サポーターコミュニケーションデー議事録(No.1)
2008年2月2日(土)に行われた「サポーターコミュニケーションデー」について内容のご報告をいたします。
酒井道代
ただいまより第8回サポーターコミュニケーションデーをはじめさせていただきたいと思うのですが、本日はこんなにたくさんの方にお集まりいただきました。本当にどうもありがとうございます。今年で8回目を迎えましたサポーターコミュニケーションデーなんですが、魅力あるクラブ作り、強いチームを作るために、皆様と活発な意見交換を行ってまいります。2時間という限られた時間なんですが、どうぞよろしくお願いします。
それでは本日の進行方法および、注意事項について説明してまいります。本日は皆様から事前にいただいた質問をもとに、クラブより回答させていただくという形で進めていきます。本編、本編以外の質問には書面での回答とさせていただきますので、まずお手元の資料を見てください。こちらでは、皆様のから最も質問の多かったものにお答えしています。クラブの回答のあと、皆様からさらに質問があれば、その質問についてお答えしていきたいと思います。ただし、2時間という限られた時間になっております。十分にできない部分もあるかと思いますが、クラブとしては誠意を持って質問に答えていきたいと思っています。
それでは、皆様にお守りいただきたい点からお願いしたいと思います。この会はクラブ主催のイベントです。この会の内容、動画、静止画、音声などホームページに掲出することはできません。この会の概要に関してですが、後日、オフィシャルサイトで報告することを予定しています。昨年、この会開催中に、ある掲示板にこの会の内容がリアルタイムに掲載されるということがありました。そのようなことがないようによろしくお願いします。
携帯電話の電源はお切りください。席を立ってのカメラなどでの撮影、ほかの方に迷惑ですのでご遠慮ください。室内での飲食および喫煙はご遠慮ください。喫煙は入口に喫煙スペースがございます。そちらをご利用ください。
質問がある方は挙手にてお願いします。こちらで指名させていただき、マイクを回します。マイクを通してお話ください。また、質問の内容は一つにまとめて、お一人様一問とさせていただきます。
それでは本日の登壇者をお呼びします。本日の登壇者、淀川隆博代表取締役社長、続きまして、島田亮取締役 業務統括本部長、昼田宗昭チーム統括本部長、小林寛ホームタウン事業統括本部長以上4名となります。
それでははじめに、ジェフユナイテッド市原・千葉、代表取締役社長 淀川隆博よりご挨拶させていただき、そのあとに話をしていただきます。淀川社長、よろしくお願いします。
淀川社長
ご紹介いただきました淀川でございます。本日は本当に朝早くから肌寒い中、私たちのコミュニケーションのために多くの方がお集まりいただきました。本当にありがとうございます。心から厚く御礼を申し上げます。
まずはじめに、このシーズンを迎えるにあたりまして、昨シーズンの中心選手が多数チームから離れてしまったことを、代表として、深くお詫び申し上げます。本当に申し訳ありませんでした。そしてこの件に関しまして、多数のメール、手紙、お葉書を頂戴しました。本当に心配されるもの、叱咤激励されるものが多数ありました。そのほかにも、頑張れ、「一生ジェフサポをやる」、「支える」という温かい励ましの言葉も多数いただきました。そのことにつきましても、本席をお借りしまして、心から感謝申し上げたいと思います。本当にありがとうございます。
そして、本件の原因としてのマスコミに、いろいろな活字で表現されました。その件に関する、事実や述べたことはいろいろなことがございますが、結果として本件につきましては、私が一切に責任を負わなければならないと覚悟しています。昨年の10月から2008年を見通しまして、私たちが掲げております、3つのビジョン。「魅力あるチーム」、つまり強いチーム作りをするということで、その本部としまして、チーム統括本部を昼田に、それから、「地域とともに歩む」ということで、ホームタウン事業統括の本部長として小林に、それから、このクラブの健全運営、健全な活動ができる、「自主、自立の経営」を目指すということで、業務統括に、島田取締役。ここに同席してくれていますこの3人で皆様のご期待にこたえられるクラブにするために、ようやくこのような体制を取ることができました。われわれが求めている目標に向けて、実現していく、大きな力になってくれるものと私は心から期待しておりますので、私は、うまくいかないときは一切責任を取りますが、皆様方の温かいご支援、ご声援をいただきますように、どうぞよろしくお願い致します。
