人は、生きるために食べる。
食べる行為は、生き抜くための必然の行為であり、また、人生の喜びでもある。
食べる行為は、至福の時であり、人は、その幸せな時を他人と共にして、親睦を深める。
家族は、食事を共にして、その家族愛を深める。
人は、他人と出会って、食事を共にし、別れる時、また、食事を共にする。
人は、愛する異性と出会って、共に食事をする。
結婚して、新たな人生を始める時、友人を招いて、共に食事をする。
ビジネスにおいても、親睦を深める簡単な方法は、食事を共にすることである。
Enjoy Koreaにおいて、フロント・ページを飾るスレの大部分が、グルメ板のスレである。
歴史や政治の話になれば、喧嘩ばかりする日本人と韓国人ですが、美味しい料理の話しをすれば、容易く仲良くなれる。(料理の起源の話しさえしなければ。)
一人で食べる料理は、どんなに豪勢な料理であっても、美味しくない。
食べることは、生きることであり、他人と共に生きる証でもある。
だから、忙しいビジネスマンは、毎晩のように接待料理を食べて、家族と食事を共にできなくなる。
胃腸が疲れて、胃薬を飲みながら、毎晩、仕事相手と食事をして、疲れて帰宅する。
こうなると、もう、食べている料理が、美味しいとか、不味いとか、そんな発想は消える。
ただ、美味しそうな振りをしながら、ちょっとだけ食べて、胃腸薬を飲む。
家に帰れば、反抗期の子供が、父親に白い眼を向けて、一緒に食事をしようともしない。
居酒屋に行くと、そんな疲れたサラリーマンを、しばしば見かける。
接待料理にも飽きて、家庭でも居場所が無くなって、たった一人で、食事をする。
彼等は、寂しそうに見えるが、一時の安らぎを満喫しているようにも見える。
多分、彼らが料理の味を、本当に認識できるのは、そんな瞬間なのでしょう。