やんちゃな女の子だったわたしは、クラブでソフトボールをやっておりました
中学3年の時のこと、ある女の子が投げたボールがコントロールを失い
わたしの右目に直撃しました
その時、火花が散りました。。
こんなことって本当にあるんだな
と思いながらもその時は大丈夫だと、いつものように親のお迎えをまって
家路に着きました
ですが、次の日からが地獄でした
目は異常に痛いし、黒い点々が目の前中に散らばって
振り払ってもいなくなりません
わたしは気違いのように泣き叫びました
父も母もおろおろするばかりです。。
そうですよね
なにが起こったかなんて、本人しかわかりませんもの
とりあえず、知り合いの大学病院のお医者様へ連絡をして
診察をして頂きました
これはとお医者様の顔が曇り始めました
え
なんなの
わたしはどうなるの
両親だけが呼ばれ別室へ行きました
それから告げられた言葉は盲目
今、記事を書きながらわたしは泣いています
こんなへんな絵文字を使いながら何とか生きております(><)
病名は網膜はく離
それからわたしは2度の辛い手術を受けながらも
視力はもどりませんでした
術後1週間は頭のまわりに重石をつけられ動かないようにされます
皆さんが想像を絶する辛さです
1度の手術後、運悪く麻酔でB型肝炎になり、それから3ヶ月内科での
闘病生活です
内科でも動いてはいけないので殆どを病室の中ですごしました
病院の窓は自分で開けられないようになっていて、看護婦さんに言って
空けてもらうもらうシステムになっていました。。
それは多分、そこから飛び降りる人がいるからでしょう
実のところを言うとわたしも死にたいという気持ちではなく
この世からいなくなりたいと思いました。。
中学3年生には死というものはあまりに大きく考えられなかったのかもしれません。
そして3ヵ月後、2度目の目の手術を受けましたが目の回復は致しませんでした。。
わたしがショックだったのは勿論ですが、両親や弟がすごく悲しんでいたのを
今でも、多分一生忘れません
こころの中で
ごめんなさいを何回連発していたか?
ほんとうにほんとうにこんな娘になってしまってごめんなさい
わたしは、あのときのことは一生忘れないし、いまも目の前が涙で見えません
でも考えようによっては、あのときの自分があるから
今の強い自分がいる
たまにくじけるけど、立ち直りは早い
わたしはそんな自分が今では大好きです
大好きでないと生きていけませんでした正直な話。。。
片目になり写真をブログに載せたとき2CHのひとは、ロンパリだの
テリー伊藤さんみたいだとか色々な誹謗・中傷を受けました
なんでそこまで他人に言われなくてはいけないの
世の中とは悲しいものです
長々と申し訳ございません
これから先、どんな困難なことが待ち受けていようとわたしはそれに勝ち抜く自信はあります
現在、左目も0,01ぐらいなので殆ど見えませんがコンタクトのおかげで何とか生きております。。
こんなことを言ったら盲目の方に失礼ですよね
ボランティアでわたしのお役に立てることがあればどんどんやっていきます
最後まで読んでくださり、感謝しております
わたしの命の次に大事なもの
どうしても、写真を撮るときは左目からのショットが多いです
こんなに長々と記事を書くつもりはありませんでしたので又、熱がでてきました
もう今日は休みますね
Miko