日本人の、身長と、食生活の関係について(個人的名な想像)
以前、「日本人の主食と脚気」に関するスレッドを掲載しました。
・江戸時代以前の庶民の日常食事は基本的に雑穀飯
※非日常の食事は、白米や米料理がご馳走
・江戸時代「大都市・江戸」だけで、白米が主食になり、脚気が流行
・江戸都市以外では、雑穀飯が主食なので脚気は流行しない
このような内容でした。
「白米を食べていた、日本人が脚気になった」のは、主食にビタミンが不足していたから。
「雑穀飯用のおかず」を「白米で食べていた」から、ビタミン不足になったため。
さて、今回は身長と、人口について、話そうと思います。
といっても、データがあいまいなので、想像の枠を出ないので、「仮説の上に仮説を重ねた文章」です。
米について説明している途中、一部の韓国人が、時代が下ると、「日本人の身長が低くなる傾向があった」「時代が下れば、体格が悪くなるので、日本人は飢えていた」という主張に、非常に拘っていました。
「身長が低くなった」ことは、確かに事実です。が、後者は事実ではないと考えられます。
なぜなら、時代が下れば人口が増加しているからです。
まずは、数字を確認しましょう。
人口についてのデータもあるので、各時代の人口や身長に関する数字を書き出してみます。
ただし、これらのデータには誤差があり、諸説あるので、あくまでも目安です。
●日本の人口と身長の歴史的推移(目安)
★BC紀元前
【人口】縄文時代の日本列島の人口は50万人~60万人前後(松本健一著 泥の文明より)
【身長】平均身長は男性158センチ、女性148センチ(国立科学博物館の馬場悠男・人類研究部長)
★AD紀元後
【身長】弥生時代の平均身長は男性164センチ、女性150センチ(国立科学博物館の馬場悠男・人類研究部長)
★奈良時代
【人口】奈良・平安時代の日本列島の人口は500万人~600万人前後(松本健一著 泥の文明より)
★平安時代
【人口】奈良・平安時代の日本列島の人口は500万人~600万人前後(松本健一著 泥の文明より)
★鎌倉時代
【人口】
1239年 鎌倉大仏勧進上人 浄光の言上状によると66国、2島、578郡、3772郷、458万人
1305年 仁和寺心蓮院蔵「行基図」 3770郷、691万人
★江戸時代
鬼頭宏上智大学教授調査
【人口】
・前半
1600年は1227万人、
1650年1750万人、
・中期から後期が人口が増えていない
1721年3128万人、
1750年は3101万人、
1830年は3248万人、
1870年は3481万人
「大都市」文化が生まれた江戸時代
江戸時代は江戸、大阪、京都の人口が12%、江戸は18世紀半ばに100万都市
江戸の人口100万人(内訳)
武士50万人
町民50万人(占有面積12%、3坪長屋住まい)
1846年(弘化3年)3200万人
※江戸幕府最後の人口調査
★明治時代
【人口】
1872年(明治5年) 近代戸籍制度が創始される。日本の人口は3500万人と確認
1912年 明治末年 人口調査では日本の人口は5000万人
1911年~1915年の食料自給率は94%
★大正時代
1926年 大正末年の日本の人口は6000万人突破
★昭和時代
1932年 日本の人口が7000万人突破
1939年 食料自給率は83%
1941年(昭和16年) 人口は7200万人
★平成時代
2008年(平成20年) 食料自給率は40%
「人口・身長に関する、データ」は、完全に統計が取れているわけではありません。
研究機関などによって異なりますね。
以下も平均身長の統計ですが上記のデータと数字が違います。
・時代別の日本人の女性の平均身長(弥生人骨資料、文部省の生体計測資料、ワコール02年調査などによる)
縄文時代 147.4センチ
弥生時代 151.3センチ 男性162センチ
古墳時代 151.5センチ 男性163センチ
鎌倉時代 144.9センチ 男性159センチ
室町時代 146.6センチ 男性156センチ
江戸時代
前期 143.0センチ 男性155センチ
後期 144.7センチ 男性156.4センチ
明治33 147.9センチ(1900年)男性は157.9センチ(155.3というデータもある)
昭和14 152.7センチ(1939年)
平成15 157.8センチ(2003年) 男性02年170.7センチ
身長の変化は温暖化と寒冷化が原因?
