2006年9月25日(月)
●紹介と批評 『英国画家 エリザベス・キースのコリア』 （１）
韓国では先ごろ（2006年2月）、エリザベス・キースとその姉エルスペット・キース・ロバートソン・スコットが1946年にアメリカとイギリスで刊行した『古き朝鮮・朝の静かな地（Old Korea: The Land of Morning Calm）』の翻訳が『英国画家・エリザベス・キースのコリア 1920〜1940』と題してソウルのチェックァハムケ［本とともに］から出版された。キース姉妹の著作が英語圏以外で翻訳刊行されたのは今回が初めてである。
エリザベス・キース（Elizabeth Keith 1887〜1956)は、第二次世界大戦前に、日本、朝鮮、中国、香港、フィリピン、マラヤ、シンガポールなどアジアを旅しながら、その風景やそこに暮らす人々の日常を水彩画や版画で描いた英国スコットランド出身の女性画家・版画家である。
エリザベス・キースは東京で活動していたジャーナリストのロバートソン・スコットと結婚していた姉エルスペット・キースを訪ねて1915年に来日。1917年には赤十字の義援金募集のための風刺画展を東京で開いた。その後、渡邊庄三郎から木版画の制作を勧められ、1938年頃までに百点以上の木版画を発表している。1924年にホノルルを経て一旦帰国、1928年には『東方の窓』を出版した。1929年から1933年まで再び日本に滞在し、姉と北京（北平）や蘇州を旅行したりしている。1934年から1936年までの最後の滞在期間中には京都に取材した木版画を制作した。1946年には『古き朝鮮』を出版し、1956年にロンドンで亡くなった。
また姉のエルスペット・キース（Elspet Keith Robertson Scott）は東京で夫が刊行していた日英両文誌『ザ・ニュー・イースト（新東洋）』に寄稿しているほか、ジェームズ・ゲイルが翻訳した朝鮮の古典小説『九雲夢』に詳細な解説を書いている。本書ではエルスペットをエリザベスの妹としているが姉の間違いである。
本書の翻訳にあたったのはアメリカ在住でイーストカロライナ大学名誉教授（政治学、行政学）のソン・ヨンダル［宋永達］である。外国人の近代朝鮮認識を調査する過程でエリザベス・キースを知り翻訳することになったという。
⇒（２）に続く
＊韓国の全北道立美術館では2006年9月29日から11月5日までエリザベス・キースの作品展「青い目に映った昔の朝鮮展」が開かれている。
＊＊日本経済新聞2006年10月8日付は「浮世絵その後・下 外国人画家」を掲載し、その中でエリザベス・キースに言及した。
●紹介と批評 『英国画家 エリザベス・キースのコリア』 （２）
本書では、原題の『古き朝鮮』を表記のように変更したほか、原本にはないキースの作品図版が30点ほど追加されている。伊東深水の版画「キース嬢の肖像」（1922年作）を巻頭に収めているのも原本と異なる点である。さらにソン・ヨンダルによる解説「エリザベス・キースの絵と生涯」も付されている。
この本は、筆者が過去十年のうちに手にした韓国の出版物のなかで最も美しい本に属する。本の編集、装丁、造本、印刷がしっかりしているうえに、そこに収められたキースの美しい作品が光をはなっているからである。
ところで、エリザベス・キースは、この『古き朝鮮』以前に、東京で開いた展覧会の英文作品集『笑って我慢して エリザベス・キースの風刺画集』（東京・新東洋社 1917）や『東方の窓 日本、北海道、朝鮮、中国そしてフィリピンにおけるある芸術家の旅の記録』（ロンドン、ボストン 1928）を出版している。後者はエリザベス・キースが旅先から姉に送った手紙を作品とともにまとめたもので、キースが旅先で何を見、何を考えていたかを伝えている。また、キースの作品集『色彩版画の巨匠たち9 エリザベス・キース』が1933年にロンドンとニューヨークで出版された。
一方、これまでに出たキースの作品を収めた展覧会図録には、米国オレゴン大学での展覧会の『エリザベス・キース 西の眼で見た東洋』（米国オレゴン州ユージーン オレゴン大学 1974）、米国カリフォルニア州パサデナにあるパシフィックアジア美術館で1991年に開かれた際の『エリザベス・キース その版画作品』（米国カリフォルニア州パサデナ パシフィックアジア美術館 1991)、横浜美術館『アジアへの眼 外国人浮世絵師たち』（1996）がある。これまでに知られているほとんどすべての作品がこれらに掲載されている。
図は伊東深水「キース嬢の肖像」（版画 1922）
⇒（３）に続く
＊韓国・果川市にある国立現代美術館では2006年12月8日から2007年2月11日までエリザベス・キースの作品展「青い目に映った昔の朝鮮展」が開かれている。
●紹介と批評 『英国画家 エリザベス・キースのコリア』 （３）
このうち、注目すべきは「知られているエリザベス・キースの版画をすべて収めた」（あとがき）とする図録『エリザベス・キース その版画作品』と、それに収められたリチャード・マイルズの評伝であろう。しかし、この図録も完全なものとはいえず、ここからもれたキースの作品が何点か存在する。また、評伝はキースの生涯をたどっているものの、いくつかの事実関係で疑問を抱かせる点があるほか、エリザベス・キースの全体像を伝えているわけではない。
『アジアへの眼 外国人浮世絵師たち』には同じリチャード・マイルズの「キースとハイド、旅する人と住まう人」や猿渡紀代子「江戸浮世絵と現代版画をつなぐもの」、K.S.= 猿渡紀代子のキースについての簡単な略歴も収められている。
韓国では、ホン・ウォンギ「英国画家たちが記録した二〇世紀初めの韓国・韓国人」やユン・ボムモ［尹凡牟］「エリザベス・キース〜一九二一年にソウルで個人展を持った英国の女流画家〜」があるほか、同じユン・ボムモの「日帝下西洋人画家のソウル訪問と作家活動」などがある。
筆者は「『古き朝鮮（Old Korea）』〜ある〈外国人浮世絵師〉の視線〜」を発表したことがある。（『ＮＨＫラジオ アンニョンハシムニカ？ ハングル講座』テキスト2003年９月号114〜115頁 日本放送出版協会）
このように、1991年に米国・パシフィックアジア美術館で開かれた展示会以後、エリザベス・キースに注目する動きが日本や韓国であらわれている。こうしたことが今回の『英国画家 エリザベス・キースのコリア』の出版につながったのであろう。
エリザベス・キースの活動については、すでにあげた本人の著作を通じてその大筋は理解できる。
しかし、キースが画家・版画家として見知らぬアジアを旅し、日本のみならず、米国や英国で成功した背景には、作品制作の力量とともに、キースを取り巻く周囲のヒューマン・ネットワーク＝人と人のつながりが大きく作用しているのではないか、と筆者は推測している。そのためエリザベス・キースの活動を、もっと具体的に、より深く理解するためには、本人の記録のみならず、キースを取り巻く周囲の人々についても調査することが必要なのではないかと考えている。
エリザベス・キースの日本におけるネットワークとはどのようなものであったろうか、この点は稿を改めて公表したいと考えている。（終）