日韓のお友達、こんにちは。
さっそくですが、「焼肉」についての韓国のスレッドの検証を行いたいと思います。
まず、韓国人が必ず。
必ずといっていいほど資料に挙げる、この記述をお読みください。
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http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pfood&nid=54903
Yakinikuは Bulgogiの日本式名称だ | グルメ
No.46663 投稿者: 8inni8 作成日:2007-09-10 05:12:34
Bulgogi
焼肉は一般的に高句麗時代の肉焼き物である ‘メックゾック’でその来由を捜すことができる.
‘脈’と言う(のは)中国の東北地方を示す言葉で高句麗を指称する. ‘メックゾック’と言う(のは)くしに挟んであらかじめ調味しておいた肉を直化(直接火機運が触れ)に焼くことで焼き網が出た後にはくしに通す必要が消えて今のような焼肉になったという説がある.
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韓国の焼肉(Bulgogi) | グルメ
No.43478 投稿者: phukk 作成日:2007-07-12 00:43:59
1. メックゾック(貊炙), 味付けの焼き肉 - Bulgogiの 始祖, 一番古い歴史を持った Bulgogi
メックゾック(貊炙)は韓国人の直接的な先祖中の一つの付与族(夫余族)の一派メックゾック(貊族)の料理として, 3世紀中国チン(晉)国 <受信機(捜神記)>に '章(醤)とニンニクで料理して火に直接焼く.'と料理法が記録されています. 味付けをするようになったきっかけは... 古代の沼(牛)は農業や輸送に利用されたので, 肉質が非常に強くて良くない風味がありました. 肉質を柔らかくして風味を良くして, もっとおいしく肉を食べるために味付けをするようになります. 非常に自然な発達過程だと言えます.
過去の韓国焼肉起源スレッドを確認してみましたが、韓国焼肉の起源は「メックゾック(貊炙)」。
この文章は必ず書かれていました。
高句麗時代から、現代まで続いてきた伝統的韓国料理、「メックゾック(貊炙)」
では、どんな物なのか、確認してみましょう。
文章の中には、《捜神記》※という中国の書物の名前が確認できます。
※捜神記(そうしんき)は、中国の東晋(とうしん 317年 - 420年)の「干宝」が著した志怪小説集。『隋書』
「経籍志」などによると、もとは30巻あったというが、散逸し、現行の20巻本は、後の人が蒐集して再編したもの。
つまり、メックゾック(貊炙)は317年 - 420年に存在していた料理だということですね。
では、中国では、どのようにメックゾック(貊炙)は紹介されているのでしょうか?
『捜神記』『晋書』『宋書』に記述が見られます。
『晋書』(しんじょ)は中国晋王朝(西晋・東晋)について書かれた歴史書。二十四史の一。唐の648年に太宗の命により、房玄齢・李延寿らによって編纂された。帝紀十巻・載記(五胡の単于・天王・皇帝に関する記述)三十巻、列伝七十巻、志二十巻によって構成される紀伝体。
『宋書』(そうじょ)は中国南朝の宋について書かれた歴史書。宋・斉・梁に仕えた沈約が斉の武帝に命ぜられて編纂した。本紀10巻・列伝60巻・志30巻の計100巻からなる紀伝体。二十四史の一つ。
作者は、南斉・沈約
《晋書》巻二十七 志第十七 五行上 貌不恭 服妖
泰始之後,中國相尚用胡祷貊槃,及為羌煮貊炙,貴人富室,必畜其器,吉享嘉會,皆以為先.
《宋書》巻三十 志第二十 五行一 服妖
晉武帝泰始後,中國相尚用胡床、貊盤,及為羌煮、貊炙。貴人富室,必置其器,吉享嘉會,皆此為先。
上の2つの書物の記述はほとんど同じです。
(訳)
泰始年間(265~274年)以来、中国の人々の間では、胡祷(えびすの祈り→ゾロアスター教の礼拝?)や貊槃(貊族のたらい)や、羌煮や貊炙がもてはやされた。
貴族や金持ちの家には必ずこういった器物があった。
祝い事があって祝宴が開催されると、皆必ずこういったものを出した。
これらの記述は、「中国の文化ではない異国の文化が流行ったので、五行が乱れて戦乱が起こる凶兆」として紹介されているようです。
では『捜神記』を確認しましょう。
《捜神記》巻七
胡床,貊槃,翟之器也.羌煮,貊炙,翟之食也.自太始以來,中國尚之.貴人,富室,必畜其器.吉享嘉賓,皆以為先.戎翟侵中國之前兆也.
胡床、貊槃と言ったものは外国人の物品である。
羌煮や貊炙といったものも外国人の食べ物である。
泰始以来、中国ではこれを尊んで、貴族や金持ちの家には必ずこういった物品があった。
祝い事や大事なお客様が来た時には、皆必ずまずはこういったモノを出した。
戎狄が中国に侵入する予兆である。
やはり、国の害悪の予兆=不吉なアイテムとして紹介されています。
戎翟侵中國之前兆也.
『宋書』は南斉(479年 - 502年)で成立しています。
『晋書』は唐代(618年 - 907年)の成立です。
一方、『捜神記』は東晋・干宝の著作です。
記述内容が一致する点から、『捜神記』の記事を元に「宋書」と「晋書」が書かれたと考えるべきでしょう。
『晋書』は志怪小説から、引用を多様としたと評価されている書物です。
『捜神記』からの引用である可能性が非常に高いですね。
ここまでの記述をまとめます。
『貊炙』は、珍しい、客をもてなす食品であった。
同時に不吉なアイテムと後世では評価されていた。
では、その『貊炙』は、どのような食べ物だったのでしょうか?
韓国人の説明では
3世紀中国チン(晉)国 <受信機(捜神記)>に '章(醤)とニンニクで料理して火に直接焼く.'と料理法が記録されています.
なるほど。
醤とニンニクで料理して火に直接焼く料理ですか。
そうですか。
なんだか、現代の「韓国焼肉」をイメージさせますね(*^_^*)
■韓国焼肉


