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とある囲碁系ブログで勤労の義務(憲法27条1項)についてちらっと語っていたので憲法に定められている勤労の義務についてさらっと語ってみよう。
中学校の公民の教科書では、国民の義務としては「納税」「勤労」「教育を受けさせる」と言うのを教わるはずだ。 また、憲法の条文を読むと「権利の行使を公共の福祉に即して行え」と言う条文(憲法12条)もある。これも、広く義務であるといってもよいかもしれない。 では、勤労の義務とはどんなものか。 まず注意しなければならないのは、条文を素直に読めば分かるが、憲法上の勤労とは「権利」でもあるということだ。人に「働かせない」というのも、厳密に言えば憲法上の人権を制約していることになる。例えば学校などでアルバイトを禁止するに際しても、そうした憲法上の権利を制約するだけの根拠を用意しておく必要がある。 そして、憲法18条は「刑罰でない限り意に反する苦役に服させることは出来ない」と言う規定を置いている。働かない人間を無理やり狩り出して強制労働に従事させることは、逆に憲法に違反する恐れがあるのだ。 さらに、勤労をするに際し、人に雇ってもらって労働をするならばそれは一人で勝手に仕事をするのではなく、「企業・公共団体などの他人と契約しなければ」ならないということ。無償奉仕労働では食べていけない。 こうした勤労と言うものの持つ性質を基礎に考えていくと、法律的に勤労の義務を強調するというのはそうとう大変である。 その上で、実は、勤労の義務と言うのは憲法に言う国民の義務の中で最も「中身のない」条文と言ってもいいのかもしれない。 というのも、勤労の義務があると憲法に書いてあったところで、「勤労しない者」に国家が上から何らかの制裁を課すような条文は日本の法律のどこにもないのだ。一応生活保護関連については「労働能力があるものについて」需給を制限する法律があるが、これも制裁とは言い難いものがあるだろう。 例えば、親の遺産か何かがたくさんあって、食いつなぐ分には問題ない人たちがいる。彼らに労働を強制することはできない。そうした法律はないし、むしろ労働の内容によっては憲法18条に違反するとされる可能性もある。 それ以前に「勤労している」と言う状態はなにを指すのかもけっこうあいまいである。 「労働者とは労働して対価を得て暮らしている人」と言う定義は労働組合法にあるのだが、労働組合法は「使用者vs雇われ」の関係で団結交渉するための法律で、そのための定義である。専業主婦や資産運用家はこの定義に従うと労働者ではないが、彼らについて勤労の義務を果たしていない、と言うのは妙な話になるだろう。 そんなこともあり、基本的には、勤労の義務に違反した場合の制裁はないと言ってよい。つまり、勤労しないで飢え死にしても国は守ってはあげないし、他人もあえて守ってあげる必要はないよ、と言う程度のことしかできない。 中学校の勉強ではお経のように覚えさせられたと思うが、中身はこんなものだと知って驚かれただろうか。 ちなみに、そのブログの記事によると、彼は 「定年とはいままでご苦労様、もう貴公の義務は終了しました」というもの と解釈しているそうだが、これは大きな誤解。 憲法が国民に課す義務を、企業が自主的に定める「定年」という制度がいじくりまわすことが出来るはずがない。第一、勤労と言ったところで会社や公務員として「人に使われる」人ばかりではなく、社長や営業主、芸能人として動いている人には定年などない。 囲碁の世界でも、杉内雅男九段などは80を回って今なお現役である。 │<< 前日へ │翌日へ >> │一覧 │ 一番上に戻る │ |
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