未映子による曲解説
市川哲史氏による解説文
着うたなど先行配信開始!!
オフショット写真集
色々な人による、コメント集
ライブ情報
未映子の純粋悲性批判
悲しみなんかにやられてたまるか、という気持ちと、それでも人生はやっぱり悲しいことも多いやろうという気持ちと。人生の色々を素手で乗り越えていく人を祝福したいな、その姿は美しいでと叫びたかった。でっかい祝福をどばーっと降らせたい気持ちだけで作りました。
こういう発言って狂ってるってか自己愛の極みやけど、こういう理不尽な叫びって確かにある。でもこれを相手にぶつけながら、無茶苦茶やろ私、ってちゃんと分かってる部分もある。ああもう行き場がなくなり、かといって死ぬことも出来ず笑うことも出来ず、最後に一言、「もう、帰るわ」としか云えないどうしようもなくなった気持ちの歌です。
ハッピーなときもあるし、人が怖い時もあるし、強気な時もあるし、人の正直なとこを歌った。弱音も吐くし怒りもあるし、自分が情けなく思えるし、なんでか分からんが、なんせ生きていくことは難しいって正直にうたった歌。
麒麟児っていうのは中国でいう天才少年、神童のこと。今は遠くに離れてしまっているけど、自分にとってかけがえのない存在の人や物を麒麟児って呼んでみた。すべてが過ぎ去っていく中で、その存在とその出会いが自分にとってどれほど大切で奇跡的かをうたった歌。私にとっての麒麟児は、小説「デミアン」の主人公のデミアンと、ジョン・レノン。
伝えたいことそのまま全部詩に出来ました。
人間は儚いから、生きることが出来るんやと思った。いつか死ぬけど今生きてるこのことは事実じゃ!人は生きる、歌をうたう、自分の声で、自分の人生を生きればいいと思った。
決して結ばれない人と過ごした、ある春の夜の歌。何で人は愛し合うのか。終わりがあること知ってるからか。愛し合うって最後はどこか。何もわからんことだらけやから、私達は出会えたのか。感情はどこに生まれるのか。何もかもが不確かで何もかもが美しすぎるのが、いったいなんでこんなにまでも。「結ぼれ」は誰かに結ばれるのでも誰かが結ぶのでもなく、自然にそうなっていく様子です。R.D.レインから借りました。糸くずがからまるみたいに、どうしようもない感情の結ぼれ。
全曲の「着うた」を『レコード会社直営♪サウンド』より配信するでよ!
未映子の歌がケータイから鳴ってくるとはシュールかつ、不敵かつ、素敵ね。
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今も盛大に生息してるのかどうかは定かではないが、世の中には<かまってちゃん>と呼ばれる類の女子がいる。ま、文字通り「私をかまってかまってかまってぇー」と相手を消耗させまくるわけだが、私が知ってる未映子という女もきっと、そうなのだろう。
 しかし、大概の<かまってちゃん>が脳を通さない反射神経の産物なのに対して、未映子の場合は脳フル稼動の、突き詰めまくったあげくの発露だからして、その破壊力が違う。今回の新作を聴いても、「私の為に生まれてきたんじゃないなら/もう 帰るわ」とか、「私を愛さないで、私を愛して」とか、聴いてるこっちはそこまで言われて幸福なんだか虚無なんだか、わけわかんなくなってしまうのだから。これは大変だ。
 それでも未映子を離せないでいるのは、決して彼女が「暴走するペシミスト」ではないからだ。幸せだと「なぜ幸せなのか」嘆き怒り、不幸せだと「なぜ不幸せなのか」笑い愉しむ。その不可解な感情表現は全て、物事や自分の感情を容赦なく突き詰めるからに他ならない。私には、こんなにも理性的で感情的な、ひたすら「純粋」な女の歌が眩しくてたまらないのである。
