先日、1970年代の韓国、餅作り行事写真を投稿しました。
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pfood&nid=57415
私は日本人ですので、韓国の行事や餅のことは分かりませんから、感想だけを述べました。
また、韓国の方に「解説してください」と、頼むと、沢山の方が解説をしてくださいました(*^_^*)
興味深い内容で勉強になったので、折角ですから、ご紹介したいと思います。
皆様ありがとうございました(*^_^*)
【1】餅の内容について。
■「豆餅」である。
■「四角い餅」は、餅米、または、餅米とうるち米を混ぜて、蒸して、潰して加工した物である。

■丸い餅は、米の粉を使って、練りを作り蒸した物(?)。

■餅を包む、葉は、抗菌効果、防腐効果があり、良い香りがつく。
同様の餅で、松の葉を使ったり、竹の葉を使う餅もある。
(感想)松餅のようなものかな?

■餅の上の実は、ナツメ、隠元豆、グリーンピース、栗。

■餅を包む葉の種類、、、

いくつかの意見が出されています。
柿という解説と、桑の葉、ボングイブという解説がありましたが、柿の葉という意見のほうが多いです。
しかし、「マングゲロ(日本名)ヨコクラノキ」という、解説がありました。
調べてみると、どうやら「マングゲロ(ヨコクラノキ)」という木の葉の可能性が高いようです。
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pfood&nid=56787
このスレッドは、以前作ったスレッドです(一部抜粋)
慶尚道
慶尚道の農産物は米、麦、豆、さつま芋、とうもろこし、じゃがいもなどで、果物には栗、りんご、柿、梨などがあります。 従って、この地方の餅はこうした素材と葛、 蓬、野生のヨコクラノキ や柚子の葉などを素材にします。 こうしたこの地方固有の素材で作った餅は地方独自の味としてよく知られています。 一般的な餅としてはプピョン、カムタンジャ、シャンジュソルギ、ソンピョンクルトック、スックトック (蓬の餅)、 カムジャソンピョン、キォチャンソンピョン、スックレ、ヨコクラノキのトック、密陽団子、コンゴムルトック、チャノチ、 ホバクポンボク などがあります。 (本文)
「慶尚道」の餅の項に「ヨコクラノキ」の餅の名前があります。
慶尚道に安東はありますから、ヨコクラノキはこの地方の特産品かもしれませんね。
●「マングゲロ(ヨコクラノキ)」写真

【2】ウチワについて
地方で少数であるが、現在生産されている。
●団扇の画像が見つからなかったので、日本人が韓国土産で買ってきた扇子の画像

【3】ココアの缶が映っている
ココアの缶だが、中身は餅に使う調味料が入っていると思われる。

【4】撮影された家の「家系について(両班家系であるか?)」
これについては、意見が様々であり、統一した解説は見られませんでした。
主に3つの要因が見られるようです。
1 1970年代であり、国全体が貧しい時期であったこと。
2 朝鮮時代後期には、金持ちでない両班も多かったこと。
また、家名をお金で買った歴史の浅い両班も増えたこと。
3 安東は、由緒のある家柄が多い地方であること。
※撮影地が安東であることは間違いがありません
全体的な意見としてまとめると、、、。
「この家は、貧しいように見えるから両班ではない」と、判断することはできない。「撮影地が安東であるなら、祭祀お膳や、餅、家の構造、塀などから判断して、両班の可能性が強い」
という意見だと思います。
また、両班ではないと判断するのは、「テレビドラマなどの時代劇では、両班が伝統的な韓屋と、立派な衣装で生活していること」が原因だろうという意見でした。
私は日本人で韓国の伝統文化の感覚は分かりませんので、両班かどうかの判断はできません。
皆様の各自判断にお任せしたいと思います。
とりあえず、「明確な事実」を書いておきます。
■伝統的な床であり、釘を使わない構造である。
■食べ物を作る場所は離れである。
■家の回りを、塀が取り囲んでいる。
■屋根は藁葺き?である。
韓国の70年代は、田舎では伝統家屋はわらぶきの屋根の家が多かった。80年代に消えた。
■真鍮の器が時代が古くて立派である。
■行事の規模がかなり大きい。
■7番目写真の木の葉で餅を作る方法は、両班の作り方の可能性が強い

報告は以上です。
皆様、解説、及びご意見をありがとうございました(*^_^*)
感謝として、おめでたい「餅の花」をご紹介しますw
「餅花(mochihana)」
木の枝に、餅で作った「花」を付けた、装飾品です。
日本の年で一番大きな行事「正月」の飾り物です。

これは、大きな商家か旅館の「mochihana」です。
柳の枝に、餅の花が咲きます。
白い花に見えるのは、花ではなく「餅米を潰して作った味のないmochi」です。
拡大すると、こんな風になっています
これは、小さな室内飾りです。
↓

お米の豊穣を願って作られてきた、装飾品です。
17世紀後半には一般に普及していました。
正月に、家の神棚(神道の祭壇)などに飾りました。
正月が終わると、焼いて食べます。
小豆の粥や、火を使う「どんど焼き」という行事で焼いて食べます。
最近は衛生の問題で捨てる場合が多いです(^^;)
野外の飾りは食べられません。
神社のmochihana

養蚕が盛んな地方では、繭玉を作りました。
繭を使わずに、餅 mochiや土に色を塗った物で作られることもあります。
繭玉は、餅花 mochihanaの一種と考えられます。

屠蘇機嫌三人生酔
歌川国芳(一勇斎)画 国立国会図書館所蔵
『守貞謾稿』(1853)に、繭玉(まひだま)の図として、上の錦絵と同様の絵があります。
また江戸では、元日に浅草寺や神社などでこれを売っており、買った人は酉の市の熊手のように天井に釣ると説明しています。
この餅花に使う、材料は、餅米を潰したものが基本です。
他の材料は使われません(土で作る物は、餅の「代用」で利用しています)
現代でも餅花は、豊作の象徴として、正月飾りに使われ、日本の家を飾っています。
正月前には、市場などで売られるので、写真を撮ったらまた紹介しますね(*^_^*)
餅花の製作風景写真
