2009年02月09日

◆ オタクと非オタク

 オタクについて論じるにも、「オタク」という概念が拡散しているせいで、議論が噛み合わないことが多い。
 そこで、概念を明確にするために、オタクと非オタクの違いを示す。

 ──

 「オタクをやめよう」
 と私はしばしば書いた。
 「タバコとオタクは、今すぐやめることができる」
 というふうに。

 すると、オタクが反論することがある。
 「オタクはこんなに有益だぞ。社会をIT技術でこんなに改善する」
 というふうに。

 しかし、これでは、両者の議論が全然噛み合っていない。「オタク」という言葉の意味が食い違っているからだ。

 ──

 私は、オタクという言葉を、次において定義した。
    → オタク化する世界
 つまり、コンピュータ社会には、プラス面とマイナス面があるが、マイナス面の方を「オタク」という言葉で定義した。
 これに対して、「プラス面があるぞ」という反論がある。だが、それは、私の話においては、何の意味もない。もともと議論の範囲外だからだ。
( ※ 別に、「IT社会をやめてソロバンにしろ」なんて、私は言っていない。)

 ──

 これと似た例を示そう。(議論の食い違いの例。)

 「自動車にはプラス面もマイナス面もある」
  ・ 交通や物流のプラス面
  ・ 排ガスや交通事故のマイナス面


 ここでは、プラス面とマイナス面の双方がある。
 ただ、世の中には、プラス面ばかりを見て、マイナス面を完全に無視する人々がいる。そういう視野の狭窄症になった人々に向かって、
 「マイナス面ありますよ」
 と私が教える。プラス面以外の面について。── すると連中は、その話を誤解して、こう反論する。
 「何だと? 自動車にプラス面があるということを否定するのか? 自動車にはこんなにすばらしい面があるんだ。社会的にもすばらしい効用があるんだ。それを否定するやつは、トンデモだ!」
  ( → 誤読・誤解の見本 を参照。)

 ──

 オタクの件でも、同様だ。
 コンピュータ時代には、コンピュータゆえのプラス面とマイナス面がある。マイナス面が特に強く出ているのがオタクだ。
 それを指摘して、マイナス面を私が語る。すると、
 「いや、プラス面もあるぞ!」
 と語り出す人がいる。

 これじゃ、全然、議論にならない。
 一般に、オタクというものは、読書経験と人生経験が低いから、読解力が低い。その上、被害妄想が強い。……だから、オタクについての批判を聞くと、自分が攻撃されたと思って、まともに文章を読めなくなり、怒り狂って、曲解をなす。

 ──

 そこで、オタクのために、はっきりと教えておこう。
 「オタク批判」
 というのは、オタクへの人格攻撃ではない。なぜなら、「オタク」は、人格ではないからだ。ただの行動にすぎないからだ。

 比喩的に言えば、「喫煙」だ。喫煙は、ただの行動にすぎない。やることもあれば、やらないこともある。継続的にやっている人は、喫煙家だが、喫煙家なんて、いつだってやめることができる。(黒人や白人のような人種とは違う。)

 なのに、オタクはどういうわけか、そこを勘違いする。
 「コンピュータ時代には、マイナス面があるのだから、マイナス面をなくしましょう」
 というのがオタク批判である。それは、行動批判であり、人格批判ではない。(オタクなんて、いつだってやめることができるからだ。喫煙と同様に。)
 なのに、それを「人格批判」と感じて、怒り狂う。

 これに似たことは、子供ではしばしば起こる。たとえば、人形執着をする、病んだ子供だ。
 小さな女の子が、特定の人形にとらわれる。ボロボロになったテディベアかリカちゃん人形を手放さない。何年も前から使っており、ボロボロなんだから、親は「ゴミみたいなものは捨てなさい」と命じる。すると、小さな女の子は、「絶対にいやだ!」と頑強に抵抗する。
 「私の人形を捨てるなんて、私への人格批判だ!」
 と感じて、泣きわめいて、拒否する。

 この例では、「行動を改めよ」ということを、「人格への批判だ」というふうに感じて、泣きわめいてしまうのだ。オタクによく似ている。

( ※ こういうことが起こるのは、この小さな女の子に、トラウマがあるからだ。トラウマを癒してくれるのは、ボロ人形だけである。だから、それを手放したくないわけだ。しかし、症状を成長させるには、ボロ人形から引き離すしかない。)
( ※ 同様に、オタクの症状を治すには、オタクを好みの対象から引き離すしかない。)