 本作にも収録されているが、先のシングル“悲しみを撃つ手”が凄いのは、「人は悲しみなんかじゃ死ねません!」と言い切ってるところだ。この強さこそが、路傍で朽ち果てそうになろうが彼岸に漂着しようが、「それで?」と微笑む彼女の美しさなのだ。
 と、かなりの思い込みでここまで一方的に書いてしまったので、少しだけ音楽評論家っぽく書くと??未映子のヴォーカルは、実は何を唄ってもたおやかで、逞しさすら感じさせる。そして本作のように、美しさの中に狂気や危うさを奏でさせたら世界一の楽器、チェロやピアノの音とタイマン張ると、せつなさまで生まれてくるのだから、実に卑怯な奴だろう。
でもって、言葉も一見物騒ではあるけれど、全7曲どの曲にもさっきの「それで?」の続きが見てとれる。そういう意味では、超一級の個人主義のまま世界とも触れ合おうとしてるような、身勝手な話ではあるけども未映子なりの「優しさ」が、声と共に伝わってくるのである。『頭の中と世界の結婚』とは、なるほどのアルバムタイトルだと思う。
 かといって、未映子が面倒くさい女であることに違いはない。しかし、その面倒くささが光り輝いてるからこそ、優秀な女性シンガーなのだ。お馬鹿ちゃんたちの歌に聴き飽きてる私には、滅相もない幸せである。

市川哲史(音楽評論家)
※「着うた(R)」は
au、NTT Docomo、vodafoneの
一部機種のみのサービスになります。
「頭の中と世界の結婚」
ジャケ写撮影風景の映像7分
iTunesストアで試聴&購入するicon
心斎橋DROPでのライブ映像15分
午前4時ごろ、全部のことに自信がなくなって、眠れなくて窓におでこつけて外を見てたら、まだ電気ついてる部屋もあって、(同じような気持ちでいてる人もおるんかなあ)と思うことが何度もあった。もうあかんと思うときも、何回でも立ち上がって、大丈夫、ちょっとづつでもやって行こうな、という歌です。夜の果てはきっとあって、きっとちゃんと光るからな、という歌です。タイトルはセリーヌから借りました。セリーヌも夜の果てを見つけて飛んでいきました。
  後藤輝基(フットボールアワー) 鹿島公行(ミュージシャン/ジャパハリネット) 古矢徹(宝島VOW二代目総本部長) 早川義夫(歌手) ハービー・山口(写真家) 江本純子(毛皮族主宰) 浜田武士(グラフィックデザイナー) 牧かほり(イラストレーター) 加津美(韓てらプロデューサー) 飯嶋久美子(スタイリスト) 高橋慈(E.A.Uディレクター) 高橋正実(高橋正実デザイン) MIGANG(ヘアメイク) 高嶋政伸(役者) 川上利江(未映子の母) PUSHIM(シンガー) 町田マリー(毛皮族 女優) 長谷川博一(音楽評論家) がすーん・がんちょ(踊る詩人) 吉田昌平(TVディレクター) 木津裕史(MTVJAPAN プロデューサー/ディレクター) ふかさか南(詩画作家) 井上嘉和(写真家) 南志保(舞台美術家) 岩瀬敬吾(ミュージシャン) 延増静美(役者) 白川潤(法律家) 小田原大(デザイナー) 斎藤景(編集者) 坂本弘道(COTUCOTU) 三木黄太(COTUCOTU) 歌川恵子(映画監督) 渕上純子(ふちがみとふなと) 本田ゆか(元チボマット) ※順不同  
未映子の歌を聞いてください
あなたが悲しい時、未映子があなたの淋しさを蹴り飛ばします
未映子の歌を聞いてください
あなたが悩んでる時、未映子があなたの不安を蹴り飛ばします
未映子を誰か止めてください
未映子が酔っ払った時、カラオケ屋の看板を蹴り飛ばします
ボコボコに蹴り飛ばします
すべて本当です
初めてCDを聞く日に僕は気孔の治療を受けに行っていた。
