サポーターコミュニケーションデー議事録(No.2)
酒井
淀川社長、どうもありがとうございました。続きまして、選手の移籍問題、今季のチーム強化に関して、チーム統括本部長・昼田よりお話いただきたいと思います。皆様もご存知かと思いますが、昼田本部長は新たに担当となりました。楽しみにされている方も多いと思います。それでは昼田本部長、よろしくお願いします。
昼田チーム統括本部長
みなさんこんにちは。お忙しい中来ていただきまして、ありがとうございます。
2月1日、昨日から新しくチーム統括本部という非常に重要な責任のポジションにつかせていただきました昼田です。いつもどこにいるのかというと、ベンチの横で審判に対してですね、気がついたらなんかこう、出て行っているというのが私で、遠くから見ていただいている方もいらっしゃるんじゃないかとも思いますが。そういえば、ちょっと痩せたんじゃないかなという、ご意見も言われたんですけど、これは、すみません。メディアの方もいらっしゃいますが、去年から徐々にダイエットをしてました。一気に痩せたように見られて、非常にサポーターの方から心配の声をかけてもらったのですが、年末からはそんなに痩せていない。いろいろ心配おかけしていますが。今年、非常に大変なシーズンになると思います。それも含めて、腹をすえて何とかしなければいけない。2月1日からということで、立たせていただいております。チームについてはまたゆっくりと話をさせていただきたいと思いますが、(社長のお話の)補足でですね、監督問題に関しましても、ゆっくりお話したほうがいいと思っておりますし、私たぶん、30分ぐらいなんですが、40分ぐらい話さなければならないと思っています。
大変申し訳ないのですが、海外へ出張するため5時にはここを出なければならないという状況だけちょっとご理解をいただいて、お話しさせていただきます。
〜 一部、外国籍選手獲得についての話題がございましたが、契約交渉に関する部分があり、オフィシャルサイト上での掲載を控えさせていただきます。 〜
現在、ディフェンスの選手の獲得について最終段階に来ていますが、もう一人、国はちょっといえないのですが、強化スタッフがだいたい5人ぐらいリストアップしております。どこのポジションかというと、1.5列目の選手になると思うのですが、監督と早急に話したいと考えています。ただ、本当に私のニーズにこたえられる選手でなければちょっと取らないかもしれない。というのは、この時期というのは契約解除で、移籍金というのが発生してしまうというところで、いい選手に関しては1、2億は当たり前ということになってしまう。もう一ついうと、細かいことなのですが、1月31日にヨーロッパのウインドウは閉まっています。詳しい方もいらっしゃると思うんですけど、で、日本のウインドウは空いています。向こうから入ってくることはできるんです。祖母井がやっているときは、向こうで見て、獲得もしてましたが、ただ、あちら(移籍元クラブ)もシーズン中なので、取られたら補強ができないようになってしまうんですよね。そこのところで、試合に出てない選手をこの時点で補強するよりも、本当に試合に出ている選手をじっくり時間をかけてという手法であと1名を考えております。ただし、センターバックに関しては左利きの185センチ以上というようなところで、ターゲットを絞って全世界からビデオを送らせて、ピックアップしました。
監督の解任に関して、これは私の強化という責任、強化部長という責任ある仕事をさせていただいたところで、昨年度の天皇杯で、もう一ついうと、その1シーズン前の天皇杯も4回戦で敗退した。これは私、祖母井と7年間仕事をしてきて、祖母井の最後のゲームでした。彼は今まではあまり怒らない、めったに怒らないんです。それがですね、(試合が)終わったあとに、ロッカールームで誰かが乱入したのかなっていうぐらい、選手に対して、ぐあーっと罵声をですね、浴びせました。というのは、恥ずかしいと。サポーターに対して申し訳ないと。何様のつもりだというのが、彼のジェフでの公式戦最後の言葉だったというような事実がありました。それで、選手たちは1年後になって、ものすごく気合が入っていました。正直な話。非常に去年不本意なシーズンでしたし、ラストの大会で優勝したいというのが練習に出ていても、ものすごく伝わってきました。選手同士のコミュニケーションもそうだったんですけど、ただ、本音をいうとですね、あの、アマル監督自身がですね、何か、ちょっと普段の、いままでの成績と変わらなくて、去年の感じとあまり変わらなかったというのをものすごく感じました。次の日に唐井さんと話をしました。強化スタッフで。それでやっぱり、解任をする方向でというのがこれが本当の話。ただし、伝える時期というのがありました。Jリーグが残っていた。これを前提として、エスパルスとグランパスの間の水曜日にしよう。これはモチベーションの問題も含めてですね。そこで話をしようと決めていたが、オシムさんの件がございましたので、ここはここではいえないだろう。どうしても。ただ、いつまでかというと、天皇杯負けてしまってますので、12月1日が(今季)最終戦で、2日休んで、12月4日に伝えたということです。そこから私が、契約をということになりました。時間軸としては、そういうことがあったということを、まず、皆様方にお伝えしたほうがいいと思って話をしました。
