ニックネーム:おつる (洗礼名ジャンヌダルク)
性別:女 
年齢:いい感じの年 
都道府県:兵庫県
サッカー大好き♪好きなサッカーチームもちろん★バンヴェール兵庫★マリリン・モンロー大好き♪自衛隊ファン♪ JAZZが大好きー♪ 猫が大好き♪ そして 何より好きなんは・・ビールやね♪

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2009年02月11日(水)
●続・カトリックの名誉のために  〜セクハラ事件について〜
今回の カトリックの名誉のためにの記事については
とてもたくさんの方にアクセスしていただいてます。
そして、コメントもびっくりするほど。

ブログに転載していただいた

「Birth of Blues」の管理人さん
http://birthofblues.livedoor.biz/archives/50773420.html

「陳さんのWorld view」の陳さん
http://blog.livedoor.jp/fgejtocfk4fk5j23dk5/archives/798336.html#comments

そして 大阪教区を憂いて立ち上がった
Rick's Cafe の Rickさん
http://blogs.yahoo.co.jp/gh_punks    有難うございます。


コメントを下さった方々にはお礼申し上げます。

●まずは、「ある母さん」から教会のミサの朗読に対しての
子供さんの朗読についての部分は、私が軽率でした。
その部分は書きなおしました。 ごめんなさい。




●パードレさんという信徒さんや修道者さん
mel-kuroさん マックスさんなどは 
>外国人女性相手だとしても日本の文化的風習に従い
行動するべきです。
>「外国で当たり前の挨拶だから、挨拶としてのキスやハグはセク>ハラではない」

私は愛国者で日本が大好き 日本の伝統が大好きだけれど
カトリックについては、日本の文化的慣習と違う部分が好きで
カトリックならではの伝統的儀礼などが好きです。
ベールをかぶるとか、ラテン語の言葉や グレゴリオ聖歌など。

またもともと十字をきるポーズなどは、日本の慣習などとは
まったく違うけれど そういうところがカトリックらしさだと
思っています

それと、実は夫の家族や親せきは、純粋に日本人ですけれど
敬虔なカトリック信者で、イタリア人の神父様のおられる教会で
みんな幼児洗礼を受けていますが、
イタリア人の神父様は自然に抱擁されるそうで、それが身について
いるからか、 日本人だけどいつも挨拶は抱擁です。
ですから 抱擁やハグやキスでセクハラという感覚が
ほんとに信じられないのかもね。

●私への批判に対しては、敬虔でカトリックの要理にも詳しく
カトリックの世界を私なんかの数千倍もよくご存じの
tontonさんや123さんたかくんFrancescoさん
などが 書いてくださっているので
おまかせしちゃっています。
ヨゼフィーネさんもありがとうございます

●一生懸命 おつるをかばって騎士のように戦ってくださる
Rickさんや憂国者さんやサンピエールさんやcrep@Free Tibet
さん 有難うございます


●ひとりごとさん 参考情報さん まきさんの貴重な情報にも感謝

●maoさんの田母神さんの記事について危険という説には
レオさんという穏やかな方のコメントを
読んでいただいたらと思います。↓
http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/702/#comments

反論や批判もたくさんありますが、私は 私への批判や
あらさがしなどは 気にしません。

もともと 論争が苦手なんです。

それに 今回の記事は
本当のことを本当だと言いたい。
怪しいことは怪しいぞと言いたい。
おかしいことはおかしいぞと言いたい。

悲しい人、心苦しい人に 少しでも事実を伝えたい。

ということです。

女性のことを悪口を書いてるわけでも 責めてるわけでもない。

ただただ、
他の教区の方が知らなかった セクハラと被害届を出すまでの
本当のいきさつを書いているのです。
それを知って判断するのは読んだ人です。

この経緯を書いて 心の平安を取り戻したと言って下さったり
井上神父様のことをよく知っていて信じたい、
そして少し安心したと書いてくださった
●sakura、momokoさん mamaさん acoさん Yさん Kさん
+たっちゃん+ †ケファ†さんなどなど いろいろな方

私は、このことが何よりうれしいです。

カトリックの名誉のためにと書いたのはそういうことです。
今回の事件で クリスチャンをやめたいほど悩んでいる、求道者だけれどやめると
言う人がでてきたりしています。
ネットでは カトリックはオウム真理教や統一教会と一緒だとか
新興宗教の聖神中央教会の金保牧師と一緒だとか カトリックは
キチガイだとか異常だとか神父はみんな同じことしてるとか言われてるのです。

私はカトリックの名誉のためにも 間違いは間違いと訂正したいし
裏の事情を知るかぎり伝えたい。今の状況ではマスコミなどの一方的な情報しか
伝わらないからそういう危機的な状況になっています


だからこそ、書いているのです。

だから私へのあらさがしとか、批判ならいいです。
神父様への誤解がとければ それで幸せです。

事実はまだわからないのだから どっちにも味方しちゃいけない
とか、事実が判明するまで待つほうがいいという意見も
ありますが

今のところは

女性に 少ない司祭の給与からポケットマネーで
賄いの謝礼を2千円あげてたということ

女性が茨木で 神父様が 入院中に
信徒の女性たちに失礼なことをして 神父様にしかられ
教会をやめて

その直後に大阪教区に訴え、

そしてそれで 納得しないから 被害届を出したという事実

そして女性はフィリピン人という説も見ましたが
こちらは真偽不明 未確認。


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ここで追加情報ですが

私は「抱擁」や「キス」が単なる挨拶だよーセクハラじゃないよって
書いたけど 

tontonさんの

報道の「キス」について
これは、額に祈りと共になさることがあったようです。
いとし子に、祝福して励ますように。

「愛しています」は
あなたをしっかりと受け止めています。
キリストの愛で満たされるように。の同意語

アガペのような愛とエロスの愛を一緒にしないでほしい。

2chではうんざりするほど、下劣な捉え方をしているけど
自分たちの品性に応じて、発想されるのかしら?と
悲しくなります。

これらは誰にでもしていたわけではなくて、困難を抱えて訪れる信徒に対して、その信徒を受けとめ、霊的助言をし、
励ましておられたようですよ。

声を大にして言いますが神父様の「愛」は
「無償の愛」そのものです。


このご意見で もっともっと 神父様が高尚な方だと思えます

カトリック教会で 現在
ベールはほとんどのひとがかぶらない、聖体拝領は手でうける
跪かない、手をあわせて祈らない、など
だんだん世俗化して 簡略化しています。

今やベールをかぶったり 口で拝領するのが
目立つから勇気がいるぐらいですし

こういうカトリックの中でも ベールひとつにしても
かぶるほうがいいと思う人と かぶらなくていいと思う人が
わかれるし、まして カトリック以外のひとにはベールなんて
なんのことだかわかりません

神父様が 霊的な祝福の抱擁をされていても
それが理解できる人が少ないのは ベールを理解する人が
少ないのと似たようなことなのかも。

理解できる人だけが 理解できるということかもしれないですね

ある女性は 井上神父の抱擁や祝福のキスなら
ぜひ授かりたいとおっしゃいます。
現代のマザーテレサのような方なのだそうです。

松浦補佐司教がどういう意図かわかりませんが
「ディズニーランドへ行くために 10万円をこの女性に
わたしたこともある」とマスコミに言ったそうですが

これを愛人みたいだとか 金を払ってセクハラを強要したとかと
受けとる人間と

司祭の少ない給与の中から 毎日2千円どころか
10万円も施すなんて 神様みたいと思う人間と。


このたくさんのコメントを見ていると
カトリックの要理に詳しくて カトリックのことをご存じで
あればある方ほど、神父様のことをセクハラではないと
おっしゃっているようです。  

私は 女性のことは何も知らない。
だから どんな人か知らないからコメントはできません
でも 私とは生き方が違う。 それだけですね

私も貧しい母子家庭だったから 苦しいし、ひとに頼ったり
甘えたりしたくなる気持ちはわからないでもないけど
でも 御世話になった方に 被害届を出すなんて
私なら 絶対しないよ。
嫌ならさっさとやめて 仕事探さなきゃ。

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それとひとりごとさんと参考情報さんの コメントがするどいです

ひとりごとさん
補佐司教の件でも記者会見での早々の謝罪チックな発言・・・ 私も疑問を感じます。
不思議なのが朝日新聞(2/4夕刊)の記事。
事件について詳細に書かれていました。
教区への聞き取りによると、との事でしたが
任意同行→逮捕は2/5でしたよね?
何故逮捕前に詳細をマスコミに話す必要があったのでしょう。


参考情報さん
記憶に間違いなければ、今回の井上司祭の件について、マスコミの第一報は2月4日付け朝日新聞夕刊(社会面トップ)でした。所轄の茨木署ではなく、「大阪教区への取材」となっています。朝日の特ダネを追いかけて、各紙は2月5日付け朝刊で掲載しました。

朝日新聞は阪神大震災追悼関連で、被災した神戸の教会のステンドグラスが高松の教会に贈られ甦ったことも、特ダネとして報じています


神戸の震災のステンドグラスの話とともに 茨木署ではなく
大阪教区が 新聞社に密告した???  逮捕前に???

大阪教区で今回の事件を相談を受けて知っていたのは
池永大司教と 松浦悟郎補佐司教


これはおつるの推理の域を出ないのでこれ以上は
書きませんが・・・・・???

池永大司教様のメッセージでは
去る2月3日から一斉取材が始まり、4日のニュースで報道されたことを皮切りに、2日間にわたってあらゆる報道機関からの取材を受け、報道されるという事態になりました

逮捕される前に マスコミの一斉取材において

神父様ご自身が「セクハラではない」「挨拶だ」
「恋愛感情じゃない」と はっきりおっしゃっているのに

なぜマスコミの記事には 「セクハラ」と書いてあるのか
これは 神父様の言葉を信じなかった大阪教区に問題があります


この事件の真相は
神父様ご自身が おっしゃってるこのセリフの通りです

「セクハラではない」「わいせつ目的などではない」
「ハグはフィリピンや外国では挨拶」「恋愛感情などではない」



これを池永大司教と 松浦悟郎補佐司教は
そのまま 繰り返してマスコミに言えばよかったのです。
それだけです。

そしたらカトリックの名誉は傷つけられることはなかったのです。



やっぱり 大阪教区はひどいです。


もしフィリピン人女性ならば、カトリック
外国人 滞日外国人労働者支援をしている 
私たちを右翼と攻撃された方の顔までうかびますが・・・

それはまだまだ 未確認ですね


とにかく神様のなにか ご意志が働いているような
気がするんです。

おつるにもチベットやウイグルのときに突き動かされたような
心に衝動がエネルギーがわいてくるんです。

祈ります。そして がんばります

***********************************************************

ここで イエスのBBSに書かれた 一番新しい確かな情報です
カトリックのことなら誰より詳しいダンボちゃまです。

 遅くなりました ダンボ

今日、朝から出かけていて、帰ってきて掲示板を開いてビックリしました。
私がもっと早く書き込めていれば、良かったのに。

エリーさん
私は憶測だけで言っているわけではありません。
茨木教会で奉仕をされている方、井上神父様と、訴えた女性双方と逮捕まで、良い関係でいた方、教区の事情に詳しい方から直接、話や事情を聞いています。

結局は彼女の教会の賄いという仕事のやめ方からこじれて行っています。
彼女は、証拠となる手紙も残していますし、当初は怨恨から、意趣返しのような様相が、後ろに誰かがついて一転し、被害届を出しています。

産経新聞にはそのあたりからの情報提供があった模様で、2名介在しているようです。

Pasさん
教区の情報は記者会見などで対応しているのは、一手に松浦補佐司教です。
教区の対応は、真実を明らかにするというよりも、被害者側にシフトしていて、その影響を与えているのは、松浦補佐司教のような感じです。

教区事務局長は、補佐司祭が記者会見で話したことから一歩も踏み出さず、どちらかと言うと、先輩教区司祭をいたわるタイプですし、教区長は、事を荒立てたくないタイプ。
これを機会に、井上神父を始めとする目障りな保守派を一掃したいと思っていそうなのは・・・お分かりでしょう?

今回のことは、教区をよく知る人間は皆一様に、すべてが遅すぎる、お粗末そのものと言っています。


Gさん
当初より、訴え出た方を擁護されていましたが、あなたが擁護しなければならないものではないと思います。あまりにもプライベートな話なのでここに書くのは控えますが。
それよりも、今回のことで、どれだけ多くの方が躓き、心に大きな傷を作り、カトリックに対する偏見を生んだでしょうか。
私たちは真実を曲げることは求めていません。ちゃんと真実が明らかになるように願っています。
でも、その間、その誤った情報での2次的被害者がどんどん生まれるのを放置できません。









2009-02-11 17:19 | 記事へ | コメント(13) | トラックバック(2) |
| キリスト教 カトリック |
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★歴史的な開催、東京シンポジウム 続々と参加希望者が!!!
札幌医科大学 理学博士 放射線防護情報センター

高田純教授の ブログより


歴史的な開催、東京シンポジウム 続々と参加希望者が!!!


真理の探求は尊い、

自由と民主主義はそれを保障する!

誰にも、真理の探究を阻止する権利は無い。

真理は社会の未来を切り開く!

誰にも、他人の自由を奪う権利は無い!

人権と人道は守らなければならない!

偽装はいらない!

偽装と隠蔽は真理に背を向けること。


東京シンポジウム2009。


「シルクロードにおける中国の核実験災害と日本の役割」

開催の意義は限りなく大きい。 
歴史的な開催となる!J博士、



あらためて 日本ウイグル協会からの告知です

★シンポジウム
「シルクロードにおける中国の核実験災害と日本の役割」

シンポジウム「シルクロードにおける中国の核実験災害と日本の役割」 2009年02月10日 10:58 開催日時 2009年03月18日(開演 17:30 講演 18:30 終了 20:30)
開催場所 東京都(千代田区永田町1-1-1 憲政記念館)
spinel シンポジウム「シルクロードにおける中国の核実験災害と日本の役割」

 核の保有国、核実験を実施した国は複数あります。しかし居住区域で大規模な地表核実験をした国は中国だけです。周辺への影響を全く考慮に入れない核実験を行うという、まさに悪魔の所業といえるでしょう。
 中国は、新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)の楼蘭付近で、1964-1996年に46回、総出力20メガトンの核実験を行い、周辺住民への甚大な健康被害と環境汚染とがもたらされています。しかし中国政府はその実験事実を公開せず、周辺での災害を隠蔽しています。
 シンポジウムでは、日本人科学者およびウイグル人医師から、核実験災害の調査結果が報告されます。それにもとづき、中国の核実験災害の問題点および国際社会における日本の役割を考えます。

 【場 所】 東京都千代田区永田町1-1-1 憲政記念館
      丸ノ内線、千代田線 国会議事堂前駅 2番出口から徒歩7分
      有楽町線、半蔵門線、南北線 永田町駅 2番出口から徒歩5分
【日 時】 平成21年3月18日 開場 17:30 開会 18:30 終了 20:30
【資料代】 1000円
【講演内容】 1.「中国の核実験災害とその問題点」 理学博士 高田純氏
        2.「健康影響の調査」 医師 アニワル・トフティ氏
        3.「日本の役割」 ジャーナリスト 櫻井よしこ氏
        4. 各団体よりのコメント
【主 催】 日本ウイグル協会会長/世界ウイグル会議日本代表 イリハム・マハムティ
【後 援】 放射線防護情報センター、放射線防護医療研究会、呉竹会、任意団体イリハム応援団
【参考URL】  放射線防護情報センター http://www15.ocn.ne.jp/~jungata/index.html
         国家基本問題研究所 http://jinf.jp/
        世界ウイグル会議 http://www.uyghurcongress.org/jp/home.asp
        イリハム応援団 http://uyghurhotline.com/
        東トルキスタンに自由と平和を http://saveeastturk.org/jp/
【講演者】 高田 純氏 放射線防護情報センター主宰、札幌医科大学教授
       アニワル・トフティ氏 在英ウイグル人協会会長
       櫻井 よし子氏 ジャーナリスト

日本ウイグル協会会長 イリハム・マハムティ
イリハム応援団 代表幹事 白石念舟
TEL:03-3815-7815 FAX:03-3815-7816 MAIL:kessokyo@nifty.com
URL:http:// uyghurhotline.com/

*事前申し込みされる方は日本ウイグル協会宛にお願いします

 
東トルキスタン・ウイグルの核実験災害について
 中国の核実験とその被害については厚いベールに包まれていた。中国は1964年から1996年まで東トルキスタンのロプノールの核実験場において、延べ 46回、総爆発出力20メガトンの核爆発実験を行った。1964年10月16日に20キロトンの地表爆発型の実験を始めて行い、また1967年には2メガトンの地表核爆発をおこなった。最大の核爆発出力は1976年11月17日の4メガトンの地表核爆発である。1980年までは空中、地表での爆発、そして 1982年から1996年までは地下核実験が実施された。中国政府は核実験の被害状況を公表せず、また現地調査も許可しないため、これまでどの程度の被害が出ているのかは分からなかった。
 2008年に札幌医科大学の高田純教授がカザフスタンで集められたデータをもとに科学的に分析した結果、死者19万人以上、被曝者は129万人以上であると結論した。この調査内容が、「中国の核実験」として世界で始めて出版された。
 
 核実験の中でも「地表核爆発」は、地表物質(砂礫など)と混合した核分裂生成核種が大量の砂塵となって、周辺および風下へ降下するため、空中核爆発と比べて核災害の範囲が大きくなる。このような危険な実験を、中国政府はウイグル人の居住区で行うという暴挙を行ってきた。
 ロプノールから1000キロ離れたカザフスタンにおいても、人体に影響を与えるレベルの線量が報告されている。核実験は1996年まで行われてきたが、現在においてもウイグルの人々の健康被害と環境被害とは続いていると考えられる。1日も早い中国政府の情報開示と被害者の救済が望まれる。
 
「Death on the silk road」について
 中国の核実験が行われた東トルキスタンでは奇病、癌の発生率が中国のほかの地方に比べ高く、核実験の影響によるものと考えられる。1998年の7、8月にイギリスのテレビ局チャンネル4で、「Death on the silk road」というドキュメンタリーが放送された。このドキュメンタリーで現地調査したのがウイグル人医師で、現在の在英ウイグル協会のアニワル・トフティ氏である。
 アニワル氏はチャンネル4の取材班として東トルキスタンの村々を訪問し、被曝によると思われる人々の健康調査を行った。中国政府は核実験の際に、内地に影響が少なくなるよう、東から西に風が吹くときを選んで行った。このため、ロプノールから西に向けて核生成物質が大量に降下したと考えられる。実際に、口唇口蓋裂ばかり、あるいは大脳未発達の赤ちゃんばかりが生まれてくる村もあったという。中国は核実験の被害を公表せず、現地調査も許可しないため、40年以上に渡って被曝者たちは放置されてきている。
世界最初の核被災国であり、アジアの自由と民主主義のリーダー国である日本は、中国政府の責任のもと、現地の放射線衛生対策および核実験被害者の保証の実現に向けて、三民族を支援すべきと考える。
2009-02-11 01:14 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
| 東トルキスタン ウイグル / チベット / チベット・ウイグル・サウスモンゴル 三民族 |
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2009年02月08日(日)
カトリックの名誉のために  〜セクハラ事件について〜
今日は 箕面教会のミサ

子供の朗読があり、

和田神父様は ミサの説教の時に
優しいおっしゃり方ですが

「朗読というのは 神様からことばをあずかって
 神様のかわりに 神様からのことばとして 読むんだよ
 だから 間違えたりいい加減なことは 神様に失礼
 練習が大切」とおっしゃいました。


こうして 子供に教えをきちんとされるのはとても素敵なこと。

今日は パウロ三木の大きな絵が飾られ
豊臣の時代の 26聖人のお話でした。

********************************


先日、新聞やテレビで 私の所属する教会の
すぐ隣の教会の神父様によるセクハラ事件があったという報道が
ありました。

カトリックI教会の神父、強制わいせつ容疑で逮捕
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20090205-OYO1T00596.htm?from=main1

この事件については、さまざまな憶測が飛びかっていて
日本各地の教会の信徒さんたちにとっても
一般の信徒でない方々にとっても 衝撃的なニュースでした。

私は 事実がわかるまでそっとしておこうと
ブログには何も書かないでおこうと・・・
それよりも I教会の信徒さんたちのために祈り続けていました。

同じ大阪教区の 他の教会の友人や知り合いからの話を聞いたり
夫は典礼委員長なので、いろいろと情報を得ることができました。

沈黙を守ろうとは思いましたが、
だんだん エスカレートして 四大新聞だけでなく
スポーツ新聞やテレビのワイドショー的番組や いろいろな方の
ブログなどに あることないことエスカレートして
報道されつつあり エロ神父とまで言われていることには
やはりおつるは 黙っていることはできません。

この事件については、私の心の友!
同じ大阪教区でも、大阪市内の教会の信徒さんの「Rick'sCafe 」というブログで詳しく書かれています

「お祈りします」
http://blogs.yahoo.co.jp/gh_punks/46509736.html
「第三者からのタレコミ」
http://blogs.yahoo.co.jp/gh_punks/46529573.html
 

未信者の方の こんな記事も見つけました。
このブログの方は存じ上げませんが、このような見方をされる方も
おられるという例です
「神父が反日勢力に嵌められた可能性」
http://antikimchi.seesaa.net/article/113712999.html

(こちらのほうは 少々過激で 真偽不明ですが でも思い当たる
ところも・・・)

rickさんの最終推理は、「やはり女がおかしい・・・???
現在は感覚的にRickはかなり神父様擁護ということ以上にこの女に対する疑念が高まっています。」

そこで、おつるの見解です。


この事件の神父様は、誰に聞いても「素晴らしい神父様、
いい神父様、こんなことをするなんて信じられない、
何かの間違いだ・・・」
聖トマス大学の学長もつとめられ、神戸海星女子学院大(神戸市)の非常勤講師もされた立派な方です。

うちの教会でこの神父様をよく知る方のお話では、
この神父様は アメリカにおられたとのこと。

アメリカやフランスでは 挨拶の抱擁、キスは当たりまえ。
それが神父様であっても 同じです。
逆に 外国勤務になった 抱きあったりキスしない日本人神父は
「なんて冷たい!! 私にキスしてくれないなんて、
私のことが 疎ましい、汚いとでも思っているのかしら」と
いうように 激怒されるほどだそうです。

ですから この神父様は 以前から挨拶として
抱擁、キスをされる方で 他にも外国勤務の長かった
神父様には 同じような感覚の方がいらっしゃいます。

2か月の間の70回のキス

これは セクハラでも何でもなくて
こんにちはと さよならの 一日2回のキスが合計でちょうど70回

ただの挨拶で 逮捕されて ここまでひどい報道がされるって
とんでもないことですね

抱き合う挨拶がいけないなら おつるなんて
フットサルの試合のたび 若いかっこいいお兄ちゃんに抱きついて
こかしたりしてますから 真っ先に逮捕です。
サッカーの試合のゴール裏で 点が入ると おつるは見知らぬ人でも
誰かれかまわず抱きつきますから ソク 逮捕です。

挨拶で逮捕!!!! ばかばかしい。

でも 教会の信徒さんは、まぁオーバーな抱擁の挨拶をされるのが
嫌だという人もいるだろうねと・・・

これは受ける側の感覚だけの問題ですね
セクハラとまでは言えないと思いますが・・・


こんなんじゃもう 神父様は握手もできないし
病気で苦しんでいる信徒が入院しているベッドで手を握って
慰めることも できないやん。

ただの挨拶。

私は もし 箕面教会の和田神父様や 洗礼を授けて
くださった神父様が抱擁の挨拶をしてくださったら うれしいなあ

和田神父様は そんなことなさらないけれどー。


これが 外国人の金髪のイケメンの若い神父様や
韓流スターやジャニーズみたいな神父様の抱擁と挨拶の
キスなら 40代のおばちゃん信徒なんて 70回どころか
100回でも 1000回でも 喜ぶんちゃう??