  ────────────

 何だか、初めに書こうとしたことから、話が逸れてしまった。そこで、話を戻す。

 「オタクと非オタクの違いを示す」

 これが、最初の話題だった。これについて語ろう。

 ──

 オタクと非オタクの違いは、次のことだ。
 「コンピュータ社会のマイナス面に気づいているか否か」


 これに気づいていないのがオタクであり、気づいているのが非オタクだ。

 典型的には、Google とスティーブ・ジョブズだ。どちらも、IT面では、プラス面を最大化している。ただし、マイナス面に気づくか否か、という違いがある。

 ──

 (1) Google

 Google は、IT面では、「プラス面を最大化している」と言えるだろう。実際、そのプラスの効果は、非常に大きい。これを否定する人はいないだろう。
 問題は、マイナス面の存在だ。たとえば、ストリートビューや、マイ・マップなど。これらにおいて、個人情報の暴露というふうな、社会的な大問題が生じている。

 ここでは、Google に、次の体質があった。
 「とにかく、やってみよう。やってみた上で、駄目だとわかれば、改めればいい」
 つまり、「走る前に考える」のではなく、「走ってから考える」である。

 ま、それはそれで、特に悪いとは言えない。人生観の違いにすぎない。問題は、次のことだ。
 「走ってみて、問題があると判明しても、走るのをやめない。いったん走り出したら、惰性で止まらない」

 つまり、「アクセルはあるが、ブレーキが壊れている」ということだ。これは、「暴走」とも言える。そのせいで、他人に大迷惑がかかる。それでいて、居直る。
 「人の迷惑なんか知ったこっちゃないさ。プラス面が大きければ、マイナス面で困る人のことなんか、どうでもいい」
 という傍若無人な態度を取る。それが、Google だ。(口先では頭を下げるが、行動は決して改めない。)
 要するに、他人の迷惑お構いなし。技術ばかりは優秀だが、人間性が欠落している。……これまさしく、典型的なオタクだろう。

( ※ だから、オタクは、Google が大好きだ。逆に言えば、Google が大好きかどうかで、オタク性を判別できる。Google を見て、「こんなエゴイスティックな企業は最悪だ」と思えば、オタクでない。「すばらしいIT企業だ」と思えば、オタクだ。)

 ──

 (2) スティーブ・ジョブズ

 ジョブズは、次々と大成功を収めている。アップルに始まり、ピクサーや、iPod の成功もある。では、なぜ、彼はそんなに大成功を次々と成し遂げたのか?
 ある人は言う。「彼は大天才だからだ。IQ がものすごく高いからだ」
 ある人は言う。「彼は他人をこき使うのがうまいだけだ」
 ある人は言う。「彼はプレゼン能力が高いだけだ」
 ある人は言う。「彼は技術者としては二流だけど、経営能力がものすごく高い」(こう語ったのは、技術系の経営者であったキヤノン社長。)

 さて。人々はいろいろと言うが、私の見解は、そういう見解とは違う。人々はジョブズを、エイリアンか異人種のごとく見なしているが、私はそうではない。私は、ジョブズに非常に親近感を覚える。「自分と同じ種類の人間だな」と感じる。(こう言うと、批判が来そうだが。  (^^); )

 ともあれ、そういう共感の目で言うと、ジョブズの成功の理由は、次のことだ。
 「IT社会の欠点を見抜いている」
 つまり、人々はプラス面を見るだけだが、彼だけはマイナス面を見抜いている。人々がプラス面に浮かれているときに、マイナス面を見事に見抜く。そして、そこを見抜いているからこそ、そこを改善しようとする。(他の人々はそこを見抜けないでいる。)
 「こういうマイナス点があるぞ。だから、この欠点を改善する技術を開発せよ!」

 とジョブズが部下に命じる。すると、部下は、あれこれと頭をひねって、アイデアを出す。
 ここでは、ジョブズは、自分で技術開発をする必要はない。技術者としては二流であっても構わない。大事なのは、物事の本質を見抜く目だ。難点ないしマイナス面を見抜く目だ。
 彼は、この能力が傑出していた。だから、世間がマイナス面だらけの機械を作っているときに、彼はそのマイナス面を解決した、新しいものを創出した。
  ・ コマンドライン時代に、マウスとアイコンの GUI操作。
  ・ 精密な 3D のCG 人物画に対して、人形ふうの 3D アニメ。
  ・ 電話だけでなく音楽もケータイにする iPod。
  ・ 小さなボタンで操作するケータイに対して、iPhone の流儀。


