「千利休と犬茶碗」、、、、、朝鮮茶碗は犬飯椀(*^_^*)?
エンジョイの韓国人は朝鮮製の抹茶椀を「犬茶碗」と評価する。
そして、それを国宝と評価している日本人や茶道を嘲笑する材料に、しばしば用いる。
■わんわんと食器(*^_^*)

「犬茶碗を珍重する」と嘲笑する韓国人の気持ちも理解できる。
半島で製作された当初は安価な雑器であったと、容易に想像できるからだ。
金属器など使えない、貧しい階層の庶民が、割れるまで日々の食事に使う食器。
割れたり欠けたりすると、犬の茶碗に用いるような素朴な日常雑器。
それ以外の使い方があるとは、器の制作者も、出荷した商人も、想像もしなかったし、出来なかっただろう。
大量生産品の「朝鮮庶民用茶碗」は、梱包されて、外国への船に乗せられたに違いない。
朝鮮国内で生産されていた磁器と比べると、これらは非常に安価だったはずだ。
■朝鮮茶碗
韓国人が「汚い犬茶碗」と評価する、日本の国宝。
韓国人の評価の通り、「人工的な技術とは無縁の茶碗」。
形は歪み、完全な円形ではない。釉薬も不完全。

日本人の有識者「柳宗悦」も、この茶碗ついて評価している。
その前半部分を紹介しよう。
『茶と美』
「喜左衛門井戸を見る」より抜粋+翻訳掲示板用に一部文章改訂。
「いい茶碗だ─だが何という平凡極まるものだ」
私は即座にそう心に叫んだ。平凡というのは「当たり前なもの」という意味だ。「世にも簡単な茶碗」、そういうより仕方がない。どこを捜すしても、おそらくこれ以上平易な器物はない。平々坦々たる姿である。何一つ飾りがない。何一つ、隠された意図がない。尋常これに過ぎたものとてはない。凡々たる品物である。
それは朝鮮の飯茶碗だ。それも貧乏人が普段に使う茶碗だ。全くの下手物だ。典型的な雑器だ。一番値の安い並物だ。
作る者は卑下して作ったのだ。個性など誇る意図はない。使う者はこの茶碗を、無造作に使ったのである。自慢などして買った品ではない。誰でも作れる茶碗。誰にでも、製作できたできた茶碗。誰にも買えた茶碗。その地方のどこででも得られた茶碗。いつでも買えた茶碗。それがこの茶碗のもつありのままな性質である。
それは平凡極まるものだ。土は裏手の山から掘り出した。釉は炉からとってきた灰だ。轆轤は心がゆるんでいる。形に工夫は必要ない。数が沢山できた品だ。仕事は早い。削りは荒っぽい。手はよごれたままだ。釉をこぼして高台にたらしてしまう。室は暗い。職人は文盲だ。窯はみすぼらしい。焼き方は乱暴だ。引っ付き(焼き物の表面に汚れや穴)がある。だがそんなことにこだわっていない。余裕がない。安ものだ。誰だって器に夢など見ていない。こんな仕事を生活するのは止めたいのだ。焼物は下賤な人間のすることだ。ほとんど消費物だ。台所で使われたのだ。相手は土百姓である。盛られるのは色の白い米ではない。使った後清潔に洗われない。
朝鮮の田舎を旅したら、誰でも、この光景に出会うだろう。
これほど、どこにでもある品物はない。これがまがいもない、天下の名器「大名物」の正体である。
■朝鮮茶碗
だが、これら無名の職人が作った「朝鮮下層庶民用茶碗」を評価し、愛した人物が、偶然、一七世紀、極東の島国にいた。
当時茶人(茶道の先生)として、日本一の有名人であった千利休だ。
■千利休

