大きな紙のような海@苔noriが発生→全国普及する為の、最低条件。
海苔=海@苔(日本では海の苔の意味)=nori
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pfood&page=2&nid=58522
上記のスレッドでも説明しましたが、日本人と海苔の関係は、4世紀の文献にも記述があるように、関わりの深いものです。
しかし、紙のような海@苔nori=itanoriの発明は、江戸時代中期以降でした。
なぜ、そんなに時間が必要だったのでしょうか?
今回はそれを説明致します。
紙のような海@苔nori以前の海苔は、このように乾かしたものであった。
繊維が荒い。
海苔巻き寿司は作れません。

大きな紙のようなnoriは、日本で盛んであった、製紙技術をヒントに発明されました。
この場合、発明に至るまで、以下のような条件が必要となります。
(大きな海苔発明の最低条件)
★豊富で清浄な水。
★製紙工業が盛んであること。
★noriの栽培もしくは採取が可能な土地であること。つまり、「原材料の確保」が容易であること。
noriの作り方は、紙を抄くのとほぼ同じやり方です。
noriの生産時期は11月中旬から3月頃まで。
収穫したnoriを細かく刻みます。
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水を入れた、抄き桶の中で溶きます。
■細かく刻まれて繊維質になったnoriを水で溶いた物

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アシやササの茎を編んだnori簾(norisu)で抄きます。
nori簾(のりす)には19センチ×21センチのnori枠を乗せておきます。
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その中に水に溶かした海苔を均一に流し込みます。

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norisuと、nori枠を外します。


↓
野外で干します。
■干している図


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乾燥させてできあがり。

nori簾(のりす)に均一に広げる技術や、nori簾(のりす)を天日に干すタイミングなどは、紙梳き(かみすき)と同じく、熟練が必要です。
昔はもちろんすべて手作業でしたから、nori作りはたいへんな重労働でした。
ちなみに、今では製造工程のほとんどが機械化されて「紙のようなnori=itanori」作りが行われています。
この抄きnoriの方法は、江戸時代に浅草紙の紙漉き(かみすき)製法にヒントを得て考案されたもの。
当時は浅草は、製紙で有名な場所。
だから「大きな紙のようなnori=itanori」の生産地としても最適でした。
紙のようなitanoriは享保(1716年頃)から作られています

「江戸名所図会」
浅草、海@苔製造の図
斎藤長秋・編 長谷川雪旦・画
1834年-1836年刊

当時の海@苔屋
当時は、江戸以外での海苔養殖が禁止されていました。
ですから、江戸で作られた海苔は、重要な江戸の名産として、各地に運ばれていたのです。
江戸は当時の日本の政治の町で、将軍が居住していた場所で、他の土地から沢山の人間が訪れていました。
当時は車などはありませんから、お土産には、「軽くて腐らず、高価なitanori」は非常に喜ばれたのです。
江戸の海苔はブランドとして、評価されており、海苔農家は、大きな現金収入を得ていました。
■浮世絵も軽くて腐らないので、お土産として人気でした。

「江戸自慢三十六興 品川海苔」
板海@苔を炙っています
歌川広重(二代)、歌川豊国(三代)・画 (合作
また、itanoriは、日本の食生活にも大きな影響を及ぼしました。
元来日本には、寿司文化がありましたが、「nori巻き寿司」が登場しました。
紙のような大きなnoriは、大量のご飯と、具材を包むことができる、画期的な食材でした。
日本ではご飯を沢山使う「寿司」は贅沢で嬉しい料理でしたかので、nori巻き寿司は、急速に広まりました。
また、itanoriは色々な料理にも使われて、日本の料理のバリエーションを増やしたのです。
海@苔で巻く「巻き寿司」が資料に初出するのは『新撰献立部類集』(1776年)
現代と同様の紙のように加工した海苔を使った「海@苔巻すし」が紹介されている。
中に入れる具は魚で、現代と同様に「すだれ」を使って巻いてから、箱に入れて重しをする調理法が書かれている。
また、同時代に出版された江戸時代のベストセラー料理本『豆腐百珍』(1782年)には、これもシート状の浅草海苔に、豆腐を薄くのばし付けて作る「鰻豆腐」のレシピが有ります。

海苔の養殖は明治時代にやっと解禁になりました。
その影響もあって、昭和20年ごろまでは、庶民がitanoriを日常的に食べていたのは東京を中心とする関東地域に限られていたようです。※地方の人間も食べてはいましたが、回数は少なかったようです。
海苔は贅沢品です。
海苔が日本全国へ普及するためには★最低条件 の他に、以下の条件が日本では必要でした。
生産地から、地方への流通が発達していること。
貨幣制度が一般庶民にまで浸透していること。
一般庶民が、贅沢品を購入できる金を所持していること。
また、海苔巻き寿司の発生に関しては、「日本人が米を非常に評価して愛好していること」も、大きな要因になると思われます。
さて、itanoriが発生→全国普及する条件を並べてみましょう。
(大きなnori=itanori発明の最低条件)
1豊富で清浄な水。
2製紙工業が盛んであること。
3noriの栽培もしくは採取が可能な土地であること。つまり、「原材料の確保」が容易であること。
(贅沢品である、itanoriが全国の消費者(庶民を含む)に普及するための最低条件)
4生産地から、地方への流通が発達していること。
5貨幣制度が一般庶民にまで浸透していること。
6一般庶民が、贅沢品を購入できる金を所持していること。
7「米の料理」として非常に人気のある「nori巻き寿司」も、全国へitanoriの普及に大きく貢献しています。
日本では、最低限、この7つの条件が揃わないと、贅沢品itanori・及びnori巻き寿司は、国民食にはなれませんでした。
一部の韓国人は、「金福包みが、日本の海苔巻き寿司の起源」と、主張していますね。
では、半島ではどのように、金福包みが発生し、どの程度民衆に愛されて、どのような経緯で、紙のような海苔を自力で発明したのかをお教えください。