気孔の治療を受けたその日は気があまりにも溢れ過ぎているので、なるべく長く体にとどめておくようその気を体の中からださないように色んな事に規制がかかり、心拍数は速いのになんだかだるい気分になってしまう。そして、経穴がパックリ開いてる中、床に・・・・・寝転んで聞き始めた。ゆったりとしたテンポとは裏腹にどんどん心拍数が上がっていく。
音楽とは=唄=生きる=喜び=悲しみ=苦しみ=悩み=・・・・・・・・。
たくさんの感情がグルグル巡る中、わくわくするような、憂鬱になるような、聞き苦しいのやら、心地良いのやら。それから、予定があって寝てはいけないのにぐっすりと寝てしまった。そんなアルバムでした。
 世の中にはきっと激しく感動したりうれしかったりしたときに泣く人と笑う人がいると思うんですよ。
 もちろんそれ以外にも蹴る人とか噛む人とかおしっこもらしちゃう子犬などもいるだろうけど、オレはたぶん笑う人間なんです。
 だいたい泣いたことなんて、中1のとき運動会の前の日に新しい運動靴を買ってもらえなくてめそめそして以来、もう何年だ、35年くらいないわけよ。
 そんな泣かないオレが、表参道FABで初めて〈まだ悲しみたがる感受性残り 箱につめて 強そうな住所書いて 送ったれや〉ってのを聴いたとき、大爆笑したんです(笑ったのかよ!)。いやまあライブ会場ですし、顔は微笑って感じにはしときましたが、心はもう吹き出してましたよ。
 〈まだ悲しみたがる感受性残り 箱につめて〉はいい。やっぱりこの人、いい詩書くなあ、言葉遣いがいいなあと、そう思う。でも次に〈強そうな住所書いて〉でしょう? オレはそこで瞬時に、知る人ぞ知る強そうな住所(記憶ちょっと曖昧)メ岩手県下平(しもへい)郡大字引目(おおあざひきめ)モを思い出し、半吹き出しでしたよ。
 そこに、締めはあっさりと〈送ったれや〉だもんなあ。
 そうきたか。もう完璧。吹き出しちゃいました。
 すばらしい曲に出会えたうれしさに笑い、歌詞メロディボーカルアレンジ、そのもろもろの組み合わせのなかに巧妙に仕組まれた笑いのトリプルアクセルとでもいえる技に笑ったわけですよ。
 こんな歌を作ることのできる人がこの世界に存在しているんですねえ。
 オレは常々、世界に必要なのは「怒りと笑い」だと提唱しているんです。なんかなまぬるく展開している人間関係そのほかいろいろが腹立たしい。しかし、その腹立たしい思いをアピールしつつも、どこか笑いの要素を多分に取り入れたい。
 文学、映画、美術、演劇そのほか、表現行為および娯楽作品世の中に数あれど、音楽、そして歌というのは、コミックソングという極北こそありますが(好きだけど)、けっこう笑いの要素が導入しにくいジャンルでしょう?
 でも、ビジュアル系ロッカーであろうとメッセージ系シンガーであろうと、笑いの要素を取り入れる器をもたないうちは、オレは一流とは認めない。まあ、オレに認められてもたいした意味はないし、未映子さんがうっかりそそのかされて浪速の夫婦漫才みたいな歌をうたいはじめても困るのですが。いや、それもいいかな?
 とにかく、コメントが長くなりましたが、世界のみなさん、アルバム『頭の中と世界の結婚』完成、そして発売おめでとう。
「私の為に生まれてきたんじゃないなら」が、
悲しくてすごく良かったです。キレイな歌をありがとう。
僕は未映子という人間が大好きだ。いつも本音で物を言う。
そして彼女の歌は嘘をつかない。だからこそ誰もが勇気と強さと誠実さを感じるのだろう。
未映子の深い愛と深い優しさ、深い情熱がぎゅっと詰まったこのアルバムを
深海に眠る白鯨にプレゼントしたい。深い深い海の中。
DEEP!DEEP!DEEP!
