韓国の有名な養殖海苔の産地。莞島(ワンド)。
韓国の最南端。全羅南道の海岸です。

莞島には、金有夢が、海苔の養殖を始めた故事があります。
韓国で海苔を「KIM」と呼ぶのは、それが理由です。
しかし、現代の海苔養殖技術は、金有夢の時代と全く違います。
日帝時代、日本人が、日本の海苔養殖技術を韓国に移入した結果、
莞島は海苔の大産地となり、日本に輸出することによって、発展しました。
当時の日帝時代の新聞記事です。
京城日報 1923年10月7日 (クリックで、拡大)
記事題名 「水産方面の副業 海苔養殖・鯉養殖・寒天製造」
【出典】 神戸大学
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00473892&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00473892
韓国人の為に、現代語に、抄訳してみましょう。
朝鮮南部では、古来より、海苔の養殖が行われていたが、
その製品は、粗雑で、不純物が多く、品質が悪かった。
1912年、朝鮮総督府は、補助金を出して、莞島に「改良海苔研究所」を設立し、
日本人指導員を招聘し、韓国人に日本の海苔養殖技術を教えた。
その結果、朝鮮南部で、日本式の海苔製造が普及し、
海苔の生産量が大幅に増加した。
1921年の海苔生産量は、1918年の生産量の15倍以上に、
急成長している。
朝鮮の海苔は、東京湾の海苔と比較して、香りが少なく、硬いが、
値段が半分以下なので、今後、品質改善に努めれば、
需要増加が期待でき、冬季の農家の副業として、有利である。
以下、略。
1928年頃、朝鮮総督府・水産試験場の富士川きよし氏などの
日本人技師が、新しい養殖技術を開発した結果、海苔の生産量が
更に大幅増加して、大部分が、日本に輸出されました。
1945年の光復後、日本人技術者は、日本に帰国し、日本で海苔養殖を大規模に始めた為、韓国産の海苔の日本輸出量は、激減してしまいます。
その結果、韓国国内での海苔の販売が積極的に行われました。
「海苔巻き」が、韓国でも普及したのは、これが原因です。
【資料】 「韓国の海苔事情」 (日本語)
http://www.oomori-suisan.co.jp/about/about04/
韓国で、日本の海苔や海苔巻きが普及する過程において、韓国人の好み合わせて、海苔に胡麻油で味付けをするようになりました。
これが、今では韓国海苔のセールス・ポイントになっています。
現在、韓国海苔は、韓国旅行する日本人の人気お土産商品となっています。