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慰安婦問題・つかこうへい氏の本からの引用



私は、昨年7月3日のエントリ「上田知事発言と、つかこうへいさんの言葉」の中で、直木賞作家で在日韓国人2世のつか氏に、慰安婦問題で10年前にインタビューした際のことを書きました。つか氏は、マスコミの報道の影響で悲惨な境遇にあったと信じていた慰安婦たちが、元兵士や慰安所関係者らに取材し、勉強すればするほど必ずしもそうは言えなかった実態に気付き、見方が変わったことを話してくれました。

 そこで本日は、そのつか氏の著書「娘に語る祖国 満州駅伝-従軍慰安婦編」(光文社、サイン本)から、そのまま文章を引用させてもらいたいと思います。愛娘に語りかける口調で書かれた文章がとても分かりやすく、説得力がありますので。





(前略)
ふと見ると、隣の人が読んでいる新聞に「慰安婦」の文字が見えます。
 それは、補償を求める団体の記事のようでした。
 慰安婦の実態を考えると分からなくなってきます。この記事とパパが取材した話とのあまりの違いに、溜め息が出そうになりました。
 戦争とは一体なんだったんでしょう。
  (中略)
 その人は、今はある会社の社長さんをしているとのことでした。
 取材をお願いしたパパに、とても快くいろいろと話して聞かせてくれたのです。
(中略)
 「報道とはすこし違うという感覚でしょうか」
 「はい。慰安婦はいましたが、そもそも従軍という言葉が違うんじゃないでしょうか。慰安婦は二通りあったんじゃないかと思います。騙した騙されたは知りませんが、慰安婦と知らずに連れてこられて、慰安婦にされてしまったという女と、最初から慰安婦だと言って募集して、その代わりおカネはこれだけやるんだと、ペイはするんだということで集められてきた女と。
 どっちだか知っているのは、朝鮮の村のボスだけでしょうね。
 ただ、少なくともわれわれ軍隊では、従軍なんて言わなかった。直接日本軍が関与したというよりも、言ってみりゃ女衒というか、仕切っていたのが朝鮮の人間であり、日本の商売人であったというのが本当のところじゃないでしょうか。
 従軍なんて言葉ができたのはごく最近なんじゃないですかね。戦後になってからも、従軍という言葉はなかったですよ。おそらく新聞なんか見てみたって、従軍慰安婦なんていうのは書いてなかったと思います。
 従軍記者とか、従軍看護婦ってのはいましたが、従軍看護婦なんて言っていないはずです。少なくともわれわれが軍隊時代にはピー屋って言って『おまえたち従軍慰安婦』なんて言ったことないです。
 従軍と言うと、部隊が移動すると、慰安婦も一緒に移動してったというイメージがありますが、東寧ではそんなことはありませんでした。ですから、ピー屋というのもバラックづくりのようなものじゃなくて、ちゃんとした建物なんですね。それほど立派な建物ではないですが、ちゃんとそこで生活できるような施設になっていました。
 私は将校でしたから、朝鮮半島出身の女のいるピー屋じゃなくて、日本人の、いわゆる三流芸者のピー屋に通っていました。将校専用っていうわけじゃないですが、将校は兵隊さんと一緒のとこで遊んではいけないという不文律があるんですよ。禁じられるとなおさらということなのでしょうが、若い将校が朝鮮の慰安婦と恋に落ちて、なんかゲーテのロマンスみたいなものはよく起こりましたよ」
 「ロマンスですか」
 「惚れ合っちゃって、別れられないというんで、自殺したの、心中するの、というような話を聞いたことがあります。
 当時のカネでピー屋で遊ぶと5円ぐらいかかったかな。いや、そんなにかからなかったか。二、三円でしたか。将校の給料が、僕がいろんな手当てとか加算されて九十円。大学卒のサラリーマンが大体五十円から六十円でした。九十円仮にもらったとするでしょう。そのうち三十円が官舎の費用になっちゃうんですよ。官舎の費用というのは、食事とか、着るものとかで、将校になると、官費給付じゃなくなりますから。それが全部で月に三十円ぐらいかかったね。それから三十円が親元送金のために天引きされるんですよ。(中略)」
 「ピー屋というのは、軍隊が管理していたんですか」
 「いや、実質的には衛生面だけでした。これは性病が蔓延したら困るからということで、軍医が定期的に、半ば強制的に検査をして、という衛生管理はありましたよ。(後略)」》