そんな、モービー・ディックなアルバムだよね!
あっと言う間のジャケット制作期間でした。パワー溢れるミーティングが繰り返されたと思いきやいつのまにか素晴らしいスタッフが集結し、豪雨確定ロケはカメラマンのワタナベさんが撮影直前までサーフィンしてしまうほど必要以上のピーカンで、福成寺さん(ビクター)の厳しい厳しい進行チェックも無事通過、非常に楽しく完了出来たと今思い返しております。あれだけ毛にまみれたら本人も少しは満足されたのではないでしょうか。
 自分の職業的立場から言えば、是非多くの人にCDを買って、触って、聴いて欲しいのですが個人的な希望としては未映子ちゃんの「ライブ」をもっと沢山の人に観て頂けたらいいなぁと思っております。
「頭の中と世界の結婚」リリースおめでとうございます。
歌っている時の動きが妙で好き。
未映子の鼓動があふれ出る。
未映子の一生懸命な狂気に、
チェロの張りつめた、そして美しい音色が重なる。
すると未映子の質感が柔らかで和やかになる。
未映子のぐるぐるが、何かと結びついた。

 

まっすぐな歌詞にまっすぐな歌声まっすぐな感情は
誰よりも幸せに近いと思った。我が家の子守唄です。
“私の為に生まれてきたんじゃないなら”のむちゃくちゃさと、
むちゃくちゃだなぁって分かってる感じがすごく。。。なんて言ったらいいのか分からないけどこの歌は私の為に歌ってくれているかのような気になります。
みえちゃんの曲は、評論家の市川さんが先に書いてくれちゃってるんだけれど、
ほんとうに凄いよね!何でも一度に、右からと左から、上からと下から、前からと後から、
そしてゼロと無限を繋ぎ合わせて考えちゃうんだろうね、きっと。
そしてその中に更にまっすぐな道を、色々なことを超えた感覚で見極めているんだろうね、きっと。
彼女の音楽を聞いて、自分が女子であることを嬉しく思った。
いいですね、全て。凄く窮屈な所から途方もなく広いところにでたような、そんな開放感があり、なんか聴いたあと嬉しくなりました。特に一曲目と三曲目とラストが好きです。COTUCOTUさんもいいですね!ライブあればぜひとも教えてください。
アルバムいい、いい。はまってんねん、うち。
それでみえちゃん、頭の中と世界の結婚ってどういう意味なんって聞かれるねんけど頭の中で結婚してるってことやんなあ?んで世界ってなに。
たとえば、学校のクラスにいる自分より繊細な子かと思えば、瞬間にぶあっっと大きな強さで私が包まれてる、そんな感覚に浸るのが未映子の歌。
未映子さんの歌の世界は、潤んでいました。
アルバムで初めて名前を知りました。
僕の経験で言えば、まるでシャンソンのアルバムを聞くように
全体を聞きました。
全ての要素のなかで言葉が最も重要である、という意味においてです。
切なく哀しく、ありていに言えば暗い詩に暗いメロディが乗っている曲は過去にたくさんあります。未映子さんの詩も明るくはないけれどメロディが何故かとても明るい。
その“ミスマッチ”の感じが意外で、若々しくて、Jポップの世代なのだな、
と勝手に感じてしまいました。
浅川マキさんより椎名林檎に近い世界なのかも。(嫌いだったら御免ね)
素敵な曲をたくさん書いてください。期待しています。
未映子さんという名前、ウチのパソコンだと字例が出てきません。
それだけ個性的という意味なのでしょう。
洞窟の草と苔。
絶え絶えの息遣い。
まとわり付く肌の感触。
永劫に続く太古からの律動。
などと
ワケの分からない詩をプレゼントしたいな。
未映子に。
