【北京・浦松丈二】中国チベット自治区ラサで昨年3月に大規模な暴動が起きてから1年となるのを前に、中国当局は一部の外国メディアに同自治区での取材を認めた。現地は平穏を取り戻しているように見えるものの、1959年3月のチベット動乱から50年という節目を控え、当局は暴動の再燃に対する警戒を強めている。
暴動後、同自治区での外国メディアの取材は規制されており、当局の手配による取材ツアーは、ラサで聖火リレーが行われた昨年6月以来。「農奴解放50周年」の名目で組まれた今回の取材ツアーは10~13日の日程で、アジアや欧米などのメディア8社が参加した。
取材団によると、ラサ市内の商店は通常通り営業しており、名刹(めいさつ)のジョカン寺やポタラ宮前の広場では、多くの巡礼者が全身を地面に投げ出すチベット仏教独特の祈り「五体投地(ごたいとうち)」を繰り返していた。一部の商店の壁に暴動で燃えた時の焦げ跡が目に付く以外、表向きは暴動の影響を感じさせない。
だが、中心部には武装警察が50~100メートル間隔で立ち、24時間態勢で不審者に目を光らせている。巡礼者によると、武装警察は取材団が現地入りする直前に制服から私服での警戒に切り替えたという。
暴動後の3月下旬に組まれた取材ツアーで外国メディアに「自由がほしい」と直訴した僧侶の一人、ロンジェさん(27)が当局の手配で今回の取材に応じたが、「他の僧侶に唆されただけ」と語り、態度を一変させた。
ラサ市の曹辺疆・副市長は「暴動1年を前に破壊活動を行おうとする者がいる可能性は否定できない。法を破る者を厳しく取り締まる」と強調した。暴動後、当局は953人を拘束し、うち76人に実刑判決を言い渡したという。
中国政府は国内向けにもチベットの「民主改革」を宣伝している。自治区の人民代表大会(議会)は先月19日、1959年のチベット動乱が完全に制圧された3月28日を「農奴解放記念日」とする議案を採択し、国内メディアを通じて世論・思想の締め付けを強めている。
【ことば】チベット動乱
中国は1951年にチベット・ラサに軍を進駐させ、管轄下に置いた。ダライ・ラマを崇拝する農奴主らは、チベット仏教に対する弾圧を警戒し、59年3月10日に約2万人が蜂起したが、武力鎮圧された。ダライ・ラマは信者とともにインドに亡命し、同国北部ダラムサラに亡命政府を樹立した。一方、中国政府はチベットの農奴制の廃止や土地改革に着手し、65年にはチベット自治区を成立させた。
◆チベットをめぐる主な動き◆
7世紀 チベットに統一王朝「吐蕃(とばん)」が成立
17世紀 ダライ・ラマ5世が政教一致体制を確立
1940年 ダライ・ラマ14世が即位
49年 中華人民共和国が成立
51年 中国軍がチベット全土を掌握
59年 チベット動乱。ダライ・ラマ14世がインドに亡命
60年 インド北部ダラムサラにチベット亡命政府樹立
65年 チベット自治区成立
66年 文化大革命(~76年)でチベットの寺院破壊が激化
88年 ダライ・ラマ14世が独立から高度な自治に要求変更
89年 ダライ・ラマ14世がノーベル平和賞受賞
95年 パンチェン・ラマ11世認定で中国と亡命政府が対立
2008年 ラサなどで大規模暴動が発生
毎日新聞 2009年2月12日 21時42分(最終更新 2月12日 22時04分)