大永2年(1522年) - 天正19年2月28日(1591年4月21日))中世末期、安土桃山時代の茶人。何も削るものがないところまで無駄を省いて、緊張感を作り出すというわび茶(草庵の茶)の完成者として知られる
彼が、現代の茶道の基本を完成させたと言ってもよい。
茶道に関わる、建築、料理、作法など、全てのことに多大な影響を与えた人物だ。
千利休は、上級武士や資産家の師であり、尊敬される立場だった。
多くの器を見る機会があった千利休は、朝鮮茶碗以外の国の茶碗、、、、例えば、「中国最高の技術を用いた磁器」も見ていただろう。
利休以前の茶の湯で使う茶碗は、中国製品が最上であると評価されていた。
■中国の茶碗 「曜変天目」

中国で宋時代に作られたが、残っているのは日本の3点だけ。非常に貴重なもの。
日本には留学僧が持ち帰ったとされる。
中国自身ではこの妖しさに恐れをなして、あまり好まれなかったともれ伝え聞く。
現代の技術で復元しょうとしても復元できない。だから偽物も出まわらない。
では、なぜ、利休は、この茶碗ではなく、朝鮮茶碗を好んだのだろうか?
利休の思想と朝鮮椀
千利休の『利休七則 ※』には、次のような言葉がある。
※茶の理想を表した言葉
「花は野にあるように」
「花は、自然の中で咲いているように、茶道会場※に置きなさい」
これはどういう意味だろうか?
■茶道会場の花

まず、茶花には山野に咲く花を使いなさいという制限の意味が含まれる。
茶道に用いる花には、人工改良された、匂いや色や形が派手な花は好まれない。人工的で、自然ではないからだ。
これは、「人工的である」という理由から「中国製の磁器」を拒否した千利休の嗜好とも共通している。
そして、この言葉は、「茶室に、山野の花をたくさん移植した鉢を置け」という意味ではない。
また、「茶室の花瓶に、山野の花をたくさん切り取って飾りなさい」という意味ではない。
自然のままの状態で咲く花は、不規則に咲き乱れている。
自然界は弱肉強食である。
種子を残そうと、植物たちは競争しながら成長する。
美しい状態の物も、枯れかけて見苦しい物も渾然一体としている。
野に咲く花は、野趣溢れて、暴力的な生気を放つ。
生々しいのだ。
■1 秋の野原
日本の美は「何もない空間」で表現される場合が多いが、この「茶花」も例外ではない。
■2 秋の茶花(萩)
余分な枝葉を処理しているので「無の空間」が生じているのが見えるだろう。
「野の花が咲いている」ように見えることを目指して生けられているのだ。
(1)(2)を見比べて想像してほしい。
咲いている花を適当に鋏で切り取り、器に大量に飾った図
おそらく、賑やかで人工的な雰囲気になるはずだろう。
そして、2のような、「自然さ」は生じないだろう。
利休が朝鮮椀を好んだ理由も、「茶花」と同じだったのではないだろうか。
「茶花」とは、花の性格を見極めて、余分な枝葉を落とし、対象物の本質を表現させてやるということだ。
花器は装飾的な物ではなく、花を引き立てる物を選ぶ。
野の花は、山野や庭から採取するが、傷のない、美しい部分を選ぶ。
そして、自然な造形美を損なわないように、不必要な枝や葉を削除する。
そのような手順で成形することによって、茶室に、「一輪の花が自然に咲いているように見える」空間が出現する。
朝鮮椀も同じような効果を、茶道での使用時に発揮する。
土塊の風情を残したまま、茶碗という器の仕事をする。
人工物であるのに、自然物のおおらかさがあるのだ。

「茶の湯」で使う、器として、「犬茶碗」をもう一度見なおしてみよう。
すると、茶碗は別個の物に変容するかもしれない。
「喜左衛門井戸を見る」の後半部分。
『茶と美』
「喜左衛門井戸を見る」より抜粋+翻訳掲示板用に一部文章改訂。
(後半)
だが「それ」でいいのだ。それだからいいのだ。それでこそいいのだ。
そう私は読者にいい直そう。坦々として波瀾のないもの、企みのないもの、邪気のないもの、素直なもの、自然なもの、無心なもの、奢らないもの、誇らないもの、それが美しくなければ何が美しいのだろうかであろうか。
謙るもの、質素なもの、飾らないもの、それは当然人間の敬愛を受けていいのである。
それに、何よりも健全だ。用途のために、働くために造られたのだ。それも普段使いに売られる品だ。病弱では用に適わない。自ら丈夫な体が必要とされる。そこに見られる健康さは用から生まれた賜物だ。
平凡な実用こそ、作物に健全な美を保証する。