それにこの事件にはいきさつがあり、
被害者とされる女性は S教会でこの神父の賄いをして
数千円を受けとっていたそうです。
それは 神父様が貧しいこの女性に 憐れみの気持ちで
ポケットマネーで お金をあげていたのです。

そして転勤になった神父様を自分から追いかけて
I教会にやってきた。
普通は、信徒が所属教会を変わるのは転勤や引っ越しなど
やむをえない場合なのに特殊です。

うちの教会などは賄いなどはボランティアで
信徒がお世話して 金銭などもらっていませんし
そういう古くからいる信徒が管理している台所に
いきなり押しかけてきた女性が 入りこんできて・・・

それをおゆるしになっておられたI教会の方々は
すごく お優しい方々です。

そして しばらくは賄いをして また金銭を受け取っていたが
神父様がご病気で入院された。

そしたら賄いの必要はないし、教会の台所でうろうろするのは
おかしなことです。
それを 勝手に冷蔵庫の中のものを使うなどされていて
信徒の方々が困っておられるので

神父様がお叱りになった。

当然のことです。

そこから 突然、この女性が セクハラだと
大阪教区に訴え、大阪教区、松浦補佐司教などがもたもたしてるまに
第三者が入り知恵をして女性とともに 警察とマスコミに訴えた。


これが真相。

逮捕の時も マスコミの報道に
犯罪者は上着をかぶったりして顔を隠しますが
神父様はどうどうと お顔を写真に撮られています。

あたりまえです。 挨拶しただけなんだもの。

そして 神父様はあくまでも 女性のことを悪く言うとか
いきさつなどをお話しされず 自らが悪者になり
女性や 教会を守ったのです。これぞキリスト者です

****************************
以上、私の個人見解ですが ほぼ事実に近いものです

まるで恐ろしい人権擁護法案が成立して
何もしていないのに 被害者ぶる方の一方的な訴えだけで
差別者だと逮捕される・・・こんな時代が来るのを憂いていますが
まさに そんなかんじの ノリです。

この女性も 貧しさや苛立ちの精神状態から自分を見失って
いたのでしょう。 悲しいことです。
責めたくはないけれど、お世話になった神父さまや お世話に
なった教会に対しては、ひどいのではないかな。


私は この女性を糾弾するとか責めるとか 悪口のつもりで
書いているわけではありません
不幸な人生で 心がすさんでしまったかわいそうな方なのかも。

でも 事実は事実として 真実を隠してまで
神父様を 悪者にするのは いやです。


それと マスコミに対して 大阪教区の正平協、憲法9条教の
左翼活動に熱心な 松浦補佐司教さまが 
マスコミにわざわざ記者会見をしましたが

逮捕といい、記者会見といい、教会や神父様を
守ろう、カトリックの名誉を守ろうというふうには思えません。

うちの教会では とにかくこのような挨拶ごときで
警察沙汰にしてしまった 教区に問題があると
信徒たちは 怒っています。  

************************************

ところで・・・・・今 世間で大々的にニュースになってから
そして 松浦補佐司教様は 記者会見なんてするもんだから

「松浦悟郎」 「松浦悟郎 赤軍派」「松浦補佐司教」
「松浦補佐司教 左翼」などという 検索ワードで
検索している日本中のひとが 私のブログにつどりついていることが
アクセス解析でわかりました。

あーあ 墓穴をほりましたね。 松浦補佐司教さま

だから普段から 公安に目をつけるような
政治活動や社会活動は やめれと さんざん言ってるのに

ますます 世間、一般人から 認識されてしまいましたね・・・

まあ自業自得でしょうね。

これを機会に 正常に戻られることを祈ります。

しかし記者会見で「関係者におわびしたい。今後このようなことが起きないよう全力を尽くして取り組む」と謝罪したとありますが

まるで 吉兆のおかみか 偽装建築の建築士か 
悪いことした政治家か いじめ自殺を出した学校の校長かっっ

と 突っ込んでみる。





とにかく 私は 

茨木教会で マスコミに囲まれたり 
心ない噂に苦しみ耐える信徒さんたちや 

挨拶だけで 逮捕されたかわいそうな神父様のために 祈ります。



うちの教会の今日のごミサでは I教会のために祈りました。

ごミサは 事件には触れず
お知らせの時に 和田神父様は 
最近おきた悲しいニュースとして 

30代で 最近 事故で亡くなられた教え子だったシスター
最近 おなくなりになった神父様
そして 今回 ニュースになった事件がありますが

みんなで祈りましょうとだけ おっしゃいました。

帰り際に 和田神父様と立ち話でいろいろと この件について
お話いたしましが、その内容はここでは ヒ・ミ・ツです

あとは もう 私たち信徒が
生き方などで カトリックの名誉回復のために がんばるしか
ありませんし 祈るしかできません。


神様が本当のことは わかってくださるはずです。



















2009-02-08 15:24 | 記事へ | コメント(96) | トラックバック(3) |
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◆田母神氏 講演会  ジャンヌおつるのレポート そのA



●田母神さんがクビになった経緯です

10/31に アパの論文の発表があり 最優秀に選ばれたと日経新聞より連絡 その直後の仕事のいつもの定例記者会見では何の質問もなく
大臣に報告しなきゃと安倍元首相の弟、岸信夫政務官からお祝ムード

5.6年前から防衛省も田母神氏が今回の歴史論文のようなものを書いているのは知っていて なぜ今になって・・・という感想

増田事務次官との電話のやりとりなどで辞表を出せと言われて
自分は国会に対して悪事を働いていないから辞職はしないと
そして浜田放映大臣もそういう意向だと知り・・・
それから 2時間半で クビになった。

「普通 防衛省っていうのは ひとつのことを決めるのに
三か月半はかかるのに 2時間半って・・やれぎできるじゃないか」笑

退官の式のために ホテルで離任の辞を考えていたのにそれも許されず・・たぶん 私は人気がありまして99パーセントの自衛官が
私を支持しているから 英雄になるのを恐れたのでしょう

しかし今回の件は 5万人の隊員に影響を及ぼすことだ。

●文民統制
日本以外は聞かない 単なる学問上のことばである
軍人はモラルに優れていて文民が見張る必要などない。
諸外国は 戦争をする・やめるという決定は政治がおこない
軍が決めてはいけないというルール

が 戦略を素人が作ろうだなんてどだい無理で軍人がノウハウを
知っている

現在の日本のシステムは 実は 世界ではヨーロッパやアメリカ
よりも 中国や北朝鮮に近いシステムになってしまっている

たとえばJリーグで サッカーをやったこともない人が
サッカーの指揮をするなどとんでもないが 
自衛隊にしろうとが注文するなど 
文民統制など強化すれば 自衛隊の弱体化につながる。

自衛隊が強いほうが 国が安全だというのはわかりきったこと。

●中国との訪問交流
自衛隊は各国の軍人との交流、訪問などの機会がある
中国に訪問したときに 中国の陸軍中将が「過去の不愉快な歴史を
どうするんだ」と日本の悪口をえんえんとまくしたて
だんだん腹がたってきたので
「日本だけなぜ 謝らないといけないのか
それならイギリスに5倍も10倍も謝れといわなきゃおかしいだろ
なんか 日本にだけ言うのは 魂胆があるんだろ」と言った。
すると急に 「歴史認識の違いを超えて交流しよう」と
言いだすなど相手の態度が変わった。
しかし失礼な対応をされ 国際儀礼に反する行為をされ
今度は中国から訪問の予定も 来ないと言いだした。
そこで中国大使館に「二度と来るな!」と・・・・

そしたら直前になって訪問してきた・・笑

●自衛隊の言論の自由

村山談話を心の中ではおかしいと思っても実際に口に出して
批判したことはない
村山談話を徹底したなら 自衛隊は解散になってしまう。
ろくな国じゃないなんて思う国を自衛隊が守れるはずがない。

あやまる→金を出す・・なら まず河野大臣財産だしてねー

●植民地について

日本は帝国大学を 東京・京都・東北・九州そして次に
朝鮮・台湾に 大阪・名古屋よりも前につくったのだ。
イギリスがインドに オランダがインドネシアに大学なんて作らない

また日本軍の陸軍士官学校には朝鮮人も中国人も学び
日本軍の金大佐という人は天皇から勲章ももらっている。
朝鮮王朝の李垠(イオン・りぎん)殿下は学習院で学び 皇室のなしの梨本宮方子妃殿下とご結婚なさった。

日本は植民地ではなく対等合併したのである

●A級戦犯について

A級戦犯が悪いというのは戦後教育の影響
サンフランシスコ講和条約のあとも牢獄につながれ
戦犯の刑期が守られることとなっていた

国内では犯罪人でしない 気の毒だと 当時
長谷川一夫、淡谷のり子らが巣鴨に慰問

当時の国民感情は気の毒だというものであった

●核武装について

軍が強くなるのはいいことであり
核武装しないほうがいいというのは世界で日本だけで
選挙目当てのまったくの無知。

ドイツ・イタリアは核武装はしていないが日常的にアメリカの核兵器で訓練をさせてもらっている
日本も非核三原則をやめて 訓練さえすれば核を持たずに
核武装ができる
核兵器は使われることがない兵器

そして核武装しているかどうかは 外交の発言力において
天と地ほどの差がある。
国際社会での発言権を確保するために必要であり
戦力の均衡を必要としない兵器である



**********************************************

以上、録音したわけではなく 抜粋しましたので
微妙にニュアンスが違ってたり 聞き間違いしている
部分も多いと思います。

質疑応答では、若い男性が感激して
自己アピールをしたり、未来を担いたいと希望を述べたりでした




おつるの感想は とにかく 話がおもしろい方だなーと
ジョーク・ギャグのセンス 抜群です。

おつるは おもしろいジョークを言える人というのは
本当に頭のいい方だと思っています。
頭のいい悪いは、知識がどうとかではなくて

状況に応じた判断力や機転など そういう能力も
ジョークを言って笑わせる能力も含めたものが
頭の良さなんじゃないかなと思います

歴史認識については いろいろな本を読んだり
ネットでも勉強していますが

20万人の公職追放や 書物を検閲により燃やされたことなど

日本の戦後は 言論弾圧や思想弾圧 文化や伝統や 宗教の否定と
チベットなどに対する中国がしている同じことを
しかも無意識のうちに されてきたんだと思い寒気がします。

それは虐殺は伴わないけれど 国民は気付かないけれど

虐殺を伴わない あまりにも巧妙な 
まるで サブリミナル効果を見せられて意識にないような
そんな手法で、国民の意識が洗脳され続けたんですよね


そうして 偏った歴史認識が生まれてきて
国に誇りを持てない、国を愛せない人ばかりになり

戦前の誠実さ・誇り高さ・礼儀正しさなどを失い・・・

自衛隊に感謝もできない人ばかり・・・

そしていまだに 今回の田母神さんのように 言論弾圧をされる
・・・

講演会に参加したおかげで 今回の事件のいきさつも
と手もよく理解できましたし 
歴史認識について、自衛隊ついても 再考することができました。

田母神さんは3月にもまた大阪でやるとの事
西村眞吾先生も来られると kinaさんに教えてもらいました。
また同月には福井でも行われるそうです

講演会で 全国を飛び回って 思いを伝え続けてられますが
いきいきとそして、全国の若者へ熱いメッセージをおくりつづけ
られること 素敵だと思います。

おつるみたいなものにも とってもわかりやすく楽しく
お勉強ができたのですもの。

がんばれーーーー田母神さんっ 






 

2009-02-08 02:08 | 記事へ | コメント(3) | トラックバック(0) |
| 自衛隊 / 田母神論文 |
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◆田母神氏 講演会  ジャンヌおつるのレポート その@
1/31に 大阪防衛協会が主催する 

「田母神俊雄氏講演会」がありました。

本来は大阪防衛協会の会員優先で一般にあまり告知されていない講演会でしたが 久野潤先生に急遽お願いして参加させていただくことができました。

また、大阪中央区倫理法人会幹事の大圓さんも講演会のお知らせをされていらっしゃって、もし当日入れないなら、名前を使ってくださいとありがたいお言葉を頂いていました。

荒木肇先生からも ぜひ参加してお勉強してきてください、大阪防衛協会は一般の方でも入れてくれるはずですとアドバイスを下さっていました。

おかげ様で参加してしっかりお話を聞くことができました。
この場をかりて お礼申し上げます。 感謝。
******************************************************************



講演会は 「ニッポンの安全と平和について考える」
自分たちの国は自分たちで守る
          〜これからの日本を担う若者たちへ〜

というテーマでした。

会場は老若男女、いかつい男性〜若い女性までさまざまでしたが
大きな会場は いっぱいでした。


まずは 田母神さんの 「私は危険人物ではないですよ
いい人なんですよ」
と 
「わたしが侵略国家ではない、いい国だ」といったら
政府が「日本はいい国ではない、ろくでもない国なんだ、おまえはクビだー」
というセリフに 会場の爆笑ではじまりました。

では侵略国家でない国ってあるのか?ということ
そんな国はない。 15世紀以降は白人による有色人種支配が450年も
つづいていたんだ。 日本は侵略される側であったが最後まで侵略されていない国だった。

アメリカから見て日本は極悪非道な国だとアメリカは正義の国とするための嘘をいう必要があるからで、実際は日本はおだやかな政策だった。

では国を守るとは・・・
日本の国、自衛隊が強くなると侵略するのではと思いこまされてい
ではなぜそう思いこまされたのか

●東京裁判
国際法にもとずくものではない、事後法で第二次世界大戦を裁く・・・公平な裁判になるはずがない
オーストラリアのウェーブという人が
「東京裁判はいかなる国際法に基づくのか」との問いかけに
あとで答えると一時休憩となり2年半答えがないままだった・・

東京裁判の死刑は復讐だった。
天皇誕生日をわざわざ選んで7名の死刑執行がなされた。
アメリカの弁護人でさえ「なぜ 日本人だけが裁かれなければ
ならないのか 原爆のパイロットはなぜ裁かれないのか
国際法に違反しているじゃないか」 
これも裁判長の指示で記録うちきりとなった。
逆に検察側においては、証拠がとれなくても裏がとれていなくても
採用となった。

●検閲について
戦後は、新聞・雑誌・ラジオなどすべてGHQの許可が必要だった。
プレスコードガイドラインというものがあり
日本の国を誉めるようなことは一切言うことができず
アメリカ、連合国の悪口はもちろんダメで 日本軍が勇敢だと
言うことなど一切ダメ。
東南アジアで赤ん坊を銃剣でさしたなどという大ウソを
戦後のラジオしか楽しみがない国民に
「真相はこうだ」という日本断罪の嘘為の放送を続けた。

●焚書 
連合国に都合の悪い書物、7千数百冊もの本が焼かれた。
現在 一年間に全国で発行される本は8千冊ほどだがそれと同じ
ぐらいの数の本が焼かれたということ)
そのあと昭和20年12月8日 新聞全紙に一週間、太平洋全史が
掲載され、GHQが本にして10万部 各都道府県に2000冊づつ配られた

●公職追放
日本はいい国だとう政治家・軍人・学者・市町村長・役人・教育者など20万5千人が 追放された。
その役職、仕事の穴埋めとして 戦前〜戦中は追放されていた
左翼が入り込んだのだ
大学の先生が特に顕著であり、東京帝国大学総長 
なんばらしげるなど コミンテルンのスパイ容疑のような人物が
相当数 もぐりこみ・・・社会の中枢を左翼が占拠。

ここで 田母神ジョーク
「左翼ってね、一目見ただけでわかるんです。体が左に傾いてんの」
会場爆笑ーーーーー
「学校へ行けばいくほど悪くなるってことですよ
 ここのみなさんは 東大なんかいかなくてよかったね」
爆笑

いかに教育の影響が大事か・・・教育は重要だということ。
戦前 日本は経済的には貧しいが、外国人には
日本は礼儀正しい、裏切らない、誠実だと言われていたが
戦後教育によってその良さは失われている・・・

●村山談話
私のクビはおかしい。
村山談話で日本なんて守れませんよ。
大阪湾と神戸港 外国が占拠しますよ。

北朝鮮の工作船が何度も何度も日本にきて 拉致の被害者が増え続けて・・・・
「北朝鮮の船なんてね、一回 沈めた 二度と来ないんですよ」
尖閣諸島なんて9時間半出ていかないのに日本は何もしないから
なめられている 日本は武力行使ができないとわかっているから。
竹島はそうやってなめられて結局実行支配されてしまった・・
もう竹島は戦争しないかぎり取り返せないんです。

●外交
日本は武力行使ができない
正当防衛と緊急避難しかできない。
アメリカに守ってもらうかぎりアメリカの言いなりになるしかない
冷戦が終わり宮沢・クリントン会談で 日本をアメリカ側にしろと
その流れで郵政改革だの・・
こういうのは 日本が働いたものをアメリカに有利にするシステム

外交とは 日本が働いた富を日本の国益とすること
日本が尊敬されること ではないのか?!
日本はお金を払ってバカにされ 自分の国を自分で守れない
自衛隊ががんじがらめになる・・・
歴史観を克服しないと 国は守れないという気持ちを抱いた












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| 田母神論文 / 政治 |
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2009年02月07日(土)
◆【特別号】「田母神論文」について−10 荒木 肇 『歴史学と歴史教育』
先日 おつるは田母神氏の講演会に行ってきました。
荒木肇先生の論文をいつも読んでいるので、より
田母神さんのおっしゃることが 理解できました。

そのレポートについては またのちほどアップいたします。
荒木 肇先生のメルマガ配信はこちらから↓

http://www.melma.com/backnumber_174026/




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◆【特別号】「田母神論文」について−10               荒木 肇 
まとめの第2回『歴史学と歴史教育』
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 近・現代史をめぐる論議の前には、歴史学と歴史教育の関係を考えなければなりません。
 それは、歴史教育は何をするのかという目的論があるからです。

 歴史は戦前の小学校でも教えられていました。それが非科学的で、神話を事実として教えたり、天皇崇拝の意識を注入していたりというので、戦後の教育では完全に否定されました。
 歴史は科学でなくてはならない。その気分が世間に広まったとき、歴史学の世界は「科学的マルクス主義史観一辺倒(いっぺんとう)になりました。

 それ以来、教育は歴史学の解釈を、子どもに理解しやすいように易しく教えることだと教育者たちは思ってきました。
 そのため、根本的な「歴史は何のために教えるのか」「歴史観を育てることとはどういうことか」の議論はあまりされませんでした。
 むしろ、教育現場では、自分たちの独自性を忘れてしまい、新しい「事実」が学会から発表されると、すぐに新しい資料を使った授業などを発表してきました。

 でも、それが破綻したのが、冷戦の崩壊、とりもなおさずソビエト連邦の解消でした。


▼玄人の言うことはいつも正しいか

 田母神元空将の論文に対しては、その前段の内容について「歴史学の定説ではない」「学問的に認められていない」というような批判がされました。「正しくない」「誤っている」ものだという非難です。それについては、私も第1回で「陰謀史観」についてのお話で書きました。

 私は、今回の事件の本質は、素人対玄人の対決である。素人の玄人に対する意見表明だと考えています。
 歴史学の専門家である方々に対して、その歴史解釈は納得ができないという素人からの異議申し立てでした。
 玄人がマルクス史観を中心に解釈してきた近現代史像に、世間で地下水脈のように流れている国民大衆の歴史像の代表が挑んだといっていいでしょう。

 考えてみてください。偏向した教科書を読まされ、「平和教育」に熱心な教師による授業を受けた。そういう人が多かったことでしょう。
 しかし、世間の実態はどうでしょうか。大河ドラマの『篤姫』に人気が出る。司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』が日露戦争の史実のように語られる。学校の歴史授業で教えた「正しい歴史」は、どこでどんな役に立っているのでしょう。

「従軍慰安婦」しかり、「南京大虐殺」しかりです。真実とはこうだ、過去の日本はとんでもないことばかりをしてきたのだ。だから、ひたすら関係各国に謝らなければならない。アジアの人々にも多大な迷惑をかけた。まず、反省して、信頼を得ることだ。
 そんなふうに、がんばっているのは国民全部から見れば、ごく一部の歴史の玄人と、それに同調する人たちだけではありませんか。

 プロの歴史学者は、むしろ孤立しているといっていいでしょう。いや、学者が世間から離れているのはいっこうに構わないのです。
 むしろ、戦後の歴史学者は、世間のことに関心を持ちすぎてきました。世間を改革しようとする日本教職員組合、歴史教育者協議会などに担がれて、「正しい」歴史を世間に広めようとしてきたのです。

 学者が「象牙の塔(ぞうげのとう:もう死語ですね)」から出て啓蒙活動をする。それもけっこうかも知れませんが、戦後の歴史教育の方向や、教科書をみる限り、思想的には、とても公平とはいえない主張だらけです。
 そして、広める役を引き受けた現場の教師の姿勢も問題でした。学者の学説をかみ砕いて書いた教科書の内容に忠実に、子どもたちにそれを注入しようとする人が、社会科教育や歴史教育の研究会の主流になりました。


▼史実追究の難しさ

 歴史を学ぶということは、自分の史観形成の努力です。史観というのは大きな言葉ですが、ある事象と別の事象を関連づけて、歴史の原動力を考える営みといっていいでしょう。
 だから、事象を正確にとらえることが大事です。歴史認識をどう構成するか。それは一人ひとりの仕事であり、発達途上の子どもたちに、どう関わっていくことが正しいのかという課題があります。

 ここでは、世間に広がっている話題を出して、事象を正確にとらえる営みの一つの方法を考えていただきたいと思います。


《サンパチ式歩兵銃は、陸軍の頑迷さを表すのか?》

 陸軍は技術を大事にしなかった。明治時代の手動小銃(1発撃つごとに手でボルトを操作する)で第2次大戦も戦った。それが技術軽視の象徴だったと、ずいぶん言われてきました。
 確かに、戦後のアメリカ戦争映画には機関銃の前に銃剣を構えて突進する兵士、なぎ倒されていく日本兵が出てきます。肉弾突撃、銃剣だけが頼りの精神主義だった。そういう解釈が「正しい」とされてきました。