ここで日本の資料を紹介致しましょう。
★日本の資料
佐々木道雄『焼肉の文化史』明石書店
後漢代(25~220年)の物名の解釈書『釈名(しゃくみょう)※』に「(羊を)丸ごと焼いて、それぞれナイフで切って食べる。異民族の貊族から来た(料理)」と記されている(張競『中華料理の文化史』ちくま新書、1997年)。
貊族は中国東北の扶余族、つまり高句麗(前1世紀後半~668年)のことだとされるから、後漢代の中国に、高句麗の羊の丸焼き料理(貊炙 ばくせき)が伝えられていたことが分かる。
貊炙は中国晋代(265~420年)の書『捜神記』にも見られ、“羌煮(きょうしゃ)”と“貊炙”は異民族の料理であるが、昔から尊んで、歓迎すべき客には必ずこれを供えたとある。
『焼肉の文化史』P31
※「釈名」は中国古代の字典。後漢・劉熙の撰。本書は《四部叢刊・経部》影印江南図書館蔵の明・嘉靖翻宋本を底本とし、体例に関する諸説を収集する。
、、、、羊の丸焼き?

醤とニンニクで料理して火に直接焼く料理ではなかったのでしょうか?
日本人の記述では韓国の友人は納得しないでしょう。
中国人の著書を紹介しましょう。
張競『中華料理の文化史』ちくま新書
「貊炙(ばくせき)」(牛か羊の丸焼き)は「羌煮」とともに魏晋のときに中原地帯に伝わった「洋食」のひとつである。
『塩鉄論』「散不足」にすでに見られるが、『晋書』巻二十七「志第十七・五行上」によると、この料理は一時たいへん人気があった。
貴族や官吏から庶民にいたるまで、好んで食べた。
ただ、詳しい作り方については記録がない。
『釈名』にはただ「(羊を)丸ごと焼いて、それぞれナイフで切って食べる。異民族の貊(ばく)族から来た(料理だ)」と記録されているだけである。
張競『中華料理の文化史』ちくま新書 P095~096
、、、やはり、羊の丸焼き、と書かれています。
『釈名(しゃくみょう)』原文を捜してみましょう。
間違いかもしれません。
中国人が自国食文化を紹介してる文章の中に、該当箇所と思われる、「釈名=释名※」の原文引用がありました。
※释は、釈の中国語表記
http://zhidao.baidu.com/question/3963876.html?fr=qrl3
与此同时,西域的烹饪方法也传入中原,如乳酪、胡饼、羌煮貊炙、胡烧肉、胡羹、羊盘肠雌解法等都是从西域传入中原地区的。
在汉代传入的诸种胡族食品到魏晋南北朝时,已逐渐在黄河流域普及开来,受到广大汉族人民的青睐,其中尤以“羌煮貊炙”的烹饪方法最为典型。所谓“羌煮”即为煮或涮羊、鹿肉;“貊炙”类似于烤全羊,《《释名》》卷四“释饮食”中说:“貊炙,全体炙之,各自以刀割,出于胡貊之为也。”正是由于“羌煮貊炙”鲜嫩味美,受到广大汉族人民的青睐,因而逐渐成为胡汉饮食文化交流的代名词。另一方面,汉族也不断向西域、周边少数民族输出中原的饮食文明。这其中既有产于中原的蔬菜、水果、茶叶,也有食品制作方法等。1992年在新疆吐鲁蕃发掘的唐墓中,就出土过一种梅花型带馅的点心,十分精致,还有饺子,这些食品的制作方法显然是从中原传过去的。
この部分ですね
《《释名》》卷四
“释饮食”
中说:
“貊炙,全体炙之,各自以刀割,出于胡貊之为也。”
調理法に注目
全体炙之,各自以刀割,
(訳)「(羊を)丸ごと焼いて、各自がナイフで削って食べる」
■羊

■羊の丸焼き

■韓国焼肉


似てますか?
まとめ
貊炙という料理が、当時の中国で一世を風靡する、人気の料理だったことは間違いありません。後世では不吉なアイテムと評価されましたが。
しかし、中国の書物には具体的な調理法などがほとんど記載されていません。
判明しているのは羊の丸焼きであることです。
ですから、この「貊炙」が、現代の韓国で楽しまれている「焼肉」の正統な説明となるのかどうかというのは、疑問が残ります。
現代韓国の「焼肉」が、「羊を丸ごと焼いてナイフで削って食べる」形式なら説得力がありますが、、、(-_-)
韓国で、どのような、過程を辿り、羊の丸焼きから、現代の肉を切って作る「焼肉」という形式になったのでしょうか?
発達過程で料理の原形が無くなることは珍しくないことです。
例えば、日本の寿司の場合は、このように、時代の経過に伴い変化します。
世界各国に存在する「魚+米+塩」の発酵食品(日本はhonnnarezusi)

アレンジ
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しかし図のように、「寿司の変化」の経緯、過程は明確です。
一体、どのような、過程を辿り、羊の丸焼きから、現代の肉を切って作る「焼肉」という形式になったのでしょうか?
上の寿司のような「過程」を教えてください。
高句麗時代から継続している「焼肉」が誇らしい、韓国人の皆さんの明確な返答を期待致します。
次回は韓国人の皆さんが誇る「雪夜覓」についての考察です。