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世迷言

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☆★☆★2009年02月15日付

 十二日のNHKテレビ「おばんですいわて」で、三陸町綾里・小石浜の元気な若者たちが紹介された。地名をもじった「恋し浜」ブランドを確立、首都圏などに直接ホタテなどの魚介類を販売しているその手法もさることながら、漁業に活路を見いだした後継者たちの存在を頼もしく思った▼小紙新年号でも紹介されているが、このグループは「綾里漁協養殖研究会」の十人。二十三歳から三十八歳までの平均年齢三十歳という若者たちが漁業の将来に展望を持ち、持つだけでなく実際に成果を挙げているところがうれしい。「恋し浜」のネーミングも素晴らしいが、商標登録まで済ませたやる気もいい▼どんな分野も若者がいなければ衰退する。いくら手練れのベテランが揃っていて、ノウハウが集積されても、その「遺産」を受け継ぐ流れがなければ宝の山をみすみす放棄するようなものだが、そこに若者がいるだけでなく、綾里地区の大人たちが全面支援しているという点も見逃せまい▼これまではホタテやホヤを産地直送状態で市場に送り出してきたが、需要があっても供給体制が未整備なムール貝に着目、養殖の厄介者だったこの貝を見事に商品化させたのも、現状に飽き足りない若者たちならではの「維新」であろう▼テレビに映る彼らの意欲に満ちた表情を見て、今後の可能性、発展性を確信した。「恋し浜」の成功はかならず加速度を増すだけでなく、第一次産業の見直しにつながるだろう。ガンバレ「恋し浜」。

☆★☆★2009年02月14日付

不況感で落ち込んでいる中でいよいよ暗くなる材料を提供することは気が引けるが、気仙の人口が県平均を上回る減少率という小紙の記事を読んで、なんとも気が滅入る思いだった▼平成二十年現在の管内人口は七万二千人弱だが、前年と比べると九百八十人減っている。高齢化率も県平均を上回り、社会減と自然減が揃って追い打ちをかける現状をいやでも実感させられる。少子高齢化は全国的傾向であり、人口の一極集中化とあいまって地方はマンパワー(人的資源)をどんどん削がれている▼県全体を見ても県都盛岡市すら減少、増加は工業集積地の北上市、金ケ崎町と「準盛岡市」の滝沢村だけで、まさに枕を並べて討ち死にの様相である。減少率の高い圏域は沿岸部と
県北部で、県土の均衡は完全に狂ってしまったことを証明している▼だが、ここで嘆いてばかりはいられない。どうすれば人口が増えるのか、その妙手を考える時だろう。危機は好機。滑り落ちだしたら必死になってワラでも掴むように、地域挙げて対策を考えるようになるはずだ。まさか手をこまぬいていて、棚からぼた餅が落ちてくるのを待つわけではなかろう▼少子化は文明病」で、この病にかかるとみんながキリギリスになりたくなる。面倒な結婚などせず、子どもも生みたくない。楽しく遊んで暮らしたいというわけで
ある。しかし不景気になり、アリに戻されると状況は一変して多子化する。これを天の配剤という。といって、それだけに頼るわけにもいくまいね

☆★☆★2009年02月13日付

 韓国ではいま「日本人を狙え」なそうだ。といっても物騒な話ではなく、円高で韓国旅行に割安感が出て、日本人観光客が押し寄せているため客を呼び込むあの手この手が考え出されている▼人気のあるのはブランド品で、有名店には客が殺到している。偽ブランドで我慢していたものの、やはり本物が欲しいというのは人情だから、円高が追い風となった。物不足時代に育った世代は「用が足せればいい。安い品でいい」という呪縛に囚われていて、なにもそこまでしてと思う▼しかし実際は「安物買いの銭失い」で、これまで何度も失敗しては「ほら、みなさい」と家人から嘲笑されてきた。なるほど一流品というのは使い込むほど味が出て、長持ちする。そういう効用は確かにあるが、そうは思いつつも安物買いで同じ後悔を繰り返してしまう性分は改まりそうにない▼しかし、物不足を別段不足とも思わなかった世代には「あるもので間に合わせる」という考えがしみついている。高級品志向など別次元の話なのである。ところが、裕福になるとそれまでの反動からか、にわかに高級品志向になる実例も見る。これは同世代間で必ずしも同じ価値観を共有するとは限らないということである▼円高ウォン安といっても使い勝手がそんなに大変化したわけではない。それでも韓国にどっと押し寄せるだけの余裕が日本にはまだあるということだろう。でもこの金を国内で使ってもらえたらなと考えるのは貧乏性のしからしむところか。