 しかし、事実をいえば、明治時代の小銃を使っていたのは、わが国ばかりではありません。当時の大国の陸軍はみんなそうでした。38式歩兵銃(騎兵銃があるので小銃とはしません)は、明治30年式歩兵銃の改良型です。
 明治38年といえば、1905年になりますが、イギリス軍のリー・エンフィールドMk3小銃は1902年、ソ連軍は1893年のモシン・ナガン小銃、ドイツ軍は1904年制式モーゼルM1898の改良型kar98でした。これらは、みな手動装填(そうてん)で、1発ずつボルトなどを動かす形式です。

 アメリカ陸軍や海兵隊も例外ではありません。自動装てん式のM1ガーランド小銃(半自動式ともいいます、連発能力はなく、1発ずつ引き金を引きます)が主力になるのは、ガダルカナルの戦いから以降です。それより前は、やはり、1903年制式のボルト・アクション、スプリングフィールド小銃を使っていたのです。

 実は、わが国も昭和5年ころから、自動装てん式の小銃を研究していました。そこで問題になったのは、銃の製造コストが増える(昭和15年で38式歩兵銃は45円、自動銃の見積価格は68円)ことと、その弾薬消費量の予測です。慎重に狙いをつけて、1発ごとに撃つ手動に比べて、自動装填(そうてん)では兵士はどんどん引き金をひいてしまう。

 当時の陸軍技術本部銃器班が集めた資料には、1日に250発を撃ってしまうとありました。大国の陸軍は戦時には動員をかけて100万人にもふくれあがります。小銃の装備が80%とすれば、80万挺を用意し、損耗・交換を考えると100万挺が必要になる。すると、1日分だけで2億5000万発の小銃弾を用意しなければなりません。

 ボルト式小銃でも、熟練した射手なら1分間に7発を撃つことも可能でした。自動装てん式なら誰でも40発も撃てました。同じ時間内の発射弾丸量を比べれば、圧倒的な差になります。近距離の撃ち合いでは、明らかに自動装てん式小銃は有利です。じっくり狙うのではなく、どんどん引き金をひいて連射する。外れる弾丸も多いでしょうが、1発でもあたればいい(実際は、ねらって撃つために自動銃でも毎分11〜12発と予想したそうです)という発想です。

 しかし、問題は、その弾薬の補給でした。
 兵士が身体につけて持って歩けるのは、せいぜい120発でした。撃ちあいで使われたら、最前線の近くまで、とんでもない大量の小銃弾を送りこまねばなりません。その輸送に、わが軍は自信がもてなかったのです。
 小銃弾1つ1つは小さいものです。重さはわずか21グラムにしか過ぎませんが、120発では、2.52キログラムになります。小銃中隊の定数が120丁だと300キログラムをゆうに超えるのです。

 陸軍の輸送手段は主に馬でした。陸軍には駄載(ださい:背中に積む)用の駄馬と、荷車や砲車、輜重車などをけん引する挽馬(ばんば)がいました。もちろん、騎兵隊は乗馬をもっていましたし、各部隊にも乗馬本分(馬に乗る資格)の人のための馬がいます。
 陸軍はいつも馬には困っていました。やみくもに民間から集めては農耕馬が減ってしまう。集めた馬も、馬体が小さく、西洋馬にはなかなか追いつかない。
 1900年の「北清事件」では、『日本の騎兵はポニーに乗っている』と欧米人から驚かれたくらいです。北海道や東北地方では、優良な軍馬を育成するために特別な施策をとっていたくらいです。

 馬を増やすということは、その世話をする人(馬取扱い兵)が必要になり、蹄鉄を打つ技術下士官、兵、獣医官も増員しなくてはなりません。それに馬の食物です。1頭の馬を動かすには、その食べる馬糧を運ぶ馬と、そのまた馬糧が要るというわけになります。

 こうして、わが国は、他の多くの大国と同様に、半自動式小銃を採用できませんでした。

 そして、小銃は重いのです。また、その発射反動は想像を絶する痛みを肩に与えます。
 明治の古老の思い出話がありました。幕末の「幕府歩兵隊」の兵士だった人です。まず、約4キログラムの小銃をいつも身のまわりにひきつけておく大変さ。次に、その小銃をになったり、立てたり、腕で保持したりという姿勢を覚えること。最後に、装備や、弾薬を身に付け、刀剣までも腰におびて歩くこと。これらに加えて、特筆されているのが、照準動作の難しさと、発射の反動が肩に与える苦痛でした。

 では、小銃を軽くすればどうなるか。発射反動はますます増えます。機関部や銃身も軽くすれば、強度が下がります。小銃弾も小さく、威力のないものになるでしょう。
 銃身の長さの問題もあります。これも列国の制式小銃の重さを比べてみましょう。38式の4キログラムはごくふつうです。最も重いのがアメリカ軍のM1ガーランドで4.4キロでした。

 俗説で、サンパチの長さは欧米の体格の良い兵隊と銃剣格闘をするために決められたというものもありました。それは、技術を考えないまったくの誤りです。薬きょうに詰められた火薬によって弾丸は飛びます。銃身が短ければ、それが完全に燃焼することができません。結果的に弾丸は速く、まっすぐに飛ばず、音と炎だけが派手に出るだけです。重さと威力、さらには扱う人の体格が、小銃の銃身の長さを決めました。

 明治の人たちの体格も考えなければなりません。当時の現役の歩兵の平均身長は、およそ158センチでした。徴兵検査で体格の良い人は砲兵や工兵になりました。どちらも、重量のある機材や、資材をあつかう兵科です。むしろ、歩兵は兵隊としては、ごく平均の体格の人たちでした。歩兵銃の設計は、そうした扱う人の体力も考えてなされたのです。

 また、予想される戦場である満洲の極寒(ごくかん)に、機関部は故障を起こさないだろうか。
 より大型の機関銃の話になりますが、満洲での実話です。潤滑油は凍り、温めようとして焚き火をすれば、その水蒸気がさらに凍り、表面上が氷になったという話があります。
 ドイツ軍もソ連軍も寒気には苦しみました。有名なスターリングラード攻防戦では、両軍とも自動火器の保温には苦労したそうです。

 NHKの番組では、ガダルカナル戦を扱ったとき、サンパチとM1を比較して、こんなに違ったと紹介していました。もちろん、M1の素晴らしさをたたえ、陸軍の頑迷さを告発する趣旨でした。
 しかし、この扱い方では、泥と湿気、熱帯で使われるM1の故障、補充、それらを支える米軍の後方兵站(へいたん)システムについては、誰も考えないのではないかと思いました。
 もちろん、番組のねらいは死者を悼みつつ、戦前陸軍の暗部を描くものでしょう。でも、技術や戦前社会の弱点については、またまた吟味されない俗説をふりまく番組でした。

 サンパチ式歩兵銃は、陸軍の頑迷さを象徴するのではなく、当時の日本の技術水準の高さと国民のレベルを表すものだったのです。
 また、日本陸軍は技術軽視どころか、どこの先進国陸軍とも同じに、新しい兵器の開発に努め、技術を重視していました。確実ではありませんが、手りゅう弾の発明、簡易迫撃砲の使用などはわが陸軍のオリジナルのようです。また、大正時代にも、列国になかった擲弾筒(てきだんとう)を開発しています。


■銃剣突撃は、それほどバカな戦い方か 

 日本の兵士は驚きました。陣地の直前まで迫ると、ロシア兵が銃剣をふりかざして突撃してきたのです。わが国の兵士にとって、銃剣とはせいぜい歩哨や儀礼に立つときに使うものでした。あるいは、敵陣地を占領後、負傷したり、投降したりする敵兵に突きつけるものでしかありませんでした。格闘の訓練など兵営ではしたことがなかったのです。
 日清戦争では、ごくまれに市街戦があり、清国軍が青龍刀や槍をふるってきたことはありました。それを小銃射撃で退けた経験はあります。でも、銃剣をふりまわし、突き刺してくるロシア兵には、それもできませんでした。

 戦後の『偕行社記事(かいこうしゃきじ:陸軍将校の研究会誌)』には、ロシア兵の銃剣突撃の前に、算を乱して逃げる日本兵を見た外国観戦武官の報告がのっています。

 私たちの間には、「日本刀」神話ともいうべきものがあります。それに支えられたチャンバラ信仰もあります。ドラマや映画の合戦シーンでは、必ず、鎧武者(よろいむしゃ)同士の斬りあいがあり、竹刀剣道の技で相手を切り倒しています。面を打つ、袈裟(けさ)がけに刀を打ちこむ、胴をはらうなどです。
 しかし、当時の戦死傷者の内訳は、なんといっても鉄砲と、矢によるものが圧倒的で、刀によるものは数%でしかありません。それに、刀で斬られてしまうなら、何のための鎧でしょうか。

『飛び道具とは卑怯なり』といったことを本当に江戸時代の武士が言ったかどうか。少なくともそれは、鎧を着ない素肌(すはだ)剣法の信奉者が言ったことに違いありません。
 熊本の新風連の乱のことでした。この反乱の参加者たちは「神事(しんじ)」にこだわり、鉄砲をもちだそうと主張した人の提案を拒みました。まさに日本刀と槍、弓だけで武装して兵営をおそったのです。
 当初、白兵(火兵に対して刀や槍を指す)戦を挑まれた睡眠中の非武装の砲兵たちはなすこともなく、斬られ、刺されましたが、やがて指揮官を中心に態勢を立て直し、(歩兵が到着したこともあり)小銃で反撃することで暴徒を鎮圧しました。

 横須賀在住の鈴木真哉さんとは長いおつきあいがありますが、彼は『刀とは首取りの道具である』と語ります。説得力のある資料の駆使は、まさに素人研究者のかがみです。
 私は、学部時代には鎌倉や室町時代に成立した「軍記物語」の中の合戦シーンや、武士たちの最期をまとめました。結果、死因のほとんどが弓によるものと考証しました。もちろん、マルクス主義歴史学者の教授からは、『こういう数字は価値無し、むしろ当時の武士の所領獲得への欲望を追究せよ』という酷評をいただき、成績はあやうく不可になるところでした。

 鈴木さんは、戦国時代の賞状である「軍忠状(ぐんちゅうじょう)」を分析して、合戦の主要兵器が弓から鉄砲にうつったこと、戦死傷の原因のほとんどが投石や、矢、鉄砲の弾丸によるものを立証しました。
 では、刀はどんな役に立ったのか? 実は、首を取る時に役に立ったというのがほんとうらしいのです。
 幕末の長州戦争や、戊辰戦争の主武器も小銃と大砲でした。映画や小説では、やはり、演出が要求するのでしょう。やたらに白兵戦がでてきますが、実態はやはり射撃戦が主のようです。
 もちろん、狭い路上で敵味方が鉢合わせしたり、弾丸がなくなった兵が白兵で突進したりということもあったでしょう。しかし、それは例外のようです。
 長州戦争では、幕府洋式陸軍の指揮官たちが、小銃の狙撃(そげき)で次々と倒されていったさまが、当時の報告書に書かれています。

 堅固に守られた敵陣、それに砲弾をぶつけても効果がなかったら次はどうすべきでしょうか? あるいは、砲弾の補給がなくなってきたら、どのように攻撃すべきでしょうか? 日露戦争の旅順要塞の攻略戦では、乃木大将への非難が気になります。
 司馬さんの『坂の上の雲』は名作ですが、細部についてはさまざまな批判もあるようです。中でも多くの人が納得したのは、『坂の上の雲では分からない旅順攻防戦』(別宮暖朗:並木書房)で明らかにされたさまざまな事実と解釈でしょう。別宮氏も玄人の歴史学者ではありません。

 詳しい論考は別宮氏の著書を参照してください。司馬遼太郎氏の論とどちらに説得力があるか、決めるのは読者でしょう。
 史実の追究はたいへん難しいものです。いわゆる「定説」を安易に受け止めてはいけません。権威のある人の言論を読み、すぐにクチパク(同じように真似をすること)する人には、とてもできることではありません。


▼事例提示型歴史授業の問題点

 小学校や中学校の授業では、しばしば事例提示をします。ある時代を象徴する場面や、事象を見せて、そこから子どもたちの関心を呼び起こし、問題解決学習を企画するからです。その資料の選び方に教師の力量が現れるわけですが、ちょっと前には、とんでもない教材がモデルとして使われていました。

 たとえば、ある中学校で使われた「南京事件」に関する資料です。
『何万人もの人が機関銃の一斉射撃で殺されました。また、生き残った人々は小銃で撃ち殺し、あるいは銃剣で刺し殺すということをしました』
 これを子どもたちに読ませようというのです。私がこれを読んだら、まず、何万人もの人を撃ち殺した機関銃は何挺だったのだろうかと考えます。

 当時の陸軍部隊でいきわたっていたのは3年式重機関銃だと思えます。全備重量は55.4キログラム(銃本体と三脚架)になります。カタログ・データでは、450発を1分間で撃つことができることになっています。でも、これは発射速度といい、実際には1分間も機関銃を撃ち続けることはできません。それは、銃身が焼けてしまうからです。機関部も熱をもち、引き金もひかないのに勝手に弾丸が発射されてしまうことにもなります。

 何万人もの人を撃ち殺したそうですが、どういう地形で、どのような囲みを作って、それだけの人を集めたのでしょうか。その中には、軍服を脱ぎ捨てた中国兵もいたと思えます。便衣(べんい)とも言いましたが、軍服を脱いでいては「捕虜資格」はありません。反抗的な態度をとったり、暴れたりすれば、国際法でも保護はされないのが常識です。おとなしくしていたとしても、撃ち殺されることが分かれば、素手でも監視兵に襲いかかったことでしょう。

 必要だった機関銃弾も考えましょう。致死命中率(死に至るような効果を期待できる弾丸の率)がどれくらいかは状況によって変わりますが、数万人を殺すには、数十万発の弾丸が要るでしょう。それを運んだのは弾薬箱です。頑丈な木箱で重さが19キログラムありました。紙箱に入った540発の弾が入ります。保弾板という真ちゅう製の部品とあわせて、830グラム×18、つまり14,940グラム。箱と合わせれば約34キログラム。1頭の駄馬に4箱が積まれました。およそ2、000発です。

 仮に10万発を使ったら、駄馬の数に直して500頭にもなります。砲弾を運んだ野砲兵聯隊の駄馬の数でもまた、機関銃の銃身は交換が必要でした。発射ガスの高熱、弾丸がこすりつけられながら通るための摩擦熱などで銃身は焼けただれてきます。銃身の歪みと、火薬のカス、高熱などで内部のライフルが傷むことをエロージョン(焼損:しょうそん)といいますが、それを防ぐには1分間に200発以上は撃たないという心得がありました。そうしないと精密機械の機関銃は、ただの弾丸をまき散らすだけの役立たずになってしまいます。

 いや、軽機関銃だろうという方もいますが、事情はそう変わりません。軽機関銃は小銃弾を使えるし、持ち運びもかんたんです。でも、銃身が焼けてしまうことは同じです。
 また、生き残った人を小銃で撃ち殺したともいいますが、重さ4キロの小銃で、1発ごとに装填(そうてん)することに必要な体力を考えてみて下さい。それに、南京への追撃戦では、いつも弾薬の追送が間に合わず、部隊は慢性的に弾丸不足でした。

 いや、こうして私は「南京事件」を否定しようというわけではありません。事実であったこともあるでしょう。そこは、あまりにむごいことをしたと心からお詫びもします。アメリカ映画の中にも、降伏した日本兵を面倒に思って射殺したシーンはいくつも出てきます。最前線では、両手を挙げて、武器を捨てても殺されることはあり得るのです。
 捕虜は保護しなければなりません。食糧も与え、医療をし、安全に後方に送り届ける。これが国際法で決まっている交戦国の義務になっています。でも、それができるゆとりが勝者の側になかったら、さまざまな事故が起きるだろう事はかんたんに想像できます。

 30万人も殺されたと中国では言うそうです。では、亡くなった方々の遺体はどうなったのでしょう。近代軍隊だけではなく、昔から軍隊の大切な仕事は「戦場掃除」でした。戦場は死体やさまざまな物が散らばり、ほおっておいたら疫病も広がります。どのように、遺体を誰が、完全に処理したかは説明されることはないようです。


▼これからの授業をどうしたらいいか

 このように、昔の人の「愚かしさ」を知らせるために、わざわざ用意した資料も、科学的な裏付けのないものが多かったのです。こうした誤りを反省する人が増えました。では、現在は、どのような授業が行われているのでしょうか。

 これからの授業は、さまざまな角度から描かれた資料を用意し、子どもたち自身に考えさせ、話し合いをさせることが必要になるでしょう。そのためにも、「新しい歴史教科書」は大切なものになります。
 主張がまったく異なるものが世間にはある。一つの教科書だけが絶対ではないということを知ることも大切なのです。

 話し合いではどうなるのか。正しい認識は与えられるのかと心配する方もおられるでしょう。でも、歴史認識をもつということには、「あらかじめ未来を悲観しない」ということが大切です。子どもたちは健全です。

 これからも、素人対玄人の対決が進むことに期待しています。(荒木 肇)


□□□□□□□□□□【本文で紹介された本】□□□□□□□□□□
『坂の上の雲では分からない旅順攻防戦 』 別宮暖朗=著 (本体1800円+税)

国民的ベストセラー『坂の上の雲』で、日露戦争を知った人は少なくない。この本で司馬遼太郎は、乃木司令部が旅順戦ではまったく無能で、児玉源太郎と参謀本部が采配して攻略できたという。「乃木の無策で多数の人間が死んだ」と批判するが、果たしてそう言い切れるのか?
http://www.namiki-shobo.co.jp/


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆荒木肇経歴
1951年、東京生まれ。横浜国立大学大学院修了(教育学)。横浜市立学校教員、情報処理教育研究センター研究員、研修センター役員等を歴任。退職後、生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師、現在、川崎市立学校教員を務めながら、陸上自衛隊に関する研究を続ける。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。年間を通して、陸自部隊・司令部・学校などで講話をしている。

◆主な著書
「自衛隊という学校」「続・自衛隊という学校」「指揮官は語る」「自衛隊就職ガイド」「学校で教えない自衛隊」「学校で教えない日本陸軍と自衛隊」「子供もに嫌われる先生」
いずれも並木書房刊 http://www.namiki-shobo.co.jp/
2009-02-07 17:49 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年02月04日(水)
★緊急告知!!ニュース 「中国核実験災害問題シンポジウム 090318 東京」
★緊急告知ニュースです!! ( 転載・拡散・告知可能です)

「中国核実験災害問題シンポジウム 090318 東京」
のお知らせです


おつるの敬愛する 札幌医科大学教授 放射線防護情報センター

「中国の核実験」の著者である 高田純先生が

ジャーナリスト櫻井よしこさん、
英国へ亡命したアニワル・トフティ医師とともに
報告されるシンポジウムなのです!!



私は 高田先生にご招待いだいきましたので
もちろん 参加いたします!! 皆様も ぜひ ご参加ください

以下は、高田純先生のブログより詳細を転載です。
http://junta21.blog.ocn.ne.jp/blog/




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みなさん、大変うれしいお知らせです!  


ウイグル地区・東トルキスタンで生じた中国共産党が行なった蛮行・メガトン級核実験の調査は、単なる純理論的研究ではありません。実際に百万人以上が死傷したと考えられる、犯罪的行為の調査です。

 この問題の解決には、医学を含む放射線防護学にもとづく科学調査が、第一に求められています。しかし、科学だけでは解決できないのはいうまでもありません。



 今回、来る3月18日夕刻、東京にて、シンポジウム「シルクロードにおける中国の核実験災害と日本の役割」が開催されることになりました。

予定されている演者は3人です。中国の核実験災害の放射線防護学調査を私高田中国の核実験災害の放射線防護学調査を私高田が、後障害である健康被害について英国へ亡命したアニワル医師、そして、アジアの自由と民主主義のリーダー国としての日本の役割について櫻井よしこ氏が報告します。

是非、ウイグル、チベット、南モンゴルの人権問題の解決を支援されているみなさん、中国政府が隠蔽を続けているシルクロードでの核実験災害の問題に関心のあるみなさん、シンポジウムに、ご参集ください。

高田純



シンポジウム
「シルクロードにおける中国の核実験災害と日本の役割」



【講演内容】

   1.「中国の核実験災害とその問題点」 理学博士 高田純氏

   2.「健康影響の調査」 医師 アニワル・トフティ氏

3.「日本の役割」 ジャーナリスト 櫻井よしこ氏

  4. 各団体よりのコメント


【主 催】日本ウイグル協会会長/世界ウイグル会議日本代表 イリハム・マハムティ

【後 援】放射線防護情報センター、日本国家基本問題研究所、任意団体イリハム応援団


**************************************************************

日本ウイグル協会から、下記の案内が寄せられましたので、お知らせいたします。多数の皆さまのご参集を、お待ちしております。


シンポジウム「シルクロードにおける中国の核実験災害と日本の役割」


 核の保有国、核実験を実施した国は複数あります。しかし居住区域で大規模な地表核実験をした国は中国だけです。周辺への影響を全く考慮に入れない核実験を行うという、まさに悪の所業といえるでしょう。

 中国は、新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)の楼蘭付近で、1964-1996年に46回、総出力20メガトンの核実験を行い、周辺住民への甚大な健康被害と環境汚染とがもたらされています。しかし中国政府はその実験事実を公開せず、周辺への影響調査ですら行っていません。

 シンポジウムでは、日本人科学者およびウイグル人医師から、核実験災害の調査結果が報告されます。それにもとづき、中国の核実験災害の問題点および国際社会における日本の役割を考えます。

【場 所】東京都千代田区永田町1-1-1 憲政記念館


丸ノ内線、千代田線 国会議事堂前駅 2番出口から徒歩7分

有楽町線、半蔵門線、南北線 永田町駅 2番出口から徒歩5分

【日 時】平成21年3月18日

開演 17:30 講演 18:30 終了 20:30





【講演者】 

高田 純氏 放射線防護情報センター主宰、札幌医科大学教授

アニワル・トフティ氏  在英ウイグル人協会会長

櫻井 よし子氏  国家基本問題研究所 理事長

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ご参加希望の方は コメントでお知らせください。
よろしくお願いいたします

             ジャンヌダルクおつる



2009-02-04 21:06 | 記事へ | コメント(23) | トラックバック(3) |
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2009年02月02日(月)
自衛隊 大内田一等陸佐 講演会
(1/30)平日サロン @O-Cha Cafe
毎回多様な講師をお迎えしての定例勉強会を主催なさっている
久野潤先生からのお招きで、
自衛隊京都地方協力本部の大内田一等陸佐を講師に迎えての講演会に参加してきました。

久野潤さんからのメッセージです

また少し間が開いてしまいましたが、今回のサロンには自衛隊京都地方協力本部の大内田本部長をお呼びします “田母神論文問題”がメディアを賑わせる昨今ですが、じゃあそもそも自衛隊とは普段どういうことをする組織なのか、いざという時にはどうなるのか・・・といったソボクな疑問にも答えて頂ける場を設けさせて頂きました (私にとっては意外なことに)「自衛隊」というとカタいイメージがあるようですが、気さくな本部長の話をお楽しみ下さい

