本日、このような書き込みがありました。
のりとのり巻きの来由[韓国] | グルメ
No.50146 投稿者: 8inni8 作成日:2007-12-07 11:45:32
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pfood&nid=58705
8inni8 12-07 01:43 米飯も韓国が日本より先に一般人に株式で広く使われたし、沢庵も事実は韓国人僧侶が作ったことで分かっています. もちろん本格的に資料は捜さなかったんですが偽りではないと思われます.
へー、ほー、ふーん
米については、「一般人に株式で広く使われたし」の「定義」ははっきりしておりませんから、言及致しません。
が、、、、、、「沢庵は韓国人僧侶が作った」。

「沢庵は韓国人僧侶が作った」
へーええええ。
私日本人ですが、そんなことは全く知りませんでしたよ。
じゃあ、検証してみましょうか(*^_^*)
当時の国名は朝鮮なので、「朝鮮・朝鮮@人」と表記させていただきます。
Q沢庵を作ったのは、朝鮮@人僧侶?
では、沢庵の起源に関係していると思われる人物の名前・職業をまず、確認しましょう。
澤庵 (沢庵) 宗彭 takuan souhou
1573年12月24日(天正元年12月1日) - 1646年1月27日(正保2年12月11日))
江戸時代の臨済宗の僧。大徳寺住持。
漢字制限(当用漢字、常用漢字、教育漢字)により現表記にされる。
たしかに僧侶ですね!
しかし、僧侶の名前では国籍は分かりませんね。
生まれた場所を確認しましょう。
「但馬国 出石」
、、、、、
現在の、「日本国、兵庫県、豊岡市」
つまり、ここ
↓
■全国地図

↓
■地名詳細

へー、、、、、。
該当場所は、江戸時代、朝鮮だったんですね(*^_^*)
日本の国土に、局地的に、朝鮮地方が出現したのでしょうか?
メルヘンですね。
しかし、そんなメルヘンな事実はありません。
Q 沢庵を発明したのは朝鮮生まれの、朝鮮@人?
A いいえ。日本生まれです。
え?
異議あり?
「両親が朝鮮@人かもしれない」?
その可能性は0%ではありませんね。
じゃあ、確認してみましょう。
実は沢庵和尚ですが、出生の説は2つあります。
2つもあるのですから、父は朝鮮@人かもしれませんね。
期待が高まりますね(*^_^*)
Q 沢庵和尚の父は朝鮮@人?
★説(1)
『七美郡誌』より
「田公綱典入道秋庭入道の子采女澄正の二男を宗彭」「母は牧田又之丞日下部光政の娘」と記述。
また、「綱典の次男半兵衛尉真典の三男が沢庵宗彭」と記述。
はい、残念、田公氏 は「日下部」という日本の有名な一族に含まれますね。
朝鮮@人という可能性は消えましたね。
もう一つ、あります。
望みは捨ててはなりません(*^_^*)
★説(2)
秋庭能登守綱典
但馬国出石城主山名祐豊の重臣
山名の家老秋庭能登守綱典の先祖は、「三浦大介義昭」の弟の「義行」が相模国高座郡秋庭に住み、地名をとって「秋庭」を号したという。つまり、先祖は「三浦」なんですね。
なお、この「三浦大介義昭」ですが、鎌倉幕府を開いた源頼朝の部下。韓国の方はご存じないでしょうが日本史では有名な人なんですね。「相模風土記」によれば、「三浦義明の墓は五輪塔なり、ここに義明の墳墓あるはその縁故知らざれど、思うに冥福を修せんがために寺僧が造立せしならん」とあります。
その子孫が、「秋庭能登守綱典」は出石郡の小坂村大谷に引隠した。
はい、可能性消失
沢庵和尚と、朝鮮は、何の関係もありません。
完全に無関係ですね
「沢庵を発明した僧侶=朝鮮@人」=大嘘
さらに、こんな事実があります。
実は、沢庵和尚が「沢庵を発明した」これは、民間伝承なのですね。
なんの論拠もなくて(*^_^*)
沢庵漬の起源については諸説あります。
■1 東京、品川の東福寺を開いた沢庵和尚(1573-1646)が考案したのでこの名前が付いたという説。
■2 すでに沢庵と同じ漬け物は存在したが、「沢庵和尚」が広めたからという説。
■3 沢庵和尚の墓石が沢庵の重石の形に似ているので、和尚の名が漬物の名になったという説。
■4 野菜の長期保存の方法として考えられた漬物なので「貯え漬け」takuwaedukeと呼ばれていた。それが変化して、「沢庵」takuanになったという説
■沢庵和尚の墓