☆★☆★2009年02月12日付

 県の新年度予算案がまとまった。総額が六千六百億円弱で、今年度より0・1%の増となった。しかしこれは増収を見込んだ上のことではなく、減収を県債でまかなう苦肉の策▼いわば国と同様の「財政出動」だが、人件費など義務的経費が半分近くを占めているのだから、投資に回される分は限られる。公共事業に二十七億円余を増額、総額九百三十四億円としたのは景気回復の「呼び水」というよりは現状維持のための防護柵だろう▼税収も地方交付税も大幅に落ち込む中で地方の行財政維持は苦難を強いられている。オバマ米国大統領が、予算案の早期成立を目指して日本の「失われた十年」を引き合いに出し、その轍を踏まないようにと演説したのには苦笑させられたが、その十年の間に何度も財政出動しながら所期の目的を達成できなかったのはなぜか▼それはどこかの産業が潤っても、その分配が裾野には回らなかったためだろう。企業が空前の利益を上げても賃金に反映されないと、誰もが消費には向かわない。このため中小企業も設備投資意欲などわかず、ただ一陽来復のみを待つだけだった▼春になって虫たちがはい出すように、人間もうきうきした気持ちになると財布のひもがゆるむ。その意味で県医療局の六医療機関無床化などは行政の後退を示し、県政の将来に不安を抱かせるようなもので、春待ちの心を萎えさせるのだ。だからこそ、県民を守るという姿勢をここで発揮することが肝要で、予算の増額よりもそちらの方がはるかに効果的だろう。

☆★☆★2009年02月11日付

 麻生内閣の支持率は森内閣時代のそれに迫る「勢い」だという。低支持率を共通項として二つの内閣を比較はできないが、スタート時から短命化が予想された森内閣と比べ、麻生さんには独特のキャラがありそれが救いだった。が、このところの迷走は一体何によるものか▼麻生さんの評点を落としているのは、まぎれもなく姿勢のブレだろう。思想、信念、信条というものが一貫していてそれがバックボーン(背骨、気骨)となっていれば、精神的「朝令暮改」は起こらないはずである。しかし考えがくるくる変わるところを見ると「坊ちゃん育ち」のひ弱さに由来するのではないかと思えてくる▼むろん「坊ちゃん育ち」を同列に論ずることはできない。恵まれた家庭環境を背にし、自らを苦境に追い込んでたくましく成長した例も少なくない。だが、麻生さんの順風満帆な半生は背骨を骨粗鬆症化させたのではないかと、ここは邪推する▼高額所得者が定額給付金を受け取るなど「さもしい」でよかったのである。国会議員など受け取るべきではない。それが世間の常識だが、その常識を堅持できなかったのはひ弱さに映る▼郵政民営化にしても「賛成ではなかった」が心ならずもサインしたと発言し、党内外から追及されると「最終的に賛成した」と前言を翻す。小欄で何度も書いたが、綸言(高貴な人の発言)は、汗と同じで出たら引っ込めることはできない。発言には責任を持ちそれが進退にかかわっても潔しとする。これが宰相たる器のあるべき姿であろう。

☆★☆★2009年02月10日付

 業界紙に全国の書店の売れ筋が載っていた。どの書店でも一位から三位の間に「読めそうで読めない間違いやすい漢字」(出口宗和著・二見書房)がランクされている▼類書は昔から出版されていて、いわば教養本としてそこそこに売れてはいたのだろうが、これほど爆発的にヒットするというのは、やはり「あの人」の存在が大きいと思ってよかろう▼同書はまだ読んでいないが、手にする積もりはない。なぜなら漢字の海はあまりに深すぎ、これから多少知識を詰め込んだところで、たかが知れているからである。そういう投げやりな姿勢は慎むべきとは思うが、現実に読めそうもない文字列と対面すると、もう戦わずしてギブアップしたくなる▼呉智英著「現代人の論語」の中で同氏が、畏敬する言語学者、白川静氏の著「孔子伝」を読んで「半分も理解できなかった」というので、よせばいいのにトライしてみたが、半分はおろか全編これ不可解。「字通」「字統」「字訓」という大部の三部作を編んだ大碩学のあふれる素養に感嘆しつつも「読めそうもない漢字」のあまりの多さに低頭した▼幼児から漢籍を叩き込まれた時代と比較するのは酷だが、近代に入ってから洋才尊重で「読み書き」がおろそかにされた結果、漢字離れが進んだことは大いに反省すべきだろう。いま実験的に漢文を教えている小学校があるが、大きな成果を挙げているという。そのうち「負うた子に教えられ」る時代が来るかもしれない。

☆★☆★2009年02月08日付

 「パラダイム」を英和辞典で引くと「枠組み」とある。これだけでは漠然としているので、今度は日本語辞典をあたると「ある時代およびある集団での、支配的なものの見方、考え方」となっている▼時代はまさに「パラダイム・シフト」したと識者たちは言う。つまり既成の枠組みがずれてきたということだろう。これまでのパラダイムは「需要があれば売れる」「いいものを作れば高くても売れる」だった。しかしそれは「金があれば」という条件が前提になっていることを忘れていた▼いいものを作ってきた日本の自動車産業が本場の米国産を凌駕するようになり、トヨタはついにGMの販売台数を抜いて世界の頂点に立った。しかし待ち受けていたのは世界のパラダイム・シフトだった。米国初の金融危機に端を発した世界同時不況で、消費者が財布のヒモをしめるようになったからだ▼加えて急激な円高が追い打ちをかけ、外需依存の輸出産業はここに来て青息吐息である。しかし需要は確実にある。ただし購買力がないだけなのである。新興国、途上国などのそうした需要は市場としての大きな発展性を秘めているが、高くては買えないという現実があるのはまぎれもない▼だからこそ、今後のパラダイムは二極化であろうと考える。高くてもいいものが欲しい購買層と、機能は劣っても求めやすい方がいいという購買層との要求に共に応えることだろう。商人道の原則だった「薄利多売」を忘れていたところに落とし穴があったのではないか?

