まじめな寿司のお話(質問への答え)
こんにちは、日韓のみなさん。
このスレッドは、以前私が立てた「寿司」シリーズの外伝です。
内容は、シリーズ全部とリンクしておりますので、全てのスレッドを読んでから、このスレッドを読んでください。
でないと、意味が理解できないと思われます。
文がたくさんですけど、お願いしますね♪
まじめな鮨のお話(前編)「♪世界各国に存在する発酵鮨♪」
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pfood&nid=36469&st=writer_id&sw=0020
概要
「塩と動物性蛋白質と米(穀物)で作った、発酵食品は、タイ・ベトナム・韓国・中国 その他アジア各国に存在する。
日本名は「なれ鮨 narezusi」である」
まじめな鮨のお話(後編1/2)「♪日本が発明した無発酵鮨=はやSUSHI♪
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pfood&nid=36817&st=writer_id&sw=0020
概要
日本人の発明♪発酵させずに、酢で飯を味付けした「はや寿司HAYASUSHI」誕生
発酵→無発酵の歴史+作り方とバリエーションも紹介しております
まじめな鮨のお話(後編)「♪日本が発明した無発酵鮨♪(2/2)」
副題「(江戸の郷土料理)=江戸前握り鮨」
概要
江戸の郷土料理「握り寿司」。
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pfood&nid=46630&st=writer_id&sw=0020
全国的に有名だった握り寿司が江戸都市にしか存在しなかった理由を説明しています。
投稿者名は以前は0020でしたが、現在は0020_となっております。
パスワード入力時にバグがでてログインできなくなった(^^;)ので、IDを変更しました。
名前が違いますが、同一人物が作成した物ですので、ご了承ください。
3回続いた日本の寿司シリーズですが、今回は前回のおまけ。
前回のスレッドで、質問された事柄に、お答えしていこうと思います。
前回のスレッドにこのようなクイズを載せました
下の写真は江戸時代の寿司です。
この中で、一番高い寿司はどれでしょうか?
1● 2●
3● 4●
5● 6●
1あなご 2まぐろ 3こはだ 4白魚 5卵巻き 6赤貝
正解は5の卵巻きだったのですが、このような質問が出ました。
chiii 氏 質問
当時一番高かったのは白魚ではないか?
ところでクイズの答えは、しろうおに一票かな。
当時佃島の名産で高価に取り引きされていたとどこかで読んだ記憶があります。
正直に告白します。
具体的な価格までは調べていなかったので、自信がなくなりました(^^;)
そこで、再度、江戸都市の「白魚」と「寿司の価格」について調べてみました。
江戸都市の「白魚」について
「夜や寒く白魚に出る佃島」俳句
意味 夜は寒い。 白魚の漁の舟が出て行く。佃島の光景である。
●出航する佃島の舟の図

