日本のワサビ「HONWASABI」(2)
前回のスレッド
日本のワサビ「HONWASABI」(1)
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pfood&page=2&nid=55652
文献に見られるワサビ(2)
江戸時代以降の山葵の料理と、薬味としての山葵使用について紹介しましょう。
■ワサビ料理
前スレッドでも紹介しましたが、古くから伝わるワサビ料埋として、冷たいみそ汁「寒汁 hiyajiru」があります。
このhiyajiruは、現代でも作られていますから、江戸時代にも当然作られていたと思われます。
さて、ワサビ料理なのですが、ワサビ本体が主役になる料理は、捜してみましたが、古い料理書では、このみそ汁の具しかありませんでした。
■現代でも作られているhiyajiru写真
キュウリと紫蘇入り

現代では、「ワサビの葉の天ぷら」「ワサビの葉のおひたし」などがあるので、江戸時代にも文献があるだろうと考えていたのですが、予想に反して、捜した範疇ではありませんでした。
残念(^^;)
現代の日本料理では、山葵の葉や茎に強い味を付けずに、薄味で調理することがあります。
■ワサビの葉の天ぷら ■山葵の葉のおひたし

■料理書に記載されている「ワサビ」
基本的には、香辛料として使いますが、江戸時代には山葵を使った料理が非常に多くなりました。
料理本の中のワサビを紹介します。
まずは「豆腐百珍」(1783年)

豆腐料理を100紹介した江戸時代の代表的な庶民向け料理本です。
天明2年(1782年)に 豆腐を使った料理100品と その作り方を解説した 「豆腐百珍」が出版され 大ベストセラーになりました。翌年には「豆腐百珍続編」、さらにその後「豆腐百珍余録」が出さ れます。
これ以降豆腐以外にも「○○百珍」というシリーズが次々と出版されました(^^)
●豆腐百珍のワサビを用いた料理
「 揚げながし豆腐」

厚揚げのような感じだが、中は「ふんわり」柔らかい。山葵味噌が美味。
材料 ・木綿豆腐。ごま油。葛湯。 ・ワサビ味噌(味噌、擂り胡麻、胡桃、摺り山葵)。
作り方
(1)豆腐は水気をよく切り、奴に切って油であげます。
(2)鍋から揚げたら、すぐに水に漬け油抜きをします。
(3)煮たてた葛湯で加減よく煮ます。
(4)皿に豆腐を盛り、摺り山葵を加えた味噌をかける。
「鶏卵(タマゴ)田楽」

(1)豆腐は田楽用に下ごしらえします。
(2)串に刺し、醤油をさっとかけ両面を軽くあぶります。
(3)卵に醤油と酒、酢少々を加えよく混ぜます。、
(4)豆腐にこれを塗りあぶります。
(5)これを何度か繰り返し、ケシの実をふり、ワサビをのせて完成。
「包み揚げ豆腐」

「縮緬(チリメン)豆腐」

「雲かけ豆腐」

「引きずり豆腐」

豆腐百珍の続編「豆腐百珍余録」(1788年)
この本には豆腐ときのこの料理が載っていました。
料理名は「秋の山」。
作り方
(1)豆腐の水気を切ってこす。
(2)ハツタケ、マツタケ、マイタケ、しめじなどのきのこ類を味付けして豆腐に混ぜ、箱に入れてよく蒸し、小口切りにする。
※ただし敷き葛練り(葛に砂糖を加えて練ったもの)と水山葵(わさびを薄切りにして、熱湯を注いで冷ましたもの)を使う。
この料理には、ワサビに熱湯を注ぎ、風味を移した液体調味料を使うようですが、仕上げに豆腐ときのこの蒸し物に振りまくのか、豆腐ときのこの練りに加えるのかは不明です(ご存じの方が居たら教えてください)
今回は豆腐百珍ものからいくつか紹介しましたが、全てを調べたわけではありません。
豆腐と山葵の組み合わせは江戸時代の人が好んだ組み合わせのようですから捜せばもっとあると思いますが、今回はこれだけの紹介です(^^)
興味のある方は、是非調べてみてくださいね
★豆腐について
■江戸時代の豆腐売り。
昔はてんびん棒でたらいを担いで売り歩いた
(「守貞漫稿」1853年刊)

豆腐が、一般庶民の間に普及したのは、江戸時代になってからのようです。
元禄期に出版された『本朝食鑑 1697年』には、製法に加え、当時の豆腐事情も記されています。それによると、すでに京都の豆腐はおいしいと評判だったようで、「京都の職人が作った豆腐は、繊細で脆白(ぜいはく)で、まるで雪のようだ」と、絶賛しています。また、江戸でも京都からやってきた職人が腕をふるっていたようです。
この約90年後、豆腐のバリエーションを楽しむために出版されたのが 豆腐百珍です。
『甘藷百珍』1789年

「でんがくいも」
(1)生の芋をすり下ろす
(2)薄型の箱に入れる
(3)箱に入れたまま蒸す
(4)加熱を終了したら、切って、串に刺す。
(5)味噌をつけて、少し火で炙る
※未會(みそ)は木の芽醤(みそ)・山椒醤・山葵未會(ワサビ味噌)なと、好みによるべし。
芋を直接焼くのではなく、すり下ろして蒸し固めた後に切り分けて焼くという手間のかかった料理です。
これに用いるのが、「揚げながし豆腐」にも登場した「山葵味噌」ですね。
★サツマイモ(甘藷)について

甘藷(サツマイモ)は江戸時代初期(1600年代)に中国経由で日本に伝播した作物です。
伝播後は地方で作られていましたが、飢饉対策として有効であることが評価されました。
享保20年(1735年)11月、「青木昆陽」によって、江戸ではじめて甘藷の栽培に成功します。
4400個の甘藷が収穫され、これ以降、「甘藷」は大量生産されるようになります。
■青木昆陽(別名を甘藷先生と呼ばれる)

『甘藷百珍』の出版は、それからわずか、50年後。
50年の間に、専門の料理書が出版されるほど庶民に普及し、親しい作物となっていたようです。
親しい作物となっていたことについては、甘藷百珍のような料理書出版だけでなく、現代でも以下のような言葉が残っていることからも分かります。
「栗よりうまい十三里半」
これは、焼き芋屋の宣伝文句なのです。
■現代の焼き芋屋の看板
「栗より旨い十三里半」

甘藷が江戸周辺で栽培されるようになると、江戸周辺でやきいもが名物として大量に消費販売されることになりました。
甘藷は甘味が強く、人々の絶好のおやつでした。
それは栗よりもおいしいと、評価されました。
そこで「栗(9里)より(4里)うまい」ということで(9+4=13)13里。
それよりおいしいということでおまけの半里をたして十三里半、という言葉遊びだったのです。
当時の人々には甘藷が大人気だったことが伝わってきます。
なお、「1里」は今の3.93kmにあたります。
■江戸時代の焼き芋屋

次回は江戸時代の「ワサビの漬け物」について紹介する予定ですw