ゲスト: 大内田 憲治 氏(自衛隊京都地方協力本部長、1等陸佐)
―― 昭和37年2月19日生まれ。防衛大学校28期(昭和59年卒業)、陸上自衛隊入隊。
  昭和60年 3月 第9戦車大隊
  平成 2年10月  同  隊  中隊長
  平成 3年 8月 幹部学校付(指揮幕僚課程)
  平成 6年 9月 第2師団司令部付
     同     ルワンダ難民救援隊
  平成 7年 3月 檜町駐屯地業務隊付(伊藤忠商事研修)
  平成 8年 3月 陸上幕僚監部防衛部(東京都港区)
  平成10年 8月 第8戦車大隊長
  平成12年 3月 陸上幕僚監部調査部(東京都港区・新宿区) 
  平成14年 8月 幹部学校付(防衛研究所一般課程)
  平成15年 8月 第8師団司令部第3部長
  平成17年 4月 富士学校主任教官
  平成18年 3月 陸上幕僚監部監理部総務課企画班長

**************************************************************

自衛隊の事をわかりやすく説明していただけるとのことで
自衛隊ファンの私としてはとっても幸せ
楽しみに雨の中、京都まで出かけました。

会場についてすぐに、大内田1等陸佐様をお見かけしたので
名刺を持ちご挨拶させていただきました。
事前に荒木肇先生より、私の事をご紹介頂いていました。 
荒木先生に感謝。

私は「自衛隊ファンで荒木先生のファンなんですよ」と伝えると
「ジャンヌダルクさんだとお聞きしております笑 
自衛隊にお詳しい方には今日の話は、もの足りないかもしれませんが、よろしくお願いします」と言ってくださいました。

自衛隊に詳しいだなんてとんでもないー。私ファンなだけで
何もしらないのですもの・・・
たぶんtontonさんなら詳しいだろうなぁ・・・

第三師団の伊丹の演奏会に伺ったことなどをお話ししました。

そして 講演会ははじまりました。
ビールや飲み物を各自注文しての気楽な会でした。

私はもちろん ビール
ビールを飲みながら お話を聞くだなんて失礼かしらん
ごめんなさーい


はじめに 大内田様は
今回集まった方が年齢も職業もさまざまであり
自衛隊に対して知識のある方や詳しい方、まったく知らない方というばらばらのシチュエーションであるため、難しいのですが

まずは、「射撃による偵察をしたい」とおっしゃいました。

さすが陸上自衛隊!! たとえが「射撃」です。


射撃による偵察とは、相手がわからない、相手がどういうふうに配備しているかわからないというときに、とりあえず射撃し、反応を見るという方法だそうです。

私たち 得たいの知れない敵なのかしら笑

陸自自衛隊で1等陸佐の方ですから、いかめしいいかつい感じの方を想像していましたが、非常に柔和な方で笑顔でユーモアたっぷり。 すぐみんなが話しに引き込まれていきました。

今日はスライドで 写真や 説明文や地図などを使って 
素人にも わかりやすく説明くださいます
テーマは 「京都の自衛隊」 「国際情勢認識」「防衛大綱の見直し」


◆「京都の自衛隊」について

 昔は京都市役所や東本願寺前で自衛隊のパレードがあったが、今は京都の町の人が自衛隊を見ることはほとんど無く、いったいどこにいるのかがわからない状況であるが、実は二条城の近くの合同庁舎に地方協力本部がある。
隊員の募集や退職後の再就職、そして災害派遣のときには
府と連携、国民の保護をする


 (ご自身のお写真を見せながら) 
階級章についてご説明、ワッペンは地域を表し、
記念章は勤務歴を表す。

歩兵・戦車・音楽など・・・職種には15種類がある。
京都の特徴としては、陸・海・空がそろっている。  
●空は経ヶ岬 レーダー監視
●舞鶴は船・教育隊・水害救出のための ヘリコプター部隊。
●また陸は福知山、桂は 後方支援隊・関西の補給・不発弾処理
●宇治では 補給・燃料・服などの 製造やロジスティクス部門。
●大久保では、橋をかけたり、給水、地雷の処理・・・など、

大きなスライド写真を見せていただきながらでとてもよく理解できました。

◆「国際情勢」
大内田陸佐は 国際貢献としてルワンダにおられました。
そのときのお写真をスライドで拝見すると、迷彩服で日焼けしたお姿はまたイメージが違い、また かっこいい!!

日本は 防衛上の特性 地勢上の特性からも 特殊な位置におり
世界の陸上兵力の32パーセントが 周辺諸国に集中していると
今まで見たことのない 北東アジアから見た地図を見せてくださいました。 大内田様のスライドの地図は諸外国の都市名や拠点が書かれていたのでもっとわかりやすいのですが・・・・

私がネットで検索すると 環日本海諸国図というのが
ありましたが このような位置での地図でした。

この見方で日本を見ると・・・・・新しい感覚です。
日本が ロシア・中国・北朝鮮・韓国から見て いかに
邪魔な位置にいるかがよくわかりました。

しかも ほそ長い日本は 防衛上 非常に守りにくい形と
いうことです。

ヨーロッパ諸国の状況と比較してみると、
●ヨーロッパは NATOの、東欧への拡大による安定、まわりは民主主義という安定した状況
●日本は、社会主義の中国・独裁主義の北朝鮮 冷戦時代から 新たな脅威まで多様な不安定要因を抱えている。

それなのに 世界の国々 韓国・ロシア・中国・アメリカ・オーストラリア・英・仏・独は毎年、毎年 国防費は拡大している。
日本のみ、微妙に減りはしているが 決して増えてはいないという。
これは予算の関係上だそうです。


◆「防衛大綱の見直し」
 国防基本方針と 憲法9条、をふまえて 防衛計画の10年ごとの基本政策5年ごとの中期計画 毎年ごとの年度予算が決められる。

51大綱では 冷戦により国を守る
平成07年大綱では PKOゲリラから国を守る
平成16年では ミサイルやゲリラかも当分、攻撃はないだろうという設定のもとに 見直しがされている

*******************************************************

私の聞き覚えで、もっといろいろなお話はありましたが
要約するとこのようなお話でした。

非常にわかりやすくて、自衛隊の現状と、防衛の大切さが
よく理解できました。

その後 質疑応答があり、
その後は自己紹介、 おつるは
「自衛隊ファンですー。
自衛隊の方と子供のころから結婚するのが夢でしたが
それができなかったもんだから 何度も失敗しましたー」
と自己紹介して笑いをとりました

元自衛官で現在自衛隊内のお店でお仕事をされている方や
滋賀県の仲良しの先生、助産師さん、靖国青年部あさなぎの関西代表の方、自営業の方、司法試験勉強中の美しい女子大生や 
新しい歴史教科書をつくる会の京都府支部の方など
いろいろな方がおられました。

また 法栄寺僧侶の 河野くんがいて
ハイテンションで、・・・・おもしろかった笑

そのあとの 懇談の場では、大内田1等陸佐様とともにお見えに
なっておられた方にごあいさつさせていただきました。

その方は 京都地方協力本部の広報室長 3等陸佐の高岡様

荒木先生のことはお会いしたことはないけれどもお名前は存じておりますとおっしゃっていました。
先日の第三師団の音楽隊のことをお話して広報関係の方なので
第三師団の広報室長中村様や千代森様のお話をしたら、
存じておりのますとのことでした。千代森様とはお親しいようです。
しかも 私が昔住んでいた近くの陸上自衛隊総監部の近くにお住まい
だったということで たくさんお話をさせていただきました。

大内田様も高岡様も やはり自衛隊の方はかっこいいです

そのあと 近くの居酒屋さんで懇親会。


おつるは 大内田様とツーショットで写真を滋賀県の先生に
お願いしましたが なぜか失敗・・・残念

大内田様は、僧侶ベルカンプ河野くんの一発芸に大ウケでした笑
久野潤さんのツッコミがまたおもしろいのです。
楽しい楽しい会でした。

おなごりおしいけれど 滋賀県の先生と私は家が遠いので
御先に失礼させていただきました。

貴重なお話 勉強になりました。

勉強の感想!!

平和を愛する私たちに必要なことは、自衛隊の方々への感謝。
そして日本の防衛についてもっともっと真剣に考えること

クリスチャンの私にとっては
自衛隊の方々の自己を犠牲にして国のため
他者のために命を賭ける生き方、

エセ平和団体・人権団体などは 格差だとか資本家の搾取がどうとか
人間をわけ隔てして特定のひとにだけ肩入れをしますが

自衛隊の方々は違います。
大金持ちのひとでも 資産家のひとでも 貧乏な人でも
誰に対しても分け隔てなく、助けるのです。 命がけで。

阪神大震災の時などは 自分のご家族がありながらも
他者を助けるために命がけだったのです。

元自衛隊で阪神大震災の援助に行かれた経験の方に聞きましたが
警察や消防は 震災の時 手当が一日1万円近い手当が出るそうですが、自衛隊はほとんど出ないそうです。
国民を守るのが仕事だからだそうです。

私は キリスト者としての崇高な生き方・奉仕の精神に実は
近いお仕事が自衛隊の方々なんじゃないかなと思います。
もちろん自衛隊の方々にクリスチャンの方も多くいらっしゃいますが
そうでない方も実は クリスチャンの私よりもずっとずっと
崇高な生き方だと思います。

自衛隊を否定したりする人はほんと バカだと思う。


大内田1等陸佐様、基調なお話を有難うございました。
そしてお招きくださった久野潤先生 有難うございました。
荒木肇先生、有難うございました。

********************************************************
主催者 久野潤先生
http://www.kunojun.com/
専 門: 日本政治外交史(特に支那事変(日中戦争)初期の国策遂行過程及び知識人の動向)
主に扱っている分野: 国際政治、情報社会論、憲法(大日本帝国憲法含む)、インテリジェンス
所属学界: 戦略研究学会(日本古戦史研究部会 副査)
         軍事史学会
         21世紀日本アジア協会
         憲法国家理念研究会  etc.

< 活 動 な ど >
戦略・情報研究会 代表 【京都/東京】
あさなぎ関西支部 副支部長(行事担当) ―― 講演会講師の選定・交渉、勉強会文献の推薦etc.
「立ち上がれ!日本」ネットワーク ―― 広報統括 及び 京都支部長
台日交流関西青年フォーラム ―― 2008年度フォーラム 共催
KGB(「関西学生バンド」、関西最大の学生・院生ネットワーク) ―― 顧問(共同創設者)


2009-02-02 16:14 | 記事へ | コメント(13) | トラックバック(1) |
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2009年01月30日(金)
◆財団法人 国家基本問題研究所 〜文民統制と田母神問題〜
札幌医科大学 高田純教授の放射線防護情報センターのブログ
http://junta21.blog.ocn.ne.jp/blog/


財団法人 国家基本問題研究所を知りました。 

拉致被害者救済のためにも 日本の子供たちの未来のためにも
このようなシンクタンクの立ち上げは素晴らしいと思いました。
そして 私も会員になりました。


国家基本問題研究所は 日本外国特派員協会で初の記者会見において
米国による北朝鮮のテロ支援国家指定解除に反対する緊急提言を
出されました。 その時の様子はこちらです
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/457610


会見の最後に桜井氏は、シンクタンク立ち上げの手応えについて聞かれ、「最初は小さな一歩に過ぎないが、これから10年、15年、20年かけてしっかりした立派な研究所に育て上げたい。最初の一歩としては十分な手応えがあった」として、日本の国益に寄与する存在としてきたいとの豊富を述べていました。国家基本問題研究所は、今回の緊急提言を日米の全国会議員に送付したそうです。日本の将来のたる、研究会の今後の活動が期待されます。

 
◆財団法人 国家基本問題研究所
私たちは、連綿と続く日本文明を誇りとし、かつ、広い国際的視野に立って、日本のあり方を再考しようとするものです。同時に、国際情勢の大変化に対応するため、社会の各分野で機能不完全に陥りつつある日本を再生していきたいと思います。
そこで国家が直面する基本問題を見詰め直そうとの見地から、国家基本問題研究所(国基研・JINF)を設立いたしました。
 

ホームページ http://jinf.jp/


研究所の役員のご紹介

理事・監事理事長 櫻井 よしこ ジャーナリスト
副理事長 田久保 忠衛 杏林大学客員教授
理事 石原 慎太郎 東京都知事
理事 伊藤 隆 東京大学名誉教授
理事 稲田 朋美 衆議院議員
理事 遠藤 浩一 拓殖大学教授
理事 小倉 義人 会社役員
理事 城内 実 前衆議院議員
理事 斎藤 禎 文藝春秋社友
理事 高池 勝彦 弁護士
理事 塚本 三郎 元民社党委員長
理事 中篠 高徳 アサヒビール名誉顧問
日本国際青年文化協会会長
日本戦略フォーラム会長
理事 中西 輝政 京都大学教授
理事 長島 昭久 衆議院議員
理事 西 修 駒澤大学法学部教授
理事 平川 祐弘 東京大学名誉教授
理事 平沼 赳夫 衆議院議員
理事 松原 仁 衆議院議員
理事 屋山 太郎 政治評論家
理事 渡辺 周 衆議院議員
監事 五島 幸雄 公証人
帝京大学教授
元京都地検検事正
評議員評議員長 井尻 千男 拓殖大学日本文化研究所長
副評議員長 梅澤 昇平 尚美学園大学教授
評議員 荒木 和博 特定失踪者問題調査会代表
拓殖大学海外事情研究所教授
評議員 上田 愛彦 ディフェンスリサーチセンター理事長
評議員 潮 匡人 評論家
帝京大学准教授
評議員 工藤 美代子 ノンフィクション作家
評議員 佐藤 守 軍事評論家
岡崎研究所理事・特別研究
評議員 すぎやま こういち 作曲家
評議員 芹澤 ゆう フォルマ代表取締役社長
評議員 立林 昭彦 文藝春秋取締役
評議員 西岡 力 東京基督教大学教授
評議員 春山 満 ハンディネットワークインターナショナル代表取締役
評議員 平松 茂雄 元防衛庁防衛研究所研究室長
評議員 渕辺 美紀 ビジネスランド代表取締役社長
沖縄経済同友会副代表幹事

企画委員企画委員 櫻井 よしこ ジャーナリスト
企画委員 田久保 忠衛 杏林大学客員教授
企画委員 潮 匡人 評論家
帝京大学准教授
企画委員 遠藤 浩一 拓殖大学教授
企画委員 大岩 雄次郎 東京国際大学教授
企画委員 城内 実 前衆議院議員
企画委員 島田 洋一 福井県立大学教授
企画委員 高池 勝彦 弁護士
企画委員 冨山 泰 ジャーナリスト
企画委員 西岡 力 東京基督教大学教授

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会員専用の ページもありますので
少しづつ 勉強していきたいと思っています。

わたしのブログには 尊敬する 荒木肇先生の 
「田母神論文」についての
メールマガジンを転載させていただいていますが
この 財団法人 国家基本問題研究所においても
2009/01/23に 文民統制と田母神問題についての提言がなされました。 

荒木肇先生の記事とともに 読むとさらに
理解しやすく、深く読み取ることができると思います

荒木肇先生 http://www.melma.com/backnumber_174026_4363069/


では 提言の内容です




提言

2009/01/23
文民統制と田母神問題


国基研は田母神前航空幕僚長の解任で問題になった「文民統制」について、近現代史研究者の堀茂氏を企画委員会に招いて勉強会を重ね、以下の見解を平成21年1月23日にまとめました。

要 旨
1. 政治もマスコミも文民統制(シビリアン・コントロール)という言葉を乱用している。文民統制は国際社会でも未だ明確な定義や概念は確立されていない。
2. 我が国では「文官統制」が文民統制とされ、恣意的に利用されている。文民統制の本質は政治統制であり、その主体は政治家であって、文官(いわゆる「背広組」の官僚)ではない。また、軍事に対する政治優位であり、国家の軍事政策の最終決定権を政治が有しているという意味である。
3. 政治主導でROE(交戦規定:武器使用基準)を整備しなければならない。
4.「田母神問題」は、文民統制とは無関係である。政府は「村山談話」を自衛官の思想統制や言論統制のための踏み絵にしている。
5. 外交力と軍事力は密接に連動している。政治は憲法改正を急ぎ、自衛隊を国軍として位置づけ、戦略的外交力を構築しなければならない。


本 文
 1.
戦後、文民統制ほど、独り歩きした言葉はない。昭和25年の警察予備隊創設にあたり、米国から初めてシビリアン・コントロール(civilian control)という言葉を聞いて、日本人はなんのことか解らなかったようだ。いまでも、誰が何を統制するのか、何が何について統制されるのかについて、それぞれ恣意的な解釈が横行している。
 そもそも、この概念を体系化したのはハンチントンである。だが、ハンチントン自身、シビリアン・コントロールを中心問題とする政軍関係は「アメリカ・リベラリズムという基本的前提から引き出された仮定や信念の雑念とした、体系化されていない組み合わせである」 (1)とも言っている。
 歴史をみてみよう。ヒトラーは合法的に政権を獲得した後、司法権と軍の統帥権を掌握、議会を閉鎖し、秘密警察、強制収容所を設置し、国民を圧迫しつづけた。同様にスターリンも秘密警察と強制収容所の設置で国民を迫害し、トロツキー、キーロフ等の共産党幹部やトハチェフスキー等の軍幹部を大量に粛清した。  
 ヒトラーやスターリンは独裁者ではあったが、両者とも文民なので統制の主体となり、政治優位の中で文民統制は機能していたと言える。毛沢東、金正日もこの範疇に入るともいえる。これらは、文民統制は機能したものの国家を破滅させた例である。
文民であっても、軍人以上に軍国主義にのめり込んでいる人物が政権を獲得すれば、文民統制は機能しても軍は政治の道具となり、国家全体は軍事最優先となる。我が国においても選ばれた文民のなかから軍国主義に傾斜しているリーダーが出れば、文民統制を利用して軍を出動させる事態も可能性としては考えられる。
我が国では、文民統制の前提は民主主義国家であることのように考えられているが、独裁国家や共産主義国家でも達成し得る概念であり、その意味や内容は幅広い。また、民主主義国家の文民が軍を統制しても、軍ではなく文民が暴走する可能性もあることは認識しておかなければならない。文民統制は、かかる危険も内包している。
我が国の文民統制は政治やマスコミの分野で明確な概念規定なしに使用されているので、その意味や内容は人によって千差万別である。ときに文民統制は「水戸黄門の印籠」化し、問題(例えば制服組の発言)がある度にこの言葉が誤用され、制服組を平伏させてきた。
 これは、戦前の「統帥権の独立」という、議論の多かった概念と表裏である。統帥権の法的根拠は、大日本帝国憲法第11条の「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」、及び第12条の「天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム」であった。
上記の2条項が意味するところは、むしろ政治の軍への介入を防止することであった。帝国憲法制定前には、まだ強力ではなかった軍隊を議会や政党勢力から防御するという意味と、西南戦争等の政治闘争から軍隊を隔離するために、軍隊の非政治化や中立化を企図したといわれている。
問題は第12条であった。当時から軍の「編制」「常備兵額」が、政府が関与できる国務事項(軍政)なのか、それとも関与できない統帥事項(軍令)なのかは議論が分かれていた。
昭和5年、浜口内閣がロンドン海軍軍縮会議で補助艦の日米英の比率を軍令部の反対にも拘わらず決定したことに対して、政治、マスコミ、軍部などが「統帥権の干犯」として世論を煽った。浜口首相は右翼青年に狙撃され、それがもとで死亡した。
第12条の「編制」「常備兵額」はともに「統帥事項」であり、「統帥権の干犯」であると非難されたのである。当時野党であった政友会の鳩山一郎や犬養毅らは、軍令部と呼応して政府決定を非難し、統帥権は政争の具に供された。
ちなみに、浜口を狙撃した青年は警察の取り調べで統帥権の意味を理解できていなかったという。このように当時の日本でも統帥権という言葉の意味は曖昧であり、憲法上でも様々な解釈があった。この条項は帝国憲法の欠陥であった。
 米国製「シビリアン・コントロール」の概念とプロシア製「統帥権」の概念はいずれも外国製で、我が国にそのまま導入した際に生起した適応異常だった。


2.
 防衛法の権威で元陸将補の宮崎弘毅氏は、文民統制が「文官統制」にすり替えられた経緯について以下のように指摘している。

Civilian SupremacyをCASA(占領軍総司令部民生局別室:警察予備隊設立を主導したGHQの組織=引用者補)の二世通訳が「文官優位」または「文官統制」と訳したため、日本側の警察予備隊創設担当の人々に「Civilian」の概念について根本的な誤解を与えてしまった。すなわちそれらの人々は、警察機構において内務官僚が警察を統制する「警察官僚統制」と同じような感覚で、非警察官である予備隊本部の職員が警察官で構成されている総隊総監部を統制するという「文官優位」または「文官統制」が「Civilian Supremacy」、「Civilian Control」であるとするように理解してしまったのである。 (2)

これには感情的な背景もある。内務官僚や外務官僚にとっては、戦前、軍が「統帥権の独立」を錦の御旗として独走し、ロンドン海軍軍縮会議での決定も「統帥権干犯」の名のもとに反古にされそうになった苦い経験があったからだ。戦後はその反動として「文官統制」の下で自衛隊の「独走」を押えるとの発想になったと考えられる。戦前の軍隊と自衛隊との構造的相違は無視されている。    
内局の背広組は実力部隊である制服組に対して優越的な関係を維持しようとし、一方制服組にはこれに対する反発があった。このことは以下の栗栖弘臣元統幕議長の発言でも明らかである。

防衛庁長官に対して軍事情勢判断を報告するというのは内部部局がやるのです。(中略)(統幕議長は=引用者補)総理に対する軍事情勢の報告も、もちろんありません。(中略)いまの内局の考え方は、「あらゆるものは内局だ」というものです。(3)

その後、両者の対立には是正の動きがみられるものの、制服組は自分の専門領域を確保することに専念する傾向になった。この、一見背広組が優位に立ちながらも、制服組との「棲み分け」 (4)関係が成立していたことが、文民統制が「文官統制」であるという理解を一般化してしまった一因かもしれない。
『防衛白書』(平成20年版)では、「終戦までの経緯に対する反省もあり、自衛隊が国民の意思によって整備・運用されることを確保するために、旧憲法下の体制とは全く異なり、(中略)厳格な文民統制の諸制度を採用している」 (5)と記され、近年の一連の不祥事により、さらに「現代的文民統制のための組織改革」として「官邸の司令塔機能の強化」と「防衛省における司令塔機能強化」(6) が謳われている。

防衛白書を要約すれば、我が国の文民統制とは下記の4点となる。
@国会によるコントロール
A文民である国務大臣による自衛隊の指揮
B安全保障会議への諮問
C防衛大臣補佐官(参事官に代わり今年度から制度化)による大臣補佐
統合幕僚監部への文官登用 (7)