次に後任の監督。素直にお話したほうがいいと思います。ぼくは状況を見て、急遽、代理という形になるかもしれないが、そのときの強化としてのトップでしたから、私なりに分析をしました。3つのポイントで分析させていただきました。一つ目は、イビチャ・オシムさんのボールと人が動くサッカーを継承できる人というグルーピング。せっかくホワイトボードを用意していただいたので、書いたほうがいいかな。あの、分かりづらいかもしれないが、出来るだけわかりやすく説明します。二つ目は、できればジェフのOB、ジェフと何らかの関連がある人たちというところで考えさせていただきました。三つ目のグループは、グループというか考え方なんですが、守備の強化を図れる監督。去年でいうと、ディフェンス力が非常によくなかった。とくに失点が、攻めていて速攻されるという。もともとオシムさんというのは、いま、クゼさんもそうなんですけど、守備に重点を置いている。オシムさんが最初に来られたときも、ものすごく守備の意識からチームを作っていっています。すごく攻撃的だってよく言われるんですけど、実はそんなことなくてですね、ものすごい守備の1対1を、タイトにマークしろというのがベースだったので。守備の意識の改善ができるというところを見させてもらいました。守備の改善という点で、世界でみるとドイツのライセンスを持っている方か、もしくはイタリアのライセンスを持っている方、特にイタリアのライセンスというのは守備のところに関しては非常に厳しい。これは、国自体のナショナルチームのサッカーを見ても分かると思う。この大きく分けてこの3つのグループにわけて考えることにしました。3つの要素がかぶっているところが多いほうがいいんじゃないかと。一番かぶっているところが。オシムさんといいますか、こういうところの中心がオシムさんになるんじゃないかなと思っているんですけど、そういう考え方でリストアップをし、ベストの監督を探してきました。そして、最終的には、クゼ監督がベストだという判断をしました。ドイツのライセンスをクゼさんは持っています。大学もドイツのケルン体育大学を出ていて、クロアチアで。ナショナルチームもというところと、コミュニケーションを非常にとれると。ガンバのときを調べると、非常に評判がよかったというところも含めてですね、で、クゼさんにあたったら、即答でした。ルワンダとの契約解除があったものですから、それに3、4日ぐらいかかったんですけど、1月の初旬には、クゼさんでいくというようなことになっておりました。1月13日に来日し、一番最初に成田空港に出迎えに行って言われたのが、「とにかく情報を教えてくれ」ということで、車の中約1時間半なんですけど、代表選手が5人いなくなる状況だと。6人、巻も含めて6人ですね。すぐに巻に会うと、勇人に会う、羽生に会うということで、その日のうちに3人と話はしました。
その中で、残った選手をまずリストアップしていって、話をしていったのですが、その情報をもとにしていくと、おそらく今年のチームに関しては、4枚のディフェンスのほうがいいだろう、それで、攻撃的な起点となる選手がいない、いなくなるということだったので、ある程度守備的なチームになるだろうと、たぶん、4カ月後というか、4、5月まではある程度守備的なサッカーにならざるを得ないだろうと話していました。補強については、選手が引き留められなかったときの状況を考えていきました。それは、最初からいなくなるとは思っていませんけれども、ちょっとこれはどうしようもないなと。移籍を希望した選手と監督、私で会ったとき、ボクの目の前で(選手が)クゼさんに「無理です」という話をした段階で、(補強選手の)リストアップを全スタッフでしました。その中で、左がいなくなったので、苔口というところで、右がいなくなったので谷澤。というので、話をさせてもらいました。馬場に関しては、フットボーラーといいますか、あの、もともと7年間スカウトをしていましたので、どうやって見極めるかというと、選手を見るときに『キラー』と『フットボーラー』というタイプに分けて考えています。この間、メディアの方は『ピラー』って言ってましたけど、『キラー』です。フィジカル的に非常に強い選手ですね。それと、『フットボーラー』は、ボールをコントロールする選手。水野はどちらかというとフットボーラータイプですね。水本は言わなくてもわかると思いますけれども、キラータイプだというふうに分けています。そういうふうにグルーピングして取っていってるんですけど、イメージ的にいうと、フットボーラータイプの選手というのがいなくて、本当にノーミスの右も左も蹴れるという、イメージの選手が馬場選手というところで、馬場選手については選手がいなくなるということよりも、編成上、アプローチしていました。最後の最後で、ボランチがいなくなったというところで、青木亮太というガンバの選手なんですが、ボランチもできる、右サイドも出来る、左サイドも出来ます。4枚の、センターバックも出来るということで、早急に獲得して、その時点で日本人選手に関しては以上で終わり。補強に関してはこういった流れでした。