音楽人や作詞家としての才能の高さは誰しも納得。
でも、そんなのは彼女の一部分でしかないと思う。
彼女の歌は疲れるよ。
そんでさ、彼女の歌を聴いた疲れは、
なんか性交の後のけだるさに近いんだ。
“観客とSEXする歌い手”
舞台上のマスターベーションを了とせず
最後のひとりとまで寝ようとする女。
…でも、イカセテはくれないんだ。
未映子は貪欲だから(笑)。
音楽的な事は、よう解らんけど、拍手喝采。未映子バンザイ。
ミエちゃんが、僕らと同じようにこんなに悩んでいて。
んでもそれを、こんなに素晴らしくて、美しくて、届くべき人に届くカタチにしている。
その様を見るとですね、僕もまだ足掻いていいのかもなーって、思います。
このアルバムを聴いた時、自分の心の奥にひっそりと生息していたのであろうメ気持ちモに、はじめて出会うことができました。
未映子の歌声に引き寄せられ、彼女の言葉がいつしか自分の言葉となり、音楽を聴いているんだという事実から離れて、ある人間と静かに向き合ったような気がします。
悲しみが優しく包まれて、私が生きてきた中での、沢山の恥ずかしさや弱さが、許されたような気がして、胸が掴まれ、涙がこぼれました。
一人でも多くの人が、こんな時間を持つことができたらいいなって、思います。
高校卒業以来会っていなかった未映子からの手紙が届いた。
高校生活の最後がウヤムヤになってしまった僕は別れの挨拶も覚悟もできないまま別れた人たちが多い。
そんな中で友人たちの口から未映子は唄を歌っているということを聞いていた。
『頭の中と世界の結婚』と題名のつけられたその手紙にはいろんなことが書かれていた。
とりわけ目を惹いたのはどうやら彼女は世界と結婚するということだった。
世界と結婚するというのはどういうことだろう。
きっと、そこに辿り着くまでに数々の楽しみや困難が彼女を満たしたことだろう。
きっと、死にたい喜びも生きたい絶望もすべて飲み込んできたことだろう。
そんな無数の経験から最後に放たれた答えが「世界の結婚」なのだろう。
そんな答えを出した彼女に贈ることのできる言葉はやはり一つしかないのかもしれない。
結婚おめでとう、と。
自分が入れそうな鍋を洗いまくったけどずーっと頭の中を「麒麟児…」が流れてました。そんな私の頭の中は、世界と結婚するんでしょうか?…?
さて……世界はすばらしいし大好きです。その世界に小さくここにいる私がとてつもなく大きくなったりミジンコよりもちいさくなったり、の繰り返しで、でもあんたが好きなだけ!だと思ったり。私も生きるのが好きだと思います。ネガティブも苦しいのもすき、かも、しれない、かも、なんつって、嘘。か?
ライブでまた聞きたいです。感想にならずごめんなさい。でもとにかく、いつも聞きたいわけじゃないけど、聞きたいときは中毒にかかったように聞きたがりまくりです。そんなガツンとしたスパイスは必要です。
アルバムを通して感じた事は、明確さを欠きすぎたのでは?というか、みえこちゃんのメッセージ性や歌声をより生かすべくアレンジが他になかったのか?という気持ちで、歯がゆいという感じ。逆にそれがくせにさせるのかもしれないですが。6曲目はかっこよい。
弦のうねりに高揚したその感性に、言葉に、声に、
私の感情はレイプされてしまったのでした。
彼女の新しいアルバムを聴いた第1印象は、今回のアルバムでは 曲のアレンジなどにおいて、歌い手に対する周囲の人々の愛情が強く感じられることだった。歌い手の持つ音楽性に対する強い信頼が感じられた。