それでは、本題に移りますので、着席させていただきます。
酒井
それではよろしくお願いします。
淀川社長
事前に皆様方からいただいた多数の疑問、クラブをどうするのかという質問がありました。その中でまず一番多かったのが、唐井前統括本部長の契約満了に伴う人事異動のこと、それからもう一つはアマル前監督の、契約解除の件、3つ目はクラブのビジョンということでございました。ほかにもありますが、限られた時間の中でございますし、不十分な点はこのあとの質疑応答の中でこたえていきたいと思います。
まず、最初に唐井前統括部長に代わって、昼田にトップチームの強化を託した理由。基本的にクラブは株式会社ということで、企業の形態を取っております。したがって、人事に関しては、本来はその理由をお話すべきものではないと思いますが、私たちが置かれている環境、社会的な影響、そして皆様方が大変ご心配されていることを痛切に感じておりますので、本件については、私が敢えてお答えしたいと思います。一方で、前任者にかかわる個人的なことについては、まだ彼らは若いわけで、これからのこともありますので、もちろん、誹謗中傷するつもりはございませんが、皆様に誤解のない範囲で最小限にとどめておきたいと考えておりますので。どうぞご了承いただきたいと思います。
まず一つ目。唐井氏から昼田に代わってもらうという点です。彼は1年契約で1月末までの契約でありました。契約満了ということで、職務を全うしていただいたうえで、昼田に後を託すということです。アマル監督との違いは、アマル氏はあと1年契約を残していましたが、途中で残念ながら契約解除していただくということになりました。このことはあとでお話します。
2つ目。昼田は7年間このクラブに携わってくれて、私と4年間一緒に仕事をともにしております。彼の仕事ぶりが、やはりこのクラブの発展のためにはより良いと私は判断しました。もちろん、私個人が一人でどうのということではなく、取締役と議論をしたうえでございますけれども、最終的には私が意志を通すということで、昼田にやってもらうということにしました。やはりそれは、唐井氏を決めるところからあるのですが、最終的にはクラブのいいところ、第一には昼田が多くの若手選手をスカウトしてきて、選手たちに人望があるということ。そしてこのクラブのいい部分、人を育てるというところをより理解して、今後もその風土は昼田のほうが受けついでくれるであろうということ。そして、ここにいてくれる、島田、小林、両部門長とよりよい連携を保ってくれる人材であるということがもう一つの理由でございます。
それから2007シーズンの終盤には、かなり監督に対する選手の求心力が弱まっているという報告が唐井氏からも、昼田からもありました。皆様方が一番分かりやすいのはストヤノフの一件が象徴的であったかと思いますが、その後、選手たちが、自分たちがやるんだという意志に非常に強く目覚めてくれたというか、やってくれたという部分が多かったと思いますが、潜在している問題がやはり解決されていなかったのは、6連勝のあとの白星がないことにやはり現れているのではないかと思います。そういう求心力が薄れている中で、昼田にやってもらうということは、私も非常な勇気を必要としましたが、さきほど申し上げましたように、選手たちの人望が厚い。それから、これから、展望を見たときに、私は昼田でなかったらもっと悪い事態が起こっていたのではないかと思っています。現実に、クゼ監督をいろいろな難しい状況の中から招聘してくれました。
そして、実はまったくホットな情報でありますが、昨日まで練習に参加してくれていましたエディ・ボスナー選手は、昨日、監督と一緒に帰る時に、私がどうかと感想を聞きましたら、「いい」と。監督はものすごく彼を欲していることが直にわかりました。それで後は昼田に、条件面だとかいろいろなことをやってもらっているわけです。昨日の夜、条件が整えばこの選手を獲得ということでクラブとして決めております。こんなことも含めまして、昼田は文字通り、昼も夜もなくですね、クラブのために本当にやってくれてまして、私の期待にこたえてくれているということで。本当に私はよかったという思いを強くしています。
