蕨warabi餅について
別名(岡太夫okadayu)
■蕨写真(春の若い芽)

石激 垂見之上乃 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨( 万葉集・志貴皇子)
「 石ばしる、垂水の上の、さ蕨の、萌え出づる春になりにけるかも」
(訳)岩を流れる、滝の付近の蕨が、芽を出してくる、春になったんですね 。
蕨(わらび)は別名、「山根草」。
春は若い芽を摘み、葉の部分を食用に加工します。
■食用に加工したwarabi蕨
煮物や、おつゆ、炊き込み飯、炒め物、などの料理に使う。

秋から冬にかけて根を掘って「蕨粉(warabiko)」としています。
warabi餅=warabiko(わらび粉)で出来てるお菓子を意味しますが、国産のwarabiko(わらび粉)は非常に高価です。
https://www.e-secur.net/users/surugaya/shop/detail.cgi?code=61150
200g(2850円)
ですから、一般には さつまいものでん粉、葛粉を混合して作ることが多いです。
安価なwarabi餅は、100%、他の植物のでん粉を使って製作します。
マートで、100 ~ 200円程度の価格ですね。
■安価な蕨餅
warabi粉が高価な理由
warabi粉を作るのは、非常に手間がかかります。
1 秋に収穫したwarabiの根をたたいて砕きます。
2 水を加えてでんぷんを洗い出します。
3 白くなるまで水洗いと沈殿をくりかえす。
4 固まったら細く砕いて乾燥させる。
他の植物のでん粉採取と同じ方法ですが、芋などに比べて、蕨の根は量が少ないので、貴重品となります。
■蕨粉製造図 岐阜県副業写真集(40p)1935年より
(クリック拡大)
warabi餅の歴史
原料の蕨について
原料となる、蕨の記録は奈良時代に登場します。
冒頭に引用した歌(詩)は万葉集(7世紀後半から8世紀後半成立)からの引用。
また、正倉院文書にも「蕨5814把」献上などと記述されており、当時の人が食用にしていたことがわかります
では、いつ頃から、菓子の状態になったのでしょうか?
どうやら、安土・桃山時代 1568-1598のようです。
天正年間 1573-91に茶の湯(茶道文化)が発展し、茶道用の菓子も急激に発達しましたが、「点心」としての記録にwarabi餅がみられます※。同時期に普及した菓子としては葛餅、笹餅、粽が挙げられます。
※資料の名前、調理方法が方法が不明。後日調査し、追記しておきます。
文献に残る蕨餅
さて、16世紀終盤の天正年間(1573_91)に、名前が登場した「warabi餅」ですが、17世紀には「地方の名物菓子(郷土菓子)」として有名になっていました。
warabi餅は江戸時代※前から、東海道の日坂(新坂)の名物(郷土菓子)として定着していたようです。
※江戸時代1600年から1867年
丙辰紀行云(1616年)
此所の民わらび餅を賣る往還の者飢を救ふゆへにいにしへより新坂のわらび餅とて其名あるものなり或は葛の粉をまじへて蒸餅とし豆の粉を鹽に和して旅人にすゝむ人その蕨餅なりとしりて其葛餅といふ亊をしらず諸越に茯神を買て老芋を得たる人もありけるとかや
羅山(林羅山)1583-1657
ここの住人はwarabi餅を売る。通交人の餓えを救う。そのため、昔から新坂のwarabi餅という名前がある。
葛の粉を混ぜて、蒸した餅にして、蒸餅とする。
豆の粉に塩を加へて旅人に勧められる。
旅人はwarabi餅だと思って、実態は葛餅とは知らない
また、同時期の書物にもこのような記述があります。
東海道名所記(1658_1661の間に6冊刊行された)
「物の名は所によるか 新坂のwarabiの餅は よその葛餅」
物の名前は、地名によって変化するのか。新坂の蕨餅は、別の土地では葛餅と呼ばれる
このように、東海道名所記にも、皮肉を記されています。
茶道用の菓子で作られた蕨餅は、100%蕨粉使用でしたが、価格が高価であるため、葛を混ぜて作って、「蕨warabi餅」として販売していたようです;
、、、、現代でも、同じ事情で、サツマイモでん粉使用のwarabi餅が販売されていますから、まぁ、よしとしましょう;
また、さらに時代が下って、天明6年(1786)頃刊行の『東街便覧図略』の記述です。
「蕨餅とハ言へと実は掛川の葛の粉を以って作れる也」
warabi餅というが、掛川の葛粉を使って作る
やはり、実質は葛餅だったようです。
また、上で説明したwarabi餅の作り方ですが、、、。
1 葛粉を湯で溶いて練りを作る。
2 蒸す(加熱)→小分けに切る
3 (2)に塩を混ぜた豆の粉(きな粉kinako)をかける
という手順でした。
現代では、生地(練り)に砂糖を入れて、kinako+蜜をかける、甘いお菓子です。
しかし、当時は塩味の軽食だったことがわかります。
価格は、1786年の時点で1盃12文でした。現在だと、うどん一杯くらいの感覚でしょうか。
■東海道名所記(蕨餅の記述部分ではない)
伝統芸能に残る蕨warabi餅
■狂言舞台17世紀初期
■狂言舞台(現代)
日本伝統芸能、狂言に「岡太夫okadayu」というのがあります。
warabi餅の別名は「okadayu」です。
(あらすじ)
warabi餅ををごちそうになった、夫が、さっそく妻に作るように依頼します。
しかし、菓子の名を忘れており、「和漢朗詠集(1018年成立)」にその名があると、妻に色々な言葉を話すように言います。
しかし、妻が該当する言葉を言わないため、怒った夫は妻と喧嘩になります。
そのとき妻が
紫塵(しぢん)のわかきwarabi蕨 人手をにぎり 碧玉の寒き蘆錐裏を脱す
という歌を思い出します。
okatayu=warabi餅、と、夫が思い出して、夫婦は仲直りするのです。
warabi餅の成立時期と伝説
これは伝説ですが、醍醐天皇(885-930)がwarabi餅が大好きで、warabi餅に「太夫」の名を付けた話もあります。
しかし、伝説で、文献が残っておりません(笑)
ですから、天正年間頃(1537_91)に成立としたほうが、確実だと思います。
現在、warabi餅が2種類存在する理由
和菓子の有名な都市といえば京都です。
そして、warabi餅も当然有名。
しかし、なぜか、warabi餅には2種類の形が存在します。
■タイプ1 切り餅の形
きな粉(kinako)と蜜を振りかけて食べる