@ 国会によるコントロールは予算の審議権や行政への監督権を意味するが、これらと軍(自衛隊)に対する統制とは次元が異なる。国会は国権の最高機関であり、国家の軍事政策に関する最終意思決定機関である。統制の主体は政府である。
A 政府は軍(自衛隊)各幕僚長の罷免権を持っている。だが、航空幕僚長の個人的な歴史認識問題で、更迭や馘首することは文民統制とは無関係である。これは、むしろ人事権の乱用であり軍人(自衛官)への言論統制でしかない。
B 安全保障会議はほとんど有名無実で、平成19年度の開催はわずか6回にとどまった。かつて、制服組トップの統合幕僚会議議長は参加を許されたが、求められた場合にのみ答える存在であった。防衛白書には安全保障会議の「一層の活用」は明記されているが、具体策は不明である。
C 従来の参事官に代わる「防衛大臣補佐官」の設置である。「補佐官」は民間からの登用も想定されているが、非常勤では大臣への常時サポートも出来ず、ポストが形骸化する可能性がある。また、従来背広組が担当してきた「作戦運用の実行」が、運用企画局の廃止により統合幕僚監部で行われるようになったのは一歩改善である。だが、統合幕僚監部への文官登用も明記されており、真に機能強化とつながるかどうか不明である。

今後、制度は変わると予想されるが、依然、政治による内局への「統制不足」と、内局による制服組への「統制過剰」は続くであろう。過大な権限を制服組に行使している背広組への統制こそ、いま必要である。
福田康夫前首相は、自衛隊の栄誉礼を受けず、辞任直前には自衛隊高級幹部会同自体を欠席した。インド洋に派遣された海自艦艇の帰国行事にも出席しなかった。自衛隊最高指揮官として、また文民統制の主体としては重大な責任放棄である。


3.
我が国への武力攻撃が発生しても、内閣による防衛出動が発令されなければ、自衛隊は武力行使が出来ない。防衛出動下令前に可能なのは、武力行使(自衛権行使)に至らない「武器使用」しかない。
諸外国同様に、政治主導で有事だけでなく平時からのROEを予め作成することが、喫緊の課題である。これは、国を守る政治の義務である。勿論、その最高責任は、内閣総理大臣にある。
 ところが、歴代政権は軍(自衛隊)が暴走しないよう過度に抑制し続けてきた。つまり、歴代政権は実際には使えるシステムを持たない自衛隊を、さらに動けないようにしてきたのである。それを「厳格な文民統制」(防衛白書)と考えるのは倒錯した認識である。


 4.
 今次の田母神俊雄前空幕長の更迭は、本来の文民統制とは全く無関係の問題である。この論文は、氏個人の歴史認識に基づいたもので、学術論文というよりは評論に近い。学問的に精査して正鵠を射ているか否かを論ずるのは的外れである。   
これはひとえに田母神氏個人の歴史解釈にかかわることである。田母神氏更迭を是とするならば、政治は「村山談話」を否定しているすべての自衛官を更迭か罷免しなければならないことになりかねない。この影響は自衛隊の教育に対する有形無形の規制という形で、既に進行しつつある。
主権国家の軍事行動が「自衛」であったか「侵略」であったかという二分法で割り切るのは、無知としか表現のしようがない。因果の関係こそ重要であり、その点を軽視する戦後日本の歴史解釈こそ問題である。歴史の解釈権があたかも閣議にあるとするかのような考えは、傲慢の謗りを免れない。政治主導で先ずすべきことは、「村山談話」の見直しである。


5.
 外交力と軍事力は密接に連動している。政治は憲法改正を急ぎ、自衛隊を国軍として位置づけ、戦略的外交力を構築しなければならない。我が国の政治と軍事の関係、つまり「政軍関係」は、正常ではない。自衛隊は国内で正式な軍隊と認められていないが、海外では軍隊として見なされるねじれた存在である。国内法では自衛官は行政官であり、文民統制は行政による行政官への統制となる。敢えていえば、文民による文民への統制ということである。
本来、行政組織としての防衛省と実力組織である軍(自衛隊)は別物である。軍は官僚的組織ではあっても、行政組織ではない。しかし、両者が一体化しているところに我が国の問題がある。「文官統制」と誤解されている我が国の文民統制は、防衛省・自衛隊という同一組織内での内部統制に過ぎない。
主権国家にとって、国防のための軍事組織とその戦略が必要なのは言うまでもないが、我が国では憲法で「戦力」保有が否定されながら、「必要最小限度」の防衛力を整備してきた経緯があり、国益のために軍事力を利用するという外交戦略がなかった。
外交力と軍事力は、国益のための両輪である。軍事力の前提のない外交が意味をなさないことは歴史が証明済みだ。強力な軍事力は他国の侵略を防ぐ抑止力になるだけでなく、外交における武器となる。
政治は、軍(自衛隊)を統制することも重要だが、さらに喫緊の課題は軍事的脅威に備え、外交・軍事戦略を樹立することである。その大前提としての憲法改正を急ぐべきである。肝心の国家として果すべき役割を忘れて、お門違いの些事にかまけている愚を知らなければならない。


(1) S.P.ハンチントン『軍人と国家(上)』(原書房、2008年)1頁。
  Cf. .防衛庁人事教育局教育課『シビリアン・コントロール(資料集)』(1981年)14頁。この中では、ハンチントンを引用して「シビリアン・コントロールという概念はかつて満足に定義されたことはない」と記している
(2)宮崎弘毅「防衛二法と文民統制について −防衛法シリーズ(3)−」『国防』(朝雲新聞社、1977年)99〜100頁
(3) 栗栖弘臣『私の防衛論』(高木書房、1978年)165〜166頁 
(4) 廣瀬克哉『官僚と軍人』(岩波書店、1989年)263頁
(5) 防衛省『平成20年版 日本の防衛−防衛白書−』(ぎょうせい、2008年)93〜94頁
(6) 同上 296〜297頁 
(7) 同上 297頁
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2009年01月29日(木)
◆【特別号】「田母神論文」について−9 荒木 肇 
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◆【特別号】「田母神論文」について−9                荒木 肇  『まとめの第1回』
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 前回は、出雲駐屯地を訪ねた様子をルポ形式でご紹介いたしまたが、多くのコメントをありがとうございました。
 出雲には大社をはじめ、多くの名所旧跡があり、地域の独特の風景、「築地松(ついじまつ)も見ることができました。豊かな田園地帯が広がり、農家の北と西には、四角く刈り込まれた松が立っていました。
 落ち着いた街並みの中でいただいた「出雲そば」もおいしかったです。しかし、コメントを寄せてくださった吉岡様がおっしゃるとおり、町は寂しく、行き交う人の姿もまばらでした。駅前にいくらかの賑わいはあるものの、活気は少なかったように思います。

 ああ、ここにも現代化された景色があると感じました。主要な道路の両側につづく全国どこも同じ設計の量販店や外食産業、新建材で建てられた住宅群。人通りが少なく、シャッターの下りている店が並ぶ古くからの商店街、川向こうの新開地にあるショッピング・センター。そして、建築途上の大きく、立派な市役所がありました。岩國元市長は次の選挙では、神奈川一区で立候補されるとか聞きました。

 ところで、田母神元空将も、全国各地で精力的に活動され、ますます多くの支持者を集められています。論文問題そのものは、テレビや、週刊誌にはほとんど取り上げられなくなりました。でも、歴史教育について、実際の授業に関わる私にとっては、かんたんに、ここで幕引きにはできません。世論(マスコミ報道ですが)が静かになると、これで終わりにするというわけにはいかないという思いがあります。

 今回と次回は、田母神元空将が出された問題と、その波紋について考えます。そして、2回を一応のまとめにして、また、折々にふれていくつもりです。海賊対策に、ソマリアに派遣される海上自衛隊がいます。また、今も、家族から離れて世界各地で活動する自衛官がいます。その人たちの思いや、大切にしているものをお伝えするつもりです。


▼戦後60年、新しい日本のアイデンティティが議論されてこなかった


 司馬遼太郎氏は書きました。戦後のわが国の勝手な自由があふれた猥雑(わいざつ)さが好きだ。これを守るためなら命を賭けてもいいと。
 司馬氏は『この国のかたち』という素晴らしい論考を残されましたが、それを読んで、なるほどと思った人は多かったに違いありません。でも、実は、この「国のかたち」を考えなくてはならなかったのは、私たち自身だったのです。偉大な作家は、そこを言うために、「この国」という突き放した言い方を、故意にされたのではないでしょうか。

 私たちが、わが国という日本。世界の多数の国々、さまざまな人種や民族が構成する国家群とわが国は、どこがちがうのか。どこにその独自性があるのか。世界中の人々に、胸を張って、私は日本人だといえる「より所」です。言い方を変えれば、アイデンティティになりましょう。また、敢えて言えば、「国体」です。

 わずか2世代前のことでした。敗戦をむかえて、多くの人が心配したのは、「国体」がどうなるのかということです。「国体の護持(ごじ)」をスローガンに立ち上がった人々もいました。
 わが国は、世界でただ一つの、神の子孫である天皇を頂点とする一家族の国である。国民すべては、万世一系の天皇陛下の赤子(せきし)である。すべての価値は天皇から始まるといったことが、当時の「国体」でした。

 しかし、戦後60年あまり、それに代わる、新しいアイデンティティは議論されてこなかったのです。天皇陛下は新憲法でも国家の象徴とされ、今も、わが国は立憲君主国の形をとっています。戦前のような、統治権をもたれたり、主権者としておられたりはしません。現在は、国民統合の象徴として、多くの国民に親しまれておいでです。

 なんとなく、曖昧なままに、わが国は半世紀をすごしてきてしまいました。歴史学者も、言論人も、政治家も、財界の指導者も、国民のアイデンティティについて考えてこなかったといっていいでしょう。いや、むしろ、考えることを放棄してきたのです。わが国がここにある、それはごく自然なことで、ふつうにあるのだからそれでいい。考えなくても、何も困りはしないだろうと、多寡(たか)をくくってきたのです。

 それには理由があります。まず、第一に東西冷戦のおかげです。国内にも、いつも左右両派の対立がありました。何をするにも語るにも、まず、立場が左か右かということから始まって、お互いに相手を攻撃するばかりでした。それだけで、どちらも満足してしまいました。
 皮肉なことに、もっとも冷静でなくてはならない歴史学会ですら、妙に政治的な運動者たちが主流になっていました。そして、公立学校教員たちも、多数派の日教組のもとで、ひどく偏った歴史教育をしていたのです。

 また、もう一つの理由は経済優先という考え方でした。とにかく豊かになりたい。生活を便利にしたい、そのためには、「わが国のかたち」など考えている暇はないというわけです。
 わが国の首相が、フランスの大統領から「トランジスターのセールスマンのようだ」とバカにされようが、イギリスの新聞に、「日本人はウサギ小屋に住んでいる」とからかわれようが、「エコノミック・アニマル」と動物呼ばわりされようが、本気で腹を立てた人は少なかったのでした。

「今に見ていろ」、世界で一番金持ちになってやる。そういった気概があったといえばいいでしょう。実際、世界で第2の経済大国になり、金の力ではアメリカ以外には負けることはない。どうだ、日本人はすごいんだぞという主張も読んだことがあります。しかし、そういう気分に、国全体が水をかけられたのは、湾岸戦争のときでした。

 誰がどう言おうと、クウェートに対するイラクの侵攻は「侵略」でした。イラクの主張は分かると理解を示した人もいましたが、やはり、国際秩序のもとでは「犯罪」です。国連の決議にしたがって、多くの国が軍隊を出して多国籍軍を構成しました。わが国は、何をしたか。憲法9条を理由にして、自衛隊を出動させませんでした。その代わりに多額の金を出したのです。結果、国際世論からは、また、たたかれました。

 金を出した、自分たちにできるかぎりの事をした。それなのに、尊敬されない。わが国のアイデンティティとは、なんだろう。そう考える人が増えました。


▼「新しい歴史教科書」が提起した問題

 湾岸戦争をきっかけに、藤岡信勝先生はそれまでの考えが大きく変わったと言っておられます。先生は東京大学教育学部社会科教育法(社教)の教授でした。本格的な、いわゆる歴史学者ではありません。いってみれば、歴史学に関しては素人(しろうと)です。玄人(くろうと)とは、これに対して国公立・私学をとわず、文学部の歴史学科を出て、アカデミズムの中で育った方たちになりましょう。

 社教とは、教育学の中でも教科教育といわれる分野の一つです。地理、歴史、政治経済、倫理社会も含めて、小・中・高等学校の授業の方法や、カリキュラムを研究します。藤岡先生は自分たちの研究グループから授業改革を始めました。これまで軽視されてきた、あるいは無視されてきた角度から、とりわけ「近現代史」の授業を組み直したのです。

 素人が玄人に挑戦してきた。そう受け止めた歴史学者たちが多かったようです。しかし、この門外漢が、専門家たちに素朴な疑問を突きつけた。その方法は、なかなかのものでした。

 なぜなら、前に述べた東西冷戦のおかげで、専門家たちはひたすら左翼・反体制の立場を守っていれば良かったからです。マルクス主義の歴史学は、体系的で明快で、悪玉・善玉がはっきりしていて、理論的になっています。人間の歴史は、すでに決まった段階があり、絶対に、必然的に、その流れの中にあるという考え方です。

 明治から始まる戦前社会は天皇制絶対主義だった。そうした封建制の残滓(ざんし)がある社会をひたすら否定し、真っ暗という視点で書く。社会の実態は悲惨で、軍隊は悪で、世間の仕組みは封建的であったと書く。そうすれば、専門学会での立場や、職場を失うことはありませんでした。

 しかし、それでは、江戸時代にはおよそ二百数十年間、約3000万人だった人口が、明治の末期には倍に増えている。こんな簡単な事実の説明がつきません。江戸時代の人口停滞は、意図的な人口減があったからです。中絶や、産まれたばかりの子どもを殺してしまう。それが明治時代になれば、殺さなくてすむようになった、食べさせていけるようになったのです。学校教育のおかげで、誰にも出世できる希望ができた。だから明治は、江戸時代と比べれば明るい時代だったし、2度の対外戦争も勝ち抜けたのです。

 また、戦争は誰しも嫌いだったのは事実でした。軍隊だって、何から何まで好きだった人は少ないことでしょう。でも、戦後の全国にあった戦友会や、郷土部隊を誇りにし、懐かしむ人たちの存在はどう考えればいいのでしょうか。アカデミズムの専門家たちは、そうした人々をバカにし、愚かとしました。

 アカデミズムに憧れる学校教員もそうでした。戦後の「意識の高い」学校教員の鼻息は荒いものでした。自分が奉職する学校のある地域の「遅れた」実態を嘆く。戦前からつながる「地域ボス」の支配を児童・生徒を変えることでくつがえそう。正しい歴史を教え、国民をなんとか民主主義国家の担い手にしようとしていました。当時の教育雑誌に載った実践(じっせん)記録は、たいていがそうした臭(くさ)みがただよっています。

 でも、その民主主義とは、どんなものだったか。マルクス史学のアカデミズムに支えられた絶対正義を注入しようというものでした。それがいつまで続いていたか。これも詳しいことは別の機会にゆずりますが、次の事実だけをあげておきます。
 1972年のことでした。当時、日教組執行部の一人だったある幹部は、雑誌の対談で、次のように北朝鮮の教育について述べています。

『──教育は思想と関係ないといういわば“思想の中立性”をどうしても主張せざるをえないという面もあるが、しかしこれは非常に大きな偽りで、教育はやっぱり思想の問題だということです。日本は資本主義の国だからそういう“中立性”によって反動思想の及んでくるのを食い止めるのが精一杯。だがあの国(北朝鮮)では根本的に知育、体育、徳育の三つを強調する。その根本になっているのは人間の尊重だ。そして社会主義、共産主義の思想を子供の頃からほんとうにあらゆる形で討論したり、議論したりしている』

 こうした認識は、北朝鮮の実態が明るみに出た現在からすれば、ひどくお笑いです。人間の尊重が北朝鮮にあったなどとは、とんでもない。わずか40年少し前、こうした人が日教組の主流にいたのでした。

 教科書も、専門家(歴史学者)によるものです。だから、子どもたちは、革命史観によって書かれた教科書を読むしかありません。そこでは、過去のわが国の行動は、すべて「反動であり悪」にされました。奮戦力闘した父祖を「騙(だま)された」どころか、「悪に加担した」と描くことが当たり前でした。ことさらに自国や父祖たちが悪く書かれた教科書で、子どもたちに歴史教育がされていたのです。

 藤岡先生たちの「新しい歴史教科書」は、まさに子どもたちに読ませるために、自国の歴史や父祖のあり方を「ある見方」によって書かれました。しかも、著者の大方が、いわゆる日本史の専門家ではありません。そのことをあげつらう論者もいますが、ことの本質はそういうものではないのです。

 いま、シビリアン・コントロールということが言われ、軍事の専門家に対して素人である政治家が優越するのが当然といわれています。専門家は視野が狭い、しかも軍隊はほおっておくと勝手なことをすると主張する人がいます。

 しかし、教育はどうなのでしょう。素人が玄人に質問をしてはいけないのでしょうか。歴史の専門家が書く教科書が正しく、素人が書いたそれは間違っているのでしょうか。教育は未来からの留学生である子どもたちを預かる仕組みです。視野の狭い、ある特定の考えが主流になっている人たちだけに任せていいのでしょうか。私は、それはおかしいことだと考えています。いまだに、全国で「新しい歴史教科書」を採用する学校が少ない。やはり、どこかおかしな空気が私たちの周りにあるということです。


▼田母神論文に歴史家はまともに答えていない

 がっかりしたのは、もう10年前になります。藤岡先生たちの運動に対して、専門家たちは多くの人がこぞって攻撃をかけました。その編者のお名前をあげてみましょう。藤原彰、森田俊男の両先生です。藤原先生は陸軍士官学校卒の元大尉でした。戦後、東大の歴史学科卒業、歴史学研究会の要職を歴任され、1958年には、論争を巻きおこした『昭和史』(岩波新書)を遠山茂樹、今井清一両先生と書かれました。

 軍事には当然、素人よりは詳しくあられ、『日本現代史大系・軍事史:1961年、東洋経済新報社』も出されています。その中に、いかにもの記述がありました。自衛隊の本質と規定して、
『国家が設ける常備軍隊の本質は、階級抑圧の機構である国家のもっとも重要な暴力装置として、被搾取階級を抑圧し、支配階級の利益を擁護することに存している』
と 主張され、レーニンの言葉を引用されて『軍隊は中立でありえず、中立であるはずはない』と断言されています。自衛隊も祖国防衛とか国民の生命財産を守るなどというのはウソだとも書かれていました。

 こうした近現代史学会の大御所が声をかけられ、集った中堅、若手研究者が出した本がありました。『近現代史の真実は何か(1996)大月書店』です。その主要な論点は、藤岡先生たちが、自分たち専門家がきわめてきた史実を曲げている、あるいは認めていないというところでした。これでもか、これでもかとばかり、素人の誤りを指摘するという態度だったのです。

 読んでいるうちに、これは分かっていないな……と私はいやになりました。それについて、私の思いを詳しく書いたのが『静かに語れ歴史教育』でした。つづいて、自衛隊観の見直しをかける思いで書いた『自衛隊という学校・正続』です。

 藤岡先生たちは歴史観の問題を玄人に出しました。さらに言えば、父祖をどう描くかという歴史専門家たちの人間観の問題でした。ところが、それに対して、学会の研究者たちは、事実関係の正誤をあげつらう態度だけで答えてしまったのです。しかも、自分たちの論証がすべて正しいというものばかりで、対話をしようというものには見えませんでした。

 私は、歴史学者は、あるいはそのような立場に憧れるアカデミック好きの人たちは少数派だったのだとも思いました。多くの国民は、玄人の歴史学者や、それに便乗するナニナニ学者たちの難しい言葉を並べる近現代史にうさんくささを感じているのです。

 冷戦が崩壊し、かえって戦争や紛争は増えました。周辺には、危険な独裁国家があり、軍備増強の国もある。これからのわが国はどこへ行くのか。まとまりを欠いた「猥雑な自由」ばかりのわが国はどうなっていくのか。国民の多くが、迷っています。

 本音で語り合うアイデンティティ作りをしなければなりますまい。そのためには、歴史の専門家こそが進んで主張を展開すべきでしょう。もちろん、誠実な努力を続けておられる方もいます。でも、今回の田母神元空将の論文(国民を守る立場にある人間に、どう歴史専門家は人間観を答えるのかという問い)に、まともに答えた歴史家は残念なことに、まだ、いないようです。


▼時代相を追究する難しさ

 私は歴史学の専門家ではありません。一人の教員として多くの子どもさんと会ってきました。6年生の社会科を教えたこともありますが、体系的な歴史観に裏づけられた信念をもった授業はできたことがありません。いわゆるアカデミズムに憧れたこともないし、何より専門用語の難しさについていけませんでした。だからこそ、当時の人々の思いにできるだけそっていくという方法をとるしかなかったのです。

 歴史観などというものは作れなかった代わりに、ある時代の実態をなるべく追究するという姿勢だけはもちました。それは、「時代相」をできるだけ再現するということです。その時代に生きたら、自分はどうするだろう。どう感じて、どのように考えて結論を出すだろう。近現代史については、さまざまな資料がありました。何より、わが家や親戚には多くの、あの時代の経験者がいたのです。

 曾祖父は日露戦争で戦死し、祖父は日華事変に応召し、父は大東亜戦争末期に陸軍におりました。父の従兄弟や、母の兄弟は軍隊に行きました。靖国に行かれた伯父、シベリア抑留で九死に一生を得て帰還した叔父。南方や中国の戦線で苦労してきた父の従兄弟たち。
 残された記録や、証言がありました。おそらく、私が彼らの立場になっていたら、自分の周囲の「絆」のもとに、私もまた、軍隊に入ったにちがいありません。

 重さ4キログラムの小銃をもち、体重とさして変わらぬ装備をつけ、中国大陸に、南方のジャングルにでかけたことでしょう。国難にあたって身を挺することに価値をもっていた私の家族たち。おそらく私は、やはり勇戦奮闘しようと決意していたでしょう。たぶん、それが、誰かから見れば、「愚か」で、「間違った道」だったとしても、自分で選んで生きたと思います。

 歴史の事象は膨大です。人々は何を読み、何を聞いて、何を食べ、何を着て、どんなモラルの中で生きていたのか。人間は複雑です。戦争はもっと複雑であり、いまも私は、ちっとも分かっていません。

 次回は近現代史の問題点もふくめて、歴史学と歴史教育についてお話をして、ひとまとめとしようと考えています。(荒木 肇)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆荒木肇経歴
1951年、東京生まれ。横浜国立大学大学院修了(教育学)。横浜市立学校教員、情報処理教育研究センター研究員、研修センター役員等を歴任。退職後、生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師、現在、川崎市立学校教員を務めながら、陸上自衛隊に関する研究を続ける。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。年間を通して、陸自部隊・司令部・学校などで講話をしている。

◆主な著書
「自衛隊という学校」「続・自衛隊という学校」「指揮官は語る」「自衛隊就職ガイド」「学校で教えない自衛隊」「学校で教えない日本陸軍と自衛隊」「子供もに嫌われる先生」
いずれも並木書房刊 http://www.namiki-shobo.co.jp/


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2009年01月27日(火)
和田幹男神父様の言葉A パリ外国宣教会の祝日
カトリック箕面教会月報 2月号より転載です。