 彼はなぜ、それほどにも次々と新製品を創出したか? それは、IT時代にあって、
 「現在のIT技術はすばらしい」
 と浮かれるかわりに、
 「現在のIT技術はまだまだ未熟だ」
 と感じたからだ。つまり、マイナス面を見抜いたからだ。彼は、現状のマイナス面を見抜いたからこそ、現状のマイナス面を解決する方法を見出した。
 逆に言えば、現状よりも一歩先に進むためには、現状のマイナス面をはっきりと見抜く必要がある。

 つまり、ジョブズは、(IT技術のマイナス面を見抜くという意味で)オタクではなかった。だからこそ、次々と成功を収めたのだ。
 ジョブズこそ、非オタクの典型であろう。

( ※ 馬鹿は馬鹿であることに安住して進歩しないが、利口はおのれの欠点を知るから常に進歩する。)

 ──

 ジョブズの「非オタク性」は、抜きん出ていると思う。私も、フリーソフトを開発して公開したりしているし、その点では、そこらのオタクよりは、ずっとIT技術は高い。(IT技術のプラス面で。)……だが、IT技術のプラス面では、私よりもジョブズの方が圧倒的に上だ。
 さらに言えば、IT技術のマイナス面を見抜くという点でも、ジョブズの方が私よりも圧倒的に上だ。
 はっきり言って、私は脱帽する。「非オタク性」の点で、ジョブズは私よりもはるかに上を行く。それだからこそ、彼はあれほどにも成功したのだ。

 ──

 非オタクとオタクの関係は? 敵対か? いや、主人と下僕の関係だ。
 非オタクは、オタクを下僕として利用して、社会を改善する。オタクは、自分だけでは何もできない(ようなもの)だ。しかしオタクは、非オタクであるジョブズなどに導かれて、正しいことをなすことができるようになる。

 一方、オタクが自惚れて、非オタクに導かれないと、とんでもないことになる。ろくに人間性もないまま、IT技術が暴走して、社会に有害性をもたらす。
 その典型が Google だ。Google は、大きな便益ももたらしたが、同時に、大きな害悪ももたらした。
 そして、それを見て、「Google には大きなマイナス面がある」と気づくのが非オタクであり、「Google には大きなプラス面しかない」と思うのがオタクである。

 ──

 そして、こういう状況にあって、「マイナス面にも目を向けるようにしよう」と唱えるのが、私だ。その意図は、
 「IT技術を持つのはいい。だが、Google みたいにはならずに、ジョブズみたいになれ」
 ということだ。
 ( IT技術を持つな、ということではない。念のため。……オタクはここを誤読しがちだが。)

 


 [ 付記1 ]
 オタクによく似ているものとして、マッドサイエンティストがいる。Wikipedia から引用しよう。
 「マッドサイエンティスト」……
1.超絶的な頭脳を持つが、往々にして歪んだ信念や理解しがたい価値観、あるいはとんでもない欲望を持つ。
2.超絶的な頭脳で物凄い発明をするが、その発明が周囲に及ぼす影響や迷惑を何も考えていない。
 オタクはしばしば、これと同じ発想をする。Google が典型的だ。彼らは、IT技術のプラス面ばかりを語り、マイナス面に気づかない。

 [ 付記2 ]
 なお、自称オタクは「人格攻撃だ!」と怒り狂うかもしれないが、誤解しないでほしい。私が述べているのは、オタクに対する人格攻撃ではない。オタクは人格ではないからだ。
 私は、「オタクという発想様式を改めたほうがいいよ」と述べているだけだ。
 オタクをやめることは、喫煙をやめることと同様に、今すぐにもできる。(前述の通り。)
 そして、そのための第一歩は、「オタクって自分に有害なんだ」と認識することだ。「煙草って自分に有害なんだ」と認識するように。

[ 付記3 ]
 このようなオタク的な傾向は、特殊な人々だけにあるのではなくて、コンピュータ関係者に広く蔓延している、とも言える。つまり、コンピュータ関係者の多くが、人間性を喪失しつつある。
 その例を示そう。(以下、コンピュータ関係の話。)

 AI技術の分野で、「チューリングテスト」というのがある。これに関して、読者に教えてもらったのだが、
 「人間と判別つかない人工知能に人権はあるか」

 という話題があるそうだ。そして、学界では、大まかには、
 「人間と意思疎通できて、お互いに文化を共用(尊重?)できるなら、人権は認められる」
 ……(*
 という一派が優勢であったらしい。(読者からのご教示。)

