天ぷらのルーツと、外来料理について(*^_^*)
面白い説があったので、ちょっと紹介します。
日本の料理「天ぷら」の起源はインドに到達するという説です。

「マメな豆の話し」吉田よし子 著
「平凡社 新書 038」98pから102p部分
ISBN4-582-85038-3
より、文章一部を抜粋、翻訳機にかけること前提で文章を変えています。
ひよこ豆の粉はベサンと呼ばれる
■ひよこ豆Cicararientium


インドでナキムーンと呼ばれるスナック菓子の材料はほとんどが「ベサン」つまり、ひよこ豆の粉で出来ているらしい。
■ベサン(ベイスン とも言う)

粉に香辛料や塩を入れて練りを作る。
熱した油に押し出し麺方式で落とす。
油で揚げると菓子が出来上がる。
ナキムーンは、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドでも販売されているようだ。
(※インドが植民地であったことと関係があるだろう)
栄養価が高く、鉄分はとうもろこしの5倍含まれる。
■ナキムーン
ベサンを使った料理には、日本の天ぷらとよく似た料理があるようだ。
パコラと呼ばれていて、元来お茶の時間にミルクティーと一緒に食べるらしい。
ひよこ豆の粉に塩とターメリック、クミン、胡椒、トウガラシなどの粉を少し入れる。
水で溶いて1時間寝かせる。
薄く切った茄子やジャガイモに、この練りを浸けて、天ぷらよりも少し低めの油で揚げる。
豆の粉は油分が多く焦げやすいからである。
マドラスの海岸では屋台で販売されている。
魚、海老、蟹などが売られているのである。
■パコラはパキスタンにもある(パキスタンのパコラ店)

■パコラ(インド)

Dr.K.T.Achaya「」に、このパコラが日本の天ぷらのルーツではないかと書いてある。
「大航海時代、日本を訪れた、ポルトガル人の宣教師や商人、海の男達が金曜日の肉無しデーに魚をパコラにして食べていた。
それを見た日本人が、小麦粉を使って似たものを作り始めたのが天ぷらの始まりではないかという推論である。」
天ぷらという呼び名はポルトガル語由来と言われている。
ポルトガル語で「炒めて味を調える」という発音は「テンペラード」らしい。
日本にポルトガル人が初めて訪れた頃、このインドの油で揚げる料理に、ポルトガルの料理用語であるテンペラードを当て、それが変化して「天ぷら」という言葉になったのだろう。
以上が本に書かれていたことです。
「推測」なので、誰が「パコラにテンペラードという名前を付けたのか?」は明確ではありません。
日本人の行動とも、ポルトガル人の行動とも解釈可能です。
日本の天ぷらの語源のルーツについては、いくつか説があります。
ポルトガル語の temporas (斎時の意)
ポルトガル語の tempero (調味料の意)
ポルトガル語の temperar (動詞:[調味料を加える]、又は[油を使用して硬くする]の意)[動詞を変化すると、第三者でTEMPERAとなる(例、食べ物に調味料を加える、又は食べ物を油で硬くするにする)]
スペイン語およびポルトガル語の templo (寺院の意)
スペイン語およびイタリア語の tempora (四季の斎日の意)
ポルトガルの油で揚げる魚料理が伝来した説は、上の記述とも一致します。
パコラが「油を使って、魚を料理する」こと全般を指すのであれば、この「パコラ(インド)→テンペラード(ポルトガル)→天ぷら(日本)」は有力であるとも考えられますね。
「天ぷら」は、高級品の油を沢山使うので、当初は贅沢品。
身分の高い人物しか食べることが出来ない料理でした。
しかし、天ぷらは当初「油で揚げる食べ物」として九州で広まった時点では、「蒲鉾の練りを油で揚げた物」を指していたことが有力です。
■蒲鉾の練りを揚げた物も、現在「天ぷら」と呼ぶ地方がある。

直接魚を油で揚げる調理法の「天ぷら」としては、「小麦粉を魚にまぶして直接揚げた」現代の「魚の唐揚げ」のようなものであったことが判明しています。
■魚の唐揚げ(昔は天ぷらと呼ばれた(?))

