日本の餅mochi紹介
まずは韓国の人に、mochi関連の基礎知識を紹介
「赤飯sekihan」は「赤い飯」。
日本人は、祝い事があると、赤飯sekihanを作ります。
赤飯sekihanとは、餅米に、赤い色には、厄除けの力があり縁起が良いと考えられています。
元来、日本で栽培されていたのは、餅米の一種である「赤い色の古代米」でした。
これは、赤くて粘りのある米です。


炊けばそのまま赤い飯が出来ます。
しかし、時代が経過すると、赤い米に比べて、生産効率の良い白い米が多く栽培されるようになりました。
その結果、赤い米は、儀式や、その他の特別な場合でしか使われなくなります(江戸時代の将軍が飲んでいたのは、赤い米から造ったお酒でした)。
白い米では厄よけの力がありません。
そのような理由で、赤い色は「小豆」で代用して着色するようになりました。
これが小豆の赤飯sekihanの由来です。
■小豆の赤飯

餅mochiについて。
日本の餅mochiは基本的に、稲穂から作ります。
逆に言えば、米から作らない餅もありますが特殊な例です。
でん粉や蕎麦を使う餅mochiも、ありますが、ごく少数なのです。
「日本の餅mochi=主な練りの材料は稲穂」
(例外もあります)
おそらく、これが韓国の餅と最も異なる部分ではないかと思います。
餅mochiの歴史は古く、奈良時代には各地から平城京に餅を送ったという記録が残っています。
お祝い事で多く使われる二重に重ねた「鏡餅kagamimochi」が登場するのは平安時代からです。
「鏡餅kagamimochi」は、神に供するため神の象徴である「丸い鏡」の形に型どったことから名前が付けられたようです。
餅は祭事・仏事の供え物として今も昔も日本の文化のハレの日に欠かせない食べ物です。
■江戸時代の鏡餅が写った正月準備の写真(エドワード・モース撮影)


と、文章で書いても、韓国の方にはイメージ的に「mochi」の理解が難しいと思いますので、何回か日本のmochiについて画像で紹介することにしました。
さて、前置きが長くなりましたが、、、、(^^;)
今回は、おめでたい行事の一つとして、子供の成長関連の行事と食べ物を紹介致しますのでお付き合いくださいませ。
日本の子供の「祝い行事」と「祝いの食べ物」
近代以前は、日本では幼児の死亡率は非常に高かったようです。
死亡率が高すぎるので、古い日本の社会では、七歳になるまで人別帳(戸籍)にも記載されません。
幼く体力のない幼児は「7才以前は、神さまの子」といわれており、病気などがきっかけで、神のもとに連れ去られてしま
う存在だったのです。
そのため、子供の成長を願い、定期的に成長を祝う行事が行われたのでした。
子供が誕生しても、霊界からやってきたばかりであり、産神(うぶがみ)の支配下にあると考えられていました。
そこで行事を行い「家族や地域社会に仲間入りした」ことを示しました。
「帯祝い」懐妊祝い
赤ちゃんにとって最初のお祝いは、出産の無事を願う祝い事です。
帯祝いは妊娠5カ月めの戌の日に岩田帯を着け始め、出産の無事を願います。
これから生まれてくる赤ちゃんにとっての初めての儀式です。
昔は、母親に妊婦としての自覚を持たせる意味がある行事でもありました。
妊娠中の女性にはいくつかのタブーがあったので、
平安時代にはあったとされていますが、正確な起源や由来は不明です。
地方によっては、写真のような紅白餅を食べる習慣があります。
中央に、小さな小豆が一粒入っています。
餅を分ける時に包丁を入れて、この小豆が切れると「女の子」、小豆が切れないと「男の子」が生まれるという占いです。

大福餅、丸餅、赤飯などで祝う地方もあるようです。
「出産祝い」
「生後3日目に「三つ目のおはぎohagi(牡丹餅botamochi)」を配る。」という古いしきたりがあります。
ohagiとbotamochiは、名前は違うが同じお菓子です。
なぜ、出産から3日めに配るのかというと、出産した直後は母親が消耗しているので、親しい肉親以外はお祝いに訪れるのは失礼にあたるからです。
丸型や俵型が有名ですが、千葉県北部のぼたもちは違います。
重箱に、あんこ、もち米のご飯、あんこの順に重ね詰め「みつめのぼたもち」と呼ばれています。
切り分けて食べる珍しい牡丹餅(botamochi)です。
みつめとは三日目という意味で、赤ちゃんの誕生祝いに生後3日目に、ぼたもちを作って、配る風習から命名されただそうです。
「お七夜ohitiya」生後7日目
「赤飯sekihan」を炊き、頭つきの鯛を添えてお祝いをします。
この日は名前を披露する日です。
家族だけでなく、産婆や親類縁者を招いて祝宴を行います。
幼児の死亡率が高かった昔は、成長する見込みも立ち、命名式を兼ねたお七夜は重視されてきました。
命名は、お七夜まで親戚の中で長寿の人や、地域の長老に依頼して、名づけ親になってもらうことが普通でした。
当日は、命名書を三方にのせて神棚や床の間に飾り、双方の両親や近親者が集まり祝いの席を囲っていました。
現代では、名前は両親が決めるのが一般的です。
命名書に記入し、床の間やベッドの上などに飾り、双方の両親や兄弟姉妹を招きお祝いの席を持ちます。
両親が名前を決める現代でも、祖父母や親戚の長老に頼む場合もあります。
しかし、いくつかの候補を出してもらい、最終的には両親が決めることが多いようです。
皇室にもお七夜にあたる伝統行事「命名の儀」があります。