パリ外国宣教会の祝日



1月4日(日)は、主の公現の祭日でした。この日、異邦人の三博士が、ベツレヘムに生まれたメシアを礼拝に来たことを祝います。
これで降誕祭は締めくくられます。 これは日本のカトリック教会の再宣教を行い、大阪教区にとっても大恩人であるパリ外国宣教の祝日でもあります。 大阪教区にいる同宣教会のお祝いがありました。

参加者は、鈴蘭台のベロー神父、明石のクレーニュ神父、夙川のコナン神父、洲本のグイノ神父、それにペンクレシュ神父の5人、
それに招待された 松本(武)、和田両神父でした。

場所は神戸の暁光会の一室、2階の寝室には老いたバラード神父
おられました。 わたしが子供の頃には、同宣教会の神父様が大勢
いらしたことを思うと、淋しい限りです。

しかし、彼らの宣教活動は続けられます。わたしは同会の宣教師より
洗礼を受け、またその仕事を続けるために司祭になりました。

ご公現はまた、ローマの福音宣教省とその神学校の祝日でもあり、
この祝日に司祭叙階を受けました。

このたび司祭として43年目の奉仕を始めました。
どうか、わたしのためにも祈ってください。
またわたしの後に続く若者がありますように
祈ってください。

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2009年01月26日(月)
和田幹男神父様の言葉@ 「世界人権宣言」60周年にあたって
カトリック箕面教会月報 2月号より転載です。

「世界人権宣言」60周年にあたって  
                  〜主任司祭 和田幹男〜
 


「世界人権宣言」(1948年12月10日、国連第3回総会で決議)というものがあるとは、大勢の日本人が知っている。中学校でその存在は聞いたことがあるからであろう。それでは、それを読んだことがあるかと尋ねると「読んだことはない」という答えがほとんど。最近、この宣言を耳にすることがちらほらある。それはアメリカのオバマ大統領の実現にあたり、その同宣言の立案者の一人、エレノア・ルーズヴェルト大統領夫人の功績が想起されることがあるからである。その第2条に、あらゆる差別の拒否が宣言されているが、同宣言が公布された当時、アメリカではキング牧師の命を賭した自由民権運度が必要であった。その前提として、A・リンカーンによる奴隷制度の禁止があるが、これも同宣言第4条に明記されている。このような前提があって、このたび黒人大統領の実現に至った。この過去を想うと、米国民に心から拍手を送りたいと思う。

 同宣言の立案者としてもう一人、ルネ・カッサン(1887-1976)というユダヤ系フランス人の法学者がてる。彼こそ同宣言文の作成に直接関わり、そのため、1968年にノーベル平和賞を授与された。第二次世界大戦後、国際連合が組織化されることになったが、彼はその当初から人権擁護の活動家兼法学者として精力的に貢献した。彼自身、多くの親族をナチスの犠牲として失っているが、この民族として蒙った悲劇が同宣言の背後にある。確かに同宣言に直接影響を及ぼしたのは。1776年のアメリカ合衆国独立宣言と1789年のフランス人権宣言であり、それは実際に「すべての人間が生まれつき自由であり、その尊厳と人権において平等であり、理性と良心をもつものとして互いに兄弟の精神をもって行動しなければならない」(第1条)という。ここにフランス革命勝ち得られた自由、博愛、平等という人権が認められる。つづいて個々の人権が羅列されるが、同宣言は人権の主張に終始するのであろうか。そうなら、あまりにも子供っぽい。

ルネ・カッサンは人類の法律の歴史の専門家でもあり、その中で人類最初の人権宣言をモーセの十戒に見る。その表現は、「殺すな、姦淫するな、盗むな、嘘をつくな」と、、人間の守るべき義務をいう。が、権利と義務は相関関係にあると考え、権利の羅列のあと、「人間は各自、・・・・・社会に対して義務を有する」(第29条1)と明言し、この義務は原文では複数である。ここに自由も制限があること、これを無視するとどうなるか、自由主義国は今日思い知らされている。


 ルネ・カッサンは。国連には多様な宗教の国が参加するので、特定の宗教の表現を避け、すべての人に受け入れられるようにとの心遣いをもって書いている。それゆえ、教会として我田引水的な説明は控えたい。かつてピオ9世教皇はフランスの人権宣言を激しく非難したこともあったとなると、むしろ反省すべきことがある。他方、ヨハネ23世とパウロ6世以来、教会はこの人権宣言の大いなるサポーターとなっている。




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年間第三主日のミサは パウロ年ということで
「パウロの回心」のミサが 箕面教会で行われました。

和田幹男神父様は 高松に研修会の講師としてご出張だったので
司式は パウロ会の百村神父様の司式でした。
百村神父様の説教は とてもよかった。
パウロのことをとっても詳しくお話くださいました。

パウロが何百回もイエスキリストの名前を伝える説教をしたこと
ステファノの殉教にかかわったようなパウロを
なぜ神様が選ばれたのか

その神様のご召命は私たちには はかりしれないけれど

神はこの世の出世とか 栄光とかのためではなく・・・と
いろいろなお話をされました。

信徒会館には 切って収集がご趣味の百村神父様の
パウロの美しい切手がたくさん飾ってありました。

今日のミサの 全国の教会で使われる 聖書と典礼のパンフレットの 最後のページには 「馬から落とされたパウロ」という
和田神父様の 記事がのっていました。


和田幹男神父様は ご霊名がパウロ三木
そして パウロの研究者でもあます。

著書に 『聖パウロ』−その心の遍歴− 、女子パウロ会発行
があります。http://joshipaulo.jp/?pid=2364034


キリストとの出会いが1人の男性の生涯を変えた!

編集室の「窓」から
日本人として、今、自分がキリスト者であること、それはパウロなしには考えられなかったこと、なのですよね。教会を迫害しようと、ダマスコに向かっていたあの若者に、いったい何が起こったのか。キリストに捕えられてキリストの熱愛者となり、自分もキリストを捕らえようと、身を乗り出して、前進つづけるパウロ。福音の前には民族も国境もなく、「この一人」のためにイエスは十字架にかかってくださった……それなら……最も弱いこの一人のために、最も弱い人のようになり、いのちを賭けるべきではないか。新約聖書のなかの「パウロの」と言われる手紙を読むと、ほんとうに彼がどれほどキリストと、人間とに夢中で仕えようとしたかが伝わってきます。
著者の和田神父さまは、聖書学者としての綿密な検証をもとに、聖パウロの生涯を生き生きと私たちの前に再現してくださいます。……
ちょっと大きな本で350ページもあるのですが、易しい文章なので、多くのかたに読んでいただいて、聖パウロに、それから主キリストに、ますます夢中になっていただければ。




月刊「声」や「カトリック新聞」には何度も和田幹男神父様の
記事が掲載されていますが
1973年にも「聖パウロに親しもう」が、月刊『声』に
掲載されています。

そしてこの1月より「カトリック新聞」にパウロについての
和田幹男神父さまの掲載が新しくはじまりました。

パウロ年 和田幹男神父様のご活躍の年でもありますね

つづいて「パリ外国宣教会の祝日」についての
和田神父様のメッセージをのせます。・・・・・・つづく・・・


2009-01-26 00:15 | 記事へ | コメント(4) | トラックバック(0) |
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2009年01月24日(土)
空をとんだこいのぼり 「ほしの子アイランド」「ほしの子ブログ」
私のお仕事仲間で 昨年春に彗星みたいにキラキラと
あらわれて、日々わたしを支えてくださる「あみ」さん

天使みたいに明るくて キラキラしてて
賢くて 優しくて 素敵な人です。

そんな彼女のお母さまは 作家で詩人でもある「平井あゆみさん」

おじいさまは 児童文学作家 野矢一郎氏

「平井あゆみ」さんの本をご紹介します。
イラスト・挿絵は 「あみ」さん作なんですよ

とっても癒されます。

空をとんだこいのぼり (単行本)
平井 あゆみ (著)



読んだ方の書評です

●当たり前のことなのに・・・,
この本を読んで、普段当たり前に見 過ごしてきた光景や人たち が、急にいとおしく思えました。
そして、もっと大切にしようと思いました(^-^)
何かに迷ったときや立ち止まったときも、この本を開いて深呼吸したいと思います☆

 ● 懐かしい気持ちになりました
やさしくて温かい詩集です。
子どものころの懐かしい光景がよみがえりました。
自分と重ねて読んでみたり、主人公を思い描いたり・・・気軽に楽しく読むことができました!!

☆読売新聞紹介記事

http://www.creatorsworld.net/pdf3/4-7974-7958-2/060722.jpg



☆学園便りインタビュー記事(大教大)

本学3回生で文芸部の平井亜実さん。彼女のお母さんが、この春詩集「空をとんだこいのぼり」を出版されることになり、平井さんもその本のイラストでデビューすることになりました。今回はそんな平井さんにインタビューしてみました!

http://www.bur.osaka-kyoiku.ac.jp/gakusei/gakudayori/dai149/05st01.htm



平井あゆみさんと あみさんのホームページです
☆オフィシャルHP「ほしの子アイランド」
http://www.hoshinoko-island.net/


☆☆オフィシャルブログ「ほしの子ブログ」
http://blog.hoshinoko-island.net/




平井さんのページに「おつるの秘密日記」をリンクして
いただきました。


それにしても 私の仕事仲間は・・・

オペラ歌手の道代さん
http://manzana.ne.jp/carmen/
陶芸家の 佳寿子さん
http://www.galeria-punto.com/kondou.html
書道家 福本大道さん
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090119-00000144-mailo-l27
そして元宝塚の有季子さん

そして あみさん・・・と

芸術家だらけ このような素敵な方々に囲まれて幸せ

わたしだけ 凡人というか 変人ですね 笑
2009-01-24 03:16 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(1) |
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2009年01月23日(金)
チベット・モンゴル・ウイグル三民族連帯 そしてチベットの現在の様子
フリーチベット関西 たやん代表の日記より 2008年10月のラサ(Youtube) 2009年01月23日13:41 北京オリンピック後の2008年10月のラサの様子がYouTubeにUPされています。 街は監視カメラだらけ、5分に1回、銃を持った軍人とすれ違う。 町全体が監獄となり、チベットの人々の声は圧殺されてる。 こんな状況じゃ、声をあげることもできないんだろうな・・・。 電話も盗聴され、スパイがうじゃうじゃいて、街も監視され、軍隊が駐留する。そんな街の様子。 ◆チベット・ラサ2008年10月「監視される街」 そして・・がむらさん 日記より 23日、一時間ほど前の配信ニュースですが、 爆発事件は今月5日に起こったって! なんで今頃・・・? テロ?チベットで県庁舎爆発、独立要求デモで衝突も http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090123-OYT1T00769.htm?from=navr  【香港=竹内誠一郎】米系放送局「ラジオ自由アジア」によると、中国チベット自治区東部のチャムド地区ジョムダ県政府で今月5日、テロとみられる爆発事件があり、庁舎と車両の一部が被害を受けた。  また、同地区ジョガン県では、20日から21日にかけて、中国からの独立を求めてデモを行ったチベット族が公安当局と衝突、男女4人が拘束された。チベット自治区人民代表大会(議会)が19日、1959年のチベット動乱で共産党政権による統治が確立された3月28日を「農奴解放記念日」と定めたことに対する抗議と見られる。 (2009年1月23日19時14分 読売新聞) そして・・・・・・・・・・◆チベット・モンゴル・ウイグル三民族連帯シンポジウム
2009-01-23 22:08 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(1) |
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東トルキスタン(ウイグル) そして 中国の核実験とは
◆東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)における中国共産党の弾圧 中国による東トルキスタンへの侵略、核実験、人権弾圧等々を収録した動画です。 *************************************◆中国の核実験 *************************************◆チベット内における、中国の核実験 60年代の原爆と水爆の実験に狂喜乱舞する 中国人たち *************************************◆Chinese Nuclear Test
2009-01-23 21:50 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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チベット・ウイグル・サウスモンゴル三民族連帯と 中国の核実験

高田純博士の 放射線防護情報センターブログより   http://junta21.blog.ocn.ne.jp/blog/



あらためて3民族応援のデモ行進の映像を見る
 中国のメガトン級の大型核実験で、シルクロードに暮らす3民族に耐え難い人的被害と、環境汚染が生じています。加害者中国政府は、未だに、これら3民族に対し、何一つ償いをしていません。アジアの大国となった中国が、こうした事態を放置、隠蔽し続けてよいのでしょうか!?

実験だから、100万人以上の死傷者が発生したとしても、許されるのでしょうか!そのような蛮行は、絶対に許されるものではありません。これが、1945年からの世界の常識です。日本の大学の研究では、実験動物でさえ、その命を敬い、大切に扱っています。人命を軽視、いや無視した実験は、ありえないのです。
仮に、文化大革命の混乱のなかでの核の蛮行であったとしても、現在の中国政府は、償いの責任を免れることはできません!この論理は間違っていますか?みなさんはどう思いますか!

人道の心のある日本に生まれて、私はつくづくよかったと思う今日この頃です。私たちは、シルクロードで結ばれたアジアの3民族を応援します。それが、最初に核兵器を受けたけれども復活した、アジアにおける自由と民主主義のリーダー国・日本の役割ではないでしょうか!

あらためて、2008年9月14日大阪での3民族応援デモの映像を見てみましょう。
http://jp.youtube.com/watch?v=w7idYWconNg&feature=channel_page

◆東トルキスタン(ウイグル)を知ってください。

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ウイグルのことを おつるが知ってからもう一年になります。
ウイグルのことを知ったことにより、フリーチベットの運動にも
関わってきました。

1959年、3月10日 中国軍の侵攻に対してチベット人たちがラサで大規模な抗議行動を起こしたから 今年は50年・・・・

もう一度 ウイグルやチベット、モンゴルのことを
思い起こしてほしい。

つぎのページに 東トルキスタン チベット 中国の核実験の
動画をアップします








2009-01-23 21:31 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(1) |
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◆鶴姫伝説◆  〜瀬戸内のジャンヌダルク〜  おつると鶴姫
   この海にわたしの愛はありますか

            この海にあの人の命はありますか



                 〜鶴姫伝説〜
 




「おつる」という古めかしい名前ですが

実は、気にいっているのは 

大好きな歴史上の人物(伝説上の人物ともいわれます)である
室町時代の 瀬戸内のジャンヌダルクと 呼ばれた

「鶴姫」が大好きだからです。

「鶴姫」(つるひめ、大永6年(1526年)? - 天文12年(1543年?))は、戦国時代の人物で、伊予国大山祇神社(愛媛県大三島)の大宮司・大祝安用の娘
1543年(天文12年)6月、2度の敗北に業を煮やした大内義隆は、陶隆房の水軍を河野氏の勢力域に派遣、瀬戸内海の覇権の確立を目論んだ。河野氏とその一門は全力で迎え撃つが、鶴姫の右腕で恋人とも言われる越智安成も討死する。鶴姫は残存の兵力を集結させて最後の反撃を行った。不意を突かれた大内軍は壊走し、鶴姫らは勝利を収めた。 しかし鶴姫はこの戦の後に兄や恋人を想い、18歳で自殺したと伝えられている(鶴姫伝説)。

辞世の句は「わが恋は 三島の浦の うつせ貝 むなしくなりて 名をぞわづらふ」

鶴姫が着用したとされる胴丸が大山祇神社に展示保存されているが、現存している日本で唯一の女性用の胴丸である。なお胸部は女性用に大きく膨らんでいる。


現在、鶴姫の一生を現代風にアレンジした鶴姫祭りが毎年行われている。

河野水軍とともに戦った 鶴姫ですが
河野水軍といえば・・・・ わたしが今チベット問題で
ともに闘っている お友達、山口法栄寺の僧侶のベルカンプくんの ご先祖!!  なんだか 不思議です。

その鶴姫について 調べていると こんなミュージカルを
見つけました。 http://www.botchan.co.jp/tsuruhime/

「鶴姫伝説」


主演の  おつる 鶴姫役の 女優さんです 
鶴姫 / 碓井 涼子



ものがたり

世の瀬戸内――。日本総鎮守 大山祇(おおやまづみ)神社の大宮司・大祝安用(おおほうりやすもち)の娘、鶴姫。 伊予河野氏の一門である大祝氏は代々神職を務め、戦場に立つことはなかったが、戦さが起きたときは一族の者を陣代(軍務統括役)として派遣していた。

周防の大内氏が瀬戸内の海に侵攻、鶴姫の次兄安房が陣代となって河野氏や来島氏と力を合わせ、大内軍を撤退させるが討死。 16歳の鶴姫がかわってたたかいの先頭に立つこととなった。 海の平和を守る使命を背負う鶴姫は、たたかいによって憎しみが憎しみを生むことに苦しむ。 誰かがこの連鎖を断ち切らねば、と。

鶴姫を心から愛し、鶴姫の本当の願いをわが身を持って遂げようとする若者クロタカ。 女としての鶴姫の葛藤を知り、救おうとする幼なじみの娘カモメ。 3人の思いが瀬戸内の海を駆けめぐるとき、そこに・・・


瀬戸内のジャンヌ・ダルク、鶴姫。
作・作詞/高橋 知伽江
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彼女のものと言われる鎧が今も残っていますが、その生涯は多くの謎に満ちています。 このミュージカルでは現代の視点から、魅力的で新しい鶴姫像を創りだしました。

時は戦国時代、陸の争いは海に生きる者、水軍をもおびやかしていました。 大山祇神社の大祝家に生まれた鶴姫は男の子のように育ちますが、そこには秘密がありました。 彼女は龍神の申し子だったのです。 戦乱の荒波のまっただ中、鶴姫は海の平和を守るために賭とも言える大きな決断をします。 その彼女を支える水軍の武者、クロタカ。しかし、その結果は・・・・・・・・・。

龍神に託された使命、瀬戸内海への深い想い、かけがえのない友情、限りなく純粋な恋、そして、平和への祈り――これは今の私たちの心に訴えかける、強くて清らかな愛の物語です。

(ぜひともご覧くださいませ)

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おつるに関わりのある 龍神さまも出てくるんだー

見に行きたいなぁ 


公演日程は 4月〜9月の ほぼ毎日 ロングランです。





2009-01-23 00:12 | 記事へ | コメント(3) | トラックバック(0) |
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2009年01月22日(木)
バンヴェール兵庫 2009/1/18 試合後半
2009.1/18兵庫県レディースリーグのバンヴェール兵庫の試合風景です。 (おつる撮影) VS 北五葉ウィング  青いユニフォームが バンヴェール兵庫です
2009-01-22 03:59 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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★兵庫県女子リーグ第7戦  バンヴェール兵庫 試合と新年会
日曜日は、兵庫県レディースリーグ 

しあわせの村にて 第7戦が行われました。・








最終戦が 3月の第8戦

今期は、神戸FCマミーズの優勝の可能性が高く

バンヴェール兵庫は
北五葉ウイングと 多井畑キャロッツと 準優勝争い。

そしてトパーズ神戸と 木津ペッカーズが続いていて
接戦になってきています。

今回は 北五葉ウィングさんとの戦い

勝てば準優勝の希望が・・・引き分けで3位〜4位
4位までが 夏の関西選手権大会に出られないのです。

負けると やばい・・・

絶対に負けられない戦いでした。


北五葉ウィングは 若い選手がたくさん加入しています。

うちのチームは今回 新人さんは増えたものの
主要メンバーのさなえちゃんが 出産でお休み
ベテランさんも たくさんお休み・・・

おつるが中堅なんだもん 非常にやばいです

でも アジュール兵庫のエース まあちゃんと
元田崎の れなちゃんがいるので 安心

今日は、朝から 娘の運動靴を借りてはいてきて
サイズが大きくて かぽかぽするから かかと踏んで歩いてたら
監督にしかられました

ごめんなさい・・・

アップのときは
エースのまぁちゃんと 柔軟で足を持ってもらって
まぁちゃんは バレリーナみたいに足があがるのに 

おつるは イテテテテテ 股裂き。
足 45度ぐらいしか あがらへん。

さすがのクールビューティな まあちゃんも笑ってました

そして・・・キックオフ

今日は芝生で気持ちいー。

先発右サイドバックでした。

 バンヴェール兵庫はどんどん攻めるも
 北五葉さんの 強力なディフェンスに阻まれちゃいます。・

右サイドバックにあまり ボールがこない・・・
左ばっかりです。

ときどき ボールがきて 絡んだら
監督が遠くから 「いいぞっ」て誉めてくださいました。
めちゃうれしい


相手のスローインをヘディングしたり、
パスカットはできたけど そのあとのパスがうまくいかなくて
相手のいるところに パスしてしまいました。

前半、終わりかけの時に
相手のフリーの左サイドのフォワードに ボールがわたり、

おつるは ゴール前 走ってそのフォワードを阻止しに
いきましたが、
うちのキーパーの 仲良しふるちゃんも出てきていて

わたしが 邪魔してるみたいになって 二人でこけちゃいました。

そうしてるうちに、
私がマークすべきな 反対側のサイドのフォワードに
ボールがパスされて・・・

シュート決められてしまいました・・・・・


後半は 交代。

後半もがんがん せめていたけれど
バンヴェール兵庫の 惜しいシュート・・・・・残念

結果 1−0で負けてしまいました。。。。。

これで優勝はもちろん 準優勝もなくなった・・・・かも。


監督にごめんなさいを言ったら
いいんや いいんやって 怒られませんでした


試合あと、新年会です

しあわせの村のレストランで 美味しいお食事♪

監督にビールをついでいたたきました。

日本一のレディースリーグ監督にビールをついでいただいてー
ありがたき幸せ

アジュール兵庫 姫路獨協大学昌子さんブログよりhttp://sports.geocities.yahoo.co.jp/gl/chikara7521/view/20081125/1227630671



アジュール兵庫というチームは兵庫県サッカー協会内で女子のサッカー(特に18歳以上のカテゴリーを中心にママさんサッカー)の普及をしてこられた浅野正倫(まさみち)さん(67歳)という方が2000年に設立されたチームで当時は全国ママさん大会という名で開催されていたこの大会への出場・優勝を目指して活動してきたチームである。
 アジュール兵庫はママさん大会という名で開催された時代の最後の年である2002年に初優勝を成し遂げた。翌2003年よりその大会は全国レディース大会という名称に変わり、いまや元Lリーガー等経験豊かな選手も参加するようになり、一機に大会レベルが上がり、そう簡単に勝てるような時代ではなくなっていた。実に6年の歳月を経て2度目の優勝、レディース大会となっては初めての優勝を成し遂げたということになる。


 設立当初より監督をされていた浅野氏には私が大学を出たての頃よりサッカー協会の活動内容・方法、組織の仕組みに関してご指導をいただいていたのでいつかどこかで何かしら恩返しをしなければと思っていた。そこへタイミングよく浅野氏より『アジュールを立ち上げるから手伝ってほしい』と依頼をいただいたので微力ながらお手伝いをはじめた。ということで実は私も2000年よりコーチとしてチームの練習や試合、本大会への帯同を続けてきたのである。



監督 ごきげんです。

私の大好きな尊敬する 大先輩のベテラン女性トリオ

監督の美人の奥様と いつも笑顔のキャプテンと 超人やぶちゃん


美味しい食事を食べながら
真剣に今後について 話あうメンバー



キャプテンはみんなに声かけてくれます


ちびっこたち 将来のバンヴエールの選手!!




