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新潟・十日町に雪まつり発祥記念碑

2009.2.13 02:31

 豪雪地帯で知られる新潟県十日町市に今月7日、待望久しかった「現代雪まつり発祥の地」のモニュメントがお目見えした。今年で60回目となる「十日町雪まつり」が国内で最も早く雪まつりが開かれた地であることを初めて具体的な形にして表現した。除幕式には雪まつりの生みの親、雪氷研究家でエッセイストの故・高橋喜平さんの長男の雪人(ゆきひと)さん(63)=盛岡市=らも駆けつけ、雪まつりだけでなく十日町市のさらなる発展を願った。(石田征広)

 モニュメントは“いらっしゃい”を意味する“キナーレ”の愛称を冠した市中心部の越後妻有交流館前に設置された。地元主要産業の織物を紹介する「きもの歴史館」や温泉施設がある市内の代表的な観光施設だ。ブロンズ製のモニュメントは二科会会員で地元彫刻家の藤巻秀正さん(71)がデザインした。台座を含む高さ4メートル25センチは昭和20年に記録した最大積雪深に合わせてある。

 藤巻さんによれば、三角形の底辺は市内を縦断する信濃川沿いの河岸段丘。斜辺は雪いっぱいのスキー場や山の斜面。これを支えるワラ帽子の雪ん子計4人は「60年間、雪まつりを支えてきた市民の汗と涙」、右肩上がりの頂点にある3人の雪ん子は「雪まつりのさらなる発展への願い」をそれぞれ表現した。

 国内の雪まつりで50年を超える歴史があるのは、今年がともに60回目の「十日町雪まつり」と「さっぽろ雪まつり」だけ。モニュメントの台座に刻まれた「現代雪まつり発祥の地」は、初開催が十日町は昭和25年2月4、5日、さっぽろは同25年2月18、19日で、わずか2週間ながら十日町市が国内で最も早く雪まつりが開かれた地というわけだ。

 スケールでさっぽろに及ばないものの、湿り気のある雪だけを使って細工が美しい芸術性の高い雪像が制作され、多彩なステージを繰り広げる雪上カーニバルで独自色を出してきた。初回から記録も整理され、これをもとにさっぽろの実行委員会の了解も取り付けて40回目の平成元年に初めて発祥の地を宣言した。

 初回の雪まつりを知る雪まつり実行委員会のモニュメント建立検討委員長、滝沢栄輔さん(84)は「札幌より早くなんてまったく意識していなかったんだ。終わった後に気がついたぐらいで…。昭和24年暮れに織物の消費税がなくなってね…。5%じゃないよ40%だよ、さあ頑張ろうという機運が盛り上がって雪まつりにつながった感じだね」と振り返る。

 ところが、モニュメントの完成には長い時間がかかった。50回記念の企画が資金不足やデザインの不評で2度も頓挫。高橋喜平さんが亡くなった平成18年に遺族から香典返しの寄付を受けてようやく具体化、完成までに10年もかかった。費用は1000万円で当初の約2倍だ。雪人さんがいう。「父は十日町を第2の故郷と懐かしがり、雪まつりの成功を1番喜んでました。実は私は十日町で4メートル25センチの最高積雪深を記録した昭和20年生まれ。雪人の名前はそれでついたんです」。親子2代の強い思いが難事業を後押しした。

 十日町市は中越地震に大雨水害と近年災害続き。田口直人市長も「十日町市が暗いトンネルを抜けて新しい旅立ちのシンボルにしたい」と、まぶしそうにモニュメントを見上げた。

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【用語解説】十日町雪まつり

 初の雪まつりを主催したのは郷土の文化振興を目的に昭和23年に設立された十日町文化協会だった。会長の高橋喜平氏は19年から農水省林業試験場十日町試験場に勤務。22年に昭和天皇に「雪の科学」をご進講。この際、「雪国に何か明るい話題はないか」のご下問に雪まつりを思い付き、後に協会の会議で「暗く陰鬱(いんうつ)な雪国の生活を少しでも明るくするために、老いも若きも、みんなが冬の1日を戸外に出て雪を友として楽しむ祭りをやろう」と提案したのがきっかけ。今年は20〜22日まで。雪上カーニバルは21日午後6半から。バブルガム・ブラザーズや中村あゆみなどが出演。詳しくは実行委員会事務局(電)025・757・3100。

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