そして、この彼女の周囲にいて、彼女を支えるスタッフの愛情に包まれて、歌手未映子は本当に気持ちよさそうに、伸び伸びと歌っている。
そんな今回の彼女の歌を通して見えてきたものは、意外にも、彼女のたくましさよりは、むしろか細さ、あるいは繊細さだった。本当はとても小さく、一人では生きていけないような覚束なさや繊細な感受性を抱えて、でも、人一倍の負けん気や「表現したい」という強い思いによって懸命に生きている。そんな人間が放つエネルギーの尊さ
のようなものをつくづくと感じた。
ここでは、嘘や不必要な作為のようなものがほとんど見受けられない。
音楽は肩の力が抜けて自由で澄みきっていて、また、曲の中には繊細さと力強さの両方が備わっている。
実は彼女の1stアルバムを聴いている時には私は何度も違和感を感じた。歌い手と音楽との間に沢山のミスマッチが存在しているように感じた。
確かに曲はどれも今風の無難なPOPな曲調で、また歌い手側も製作者サイドの意図に十分にこたえて、上手に与えられた役割をこなしていた。にも拘らず、歌い手が技巧を尽くせば尽くすほど、ミスマッチの感はますます強くなっていたように思う。
このミスマッチの原因を、歌い手が本来持っている音楽性や表現意欲に今風のPOPで月並みな曲調が十分に応えられていないことに求めるのは簡単だ。
しかし、私は当の歌い手自身にも、「私はこんなこともできるのよ」
「こんな表現もできるのよ」という、必ずしも本質的でない自己表現意欲により、自らミスマッチに加功している面もあったのではないかと訝るところもあった。
正直に告白するなら、私は、彼女が連載している雑誌の切り抜きのいくつかをはじめて拝見したとき、これと同じような面を少なからず感じた。
「私は歌手だけど、絵も描けます。詩も書きます。文学にも少々通じて
いるのです」というような…。
確かに、皮肉でもなく、多才な彼女の事。そのそれぞれは一定の域に達していて、見るべきものもあるのかも知れない。
しかし、私は、率直にいって、そのときの第1印象としては、「だから何なのだ」と思った。ファッション化され、パッケージ化された芸術というものの軽さをも感じた。(もちろん、雑誌の商品性ゆえのジレンマも承知した上で…)
ただ、そうはいいながらも、そこで私が感じたのは実は失望ではなく、「あなたはそんな芸術のパッケージで満足して終わるようなアーティストではないはずだ」という思いだった。
そして、私のこの勝手で、ほとんど妄想的とも思える思いは、今回のアルバムを聴くに及んで、ほとんど見事に解消されたのではないかと、いま感じている。
表現の技巧に走らず、無理にスタンスを設定することもなく、彼女が生きて、そこで感じているそのままがストレートに歌われていて、それが周囲との確かな信頼関係の中で、見事としかいいようのないほど音楽的に昇華されている。
彼女は自らの手で音楽を生み出す人である。
私のような、山の上から「麓のあの家の屋根の色は青すぎる」などと批評することしかできない部類の人間とは違い、自らをも客観的に批判できる理知の力をもちながら、さらに、音楽という真に尊いものをその手でつくりだせる人間である。
上で勝手稚拙な批評をしてしまった許しを乞うわけではないが、今、ラジオから聴こえてくる他のどんなアーティストの楽曲よりも今回彼女が提示した音楽には力があると思う。恐らくは彼女自身が自覚している以上に、私は彼女が持っている音楽の力の稀少さを感じる。いま現在よりも一人でも多くの人々に認知されなければならないアーティストだと切実に感じる。