冒頭に話しをさせていただいた、外国籍選手の補強に関しては、センターバックの左利きの185センチクラスのヘディング強くて、コーチングができてというふうなことで、外国籍選手を取ったというところです。次はおそらく1.5列目の選手を取っていきます。これは、あくまでも、現時点での話です。4枚のディフェンスでサイドがアタックしてくるということで、これはあくまでもこういうようなサイドバックが、右サイド、左サイドがアタックしていくという、今の現段階。キャンプにいって、またバージョンアップとか、1ボランチになるもしれないが、こういうイメージで(選手を)取っていこうと。だいたい、どこにどの選手がはめられるかはいまの段階ではお話できないのですが、みなさんで想像していただいて。センターバックの選手を185センチの左利きの選手。次はいまのところ、ボランチもしくは1.5列目の選手。あくまでもいまの段階の情報なので、毎日、毎日8時半から1時間ぐらい話をしています。終わったあとも1時間ぐらい話をしている中での、こういうようなところで、まず最初の段階でいうと、守備的な、やや守備的なところから速攻が良いのではないか、というようなことを毎日話しております。ということで、補強に関しては、1.5列目かボランチの選手の外国籍選手を取る。もしくは、6月まで見るかというのはこちらでまた、コーチ陣と話をして取っていきたいと思っています。というのがちょっと、監督問題と選手補強と、チームのコンセプトといっていいのかわかりませんが、こういうチームになっていくだろうというところを、みなさんとちょっとでも共有できればなと思って話をさせていただきました。
選手が出ていったことに関しては、みなさんに申し訳なくて、窓口が私だったので、毎日、話をさせてもらっていました。もともと選手との関係というのは、契約交渉の場だけではなくて、普段からお茶を飲みにいったり、食事をしたりしている中で、(改まって)テーブルを挟んでやるよりも、とにかく、毎日誰かに電話をしました。で、時間があえば、蘇我にいったり、千葉みなとにいったり、海浜幕張にいったり、例えば、練習が終わったあとに、クラブハウスで話をしたりして、話はしていったが、一つですね、非常に表現が難しいんですけど、ぼくはちょっとさみしいなというのが正直ありました。というのは、ボクは基本的には一緒に強いチームを作りたかったというのがやっぱり一番。それが、彼らには、強いチームにいけばそれで幸せがあるというか、プレーヤーとして、サッカープレーヤーとしてもっと違うところが見えるんじゃないかというところがあったのかなというふうに感じています。ごめんなさい、非常に言葉をオブラートに包んで話をして、逆に、かえって誤解を招くかもしれないが、それが非常に僕はそれが残念だった。でも、この場でいえることは、残ってくれたというか、選手がいます。一人は坂本選手。残ってくれたというか、帰ってきてくれたんですけど、12月4日に、こういう状況になって一番最初に連絡をしました。私が(ジェフに)来たのが2001年の3月21日でした。当時3年間残留争いをしていて、祖母井さんから電話があって、ぼくが来たときには3連敗していたと思います。16チーム中16位で、ボクはそのときから、祖母井が非常に困っていたという中で、来たものだから、ぼくにできることはなんだろうかということで、寮に3年間一緒に、単身赴任で住みました。そのときの仲間がいまのレギュラークラスの選手です。朝飯、昼飯、夜飯と一緒に食べました。そのときに、坂本選手が、寮長をやってもらって、リーダーシップが非常にある選手だった。みるみる、若手の選手が変わっていった。私は、97年に仙台で仕事をさせてもらったましたが、オシムさんの先生にあたるかもしれない、エルスナーさんと一緒に仕事をさせていただいたときに、『昼田、日本人選手はどうして試合に出られないときに、“なぜ、ぼく出られないですか”って話をしてくる。ヨーロッパの選手は“どうやったらでられるようになるんですか”と聞いてくる。その差がわかるか?」という話をされました。で、“なぜ、出られないか”それは監督が決めること。監督が責任を負うので、ようは、うまいか、下手かでいったら、へたくそだからに決まっている。答えは決まっている。で、どうしたら出られるようになりますか? という質問に関しては、いっぱい話ができるという話をされました。僕もこの話を当時の若い選手に、勇人もそうですけれど、みんなにしました。当時、出てなかった選手に関しては「昼田さんなんで、ぼく、出られないんですか。あいつより、ぼくのほうがうまいですよ!」っていうことを平気でいう選手がたくさんいましたけれど、ちょっと待てと。練習せいと。という話をしました。練習しろよと。自分の足りないところが何なんだと。どこなんだと。