それでは、唐井氏の件です。唐井氏とは1年契約で、契約が満了する3カ月前には契約解除の通知をしなければならない。これは契約上そうなっておりまして、そういうことがなければ、来年も自動的にやっていただくということでございましたが、先ほど申し上げたような理由で、昼田に代わって貰うつもりで、10月末に契約更新しないことを、クラブとして唐井氏に通達しました。後日、アマル監督の解任の通知のときに、これも、唐井氏本人からの意見もあり幹部会で、(両件を)同時に発表することを決めました。これが12月4日だったと思います。それはなぜかというと、それが混乱した部分、誤報道も含めて、誤解を招いた部分があったと思います。これは私が最終的に判断いたしました。(唐井氏についての発表は)1月末でもよかったんです。彼も少なくとも最後まで仕事はキチッとするといってくれていましたから、そういう考えもあっていいのですが、選手の契約更改業務が始まることもがあり、自分がやめる状況で選手たちと交渉するのはよくないということで、12月に同時に発表したといういきさつがあります。(選手たちに)あとで報告して、なんでやめる人と契約交渉するんだみたいなことにならないようにと判断したわけです。
アマル氏を契約解除については、昼田も同席させた私たちの幹部会の中で、唐井氏からチームの状況を報告してもらいました。やはり次のシーズンを迎えるにあたって、監督に代わってもらったほうがいいという意見でありました。私も現場からの意見を尊重しておりますし、どの人間からも反対の意見がありませんでした。これが幹部会の中で、それでは、次どういうふうに考えるんですか、後任候補はだれですかということを何人かの人に聞いて、基本的に、その(監督交代の)方向でいきましょうというのが、天皇杯の日、11月4日の試合後の幹部会でした。時期的にはそのころやりました。(Jリーグを残している)トップチームはまだ予断を許さない、そして最後までやはりゲームに、勝負に集中してもらおうというのが現場からの意見でありまして、私もそれがいいと判断しました。そんなことで監督、唐井氏本人のことも含め、シーズン終了後に発表しましょうということで、12月4日だったと思いますけれど、そのように進めました。
アマル監督の解任についてですが、先ほど申し上げましたように、報告がありまして、理由としては、これはもう、皆様方もお分かりのとおり、やはりなかなか勝ちきれない。一言でいうと成績不振でありまして、引き分けが負けになっている。負け星が多い。それだけでは私はまだ理由が不足だと思っていました。もう一つの大きな理由は選手たちの求心力の問題。そしてこのままやり続けていいサッカーができるのかなというところに疑問があった。この大きな2点が契約解除の理由。ほかにも報告はあったのですが、この大きな2点を申し上げておきたいと思います。そして、発表は先ほど申し上げました理由で、唐井氏と同じように、シーズン終了後にしました。最終節の12月1日が終わったあと、一度選手が集まる前で、(監督の解任を、監督に)報告することにしました。できればだれかに代わって貰いたい思いでした。それはなぜかというと、だれも予期してなかったことですが、イビチャ・オシムさんが倒れられて、まだ、入院されて重篤な時期でした。つい先ごろ元気になられましたが、奇跡的ですね。そういうことが誰も予想だにしないような中で、アマル氏の解任通知を私が宣告しなければならない状況でした。本当につらい、代わってもらいたい状況でした。
そのとき(解任通告のとき)の状況はと申しますと、唐井、私、島田といた中で、アマル氏は「本当にありがとう」と言ってくれました。ご承知のように、いろいろな状況の中でアマル氏に(監督を)やってもらいました。そんな中で(クラブが)こういうチャンスを与えてくれたことに、感謝をしているということで、彼から手を出してくれたことを、本当に私はうれしく思いました。