私はそんな彼女に、1日でも長生きして欲しいと願って止まない。
毎日起きるいろんな出来事にいろんな気持ちを割り当てて生きている。年がら年中。
それはそれはひどく悲しい気持ちだったり、楽しい気持ちだったり。嬉しいんだけれど、どうも不安だなという気持ちだったり。もう止めようと真剣に考えたり、絶対にだめだって思ったり。はたまた大声で叫びたくなったり、その逆だったり。
未映子の歌はそういった感情を吹き飛ばしてしまう力を持っている。とても伝えにくいので言葉が出てこないのだけれど、未映子の歌には、そんなのじゃなくて、そんな言葉で言えるようなものじゃなくて、もっと硬くてもっと柔らかでもっと強くてもっと遠くてもっと高くてもうなにがなんだかのもっともっとの感情が大きくひとつの円になって渦巻いている。どうしようもなく愛おしい気持ちというのだろうか、果てしなく愛おしい気持ちになる。とにかく愛おしくて仕方ない。どれだけ掬ってもまだ足りない、いくらかき分けても届かない。涙が出てきてとまらなくなる。ただただ愛おしくなるのだ。愛おしい。
「頭の中と世界の結婚」の未映子は、ぐるぐると渦巻く喜びや悲しみの気持ちを素直に歌ってる。本当に素直に歌ってるから、嬉しいことも憎たらしいこともひっくるめて愛おしく思える。歌を聴く僕は渦巻く未映子にもみくちゃにされて身をゆだねればいい。
僕は未映子の歌が大好きだ
私が知る未映子は、赤い靴履いてる女の子のような“繊細さ”と、アルカイックスマイルを湛える仏陀のような“懐の深さ”を持ち、お魚くわえたドラ猫のような“図太さ”を兼ね備えています。彼女はアーティストであるときも、プライベートのときも、まったくあのままです。
 ところで私は以前、未映子と「もし歌手じゃなかったら何になっていたか」という話をしたことがあります。そのときに挙がった職業は「銀座のクラブのママ」と「年間に億稼ぐ保険外交員」の2つでした。その話をしたとき未映子は結構自信のありそうな顔で「わたし結構自信あるで」と言っていました。その話をする前に彼女が読んでいた漫画『女帝』もなんらかの悪影響をおよぼしたのかもしれません。
1.歌手
2.銀座のクラブのママ
3.年間に億稼ぐ保険外交員
 あまりにタフでバブリーなこの3択から人生を選ぼうという人はなかなかいません。それだけで、彼女が凡人ならざる所以が分かります。
 しかし、もし未映子が歌手にならず、仏陀のように懐が深い銀座のママや、ドラ猫のように図太い保険外交員になっていたとしたら……私は身震いせずにはいられません。それらの職についてしまったら、社長サンとか、大企業の役員サンとか、あとは弁護士センセイとか。結局、金持ちのオヤジどもしか、未映子の魅力を享受できなくなっていたところです。ちなみに私は、銀座のクラブに行ったことはありませんし、入っている保険といえば、バイクの自賠責保険ぐらいです。
 未映子の魅力はあまねく世界に広まるべきである。私はそう思っています。そんなわけで、未映子が「歌手」になってくれて本当に良かったと思いながら『頭の中と世界の結婚』を聴いています。ぜひこのアルバムで、億稼いでいただきたいです。
彼女の歌は、いつもヒリヒリとした焦燥感を感じる。痛いほどのリアリティ。それでいて祝祭的な明るさにも溢れている。
不覚にも?「もう一度純粋に音楽を信じてみよう」と思ってしまった。この美しくも切実なる彼女のプレゼント、すべての音楽ファンに受け取って欲しい。
頭の中と世界の御結婚おめでとうございます!