いつもお世話になる監督とコーチ



負けちゃったけど みんなとっても仲良しで
いつも笑顔で 明るくて素敵なチーム

 バンヴェール兵庫 あと一試合 3月 
最後まで頑張ります

試合の一部を 動画にしましたので
つぎのページにアップします

2009-01-22 02:58 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(1) |
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◆【特別ルポ】「陸上自衛隊出雲駐屯地を訪ねて『竹島」をのぞむ最前線の防人たち』

荒木肇先生のメルマガより転載させていただきました。
今回は 竹島と 出雲駐屯地のお話です

荒木 肇先生のメルマガ配信はこちらから↓
http://www.melma.com/backnumber_174026/




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◆ご挨拶
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 阪神淡路大震災から14年がたちました。17日にはさまざまな行事が行なわれたことでしょう。震災の犠牲になった皆様のご冥福をお祈りします。深い悲しみをおわれた方々にも、心よりお見舞いを申し上げます。

 さて、1月18日は、1952年に当時の李承晩(イ・スンマン)韓国大統領によって一方的に「ライン」が引かれた日になります。韓国では「海洋主権宣言」としています。占領期間中、わが国の漁船は沿岸地域にしか出漁を許されませんでした。
 これをマッカーサーラインといいました。講和会議が終われば、この規制は廃止される。そのはずでしたが、韓国はその直前、主には自国の漁業保護のため、国際慣習を無視して公海上にラインを引いたのです。これを越せば、わが国の漁船は韓国海洋警察隊によって臨検・拿捕(だほ)の対象になりました。

 停船命令に従わなければ、一方的な銃撃を受けるのがふつうでした。ラインがなくなったのは、日韓漁業協定が結ばれた1965年です。それまでに、わが国漁民は40人以上が死傷し、抑留された人々は約4,000人にのぼり、拿捕された船舶は300隻以上になりました。「三丁目の夕方」で知られる昭和30年代。北ではソ連に、西では韓国によるわが国漁船への銃撃や暴行が珍しくない時代でもありました。

 また、注目すべきは、この李承晩ラインは、島根県の竹島も、その領域内にいれていたことです。竹島は出雲市、松江市からおよそ320キロメートルの距離にあります。出雲空港に降りれば、すぐ目の前には、『竹島はわが国の領土です』という大きな看板が立っていました。
 今回は、この竹島を警備隊区にしている出雲駐屯地のご紹介をします。


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◆【特別ルポ】「陸上自衛隊出雲駐屯地を訪ねて」           荒木 肇 
『「竹島」をのぞむ最前線の防人(さきもり)たち』
 
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▼小さな部隊が長大な海岸線を守る

 島根県出雲市は県の中では東部にあります。県庁所在地の松江市は、県ではもっとも東にあり、有名な宍道湖(しんじこ)に面し、美保湾で鳥取県に面しています。
 律令時代からの旧国界では、出雲国(いずものくに)が県東部、石見国(いわみのくに)が県西部にあたり、隠岐の島は、一国のあつかいでした。したがって、旧3カ国が1県になっています。

 面積では全都道府県中19位の約6,700平方キロメートルですが、人口は約74万人と、ごく少なく同43位です。東西はおよそ220キロメートル、南北は同30キロメートルといった細長い形をしています。そして、海岸線の延長は約1,000キロで、隠岐の島の海岸だけで同80キロメートルになります。
 また、原発(げんぱつ)といえば、福井県が有名ですが、中国地方ではただ一つの原子力発電所(松江市)もあります。

 この島根県を守るのが、出雲市に駐屯する第13偵察隊を中心とする出雲自衛隊です。
 偵察隊というのは、師団や旅団に属す機甲科の部隊になります。機甲科というのは、もともと機械化装甲の略称です。陸上自衛隊は、発足からアメリカ軍の編制にならったため、偵察専門の部隊を作りました。戦車や、偵察警戒車といった装甲された車輌や、軽快なジープやオートバイといった装備をもっています。
 災害派遣でも、被災地にすぐに駆けつける偵察オートバイを見たことのある方もおられるでしょう。

 旧陸軍時代、行政区分と師管区は必ずしも一致しませんでした。島根県には西部に歩兵第21聯隊(広島の第5師団隷下)が、松江には歩兵第63聯隊(岡山の第10師団)が駐屯していました。すぐ隣の鳥取県は、鳥取市に歩兵第40聯隊があり、長い海岸線を3つの歩兵聯隊が守っていたのです。

 それが、陸上自衛隊になってからは、鳥取県米子市に第8普通科(歩兵)連隊が駐屯しているだけになっています。また、出雲駐屯地の歴史をたどると、削減につぐ削減が行なわれていることが分かります。

 出雲駐屯地は1953(昭和28)年に浜山競馬場の跡地に開かれました。普通科第8連隊第1大隊がおかれ、57年には施設(工兵)隊が移駐しました。62年に管区隊が第13師団になると、普通科部隊は米子へ移り、その代わり第13特科(砲兵)連隊の一個大隊、第13対戦車隊、第13偵察隊が入るようになったのです。この時代が、最も人員が多かった頃でした。

 対戦車隊というのは普通科部隊です。敵が着上陸するときには、上陸用舟艇(しゅうてい)を使って、戦車を送りこんでくる。その舟艇や戦車を撃破するためのミサイルや、対戦車砲を持っていました。13個師団体制をとっていた時代には、どの師団にも設けられていたのです。

 防衛力整備計画が見直され、広島県海田市(かいたいち:安芸郡海田町)に司令部をおく、第13師団は、旅団に改編されることになりました。1999年のことでした。特科連隊は特科隊になり、出雲から去っていきました。対戦車隊は中隊になり、昨年3月には、とうとう廃止、解隊になりました。あわせて第349施設中隊も施設隊に縮小され、支援する人員も減らされます。そして、第13偵察隊も人員、装備削減となりました。

 現在、島根県を守る陸上自衛隊は、縮小されてきた偵察隊と第304施設隊だけなのです。もちろん、これを支え、駐屯地を維持する隊員たちもいます。第1直接支援隊、第357会計隊、方面通信群隷下の基地通信中隊の派遣隊、情報保全隊、警務隊、業務隊などです。しかし、これらの隊員は主に駐屯地を維持するのが仕事であり、有事に行動できるのは、わずか数百名の隊員でしかありません。


▼「竹島」問題を考える

 韓国はどうして竹島にこだわるのでしょうか。現在は海洋警察隊の部隊までも駐屯させ、周囲を領海、領空とみなしています。国際司法裁判所(ICJ)に提訴しようと提案しても、一切、とりあいません。領土問題は日韓間には存在しない、「独島=韓国側のつけた竹島の名称」は古来から韓国の領土であるといった認識をくり返すだけです。

 韓国の友人と話し合っていると、竹島問題は漁業権や海洋資源の支配といった実利的なことより、歴史的な感情論が先行する気がします。
 竹島の島根県への併合(1905年1月)は、日露戦争のただなかのことでした。すでに前年には、第一次日韓協約が結ばれ、韓国はわが国から内外政について強い干渉を受けていました。それらの屈辱感と結びつけられ、しかも、日本海海戦の勝利と関係づけて竹島を語る人が多いようです。

 私たちにとって、日本海海戦というのは、一大ドラマです。バルチック艦隊の来航をひかえ、敵は対馬海峡を通るか、太平洋を迂回して宗谷海峡を通るかという聯合艦隊の判断などが知られています。朝鮮沿岸のことなどでは、鎮海湾に艦隊が集まったことくらいしか知識がありません。
 ところが、韓国人は違います。竹島の併合を、位置がロシア艦隊の通り道にあたることから戦略的な要地をおさえた行為と解釈します。そこから植民地支配は始まったという考え方がみちびかれて、併合の屈辱につながるようです。

 これに対して、わが国一般の認識はどうでしょうか。もともとは、江戸時代から好漁場として知られてきた竹島。日朝の漁民は自由に近海を行動して、お互いの交渉もありました。その頃には、お互いに近代的な国民国家であったわけではないし、領有権でもめることもなかったでしょう。一足お先に、近代国家になったわが国が、島根県からの要請で閣議で決定し、正式にわが国の行政区画の一部にしただけです。

 しかも、敗戦後の混乱でも、竹島は連合国によって正式に日本領土とされました。本州に附属する島々の一つと、国際的にも認められていたわけです。それに対して、韓国はわが国が被占領から解放される講和会議にも、戦勝国として参加することを要求していました。対馬も、竹島も韓国領だという主張がされたそうです。

 そして、1952年の李承晩ラインの設定が行なわれました。また、翌々年には、警備隊が上陸し、基地を建設し、韓国人のいう実効支配が始まったのです。
 わが国は1965年の国交回復以来、話し合いを続けていますが、事態はいっこうに変わりません。どころか、島根県議会が竹島が県土であることを確認する議決をすると、たいへんな剣幕で抗議してくるといった状態です。

 李明博氏は昨年2月に大統領に就任しました。ただちに、わが外務省はそのホームページに『竹島問題を理解する10のポイント』という記事を掲載しました。内容は、きわめて穏健なもので、従来のわが国の主張を丁寧に、理解しやすく述べたものです。わが国のメディアもこれを報道しなかったからでしょうか。政治問題にもならず、読者の皆様にも、あまり知られていないのではと思います。

 大きな問題になったのは5月でした。12年春から施行される新しい中学学習指導要領の中に、『竹島はわが国固有の領土である』と明記する方針があることを、朝日新聞が大きく報道しました。とたんに反対運動、抗議する報道が韓国で始まり、大騒ぎになったのです。
 もともと、朝日新聞の姿勢は、論説委員が『いっそ竹島を韓国に譲ったら』という意見を公表できるというものです。ご本人は、後になって、「仮想の話」とか、「ゆとりがないからすぐ怒る」などと批判に逆ねじを食わしていましたが、島根県民のことは少しも考えていないのは明らかでしょう。

『口に世界平和を唱えながら、隣人に不親切な人間を信用するな』とは、学生時代に読んだルソーの言葉でした。父祖から引きついだ漁場を奪われ、一方的な銃撃を受け、抑留されてきた島根県の漁業者たちは、世界平和のためなら我慢しろというのでしょうか。

 ところで、その結末はどうなったでしょう。7月に文部科学省は、竹島は固有の領土という表現は避ける。両国に主張の違いがあることにふれるくらいにして、韓国側に配慮するという方針を発表しました。
 でも、韓国の激高はおさまりません。政府は抗議声明を出し、大使を召還し、抗議デモが行なわれ、インターネットの掲示板には「韓日海軍、もし戦えば」などという書き込みもでる始末でした。

 何を韓国人は、ああまで騒ぐのだろうというのが、わが国の世間の大方の反応でしょう。たしかに、戦後、わが国はとにかく竹島問題については、低姿勢をつらぬいてきました。だけではなく、国際法的にも問題があった李承晩ライン、その警備隊の問答無用の実力行使にもひたすら抗議するくらいでした。韓国人は、このことをどう考えているのでしょう。

 竹島の周囲で軍事演習を行ない、対外的にアピールするために政府高官が竹島に渡るという行動もとっています。どうも韓国人は、私たちと対話しようとする意欲が低いようです。問題を解決するには、当事者間の話し合いが一番なのに、それをしないで世界の世論を味方につけようとしています。

 私たちにも問題があります。島根県の人々が県議会で議決をしてまで主張する、空港の入り口に大きな塔を建てて主張する、竹島はわが国固有の領土である、歴史的経緯をみても、それは明らかなのだ、安全な海を返して欲しい、そういった同胞の思いに、国民的関心が今、一つ足りないと思えるのです。


▼出雲駐屯地の若者たち

 警衛(表門の警備をする隊員)の姿勢は、日本中、どこでも見られる美しいものでした。
 ぴしりと決まった迷彩服に、きちんとつけられた装具、磨き上げられた小銃、しまった姿勢の敬礼は、こちらまで緊張させられます。全国、どこも変わらないなと改めて自衛隊の教育のよさを感じました。

 広い駐屯地も少ない人員であるのに、きれいに整頓されています。これも全国どこでも見られる駐屯地の風景です。美しく刈り込まれた芝生や植栽、道路にはチリ一つ落ちていません。窓は磨き上げられ、薄い陽射しにもガラスはつやつやと光っていました。

 新成人の若い隊員たちと会食です。幹部たちと同席して、いくらか緊張気味の13人の迷彩服の若者たちがいました。初々しく、若く、華やかな雰囲気は、ふつうの服を着たら、街の若者と見分けがつきません。激励にみえた地方協力本部長、駐屯地司令のご挨拶の後で、私がお祝いを申し上げる番になりました。

 いきいきとした目が私に向けられ、緊張と期待がひしひしと感じられます。目の前には、業務隊の皆さんの心づくしのご馳走が並んでいます。長い話はよくないなと考えました。
 そこで、新成人の皆さんへのはなむけの言葉として、次の3つを述べました。

 自衛官には3つの顔があることです。
 1つ目は、武人として、戦闘者としての顔でしょう。身体を鍛え、健康にたもち、心を練り、強い自衛官の顔。
 2つ目に、軍事技術者としての、武事の専門家としての道をきわめる学習者、研究者としての顔。
 3つ目に、自衛隊の広報官としての顔です
 営門を一歩出たら、そこは世間です。一般の人たちが生活しているところでしょう。そこでは、自衛官といえば一人ひとりです。自衛隊とはどんな組織か、どういう人間がいるところか、信頼するに値する組織か、すべてが皆さんの言動で判断される。どうか、ぜひ、成人になったことを機会に、一人ひとりが自衛隊を代表しているといった自覚をもって行動してもらいたいとお願いし、話を終えました。

 その後、13人の一人ひとりが自己紹介と抱負を語ってくれました。施設(工兵)科、機甲科、会計科、通信科というそれぞれの職種を選んだ、あるいは選ばされた若者たちです。
 感動したのは、みな、目の前に具体的な目標をもち、モデルとする先輩に囲まれていることが分かったことでした。自衛隊は、若者を大切にする。ここでも、自衛隊のよさを実感することができました。


▼地域の支持こそが、精強化につながる

 創立記念日に市中パレードができる部隊は全国でも珍しい方です。出雲市長が防衛協力会長を務められていますが、くにびき中央通りで部隊は観閲行進を行ないます。そのときには、頼もしい装甲車輌や、隊員たちを見て市民たちは手を振ってくれるそうです。

 これには災害派遣にも、隊員たちが真剣に取り組んでいることも関わっているのでしょう。平成19年度だけでも、林野火災に出動し、広島県のスキー場の遭難者捜索にも出かけ、遠く中越沖地震にも出雲自衛隊は出動しています。

 司令は語ってくれました。地域住民の支持、私たちへの信頼こそが部隊の精強化につながります。縮小される一方の人員、装備ですが、私たちは与えられた状況の中で全力を尽くす、それが使命だと思っています。

 要求は決して口にしない。黙々と義務を果たし、いざというときのために、日々の苦しい訓練に耐える。そういった愚直さが自衛官にはあります。
 新しい防衛大綱では、さらなる人員、装備削減が検討中です。日本海側の緊張、原発、竹島問題と課題が多い出雲駐屯地、そこを守るわが防人(さきもり)たちの武運長久を願っています。(荒木 肇)


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆荒木肇経歴
1951年、東京生まれ。横浜国立大学大学院修了(教育学)。横浜市立学校教員、情報処理教育研究センター研究員、研修センター役員等を歴任。退職後、生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師、現在、川崎市立学校教員を務めながら、陸上自衛隊に関する研究を続ける。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。年間を通して、陸自部隊・司令部・学校などで講話をしている。

◆主な著書
「自衛隊という学校」「続・自衛隊という学校」「指揮官は語る」「自衛隊就職ガイド」「学校で教えない自衛隊」「学校で教えない日本陸軍と自衛隊」「子供もに嫌われる先生」
いずれも並木書房刊 http://www.namiki-shobo.co.jp/
 
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2009年01月18日(日)
★自衛隊 第三師団 定期演奏会
本日 1/17 いたみホールにて

  自衛隊 第三師団 第39回 定期演奏会 がありました。

昨年度の写真です↓


わたしは自衛隊が子供の頃から大好きです。
子供の頃に通っていた 小学校や中学校が 陸上自衛隊の
総監部の近くでしたので、

自衛隊の装甲車が道路を走っていたり、自衛隊の方が
かっこいい制服で通勤されている姿や 訓練で歩いている姿
いつも憧れていました。
小学校6年生の時には登下校の班長をしている時、
自衛隊のモスグリーン色の大きな装甲車が通ると 班の1年生〜
5年生までの子供たちに 「敬礼しよう〜手をふろう〜」と
みんなで 手をふったりして・・・・

すると 自衛隊のお兄さんが笑顔で手をふってくれたり
子供心に自衛隊のお兄さんたちは ヒーローでした。

母親が一時、自衛隊の食堂でパートで働いていたため
自衛隊まつりに連れていってもらって、
戦闘機に乗ったり、戦車を見たり・・・今でも鮮明に覚えています

そんな私ですが、第三音楽隊の演奏を聞くのは今回初めてでした。

道が渋滞していたので いたみホールに到着したのは
ぎりぎりになりましたが 駐車場から入口に向かうと
案内の自衛官の方に名前をいうと受付まで
ご丁寧に案内してくださいました。

入口や ホールにはたくさんの自衛官の方が制服でおられて
ひとりひとりが 丁寧な礼をして下さり感激しました。

受付で名前を告げて、ご招待用の花を胸につけるので
驚きました。 VIPみたいです
そして2階のとてもいい席まで またもご案内いただきました。
いたみホールは もう 満員でした。

音楽隊の方の制服がまた すごくかっこいい!!!
グリーンの制服の背中に金色のライオンと竪琴と羽根みたいな模様

そして演奏がはじまりました。


曲目は第一部 クラッシック
行進曲「威風堂々」 

 これは私が音楽を教えていた時に子供たちにリコーダーで指導して
卒業式などに演奏させた思いでいっぱいの曲です。
本来はオーケストラの曲だと思いますが、これを吹奏楽で
もう 素晴らしい迫力の演奏で感動しました

つぎに歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」 
この曲は初めて聞きましたが とても美しい曲でした。

楽劇「ニュールンベルクのマイスタージンガー」

ワーグナー曲です。 あーーなんてすばらしい。
涙でてきました。

そして第一部の最後が  「ダッタン人の踊り」

この曲は相方がリコーダー、私がピアノで地域の文化祭で
演奏した、これも想い出の曲。

4曲ともフルートやオーボエ、クラリネットの方のすごい
テクニックに心が震えました。
そしてトランペットやトロンボーンの迫力!!!
パーカッションのおじさまもむちゃくちゃかっこいいです


今まで 吹奏楽というのは、相方の中学校の吹奏楽が
コンクールに出たり文化祭を毎年 聞きに行ったり
地元の中学校の定期演奏会にはよく行きますが、

大人のプロの吹奏楽というのは初めて
こんなに自衛隊の音楽隊ってレベルがすごいんだーーーーーーーー

私は音楽が好きだから よくピアニストのコンサートや
オーケストラなども聞きに行きました。
関西にはいろいろなプロのオーケストラがあるけれど
今日のが一番素敵だった!! 吹奏楽って こんなに素敵なんだ

音楽好きの方にはぜひぜひ 自衛隊の演奏会に行くのを
おすすめします。だって申込みしたら こんなに
すごい演奏が 無料なんだよ!!!!


第一部が終わり、相方と私は休憩にロビーに出ました。
一階ロビーには 自衛隊の普段の活動されている写真のパネル
展示などがあり、興味深く拝見しました。

この演奏会へのたくさんの祝電も貼ってありました。

「あ、自民党兵庫6区こびき司議員の祝電 発見!!」
鴻池議員も、二階大臣、伊吹氏もたくさん政治家の方の祝電でした。
国を守る自衛隊を支援する 政治家さんはまっとうですね

そして今回の演奏会を教えて下さって申込用紙を下さった
第3師団司令部 広報室長中村様にご挨拶をと思い

若い自衛官の方に
「広報室長様がもしおられたらご挨拶したいのですが・・でも お忙しいと思いますので お伝えいただければ結構ですので・・・」と
立ち去ろうとしたら
広報室の渉外幹部の千代森様という方が 飛んでこられて
ご丁寧に名刺をくださり、挨拶くださいました。
そして席につこうとしたら 
ちょうど 入口に中村様がいらっしゃって ご挨拶できました。

とても立派な方々に厚かましくもお声かけさせてただいて
ドキドキでした

若い自衛官の方も千代森様も 
なんて自衛官の方は凛として美しく御立派なんでしょう。
日本の誇りです。
中村様も立派な方なので 緊張しました。

そして第二部がはじまりました。

今度は子供にも楽しめるアニメの曲
  「風の谷のナウシカ」「ラピュタ」「鉄腕アトム」
そして「ALWAYS三丁目の夕日」 

アニメ大好きな ちび娘がとても喜んでいました

なんて美しく迫力ある演奏!!  指揮者さんがかっこいい
第三音楽隊長 1等陸尉 中井嘉昭様です
昨年の写真より↓


大たいこのおじさまや ティンパニの女性のかっこいいこと!!
どの演奏者の自衛官も 体全部を使っての
魂こめた演奏で、また笑顔のフルートの方も 
素晴らしかったコントラバスのひびきも 若いパーカッションの方も
すべての団員ひとりひとりの技量がとんでもなくすごいのです。
賛助出演のハープと ピアノの方も 素敵でした

最後にアンコール

すると電気が消えて ライトをキャンドルのようにともされ
見上げてごらん夜の星を♪
1/17ということで 阪神大震災のスライドが上映され
がれきの中からの救出作業、自衛隊の避難所での活動
震災で傷ついた子供たちが自衛隊員さんに笑顔・・などの
写真でした。神戸市民より自衛隊さんありがとうの言葉や・・・
ほんとにあの時は 不眠不休で体を壊すぐらいに活動されたのです

そして 「明日があるさ♪」 
のあと
さらにアンコール

地元の観客のためにと小関裕而氏作曲の  「六甲おろし」 


その小関裕而氏が作曲したという創立20周年の陸上自衛隊の歌は
音楽隊の中のひとりの方がマイクをもって 朗朗と歌われ
その歌詞は素敵でした!!