■タイプ2 饅頭の形
あんこ入りの丸い形。表面にkinakoが付着
饅頭形と、切り餅形です。
そして、おそらく、日本人なら「warabi餅」と聞くと、多くの人が切り餅形を連想するような気がします。
では、同じwarabi餅と呼ばれる食品であるのに、なぜ形が違うのでしょうか?
調べていたら、真偽は定かではありませんが(重要)、面白い話を見つけたので、ご紹介します。
茶道の中心地である、京都ですが、茶会が頻繁に開かれていました。
京都は茶道菓子(高級菓子)が発達した地域です。
そこで、起こった話です。
昔(※1)、京都では、茶道菓子としては、あんこ入りの饅頭形が主流だったそうです。
饅頭形のwarabi餅は、warabi粉が使用される高級品でした。
※江戸中期以降かと想像します。
しかし、他の地方から、四角く切る「葛餅」が伝わりました。その葛餅は、warabi粉は使っていない菓子です。葛ではなく、小麦粉が原料であるものもあったそうです。
しかし、口当たりが少し、似ています。
よって多くのお店が蕨餅(わらびもち)という名前で、小麦粉餅を売り始めたのだそうです。
安価だったので庶民に人気が出ました。
そして。
いつの間にか、庶民に人気の四角い蕨餅の方が主流(笑)

小麦粉の蕨餅が、世間に浸透していきました。
しかし、店舗が増えたため、商店はイメージアップを図る努力をします。
競争に勝つため、高級材料を使用する店が増えます。
当初は葛粉。次に、葛粉に蕨粉(わらびこな)を少量混ぜたものを、使用するお店が登場します。
それが本蕨餅(honwarabi餅)という名称になっていきました。
「本蕨餅」が人気がでると、他の店がそれを真似して、、、、、、
そうして、 京都=四角い本蕨餅というイメージが強くなってきました。
昔ながらの本当の丸い蕨餅は、どんどんイメージが弱くなったそうです。
、、、、えー。、、繰り返しますが、真偽は不明ですよ?
そのうち調べてみますが、結果が出たらスレッドで報告しますね。
しかし、これが事実なら、話を総合すると、丸い蕨餅の品質は維持したまま、四角い蕨餅の品質も向上した、という結論ですね。
(職人は苦労したと思いますが)消費者にとって、結果良ければ全てよしだと思います。
京都に限らず、日本中の和菓子屋では、創意工夫された蕨餅が作られています。
伝統的な作り方を墨守する一方で、抹茶味やシナモン味など、新しい種類も増えてきたようです。
和菓子職人さんの創意工夫には、頭が下がるばかりです。
韓国の皆さんも、機会があればぜひ、召し上がってみてくださいね。