江戸庶民に親しみを持たれた食材の「白魚」ですが、江戸にはいくつかの有名な漁場がありました。
特に、この俳句に出てくる、「佃島」という地名の漁師は白魚漁の特権を持っています。
漁場を貰うかわりに、将軍に魚を献上していたのです。
佃では白魚漁の最盛期が旧暦11月から3月までです。
俳句で「寒い」と強調されている意味がわかりますね(^^)
●白魚漁に出る漁船の絵
かがり火を焚いて、夜に漁をします
白魚漁は絵のように、夜ふけにかがり火をたき、四つ手網ですくうものです。
舟の帆に見える物が、網です。
この絵は江戸初期からの伝統的な「白魚漁」で、かなり写実的に描かれています。
漁を行うときは、水面に、船上の火が反射し、幻想的な美しい風景となります。
その光景は、江戸随一の風物詩と呼ばれて、特に品川や高輪の茶屋の二階から望むのが絶景とされていました。
とても情緒がありますね。
また、隅田川も、水が清く、白魚の名所でした。
『守貞謾稿』(1853)
「白魚は江戸隅田川の名物とす。細かき網をもってすくひとる。夜は篝(かがり)してこれを漁(すなど)る。」
●隅田川夜渉しの図 豊原国周画 国立国会図書館所蔵
漁の方法について説明します。
四手網は敷網の一種で、川の中に沈めておき、時々引き上げて中に入った魚をすくいとるものです。
この漁は、光景が非常に美しいので、絵のように、江戸庶民が舟をレンタルして、見物に出かけるほどでした。
白魚は白色透明で、全長10センチほどの細長い優美な姿の魚で、サケ目シラウオ科に分類されます。
白魚はシロウオとも読み、これはスズキ目ハゼ科の魚で別種のものですが、よく混同されています。
白魚料理には、酢の物、揚げ物、吸物などがありますが、『新撰会席しっぽく趣向帳』(1771)に、「白魚そばきり仕立」という珍しい料理があります。「白魚を煮上げ 花がつお おろし大根 浅草海苔 ちんぴ 唐からし そばきり汁を上よりかけ出す也」というもので、そばの代わりが白魚になっています。
白魚の値段と寿司の値段
『柳多留』に「佃島女房は二十筋かぞへ」の句があります。
佃島の漁師の妻は、小さな白魚を一尾ずつ数えて売買したという意味の俳句です。
このことから、白魚は高級魚だったと思われます。
『守貞謾稿※』に掲載された、天保(1830~44)末頃のすしの様子と値段。
1文=約20円~30円くらい(相場により変動)
※守貞謾稿(もりさだまんこう、守貞漫稿とも)は、江戸時代の風俗、事物を説明した一種の百科事典である。著者は喜田川守貞。起稿は1837年(天保8年)で、約30年間書き続けて全35巻(「前集」30巻、「後集」5巻)をなした。
(本文)
天保府命(有明な天保の改革老中水野越前守忠邦が天保12年(1841)に発した政治改革で極端な贅沢禁止令が行なわれた)の時貴価の鮓を売る者200人余人を捕まえ、手鎖にする。その後皆、4文、8文のみ。
府命、ゆるみて、近年2,30文の鮓を製するものあり・・・・
散らし、五目鮓に椎茸、きくらげ、玉子焼、紫のり、めじそ、蓮根、筍、鮑、海老、の魚肉は生を酢に漬けたる等、皆、細かく刻み、飯に交え、丼鉢にいれ、表に金絲玉子焼きなどを置きたり、丼と云うは、一人分を小丼鉢にいれて、価、100文或いは150文也・・・
(訳)1841年の事件に、贅沢禁止令に違反した寿司屋200人ほどが、捕まり、軽い処罰を受けた。その後、全ての寿司が、1個、4~8文だった。(80円~200円くらい)。しかし、数年後、規制は弱まり、1個20~30文の寿司もある。非常に豪華な、寿司は、100文~150文
■具体的な値段表
箱押しずし(方四寸)48文。
コケラずし(鶏卵焼、あわび.鯛等)64文。
毛ぬきずし(握りずしを熊笹に巻く)1個6文。
江戸今製の握りずし(江戸前握り寿司)の価格。
鶏卵焼、車海老、海老ソボロ、白魚、マグロサシミ、コハダ、アナゴ甘煮長のまま。
以上の価格8文鮓也。
玉子巻は16文程である
他に、高価な寿司が多く、1個4文から5,60文である。

どうやら、江戸時代は、卵が一番高価だったようです。
5番で正解でした(^^;)
寿司の価格について
寿司は、庶民のファーストフードでしたが、超高級寿司も存在しました。
高級ブランド「松すし」が非常に高価であったことを示す文献。
松浦静山(1760~1841)『甲子夜話』
近頃、大川の東、安宅に、松鮓と呼ぶ新製あり。松とは売る人の名なり。これよい味、一時、最賞用す。この鮓の価、ことに貴く、その量、五寸の器、二重に盛て、小判三両に換えるとぞ。これを制するもの、鮓、成て、これを試食し、その味、意に適はざれば、即ち、棄てて顧みずと云う
最近、大川の東の、安宅に松すしという、新製品がある。「松」とは、寿司を売る人の名前。非常に良い味、姿。高級品である。5寸の器(直径約15㎝の皿)に2重に重ねて盛る量が、3両である。
当時の物価は1両5万円~8万円ですから、15~24万円です。
異常に高価な寿司ですが、味に納得した者は、その代金を支払って後悔しなかった、と書かれています。
上流階級の贈答用品に使われてもいたようですね。
●松の寿司 超高級品、贈答用品としても喜ばれれた
●当時の松の寿司の広告(江戸時代の江戸都市グルメガイドブックに掲載)
調べていて、面白いことをコメントしていた料理研究家がいました。
「一番安い寿司の価格」は、現代の回転寿司と同じである。
安い寿司は、江戸時代、1個80円から100円。
現代の日本で食べられている庶民寿司、回転寿司の一番安い皿が、100円程度。
マクドナルドのハンバーガーは100円。
ファーストフードの最低価格は、時代を超越しても、似るのでしょうか?
●回転寿司

●ハンバーガー

●江戸の寿司屋風景(庶民の軽食店として大人気)

marich77 氏 質問
御刺身がおいしいという側面で接近... 醗酵寿司形態はアジアいろんな所で発見されるが保存食べ物性格が強い. 韓国の式しても魚を保存する側面が強い. 寿司の真正な意味を御刺身の味を極大化させたことで捜したい. 0020_さん私が見た本や日本人の説明と当たらない部分が見えます. この部分に対しての調査お願い致します。
●ミャオ族の発酵寿司

●ボルネオの発酵寿司

●日本の無発酵寿司

つまり
日本の寿司と、アジアの寿司には大きな違いがあるが、なぜ、日本だけが特殊な形に変化しているのか?
他の国と共通点がないのは何故か?
という質問でした。
結論から述べます。
日本人が、白米好き+刺身好きな民族であるからです。
また、インスタント化を好む特色も挙げられるでしょう。
世界各国では保存目的で作られた発酵寿司ですが、日本人は酢を混ぜることによって、無発酵のまま、発酵寿司の味を表現しようとしました。
日本の寿司は、上に挙げた生魚が酢飯に乗ったスタイル「無発酵寿司」が有名です。
しかし、当初はこのような姿でした。
↓
●日本の発酵寿司(一年熟成)