「そこには病に罹る機縁がない」と、そういう方が正しい。
なぜなら貧乏人が毎日使う平凡な飯茶碗だ。一々凝っては作らない、それ故技巧の病いが入る時間がない。それは美を論じつつ作られた品ではない、それ故意識の毒に罹る場合がないのだ。それは甘い夢が産み出す品ではない、それ故感傷の遊戯に陥ることがない。それは神経の興奮から出てくるのではない。それ故変態に傾く素因をもたない。それは単純な目的のもとにできる。それ故、華美な世界からは遠のく。なぜこの平易な茶碗がかくも美しいか。それは、実に平易たる「そのこと」から生まれてくる必然の結果なのだ。
非凡を好む人々は、「平易」から生まれてくる美を承知しない。それは消極的に生まれた美に過ぎないという。美を積極的に作ることこそ我々の務めであると考える。だが事実は不思議である。いかなる人為からできた茶碗も、この「井戸」を越えたものがない。そうしてすべての美しき茶碗は自然に従順だったものだけだ。作為よりも自然が一層驚くべき結果を産む。詳しい人智も自然の叡智の前にはなお愚かだ。「平易」の世界から何故美が生まれるか、それは必ず「自然さ」があるからである。
自然なものは健康だ。美にはいろいろあるが、健康に勝る美はない。なぜなら健康は常態だからだ。最も自然な姿だ。人々はかかる場合を「無事」といい、「無難」といい、「平安」といい、また「息災」という。禅語にも「至道無難」というが、「難がない状態」より讃えられるものはない。そこには波瀾がない。静穏の美こそ最後の美である。『臨済録』にいう、「無事は是れ貴人、造作することなかれ」と。
何故「喜左衛門井戸」が美しいか?
それは「無事」だからだ。
「造作したところがない」からだ。
孤篷庵禅庵にこそ、あの「井戸」の茶碗は相応しい。
見る者に向かって常にこの一公案を投げるからである。

私個人の感想も追記しておく。
朝鮮椀の、歪んだ素朴な姿は、なにかのきっかけで、素材である土塊に戻りそうな不思議な情緒がある。
人工物でありながらも、土の自然物の趣が感じられる、独特な器である。
自然の素材に近しい形の造形物が朝鮮椀だ。
それを「犬椀」と評価するか、「茶碗」と評価するかは、見た物の感受性や価値観の問題だ。
最後に、朝鮮茶碗が輸入された当時の状況について説明しておこう。
千利休が生きた時代は、大航海時代だ。
外国の陶磁器が大量に日本に輸出されていた時代である。
当時の遺物からは大量の磁器の器が発掘されており、中には外国製品も珍しくはない。
東アジア・東南アジアの器である。
日本茶道には、外国製品の茶器が珍重されていたが、「外国製の器」が無条件に珍重されたのではない。
韓国人はよく誤解しているが、「全ての外国製品」が「宝物のように評価」されたのはないのだ。
■同時期の日本製の茶碗
外国製品だけでなく、これらの評価も、当時から高かった


その中の、千利休のような「日本人の有名な茶人」の「審美眼を満足させた器だけ」が、珍重されたのである。
日本一の茶人(茶道の先生)、千利休に評価された結果、朝鮮では安価で庶民用であった「雑器」は、朝鮮本国では想像も付かないような価格で取引され、現在でも日本の重要文化財となっている物が多数ある。
さて。
あらためて、あなた達、韓国人に質問しよう。
これは何に見えますか?