小麦粉で練りを作って、衣をつけて揚げる現代の「天ぷら」の姿とはずいぶん異なりますね。
■現代の天ぷら

当時は「魚と粉を油で揚げる料理」全て=天ぷら だったのでしょうか?
粉を溶いて衣にするという料理法は、多くの「天ぷら」の中の、1つの料理法だったのでしょうか?
過去のことで、真実は分かりません。
しかし、先祖達が色々な国から文化を取り入れて、工夫していたのだと考えると、楽しくなりますね。
なお、日本で天ぷらが本格的に普及したのは、ロータリーカーン石臼が浸透し粉の入手が簡単になり、油の生産量が向上した江戸時代でした。
火事を恐れて、天ぷらは家屋内ではなく、屋台で製造されていました。
江戸の屋台の天ぷらに用いられた油ですが,当時の絵図の看板には,「胡麻揚げ」「かやの油」と強調した看板が見られます。
普通の天ぷらは菜種油でした。
しめ木や水車搾りといった搾油技術が開発され,油売りの時代が始まり,菜種の作付け面積が増えたことが,油料理の普及を促したと思われます。
菜種油量産の技術が確立されるまでは,油は高価なもので,灯明用として大切に使うものであったのです。
また、天ぷらは当時最も高カロリーなファーストフードでした。
このように、天ぷらは、基本的に外食で作られる料理として江戸を中心に広まります。
ファーストフードとして日本人の胃袋を満たしましたが、時代が経過すると、屋内で調理する高級天ぷら屋が出現しました。
それらの店は、良い油や魚を使い、お客を集めました。
■天ぷらを食べる江戸時代の美女(浮世絵)

■江戸時代 天ぷら屋台復元

■武士も露店屋台で買い食いしていました。
武士階級は買い食いは良いことではなかった為、顔を隠して食べています。
当時は大根おろしと天つゆ(うどんの濃縮おつゆのような味です)で食べていたようです。


天ぷらが一般家庭でおかずとして作られるようになったのは、20世紀。
戦後になってからです。
「油で魚と粉を揚げる」珍しい調理法の外来料理だった天ぷら。
400年以上の時間を経過し、天ぷらは現在「日本料理」となり、高級料理屋で提供されるまでになりました。
日本らしい盛りつけで、薬味やたれを付けて食べる、天ぷらは、日本人が好む伝統料理の1つです。
季節感を表す料理としても好まれる。
■菜の花の天ぷら

■椿の花の天ぷら

■紅葉の天ぷら

■アザミの天麩羅


おそらくこの料理を、ポルトガル人やインド人に見せても、彼らは自国の料理がルーツだとは判別できないと思われます。
しかし、どれだけアレンジして原形が無くなっても、天ぷらは「外来料理」と日本人は感覚的に考えているようです。
その証拠に、天ぷらの表記は「テンプラ」とカタカナで書くことが多いです。
このカタカナで表記するという特徴がある食品を見ると、日本人は本能で「外国から来た料理」と、脳内変換します(笑)
天ぷら=★天麩羅★という漢字表記もありますが、この漢字の使い方も、完全に脈絡のない当て字であることは日本人なら理解できます。漢字表記でも異国的な表記なのですね。
この特徴は天ぷらだけではありません。
オムレツ・オムライス・カレー・ハンバーグ・コロッケ・カツレツ・コーヒー・ココア・キムチ・ビビンバ、、、すべてカタカナ表記ですね。
特に、明治時代に西洋から入ってきた食品は、天ぷらとは異なり「原形が現存」していますので、「洋食(yosyoku)」と、呼ばれています。
これらを伝統的和食と考える日本人は存在しません。
表記すら必要ないでしょう。見ただけで理解します「これは外国から伝来した料理だ」。
しかし、それにしても。
数百年が経過し、原形などどこにもないほど、独自の伝統料理に変化させている料理を、日本人はカタカナで表記します。
起源を知ることに喜びを感じ、ルーツとなった国のことを想像して楽しみます。
自分がすんでいる国ですが、面白い国民性であると思います。
■カステラ(大航海時代に西洋から原形の菓子が伝来)