そして、その中なんですけど、お父さんのことがやはり気になるということで、(私も)お見舞いには一度行っているんですけどね、また、落ち着いたらお見舞いに行くよっていったら、自分のことは関係なく、いつでも都合がついたら来てくれといってくれたのが、私には非常に大きな救いでした。
そういう状況の中でこういう選択をした。私は、クラブとしてこのほうがよくなるということで勇気を持って決断したつもりです。いまのところ、クゼ監督を迎えて、外国籍選手、それから現場スタッフのほうも、霜田コーチがヘッドに、GKコーチも眞田コーチが来てくれ、スタッフの部屋は非常に明るく前向きにやってくれています。先日も昼田が明るく私のところへ来てくれたので、どうしたんだっていうと、全然雰囲気が変わりました。私もそのあとグランドのほうに行って、雰囲気を見ていたんですけど、そういう部分を私も感じました。成績次第ではありますが、いまは、そういうことで、いいスタートが切れているなという実感が非常に強い状況であります。
最後にクラブのビジョンについてですが、これはこの席で何回か話をさせていただいていますが、大きな目標に向かってこの3人体制で進めます。中期計画というのが、策定されたのが2003年で、実は私が来る前でありますが、2010年を見据えて、基本構想は練られていまして、私は2004年から数字に織り込むとか、いろいろなことを施策としてやってきました。一番、注力してきたのは、営業力の強化ということで、先輩たちが作ってくれたフクダ電子アリーナを、どうやって、サポーターの皆様、それから一般のお客様、とにかくジェフを応援してくれる人たちでどうやって埋めるかということとあわせて、私たちをご支援いただいているスポンサー企業を増やすこと。いま当時、約30社から今は110社ぐらいまで増えておりますけれど、こういった企業の皆様に参画していただくことに注力してまいりました。そんなことで、これがゴールではありませんが、まだまだこれをきちっと、経営安定のために続けていかなければならないと考えております。そういうこともありまして、それぞれの所管に責任者をようやく置ける状況になった。そうご理解いただければありがたいと思います。いま、昼田にやってもらっているが、昨年までの主力が抜けた。今年の主力はまた変わっていくと思います。新しいヒーローが出てくると本当に期待しているのですが、あと3年後、2010年と申しますのは、クラブ全体が作っている大きなエポックメイキングの年であります。トップチームは常にタイトルを狙える。そして、優勝争いしているというチーム作りを狙っておりますけれども、いまはこういう事態ですので、まず、彼は3年見てくれと力強く言ってくれています。それはちょうど2010年になりますね。2010年はそれ以外の私たちのいろいろな計画を打ち立てています。一方で、今年は寮を移します。ここにもお金をかける。そして施設も問題があります。昨年は姉崎をずっと使っていてですね、いろいろな場所を借りるんですが、移籍した選手なんかも本当にケガ、そのあとの処置、トリートメントする施設がないのは困るといっていたし、こういったことを改善していかなければいけないということで、それを含めてですね、いろいろなことをずっと検討、勉強して、取りくんできています。まだ皆様方に具体的なことをご披露する段階ではありませんが、これは間違いなく確実にやっていますので、ぜひ、ご期待ください。まずはやっていますということをお約束します。いまはそこまでしかいえません。そんなことを含めて、2010年はクラブにとりまして、大きなエポックメイキングの年であると、それに向けて、私、3人と力をあわせて最大限の努力していく所存であります。そして、今日、ここの周りにも私たちの社員がサポートしてくれています。私のいたらぬ部分で、混乱を起こしてしまったことに対しては、皆様はもちろんですが、この社員たちも含めて、申し訳なく思っています。皆様の信頼を取り戻すべく、最大限の努力をして、まずはトップチームで結果を残さなければいけないということで、本当に覚悟してやっているつもりですので、引き続きの、少なくともこの3人に対して、ご支援、ご声援賜りますようにどうぞよろしくお願いします。以上です。
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