☆★☆★2009年02月07日付

 資源エネルギー庁が、これまでの五倍以上の性能を持つ革新型蓄電池の開発プロジェクトを今年度からスタートさせるとの新聞記事を読んで、諸外国からさんざん叩かれた「護送船団方式」をふと連想した▼首相が「トランジスターのセールスマン」とヤユされ「経済アニマル」などと袋だたきに遭いながらもどんどん貿易黒字を貯め込んでいた頃の日本は、まさに昇竜の勢いだった。当然のように貿易摩擦も起き、日本車が叩きつぶされたり、アジア各国では日本製品ボイコット運動なども起きた▼国という護衛艦に守られながら民間の船団が粛々と進んでいく姿がこう例えられたわけだが、これが日本躍進の原動力とみなされフェアではないと目の仇にされたのは、それが効果的だったからこそのことだろう▼しかし世界から激しい非難にさらされ、自由貿易経済の維持のために政府の手厚い保護政策は改められた。こうして各国と同じ土俵に立つようになって非難は収まった代わり、成長率にもかげりが生じたのである。だが、どの国も「殖産興業」のためには国が力を入れてなんら不思議ではない▼大蔵主導の銀行政策は護送船団方式の典型とされたが、それも今は独航船方式となった。しかし金融機関の保有株式を日本銀行が引き取ることになったというのは、まだまだ独航船に力が不足していることの証明だろう。民間で活発になっているパワー蓄電池の開発に国も乗り出せばこれは推力を増すはずだ。

☆★☆★2009年02月06日付

 学者や民間の有志などが集まってまとめた農業に関する政策提言をテレビで見た。団体の名も代表の名前も覚えていないが、しかし農業の将来はかくあるべきかと印象に残った▼それは、日本人の主食たる米をどうするかという真面目な提言で、当然のことながら減反政策の廃止を訴えている。食料自給率を高めるためには主役の存在を無視して語れない。この根っ子の部分を強化せずに自給率うんぬんは見当違いというその主張は傾聴にあたいする▼しかし米の消費量は減るばかり。その上に減反をやめて増産したら価格は下がり、農家が困ることになるという論理は確かに無視できない。だが、やがて地球上に到来する深刻な食糧不足に備えるためにも、米作農業の足腰を鍛えておく必要性も無視はできないのだ▼この相矛盾する命題にどういう回答が用意されているのか?ここはその提言の要旨を紹介するにとどめるが、それは休耕地対策を兼ねて大規模耕作に転換し、コストをとことん低減させるというものである。当然そこには担い手の問題と市場の問題がある。その隘路を打開するためには、輸出できる米をつくろうという結論だ▼提言は具体的にその方法を述べているが、要するに現在の農政を「ノー(NO)政」から脱出させるためには、減反などの消極策ではなく、海外にも売れるうまくて安い米をつくる積極的な展開が必要だというのである。「農は国の基」という初心を取り戻す時であり、まさにその胎動が始まったと思った次第。

☆★☆★2009年02月05日付

 公務員制度改革という名の「改革」がいつも看板倒れ、竜頭蛇尾に終わるのは、調理法によって見事に骨抜きにされるからで、年内に天下りと「渡り」を禁止するとした政府方針もマユにツバをつけて見守った方がよさそうだ▼「渡り」は、官僚が天下りした後、省庁が用意した公益法人などの「受け皿」を転々と渡り歩くことだが、中には六カ所も「行脚」して報酬、退職金など三億円以上を「荒稼ぎ」した豪の者もいるというから、これは「改革」の余地大いにあり▼麻生首相が各省庁の天下りあっせん禁止を三年から年内に前倒しすると踏み込んだのは、世上雇用不安が広まる中、官僚だけが既得権をむさぼっていいのかという世論の強い批判を受けてのことだが、裏には色々とからくりが用意されていて、刺し身が出てくるかと思っていたらすり身だったというマジックもあり得る▼天下りも渡りも、元々省庁幹部が六十歳定年の「終身雇用」ではなく、次官が退職すると同時に退職せざるを得ないという慣行が生んだもので、このため政府は中央省庁の幹部人事を一元化する「内閣人事・行政管理局」を設置し、人事院の機能の一部をこちらに移管する方針だが、早くも抵抗が出ている▼人事院の谷公士総裁が甘利行政改革担当相に公然と反旗を翻したのも、それだけ政治家がなめられているという証拠だが、同総裁が「ミスター渡り」の異名を持つ「実績」の持ち主と知ってあんぐり。今度は政治家が抵抗勢力を骨抜きにする番ですぞ。


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