9月19日、京都地方裁判所で審理が続いている「生存権裁判」の公判を、久しぶりに傍聴しました。生活保護の老齢加算・母子加算の廃止に抗議し、これが生存権を保障した憲法25条に違反するということで起こされた裁判です。たくさんの支援者が詰め掛けて、100席近い傍聴席はほぼ満席。しかし、この日は訴訟手続きにかかわるやりとりがほとんどで、20分程度で終わりました。
(報告集会で発言する、原告の辰井さん。その左が松島さん)
この裁判、最初は山科区の松島松太郎さん一人を原告として始まりました。その後、同じ趣旨の裁判が全国各地で提起され、原告はあわせて100人をこえています。京都地裁でも、山科区の辰井絹江さんなど3人の追加提訴があり、原告は4人になりました。憲法25条が保障する「最低限度の生活」とは何か、を正面から争う裁判です。「生活と健康を守る会」を中心に「京都生存権裁判を支える会」が作られ、支援しています。4人の原告のうち、2人が山科区在住ということもあり、私も「支える会」に参加しています。
社会保障の制度にもいろいろありますが、いざというときに、最後にギリギリのところでいのちを守ってくれるのが生活保護です。ところが、この生活保護が拒否されたり、打ち切られたりすることで、餓死や心中に追い込まれる悲劇が次々におこっています。「最後のセーフティーネット」に穴が開きはじめているのです。これは怖いことです。
加えて、この裁判で問題になっているのは保護基準の切り下げです。公判後の報告集会で尾藤廣喜弁護士が強調していましたが、保護基準を切り下げるということは、「最低限度の生活」の水準を低くするということです。これを許しておいたら、年金や最低賃金の水準も引き下げていいということになります。その意味で、これは生活保護を受けている方だけの問題ではありません。
貧困と格差が拡大する中で、生活保護を受ける世帯が100万を越えました。実際には、この何倍もの世帯が、生活保護水準以下の生活を強いられています。いわゆる、「ワーキング・プア」です。問題は、政府がこうした弱い立場の人々を支え、励ますのか、それとも「自分で何とかせよ」と冷たく突き放すのか、そのどちらなのかということです。弱者切り捨て政治を、憲法25条にもとづいて断罪しなければなりません。
裁判は、来年が大きなヤマ場になるということです。引き続き応援していきたいと思います。