「宮参り」生後32または33日目
生後初めて氏神さまにお参りすることは「宮参り」といいます。
男児は生後32日・女児は生後33日に行うのが一般的です。
元来は、生まれた子供を、在住する地方の氏神さまに認めてもらう(氏子入りujikoiri)ことによって、地域社会の一員にするための儀式です。
「お宮参り」という呼び方は、室町時代の頃からといわれています。
当時はお産のあと母親が日常生活に戻る“色直し”の後の吉日を選び、母子揃ってその家の氏子様(鎮守の神社)に参詣します。子供の氏子入り(ujikoiri)をすませたあと、部屋にも飾り付けをして、産神をお祭りするようになりました。
これは、平安時代から行われてきました。
江戸時代には、江戸で、お宮参りの帰途に親戚知人宅にへ挨拶に立ち寄る風習が生まれました。
その後日本各地に風習が広がったようです。

「お食い初め」100日目
赤ちゃんの通過儀礼の中で、最も重要なのが「お食い初めokuizome」と呼ばれる儀式です。
生まれて百日目に行う儀式です。
土地や家によっては、百二十日めに行うこともあります。
子供が「一人前の人間として成長し、一生食べ物に困らないように」との願いが込められています。

またこの日は、乳離れする日でした。
母乳以外の食べ物を、初めて箸を使って与えます。
「箸初め」とか「箸祝い」とも呼ばれる行事です。
子供のために新しい茶碗、皿、箸などが用意されます。
お赤飯に焼き魚が添えられます。
魚は将来、人の「頭kasira」(頭kasiraには、リーダーという意味もある)になれるように、との願いが込められていますので、頭の大きなホウボウやイシモチな どが好まれます。
赤飯は、一粒でもいいから口に含ませるようにします。
小豆の赤い色には、厄除けの力があり縁起が良いと考えられています。
お膳の内容は様々です。
地域によって、内容は様々です。
歯を丈夫にする願いとして、写真のように小石を器に乗せて、赤ちゃんに噛ませるまねをさせることがあります。

初誕生(生後一年)
生後1年目に当る初誕生の祝いは、ムカワレ、ムカワリ、ムカイドキ等といって全国的に行なわれています。
この日に餅をつき赤飯を炊くことが広く行なわれ、親戚近隣を招いて宴会を開きます。
この日の餅は焼いて食べてはいけないという所が多いようです、
また、餅は近隣へ配って大ぜいの人に食べてもらうものでもあります、
この祝いは「初歩きの祝い」でもあり、大きい餅(約1,8キロ)を子供に背負わせたり、踏ませたりします。
地方によってその呼び方は、誕生祝い餅、踏み餅・立ち餅・転ばせ餅・転ばし餅・背負餅(しょいもち)しょわせ餅・力餅・タッタラ餅・・・など様々あるようです。
一升で大きな丸餅ひとつにするのが一般的ですが、地域や、家庭によっては、紅白の丸餅を使う事もあります。

(一升は約1.8キロなのですが、一才の赤ちゃんには、重過ぎてなかなか背負えるものではありません。多くの場合、背負って這ったり、背負ったまま動けなかったり。泣き出したりするようです)
しかし、この一升餅を背負えるかどうかで、その子の将来を占うといった意味合いが込められているようです。
面白いのは、背負って歩けるということを喜ぶ地方と、転ぶことを喜ぶ地方とがあることです。
誕生日前から、早く歩き出した子供は、将来早く家を離れたり、親元から遠く離れて暮らすようになると言って嫌い、餅を背負わせて、わざと突き倒したりする地域もあるようです。(これが「転ばせ餅」・「転ばし餅」の由来です)
また別の地域では、餅を背負わせてから、他の子に小さな丸餅をぶつけさせ、それでも転ばなければ丈夫に育つといって喜ぶそうです。

このようにして、親や家族に見守られ、数々の病気や災難をくぐり抜け、「七 五 三 (sitigiosan)」のお宮参りとなりました。
七 五 三 sitigosan とは、三才五才七才の子供が、神社に参拝することです。
幼児死亡率の高い時代、七才にお参りすることは、子供は「体力のないかよわい存在=神の子」から、「人間」として、社会構成員の一人となることを意味しました。
現在では医療が発達していますが、子供を大事に思う親の心は変化していません。
ですから「七 五 三」の日のお祝いも廃れることなく、続けられています。