 私の感想を言おう。(*) はあまりにもオタク的な発想だ。私ならば、逆に、こう結論する。
 「人間の脳や肉体(生物性)をもたないものには、人権はない」
 「機械の肉体をもつロボット(アンドロイド)であっても、人権はない」
 簡単に言えば、どんなに悲しみを訴えるスピーカーにも人権はなく、どんなに悲しげに涙をこぼす表情を見せる画像にも人権はない。
 特に、どんなにかわいらしい萌え人形にも、人権はない。オタクは萌え人形を擬人化して人権を見出したがるが、そんなものには人権はないのだ。
 これを簡単に言えば、こうなる。

 「機械と人間がいる。馬鹿な人間(オタク)には区別がつかないが、神にはちゃんと区別がつく。このとき、愚かな人間は、神に成り代わって、機械を生物と見なせるか?」
 あるいは、もっと端的に言えば、こうだ。
 「オタクが萌え人形を人間と見なすことがある。『この萌えちゃんは人間と同じなんだ。だから人格を認めるべきだ』と訴える。そのとき、オタクの誤認を、正当化するべきか?」
 これに対して「イエス」と答えるのが、上記のAI研究者たちだ。この場合、AI研究者自身がオタクと同じレベルになってしまっている。研究者の狂気。

 オタクまたはAI研究者は、萌え人形と人間を区別できないことがある。そのときには、「自分は間違っている」「自分は非力だ」と反省できるのならば、その人は正気だ。
 一方、「自分には区別できないから、対象そのものが同等だ」と思うのならば、その人は、自分を神の立場であると自惚れていることになる。比喩的に言えば、テストで正解を得られない劣等生が、「この問題には正解がない」と断定するようなものだ。自惚れと驕り。……これがAI技術者の立場である。(チューリングテストに対する答え方からわかる。)

 そもそも、チューリングテストなんて、上のことからわかるように、ただのジョークであるにすぎない。ジョークをまともに考えるとしたら、「われわれは神であるか」と考えているのと同じであり、そんな連中はマッド・サイエンティストだ。……AI技術者には、そういう連中が多いようだ。
 オタク連中は、ここまでのさばってきている。人間性喪失の時代。

 ※ 私だったら、逆チューリングテストと称して、次の質問を発したい。……「人間性を喪失した連中(機械のような心をもつ連中)を、ギロチンで処刑することは、機械の破壊と見なして、許容されるか?」
 私ならばもちろん「ノー」と答えるが、AI技術者ならば「イエス」と答えるだろう。つまり、自分たちの処刑を宣告する。では、彼らの命運は?
 
posted by 管理人 at 23:08 | Comment(1) | 科学トピック
この記事へのコメント
 じゃ、オタクはどうすればいいか? 

 東京の人なら、渋谷駅に行って、シュークリームを買いなさい。それが一番。このお店です。

 → 大地のシュー
 http://openblog.meblog.biz/article/1384738.html

 かわいくて優しい親切な女性が、売っています。
 単に顔がかわいいだけでつっけんどんな女性(ハルヒタイプ)じゃなくて、本当に人間的な優しさや親切さを感じさせてくれる人でした。年齢は20歳ぐらい。2人ぐらいいる。

 ただのかわいい女の子じゃなくて、人柄のいい人って、本当に気持ちがいいものです。
 
 顔だけきれいな2次元女性なんて、ただのゴミにすぎない、とわかりますよ。そのためには、このお店で買うべし。遠くから見ても、何もわからないが、お金を出して買えば、親切にしてくれます。
 
 p.s.
 本項は、期間限定です。女の子はそのうちやめてしまうはずなので。
 私が見たのは、このコメントを書いた日の夕方だけ。他の日がどうかまでは知りません。
 また、顔が超美人だと述べているわけじゃないので、念のため。新垣結衣を期待しても、それは期待のしすぎ。
 
 p.s.
 なお、宣伝しているようだけど、私は一円ももらっていません。気に食わなければ、買わなくてもいいですよ。私は関係ないし。
 ただ、オタクは、かわいい女性に優しくしてもらえることなんて、体験するのは難しそうだから、ここで教えるだけ。
 ああ、私って、オタクに親切だなあ。こんなにオタクに親切な人は、めったにいませんよ。   (^^)

 ※ 接客してもらうには、ちょっと複雑な注文をして、会話をするようにすればいい。

 
Posted by 管理人 at 2009年02月14日 00:21
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