを好意で全世界に無償公開しているわけではない。GPSにより測位業務を独占し、世界的な覇権の把握を目指しているのだ。欧州はこのアメリカの姿勢に反発し、独自の測位衛星システム「ガリレオ」を開発するべく準備を進めていた。アメリカは、ガリレオに対して「測位技術の拡散につながる」として中止を求めていたが、今年5月、EUは2008年システム稼働を目指してガリレオを開発する決定を下した。欧州はアメリカの独占を許さないという姿勢を明確に打ち出したのである。

 ロシアは、旧ソ連時代に構築した「グロナス」という測位衛星システムを保有している。財政難から寿命の尽きた衛星の代替を打ち上げることができず、衛星の数が減って事実上機能不全に陥っているが、ロシアはグロナスを決して放棄しようとはしていない。測位衛星の国家的な価値を知っているからだ。

●世界の第三極となるための測位衛星・気象衛星

 圧倒的なアメリカ、アメリカに対抗して独自路線を進む欧州、旧ソ連の遺産を何とかして生かそうとするロシア---「核クラブ」ならぬこの国際的な「測位衛星クラブ」に今回中国が名乗りを上げた。その背後にあるのは「世界の第三極となる」という中国の国家戦略である。

 1980年代半ばの改革開放路線以降、中国は目覚ましい経済成長を遂げ、現在も勢いは続いている。中国が目指しているのは、アメリカ、欧州に対抗してアジア地域の力の極となることであり、宇宙計画もそれに沿って策定されている。その象徴が今年10月に最初の有人打ち上げが予定されている「神舟」宇宙船による有人宇宙活動だ。旧ソ連とアメリカに次いで「人間を宇宙に送り込んだ3番目の国」となることは、国家威信の向上に大きな意味がある。

 しかし、地上の経済活動と軍事活動の両方により大きな意味があるのは、測位衛星と気象衛星だ。共に民生用途で多大な恩恵をもたらすと同時に、軍事作戦能力をも向上させる。また、測位と気象の情報を無償提供することは国際貢献にもなるし、同時にそれらの情報に他国を依存させることは国際影響力を強化することにもつながる。

 中国は気象衛星についても2010年までに、静止気象衛星と極軌道気象衛星の合計10機の衛星による観測システムを構築するとしている。これはアメリカの海洋大気庁(NOAA)が展開している気象衛星システムに匹敵する規模だ。日本が、省庁縦割り予算によって気象衛星の軌道上予備も用意せず、アメリカから衛星を借用する事態に陥っているのと対照的だ(関連記事:衛星打ち上げ再延期、硬直化した予算編成)。

●アメリカ頼みで不十分な日本の測位衛星戦略

 気象衛星と同様に、測位衛星に関する日本の取り組みは、アメリカのGPSを補完する信号を衛星から送り出すための技術開発を行うというレベルに留まっている。2004年に打ち上げる「技術試験衛星VIII型(ETS-VIII)」に、測位衛星の要の技術である衛星用原子時計が搭載されるのが、現状では測位衛星に向けた唯一の取り組みであるといって良い。今後、民間主導で開発することになっている準天頂衛星システムにおいて、アメリカのGPS信号を補完する信号を送信して、センチメートルオーダーの高精度測位を可能にすることが検討されているが、基本的に「アメリカのシステムに寄り添う」方針を採っており、中国のような独自測位衛星システムに向けた取り組みは皆無である。

 確かに欧州のガリレオに対するアメリカの激しい干渉を見る限り、日本が独自システムを持とうとした場合、アメリカが猛反発することが予想される。太平洋を挟んでアメリカと向かい合っており、対米輸出に頼る産業を持つ日本にとって、アメリカの意向を無視することは難しい。しかし、中国が「測位衛星クラブ」入りを明確にした今、過度にアメリカに頼ることの危険性も意識しておく必要がある。

■筆者:松浦 晋也=ノンフィクション・ライター。1962年、東京都出身。日経BP社記者として、1988年〜1992年に宇宙開発の取材に従事。著書に「H-IIロケット上昇」(日経BP社)
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