そして本日、この良き日にCOTUCOTUの一員としてお招きいただけたことを大変光栄に思っております。
私たちCOTUCOTUはチェロ三重奏のアコースティックユニット・・・というと字ヅラは穏やかですが、実はけっこう行儀の悪いこともやらせていただいているので、未映子様との御相性はいかがなものかと危惧するところもございました。
「悲しみを撃つ手」の録音にお呼びいただき佐藤研二氏のアレンジにより3人のチェリストがコルレーニョ奏法(弦を弓の木の部分でたたく特殊奏法)で叩き出すリズムがスタジオに響いたときはじつに愉快でした。
そして調整室で坂本弘道氏のアヴァンギャルドなチェロソロのプレイバックを聴きながら今回はまことにCOTUCOTUらしい仕事ができたと一応の満足感を得たのでした。
しかしながら、驚いたのはサンプル盤をいただいて初めて拝聴させていただいたときでした。
私は不覚にも未聴感をおぼえてしまいました。
ギョッとするほどCOTUCOTUテイストを前面にだしていただいて、「おいおいホントにこれで良いのかい?!」というバランス。
すべてのアンバランスが奇跡的にバランスした瞬間のような音楽。
そういう意味で今まで聴いたことがないような音楽でした。
他にもCOTUCOTUとして何曲かに参加させていただき、弦セクションとしては異様に低域にかたまった和音積み、かと思うとプリティーなピッチカート・・・様々な切り口からこの御婚礼の媒酌人を務めさせていただけたようです。
最後になりましたが、今回、私が録音に参加いたしませんでした「人は歌をうたいます」「結ぼれ」は、やはり佐藤研二氏のディレクションによるエレクトリックなロックテイストあふれるアレンジで、自分が演奏していない分、先入観なくご機嫌に、楽しく聴くことができました。
未映子様、頭の中と世界の御結婚おめでとうございます。
そして初めて聴く音楽をありがとうございました。
歌川恵子(映画監督)

最近引っ越ししたのです、私。
一体何がどこにあるんだかという状態で、
大好きなテレビもつかない状態で、
ひとり、夜中に聴いたら、
自分自身が未映子化してきて、
涙でそうになったりなんなりで、
すっかり私が未映子でした。

未映子のありあまる情熱を受け止めたけど、
受け止めきれず、
あふれて、
かぶって、
未映子になっちゃったという感じ。ありがとう。
渕上純子(ふちがみとふなと)

「頭の中と世界の結婚」のサイト用コメントを快諾してから
2ヶ月もたってしまった。
どうしてって、片手間に書けるような、
書いてよいようなアルバムではなかったからだ。
最初のうち、何度か未映子さんにいついつまでに送ります、
というメールを出しては破り出しては破り、
そしてまたアルバムを聴いては、
中途半端なメールを出す自分が恥ずかしくなって今に至った。
まっすぐで、今のJ-POPの持たない濃さがあって
でもたくさんの人に向いたベクトルを持つという意味でちゃんとポップス。
危ないけど可愛く、
美しいと思えば大阪弁がまじり、
うっとり聞いていると時々声がかすれたり稀にはずれた音が残っている。
曲の長さや終わり方は予想を裏切るしそもそも選んでいる演奏者が変だ。
ジャケットのウイッグも気になる。
そういった各所に垣間見えるかのように相反するものが入り交じり
自分のことばかり歌っているこのアルバムはしかし、
ちゃんと大勢の人に向いた魅力的な光を放っている。
なんだこれ。というか未映子という人はなにものだ。
名前をうつ時にまだ 「み 未 えい 映 こ 子」
と打ってるくらいの新しい知り合いだからわからなくて当然か。
確かなことは、とにかく魅力的だということ。
偶然こちらのライブを聴いてもらっての出会いに感謝。
さて、いまから辞書に「未映子」を登録します。
本田ゆか(元チボマット)

CD聞きました。
おもしろい。みえこちゃんの脳みそと熱い●がびりびり。
これからもがんばってね。
順不同、これからも続々更新予定なのでまた読んでね。
ハローみなさん、読んでくれて、ありがとん。
そしてみなさん、素敵な言葉を、ありがとう

 

 

  2006年 4月13日(木) 初台DOORS かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう
生ピアノウィーク!STETUNWAY IN DOORS
「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう 2006?美しさを求めて?」

出演・北村早樹子/早川義夫/未映子/リクオ(出演順)
未映子は清水一登が弾くピアノと坂本弘道が繰り出すチェロとともに歌います。8時30分登場予定です。

開場19:00 開演19:30
前売¥3200 当日¥3500
※ドリンク代別(オール300円)
当サイトでも前売りチケットお取り置き致しますので、 メールにて、お名前、枚数、明記の上、こちらまでイッパツ送信してくださいませ。
3/11 チケットぴあ/ローソンチケット/ドアーズ店頭でも販売開始。