日本の発酵寿司(30年熟成)

上の、アジアの発酵寿司と似たような姿ですね。
ここから、徐々に、発酵期間が短縮されます
↓
●発酵期間7日

↑
ここまでは発酵寿司(保存食品)
壁
ここから無発酵寿司(保存食品ではない食品)
↓
●無発酵寿司(生の魚は使わない寿司)

↓
●江戸時代の無発酵寿司
生の魚も使用するが(まぐろ参照)、調味料に漬けるなどの防腐加工を行う

↓
●現代の無発酵寿司
防腐処理を行わない、生魚(刺身)使用

視覚的に経緯が理解できたでしょうか?
発酵寿司→無発酵寿司の、当初の目的は、寿司のインスタント化です。
壁を通過したときに、完成しました。
無発酵寿司は、発酵寿司のように長期間の保存は出来ませんが、当然です。
「発酵製作」を捨てた(壁)の時点で、長持ちさせることではなく、作ってすぐに食べられる利点を、日本人は選択したからです。
しかし。
時間短縮が目的であったなら、壁の時点で、寿司の進化は止まっていたはずです。
では、なぜ、「加熱した具→防腐加工した具→刺身を具」の過程にたどり着いたのでしょうか?
前スレッドでも説明しましたが、日本人は、米好き、刺身好きです。
その嗜好に合わせて発明されたのが、握り寿司だからです。
江戸時代の刺身
江戸時代の刺身について説明します。
刺身の材料は例外なく「生魚」です。
「新鮮」であることが必須条件です。
ですから、刺身用の魚をなるべく新鮮に保つように、日本人は工夫しました。そのための技術・施設が発達していたのです。
(例)関西地方、大阪、京都
水路が発達した、大阪では、舟の中に「生け簀(水槽)」を作り、「川の道」から、川沿いの料亭(高級料理屋)や店などに、魚を運んでいました。
また、大阪、京都の料亭では、淡水魚用の生け簀を、店に設置し、需要に応じて客に刺身が提供できるように、魚を飼っていました。
(例)江戸※現在の東京
日本橋付近には、海水魚の生け簀があり、料亭に提供する商売がありました。
また、料亭にも、大阪、京都同様、生け簀が設置された店は少なくなかったようです。
現在でも営業している、江戸時代から生け簀を設置している江戸の料亭。
江戸も水路が発達しており、大阪同様、小舟で商品が流通していました。
●このように、水路の側に店があった。

■江戸時代から、生け簀を設置している東京の老舗料亭
『川甚』寛政年間(江戸後期・1790年代)創業....住所、東京都葛飾区。
http://www.kawajin.co.jp/
これらの事例からわかるように、日本人は刺身のための施設まで設置するほどの刺身好きです。
この嗜好が、酢飯の上に生魚を乗せる食品=握り寿司を生み出したのです。
しかし、立地などの理由から生魚を乗せた握り寿司を食べることが可能なのは、江戸都市だけでした。
江戸時代は冷蔵技術がなかったからです。
また、江戸庶民が食べていたにぎり寿司の具も、調味料に漬けるなどの防腐加工をして、用いることが限界でした。
切り身にした魚は、加工前の魚よりも遙かに腐りやすいからです。
しかし、冷蔵技術が発達して以降は、「新鮮な刺身」を、寿司に用いることが可能となりました。
次回のスレッドで説明しますが、現在の、酢飯に「刺身」を乗せた寿司になったのは、冷蔵技術が発達、普及して以降のことなのです。
外国人は「米の飯に生魚を乗せた簡単な料理」=「原始的な料理」と、寿司を評価しますが、それは誤解です。
「流通の発達」
「冷蔵技術の発達」
「調理衛生の技術」
この条件が全て満たされなければ、刺身を乗せた寿司は、製作すら不可能な料理なのです。
「原始的な料理」と評価している人々は、それを理解するべきでしょう。
日本人の「刺身(魚の生食)への、愛着」その傾向は、数百年前から~現代まで絶えることなく続いており、現代の寿司職人は、「新鮮さ」を重要視した寿司作りをしています。
まとめ
発酵寿司と、無発酵寿司に「共通点がない」のは、当然である。
発酵寿司は長期保存を目的とした魚と米の「漬け物」
無発酵寿司、特に、刺身を用いた、握り寿司は、「生の物」
添加する、酢や塩などの各種調味料は、刺身寿司を美味しく、安全に食べるための、防腐剤でしかないのです。
全く異なる目的で作られる料理には、共通点は少なくて当然です。
無発酵寿司の起源が、発酵寿司であるからといって、共通点を捜す必要はないのです。
では、次回は、「まじめな寿司のお話「世界に伝播した、日本寿司♪」をお送りしたいと思います★