そして現在■1の可能性は、無いだろうと考えられています。
「沢庵」は生干した大根を糠と食塩で漬け、重石を押して作られます。
しかし、この製法の漬物は、「沢庵和尚」より以前、室町時代には存在しました。
そして、そのルーツとなるような大根の漬物はずっと古くまで遡ることができます。

奈良時代の漬物の製造法を記した『延喜式』(930)
須々保利(suzuhori)という漬物が記録。
「穀類や大豆を臼で挽いて、それに塩を加えて床を作り、かぶや葉菜などを漬けた」というものです。
その後、粟と塩を使って大根をつけた「須々保利(suzuhori)」が作られるようになる
↓
玄米を精米するようになって生じた米ぬかを、粟の変わりに使い、後に沢庵と呼ばれる漬物と同じ物が誕生した。
このように考えられています。
■現在でも糠漬けには色々な野菜を使う

また、沢庵和尚が生きていた、江戸の初期頃に沢庵は普及したと言われています。
これは、戦国時代が終了し、国内の政治が安定したので、米の生産が増大した時期と一致します。
白米が広く食べられるようになったので、その精米(米から殻を分離)で糠が多量にできるようになります。
つまり、米を多く作るということは、沢庵漬け(糠漬け)の材料が出来るということです。
江戸時代以降に沢庵は広く普及するしたのですが、米の生産の増加が無くては不可能なことだったのです。

また、沢庵に使用する「大根」ですが、これも日本で好まれて、品種改良が多く行われた野菜です。
沢庵に最適である品種「練馬大根」は、石碑まで立てられています。
「(前略)徳川五代将軍綱吉が館林城主右馬頭たりし時宮重の種子を尾張に取り上練馬の百姓又六に与へて栽培せしむるに起ると伝ふ文献散逸して據るべきもの乏しと雖も寛文中綱吉が再次練馬に来遊せしは史籍に載せられ当時の御殿阯なるもの今に存するを思へば伝説に基く所ありて直に斥くべきにあらず再来地味に適して栽培に努めしより久しからずして優秀な品種を作り練馬大根の称を得て主要物産となり疾く寛政の頃には宮重を凌ぎて日本一の推賞を蒙るに至れり(後略)」(東京都練馬区春日町4-16『練馬大根碑』より)
五代将軍綱吉が種をもたらした話は根拠に乏しいのですが、碑文から、練馬大根が寛政年間(1789-1801年)までに一定の声価を得ていたことがわかります。
その大根を使い、練馬では沢庵の生産が盛んに行われました。
そういうことで、「沢庵を発明したのは、僧侶でさえない」と考えられるのが妥当です。
まぁ、沢庵和尚=沢庵起源「説」は、日本でも有名です。
ですから「僧侶が作った」と間違えるのは仕方ない。
しかし、韓国人認定したいなら、「国籍」はくらいは調べてから発言することをお勧めいたします。
もう一度、検証した発言を紹介。
のりとのり巻きの来由[韓国] | グルメ
No.50146 投稿者: 8inni8 作成日:2007-12-07 11:45:32
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pfood&nid=58705
8inni8 12-07 01:43 米飯も韓国が日本より先に一般人に株式で広く使われたし、沢庵も事実は韓国人僧侶が作ったことで分かっています. もちろん本格的に資料は捜さなかったんですが偽りではないと思われます.
個人的な感想を一首。
「のり巻きに 好んで使う 沢庵は ウリナラ起源だ 証拠はないけど」
「沢庵は、ウリナラ起源 誇らしくて!息を吐くよに 嘘を言い」

8君へ個人的お手紙(*^_^*)。
根拠はないけど、欲しいと思えば「ウリナラ起源」
のり巻きも、沢庵も、論拠はないけど「ウリナラ起源」
論破されても「ウリナラ起源」
いつになったら金福包みの絵画もしくはレシピ付きの古典資料を紹介するのかね?
論破された、8君の今後の反応予測(*^_^*)
「証拠はないと言ったnida!!ウリは嘘はついていないnida!!ウリの発言を嫌韓が捏造するnida!!」「ウリよりも日帝が悪いnida!!」泣き喚いて正当化。
え?
謝る?
じゃあ、謝罪していただきましょうかねぇ(*^_^*)
文盲で低脳な嘘つき君のために、親切なイルボンが文面も考えてあげましたよ。
「沢庵を発明したのは日本です。韓国人僧侶ではありません」
「ウリは証拠もないのに、起源主張をする、起源泥棒の嘘つきですごめんなさい」
コピーして貼り付けるだけですから楽ですね(*^_^*)
はい、どうぞ
↓
謝罪の後は、速やかに、金福包みの、レシピや絵画が描かれた、日本のり巻きより古い文献を提示してくださいね。