体格の変化についての原因として、気候も関係があると考えられています。
簡単に説明すると、暖かいと、食料が多く摂れて、体格が良くなる。
寒いと、食糧不足で、体格が悪くなる。
日本の場合も、寒暖を繰り返しているようですね。
時代によっての気候の変動は、動植物に関する記述などで証明されています。
寒冷期
平安時代794-1185
江戸時代1603-1867
温暖期
鎌倉時代1185-南北朝時代1392
と言われています。
温暖な時代は食糧事情がよくなります。
そのため、体格がよくなります。
寒冷な時代は食糧事情が悪くなるので人口も増加せず、結果的に体格も悪くなりますね。
上記の温暖な時期は、比較的「日本人の体格が良かった」傾向が、骨などから判明しているようです。
しかし、寒冷期であった江戸時代。日本人の体格は小さくなっていますが、「前半は人口増加(ほぼ2倍)」しています。
これは、農業が急激に発展し、農作の収穫量が増えたためですね。
江戸時代の人口が後半は増加しなくなったのは、日本は島国なので作物の収穫量に限りがあることが原因だと思います。
人口と栽培する穀物の種類には、大きな関係があります。
実は、一番、収穫効率の良い穀物は「米」なのです。
麦に比べて数倍の収穫が可能なのです。
ですから、温暖なアジア地域では、昔から人口が多いですね。
インドなどは、その典型でしょう。

米をたくさん作れる状態であれば、少ない農地で大量収穫が可能です。
しかし、これは、諸刃の剣です。
何かの原因で、米が不作になると、急激に食糧不足になります。
日本でも江戸時代、天変地異により深刻な飢饉になりましたが、米を作っていたことも大きな原因の一つでした。
(まとめ)
体格の変化原因についての【論拠の無い、個人的な見解】
前回のスレッドを作成時、韓国人がこのように言っていました。
農耕民族は、体格が小さくなる傾向がある。
確かにその傾向はあると思います。
日本人の寿命は、時代が経過すると、長寿になり、人口が増えています。
長寿と人口増加の原因は、様々ですが、最も大きな要素は「安定した食料の確保(穀物の確保)」でしょう。
縄文時代も、クリやどんぐりを貯蔵していたり、縄文時代末期の水田跡が見つかったことから、稲作が開始されていたのではないかという説が有力です。

しかし、それ以降の、本格的に農耕を行った時代と比較すると、「狩猟採取」の「食料の確保」は効率が悪い。
ですから、狩猟よりも、農耕の比率が大きくなると長寿になり人口が増える。
カロリーを動物性ではなく、植物性から得る比率も増える。
保存が出来る穀物が好んで作られる。
その結果、体格が小さくなり、「腸」が長くなる(日本人の腸は長いです)。
時々、「体格が大きくなる時期」はあるが、それは温暖な気候で作物の収穫量や、狩猟・漁業の捕獲量が増えたからではないでしょうか
余談ですが、江戸時代の日本人が食べる主食(雑穀米)(米飯)の量は、現代の日本人が食べる量より多かったのです。
おかずは現代と比較すると量が少ないですね。
江戸時代が終わり、明治時代になっても、「穀物中心の食事・献立」は全国的な傾向として、基本的に変わっていないようです。
明治政府が国民の体格を向上させようと、牛肉食を推奨したのは記録に残っています。
第二次大戦後、急激に日本人の体格は向上しました。
約10センチ以上大きくなったのではないかといわれています。
穀物中心ではなくおかずを多く食べる食文化になったのが原因であるという説が有力ですね。
「日本人の体格が小さくなった理由」
短い文章でまとめると。
「農耕文化は食糧供給が安定しているので人口が増え、寿命が延びる」
「食事のときの穀物の比重が多いと、体格は小さくなる」
「自給自足の島国では、人口増加には限りがある」
「気候が温暖な時期は、食料が豊富なので、寒冷な時期と比較して、体格が大きくなる」
こんなところですね。
あくまでも想像の域をでませんが、色々、原因などを考えるのは楽しいです。
韓国でも、食事文化の変化や気候の変動で、体格などは変化したと思います。
機会があれば、韓国側からも、それらの資料も紹介してほしいですね。