そのころ、坂本は本当に練習してました。佐藤勇人もそうなんですけど。8時ぐらいにみんな、筋力トレーニングだとかですね。ぼくはそれを非常によく知っています。で、そのあと、代表になっていった選手というのは、オシムさんのおかげというのは当然あります、現場のコーチのおかげだというのももちろんある。ただ、やっぱり、そのグラウンド上のオンザピッチという表現と、グラウンド外のオフザピッチ、ぼくらはグラウンド外もサポートするんですけれど、坂本という選手のフォローはものすごく大きなものがあったと思います。坂本に関しては、呼び戻して、とにかく一緒に戦ってくれという話をした。巻選手に関しても、契約交渉のときにはですね、こういうことをいっていいのか、あれなんですけど、最後はやっぱり、ぼくはここのクラブを強くしたい。このクラブでもう一回サポーターと一緒にやっていきたいという話をしてくれました。本当に、昼田さん頑張りましょうと言ってくれました。去っていった選手もいますが、もう2月1日、シーズンが始まってますので、そのときは本当にいろいろ涙したこともあったし、落ち込んだこともありましたけれど、今、現段階でいうと、残ってくれた選手に対して感謝してますし、未来系というのを見ていきたいなって思っています。
2003年ぐらいからですかね。2003年だと思います。村井と茶野がいなくなったときに、そのとき私が(この席に出て)みなさんに話をさせていただいたということがありました。こう見えて、結構落ち込みやすいタイプなので、よく、いろいろなことがあります。正直な話し。試合に勝った、負けた、選手が取れた、取れなかったとかあって。いつもこういうことを書いてます。おまじないでもなんでもないんですけど。ぼくがこのクラブに来させていただいて、勇気づけられる言葉といいますか。『いちばん』と書きます。非常に悔しいときに紙に書きます。『いちばん』には、市原の『いち』ともう、前の方、わかってらっしゃる。千葉の『ちば』という文字が入っている。ここがさきほどからすごく大切なことだと思いますけれど、こういう想い、このクラブを、自分なりに何とかできることはやろう思ってますけれど、こういう(いちはらとちばの重なる「ち」)「ブラッド」というか、「血」ですよね。こういうところの選手をやっぱり作っていかなければならないと思っています。もっともっと、それまで作ってなかったのかといわれるとあれなんですけれど、もっと濃い選手を作っていかなければいけないと思っています。これは当然、いちばんになりたいと思っているし、決して諦めてもいない。ただ、時間はかかるかもしれないが、今いる若い選手でもう一度、再チャレンジしていきたいと思っています。みなさんのご声援がいちばん必要になる。今回、私は年末、年始と(サポーターの皆様から)非常に声をかけていただけるようになりました。前まではあの人だれだと、知っている方は軽く声をかけていただいておりましたが、どうも第一印象が非常に悪いので、だれだということで、今回非常に多くの方に声をかけてもらって、たくさんの栄養ドリンクをいただきました。それで、本当に勇気をもらったし、何とかしなければならないと思ってます。決して簡単とはいえません。5人の代表クラスの選手がいなくなったことは簡単ではないと思っていますが、クゼ監督も、いなくなったことに関しては、大きな問題だけど、次に若い選手を育てること、要はそれをすればいんだと。自分は今までそうしてきた。だから昼田、そんなに悲観的にならなくて、未来を見ていこうという話をしてくれました。ただ、時間はかかるだろう。時間がかかっても我慢しなければならないというふうに話をしてましたので、そこのところ、本当に皆さんのご声援に勇気づけられてますし、当然、選手は皆様方に勇気付けられて、この3、4年、代表選手が多く選出されるようなチームになり、優勝争いができるようなクラブになったと思っていますので、引き続きよろしくお願いしたいと思っています。
最後に、ブランディングというか、なぜ、選手を取られるのかというところなんですね。毎年、毎年、これ、非常に寂しいのですが、だいたいぼくがスカウトしてきた選手なんですね。スカウトしてきた選手が今回はいなくなったということに関してはですね、いま考えているのはブランディングというか、このクラブのブランド力を上げていきたいというように思っています。このことについては、おいおい、いろいろな形で発信をしたいなと思っています。どんなことをするのかということに関しては、1カ月ぐらい待っていただいて、みなさんで共有できるものを発信していきたいなと。このクラブに誇りを持ってもらいたい。その選手に対してもここにずっといたいと思われるというようなところをやっていきたいと思っています。何度も申し上げますが、皆様のお力をぜひ、最後はお借りしなければより前に進めないと思っているので、よろしくお願いします。以上です。
1ページ/2ページ/3ページ/4ページ/5ページ/6ページ
全ての文章、画像の無断転載・引用をお断り致します。
また許可なく複製、転用、販売等の二次利用をすることを固く禁じます。
|