「栄光の旗のもとに」 
:赤堀達郎作詞、藤田正人補作、古関裕而作曲

@山がある 川がある 海がある 空がある
美しき みどりなす国 この静けさを守りぬく 陸上自衛隊
われらの日本 日本の 平和の使者は 今日もゆく

A父がいる 母がいる 妻がいる 子らがいる
とこしえに 光さす国 このしあわせを守りぬく 陸上自衛隊
われらの日本 日本の 平和の勇者は 今日も行く

B君がいる 僕がいる みんないる 生きている
さくら花 競い咲く国 このよろこびを守りぬく 陸上自衛隊
われらの日本 日本の 平和の旗手は 今日も行く




ほんとに平和の使者、平和の勇者、平和の旗手がまさに
自衛隊なんだと思いました。
真に平和を心から願う日本人こそ 自衛隊の方々を称えるべきなのです。


音楽隊OBの方や
第三師団を支える会や 地元伊丹の中学校や高校の
吹奏楽の生徒さんたちから 花束の贈呈があり 幕が閉じました 

帰りぎわに 第三師団長の長谷部洋一様にもお会いできて
ご挨拶させていただきました。
感動したことと、お礼を申しました。
関西の陸上自衛隊のトップクラスのご立派なすごく素敵な方で
ものすごく緊張しました

荒木肇先生と長谷部師団長様のおかげで 
(荒木肇先生■メルマガ「海を渡った自衛官─異文化との出会い─」
 http://www.melma.com/backnumber_174026/)

こうして素晴らしい演奏会に参加できたこと 
心から 感謝いたしました。

人生の中で幸せな幸せな心が胸がいっぱいになる夜でした。

帰り際もたくさんの自衛官さんたちが  御挨拶くださいました。

帰りに外に車で出ると 警備のために(過激派やテロリスト対策でしょう) 若い自衛官の方が数名ホールの外で警備をされていましたが

普通警察官の警備なら 警棒やピストルを装備されているでしょうが
自衛官さんは 丸腰なのです。
何も自衛の武器をおもちでないのです。
もし 万が一 ピストルや刃物などを持ったテロリストが来たら
自衛官さん 死んでしまいます
この方たちは 本当に命がけで 私たちを守ってくださって
いるのです。

これは たとえてみれば 今の法律で
イラクなどで活動している自衛官さんたちの縮図を見る
ようでした。 武器が使えないんですもの。

それと・・・自衛官さんの礼儀や姿勢正しさ、挨拶 笑顔 
凛とした姿
美しい・・・これぞ 日本男児・大和ナデシコ 日本の良さです。
日本の伝統美 茶道、華道、武道に通じるような・・・
こういう姿を今の子供たち 見習うべきで 教育に必要だと
切に思いました。

そんなことを考えながら 帰途につきました。

日本を守ってくださる自衛官さん、有難うございます。
そして 素晴らしい演奏 有難うございました。

(写真はすべて昨年度の写真を自衛隊第三師団ホームページより
転載させていただきました。http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/3d/teikiensoukai.html)
2009-01-18 01:44 | 記事へ | コメント(4) | トラックバック(1) |
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★ラジオフリーアジアで情報提供のよびかけ 「札幌医科大学教授高田先生ブログより」


★札幌医科大学教授 放射線法誤情報センターの高田純博士の
ブログより転載させていただきます。
ご参照下さい→ http://junta21.blog.ocn.ne.jp/blog/



ラジオフリーアジアで情報提供をよびかけています!


 中国の核実験によるウイグル人への健康被害の情報提供を、ラジオ・フリー・アジアのサイトでよびかけています。これにより、中国国外からの情報提供が期待されます。

http://www.rfa.org/uyghur/xewerler/tepsili_xewer/yapon-uyghur-atom-01162009054912.html?encoding=latin

 放射線情報センターのブログをご覧の在日ウイグル人、留学生のみなさん、是非、この科学調査に協力し、情報を送信してください。一人ひとりから集まる情報が科学となります。

中国政府にインターネットを管理されている母国ウイグル地区からの通信は困難です。まず、日本にお住まいのウイグルのみなさんが、情報を提供してください。個人情報は保護します。



情報提供は次に

bpgoprojectj2@gmail.com


J2プロジェクトに関する放射線情報センターへの議論は無用です。

科学的調査の前進が、力を生み出すのです。

                                             J博士 

*******************************************************

ぜひ 情報提供を!! お願いいたします


高田教授は現在

日本人、ウイグル人、米国人のチームと2008年プロジェクト1を
やり遂げられ、
プロジェクトJ2 第一回ウイグル健康影響調査をすすめられている
のです。

東京新聞・中日新聞に研究の発表のり報道がなされ

ワシントンDCの世界ウイグル会議総裁ラビア・カーデル女史
世界ウイグル会議日本代表のイリハム・マハムティ氏
日本ウイグル協会 顧問 白石 念舟様 とも ご交流され

在米ウイグル協会 日本ウイグル協会から感謝状を授与されました。


「長崎原爆資料館問題」において
長崎の原爆展示をただす市民の会事務局の北村様
「中国はチベットからパンダを盗んだ」の著者 有本香様
とも ご交流なさり

日々 奮闘されご活躍されておられます。

先生の「中国の核実験」の本をぜひお読みください。




以下は イリハム・マハムティ氏の書評です

世界ウイグル会議日本代表のイリハム・マハムティ氏の書評を、「沖縄県民斯ク戦ヘリ」さんから転載させていただきました。
http://kakutatakaheri.blog73.fc2.com/blog-entry-1489.html


本書を読んで大きなショック受けた。
私達はウイグル地域で核実験が行われたことを世界にアピールしてきたが、実際の被害状況を証明するデータはなかった。

高田純先生のデータによると、ウイグル地域で四十六回の核実験行われ、そのうちメガトン級が三回地表で実施され、その威力は八・九メガトンで即死者は十九万人、死に至らなくても被害者の数はなんと百二十九万人にも上っている。
これを読んで、私は小学生時代に一緒に元気に遊んでいた友達や近隣の子供が何人も亡くなったことを思い出した。
その子供らは発病から一週間から一カ月で亡くった。
当時病名を白血病と聞いた。ウイグル地域では多くの奇形児が生まれ、沢山の人々が癌で亡くなっている。
ウイグル人はこれが核実験の被害であることや核実験を行っていることさえ知らなかった。
大勢のウイグル人被害者が発病から亡くなるまで貧乏のため治療を受けられないが、中国政府は被害者に賠償をしない。

これは中国共産党政府がウイグル人を虫けらの如き扱いにしていることを証明している。
ウイグル人の医者によると一九七〇年代からウイグル地域の癖発病率は中国本土の七倍以上という。

中国共産党政府はこのような非人道的なことを隠す一方で、彼らが世界平和に貢献すると言う虚構はまさに
「耳を塞ぎて鈴を盗む」の類である。
これは中国共産党政府がウイグル地域で核実験を実施し、われわれウイグル民族をこの世から消滅する陰謀であるに違いない。

評・イリハム・マハムティ世界ウイグル会議日本代表


世界調査地図

 J博士の主な調査地点
 タッタタターン・・・・・・、小型クレータ発見、核シェルターの内部、実験場の計測棟、核の人工湖で泳ぐ、小さな漁船で太平洋を行く、シベリアの空を軍用へりで飛ぶ、凍りついたレナ川の上を軍用トラックで走る、ウイグル・カザフ国境の町に中国の核実験の影響が、ホームメードウヲッカでフラフラ、美味しいラグマーン、飲める馬乳酒、初めて来た外国人として大歓迎、ダンスと音楽・・・。 
 世界の核被災地調査で、大いに学ぶ、日本は”唯一の被爆国”ではなかった!









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2009年01月17日(土)
1.17
今日は阪神大震災 14年でした。

地震で落ちてきた物でおでこに怪我をして血を流していた
生後9か月のおつるの二女がもう 高校生になるのです。

私を教育の仕事に導いて下さった小学校の時の担任の
恩師の先生のお嬢さんは 阪神大震災の二日前の 成人式は
実家で過ごされたものの 神戸の下宿先に戻り亡くなられました。

わたしの娘の今年の成人式には その先生のお嬢さんのことを
思い胸がつまりました。



ヴィッセル神戸サポーターや田崎ペルーレサポーターには
阪神大震災で 家が全壊した人、家が全焼した人
親や友人や子供や親せきや友人を亡くした人がたくさんいます。

その田崎ペルーレはもうスポンサーの都合により
無くなってしまいます。
今日はこんな悲しいニュースもありました。

TASAKIペルーレFC の引退選手のお知らせ

 当社女子サッカーチーム「TASAKI ペルーレFC」は、平成20 年10 月10 日リリースのとおり平成21 年より活動を休止いたしましたが、選手の中から5 名の選手が、引退の意思表明をいたしましたので、お知らせいたします。
・ 池田 浩美 (DF)
・ 大谷 未央 (FW)
・ 下小鶴 綾 (DF)
・ 佐野 弘子 (MF)
・ 福場 也美 (MF)

その他の選手につきましては、現在、移籍先等を含めて検討・調整中でありますので、現在のところ発表させていただく段階ではありません、ご了承下さい。


時はすすみました。
がれきの街だった神戸も芦屋も宝塚も伊丹も
復興され新しく生まれ変わりました。

でも人々の心に刻まれた思いは なくなることはありません。




ヴィッセル神戸、日本代表サポーターのGAKUちゃまの日記より転載させていただきましたhttp://mixi.jp/view_diary.pl?id=1054694118&owner_id=10307817&comment_count=4




1.17

神戸に生まれ
神戸に育った人間にとって

絶対に忘れられない日


平成7年1月17日

午前5時46分


一瞬にして、多くの命を奪い去った
悪夢の大震災。



毎年主張していることだが

あの日、首相官邸でなすすべもなく
TV画面を見つめる首相・村山富市

そこへ、ホワイトハウスからのホットライン。

合衆国大統領・ビル=クリントンからの電話だった。


『太平洋艦隊を神戸沖に派遣し、
災害救助の手助けをしたい。』

村山は答えた

『神戸には『非核神戸方式』というしきたりがある。
核を装備していないことを証明できない艦は入港できません。』


次々と火の手が廻り
失われていく尊い命

社会党首班の彼にとっては
その命よりも・・・・



空想的・左翼的平和主義イデオロギーの方が
よほど大事だったのだ。


実際、神戸市・兵庫県ともに
昔から社会党の強い地域であった。

その左翼イデオロギーによって
自衛隊の出動もまた、遅れることとなった。



救えていたかも知れない命を
イデオロギーのために見殺しにした
左翼反日主義者共。


あの忌まわしき阪神・淡路大震災

その影には左翼政権の意図的無作為による
『阪神・淡路大虐殺』という側面があったことも
永遠に語り継がれねばならない。





そして、神戸を愛する我々にとって
もう一つ大事なこと


今日は、ヴィッセル神戸の
14回目の誕生日。


あの日から
今は亡きオリックス・ブルーウェーブも
神戸製鋼コベルコスティーラーズも
貴闘力(現・大嶽親方)も

タイトルを手にし、被災者を勇気付けた。


さあ、最後を飾り
真の復興を手にするためにも

そろそろ、タイトルを勝ち取りたい。



俺たちのこの街に
お前が生まれたあの日
どんなことがあっても
忘れはしない
共に傷つき
共に立ち上がり
これからもずっと
歩んでゆこう
美しき港町
俺たちは守りたい
命ある限り
神戸を愛したい



全ては聖都神戸に栄光の歴史を築くために!

2009-01-17 23:17 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
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2009年01月16日(金)
熱海初島の猫、救出にお力をお貸し下さい!
mixiの crep@FreeTibetさんの日記で読みました↓
猫好きのわたしとしては 悲しすぎます。

全部ひきとって育てたいけれど そんなわけにもいかないのが
つらいです。
遠くて ボランティアにもいけません・・・・

さっそく 自民党の自民党動物愛護管理推進議員連盟と
◆事務局次長である 衆議院議員こびき司先生と
顧問てある 麻生首相にもメールしました。

助けてあげたい・・・



【城ヶ島に生きる野良猫たち】
http://www.h6.dion.ne.jp/~nobo/

ブログ 「野良猫たちへの祈り」
http://plaza.rakuten.co.jp/nobo13/diary/200901150000/


Jan 15, 2009
<<緊急のお願い>>熱海初島の猫、救出にお力をお貸し下さい!
(静岡動物愛護犬猫ホットラインさんからのお願い)

彼らはこの十数年間来る日も々飢餓状態に置かれ、島民が海中に捨てる生ごみを追って溺れ死ぬなど、次々と餓死している!

初島の猫は、元は初島住民の飼い猫だった。
初島が落花生やじゃがいもの生産に力を注いでいた頃、それらを食い荒らすネズミが増えた為
『島民がネズミ退治の救世主として猫を島に連れ込んだ』
その結果ネズミは減少し、その後大根の生産に切り替えたこともあって、ネズミは姿を見せなくなり、猫の必要性がなくなって島民に見捨てられた!

島民は「猫に絶対餌をやるな!」という掟を作り、島民同士が互いに監視をしあい、子供にまで「猫に絶対餌をやるな!」というポスターを書かせ、観光客、釣り客が通る桟橋近くの掲示板に掲示させている。
観光客、釣り客にも猫に餌を与えないよう注意しているが、お腹を空かせ痩せ細った猫を哀れに思った釣り客が、島民の目を気にしながら近寄って来る猫に釣り上げた小魚を、観光客からはビスケットなどのお菓子を等を与えられ、細々と命を繋いでいる。
周囲を海に囲まれた島で逃げることも出来ない。
一時は200匹近く居たが、餌としていたヘビ、カエル、虫等もいなくなり彼らの目の前で次々と仲間が息絶えている。
現在生き残っている数は、50〜100匹と思われる。

昔の話ではなかった。
この事実を把握したのは、現在静岡県で計画されている動物愛護管理推進10年計画についての準備説明会の時で、私どもの団体会員から、昔話として聞いたことが現在も進行中であることが分かり、その事実を確かめるため資料を探し集め、この実態を知った。

紙のように軽い体重。
島にわら利猫の様子を見に行った。
えさを欲しがって近寄ってきた猫を抱き上げたところ、見た目ではこれ程とは思えないくらい骨と皮でゴツゴツとして、その体重は紙のように軽かった。
仔猫に至っては未だ体毛が生えそろっていないこともあり、体の丸さは全く無く、目は吊り上り可愛らしさは失せている。
島民の話では、最近仔猫は育っていないと言っている。
熱海市役所担当課の環境企画室と熱海保健所に対して、県が推進している計画をこの初島に適応させて猫たちに餌をやり、不妊手術、地域猫として生きられる様に島民との話し合いが出来るよう申し入れた。

市側・保健所は始めは「そんな話とても無理、島民が聞き入れるわけが無い!」等と言っていたが「初島も静岡県の指揮下に在るのであれば、動物愛護推進計画 を進めるべきである。」との申し入れによって島民との話合いの方向に動いてはくれたが、初島の区長は「8月〜9月の中頃までは観光客が多いので商売の邪魔 になる!」と行政の話合いを拒否。
その間も猫達のことが気になり、せめて餌だけでも与えさせて欲しいと懇願したが「島民の意思を無視するような事をすれば、トラブルとなり元も子も無くなってしまうので絶対に駄目」と行政から止められていた。
島民に地域猫として飼養し手貰う以外に猫達を助ける手段が無い限り、島民との話合いがトラブル無く調整されるまで我慢するしか無いとつらい思いで待ち続けた。

9月2日(火)
初島で除草剤がまかれ、島の猫が全滅したとの情報が入り、伊東市内で県の動物愛護推進計画の前準備の野良猫の調査を急遽中止し、初島に向かった。
島の隅々まで調べたが除草剤をまいたらしい跡は所々あったが、猫の死体等は無く、猫達も夕方になって十数匹が桟橋に姿を見せてくれたので少しホットした。

餌やりを強行

9月10日(水)
このことが切っ掛けとなり、プリントして準備が出来た動物愛語法、地域猫、静岡県動物愛護推進計画、餌やり等について、それらの理解と協力についてのチラシを島内全ての所帯、ホテル住民に撒いた。
又この日から島民の非難、罵声を浴びながらの餌やりを始めた。

動物愛護団体は宗教団体と同じ?
9月11日(木)
熱海市役所環境課長・環境企画室長・保健所課長・係員の4名と初島区長との話し合いが行われたが、区長の返事は「不妊手術をすることは、島民に対して金銭 的、労力的に一切負担掛けなければ認めるが地域猫として餌をやることは認めない。猫は野生生物だから餌をやる必要はない」と言っていると報告があった。

また「動物愛護団体は宗教団体と同じだから会いたくない!」と言っているそうだ。

9月26日(金)
役所側は前と同じメンバー、初島側は区長と役員7名。
話の内容は前回とほぼ同じ。
ただ役所側が「猫を観光の目玉としたらどうか?」とか「過去に自分たちの都合で利用した愛護動物である猫に餌を与えないことが、テレビ・新聞等で報じられ たら、観光で生きている島民が困ることになるのではないか?」との問い掛けに対して「別に困る事は無い」と答えたようです。

三味線業者も見放す。
平成初年頃には京都の三味線業者を入れ猫を捕獲させていたが、餌の取り合い、繁殖期等の喧嘩の傷で、三味線皮の業者に見放され、命を落とす事は無くなったが周りを海に囲まれている島の面積に応じての餌(ヘビ・カエル・虫等)が無くなり、病気にもなり次々と餓死していった。
生きた雀で捕獲した猫を動物園の餌として・・・・
私たちが猫に餌を与えている傍らにきて「前はよく生きた雀を紐に吊るしてそれに飛びついた猫を捕らえて、動物園の餌にしたものだ!」等と言いに来る島民もいる。

初島の猫を救出する決心をしました!
11月初め〜11月10日の間に、いつもガツガツ餌を食べに来ておなじみになっていた9頭の猫が餌を食べに来なくなり、数が急激に減ったことで猫の命の危険と不安を覚え猫たちを保護する決心をしました。

初島の猫の件に関わっているスタッフは、最近まで4名でやってきましたが、それぞれが普段から動物の愛護・保護活動をしていて、保護している動物、地域の 猫の不妊去勢手術、餌やり等を行っている中での初島の猫問題を抱えることになり、金銭的、時間的、体力的に追い詰められ、意見の相違から1名が脱退しまし た。
現在は3名でがんばっています。
不妊去勢手術、血液検査、ワクチン、ノミの予防薬他、ケンカの傷、釣り針を引っ掛けられて片眼が腐敗している等々医療費が大変必要であること、又猫たちを 保護する場所が無く(当初から島から脱出させなければ救う道は無いのではないか、と保護場所を探し続けていましたが、どうにも、こうにもむつからずにいま した)困り果てていましたが、急遽スタッフの知人に猫達の命の危険な状況を理解して頂き、無理にお願いして6か月間だけ借りることができました。

12月8日現在 島の猫の1/3強は捕獲して、手術他治療等すべて手当をして保護できましたが、この先どこまでやってゆけるのか大変心配です。
現在無理をお願いして借りたシェルターの毎月の家賃の支払、フード代金、高熱費の支払その上来年(21年)の5月には猫達の居場所が無くなってしまうので、皆様のお力をぜひおともお借りしたくお願いいたします。

(保護した猫は日々緊張が解け、甘えてくるようになっています。)
人間の身勝手により引き起こされた、非情な環境の中で何も訴えることもできず、ただ々毎日飢餓と闘いながら生き残った彼等に、同じ人間としてせめてもの罪滅ぼしに、天寿を全うさせてやりたいと思います。

来年5月までにシェルターの用意をしなくてはならない!
猫が入るというだけで、どんなに古い家でも貸してはくれません。
熱海市内で(世話をするスタッフが熱海に住んでいるため)古い家又は建物を購入するしか手立ては無く、大変大きな目標ですが何とかしなくてはと思い詰めています。
どうぞ皆さん助けてください!

スタッフ一同合掌

初島の猫救出基金
郵便貯金口座番号 記号:12390 番号:35649481

●寄付金は静岡動物愛護犬猫ホットラインのホームページにすべて明示させていただきます。

ボランティア募集
●初島へ未だ保護されていない猫に餌を与えるために通う
●保護した猫の世話
●手術・治療のための通院

静岡動物愛護犬猫ホットライン
http://www.geocities.jp/inuneko_hl/

(意見送り先)

「NEWS ZERO」
http://www.ntv.co.jp/zero/

報道特捜プロジェクト
http://www.ntv.co.jp/tokuso/

熱海市市民福祉部 市民生活課 環境企画室
Tel:0557-86-6272
Fax:0557-86-6276
E-mail: kankyo@city.atami.shizuoka.jp

初島区事業共同組合
〒413-0004
 静岡県熱海市初島209-1 
 TEL 0557-67-1400
FAX 0557-67-1403
E-mail: info@hatsushima.com

2009-01-16 02:56 | 記事へ | コメント(6) | トラックバック(1) |
| 動物・・・・・・・・・・・猫・・・・ |
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2009年01月15日(木)
天晴くん 心臓移植手術 成功!!  おめでとう☆
よかったね・・・ほんとによかった・・・

天晴くんのために祈ったみんなの思いが届きました
天晴くんの頑張りの賜物だと思いますが
日本全国の方々の心からの祈りが 支えたからこそだと思います

神様ありがとう、ありがとう・・・


心臓移植手術 成功の報告

- 天晴くんを救う会事務局 (2009年01月12日 12時45分45秒)

1月6日に渡米いたしました岩田天晴君は、現地時間の9日早朝に心臓移植手術を受けることができました。現在、患者本人の容体は安定しています。

渡米後、必要とされる検査、審査を経て7日に臓器移植が必要な患者として公的な登録を完了し、ウェイティングリストに記載されました。8日に、条件が適合するドナーが現れ、移植手術実施となりました。

心臓を提供してくださったドナーとそのご家族に、深く感謝し、ドナーご本人のご冥福をお祈り申し上げます。さらに、臓器提供の機会を設けてくださった米国と、コロンビア大学小児病院、東京大学病院の方々にも心から御礼を申し上げます。

現在は外科手術の回復を待ちながら、免疫抑制剤による治療を並行して行っており、これは今後もずっと続きます。数か月から半年程度の米国での経過観察を経て、帰国、日本での治療継続となる予定です。

これまでの多くの皆様の温かいご支援に対し、改めて篤く御礼を申し上げます。天晴くんを救う会は、回復、帰国に向けて今後も引き続いて支援の活動を行ってまいります。


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手術成功までの今年の天晴くんの道のりです

渡航準備 - (2009年01月01日 )

2009年の幕開けです。
今年は、それぞれが それぞれの場所で、それぞれの思いを胸に新年を迎えました。
もうすぐ、もう少しで渡米という大きな一歩を踏み出すことができます。
ここまで来れました事は、皆様の応援があったからこそと、感謝の思いとともに幸せをかみしめています。
天晴は渡航の為の検査もすみ、何種類もの予防接種もあと1回打てばよいだけになりました。
人工心臓の管に出来た肉芽は、とうとう送血管、脱血管ともに出来てしまい、痛みもありますが、熱は出ていません。
家族のバタバタ・ギリギリの渡航準備に心乱されることなく、淡々と時間を過ごしてくれているので助かっています。この長い間、大きく気持ちが乱れることなく過ごせたのは、友人や沢山の方の応援、ドクター、看護師さん、リハビリの先生、ベッドサイドで天晴に合わせて授業をしてくださった学校の先生、多くの支えがあったからです。
本当にありがとうございます。
渡航先のニューヨークにある有名なデパートのクリスマステーマは「Believe:信じる」でした。
私達も、あせらず、あきらめず、元気になって帰れることを信じて
進んでいきたいと思います。



皆様へ
僕のためにありがとうございます。
たくさんの方が、応援してくださり
友達も駅や野球場、サッカー場
学校の中で活動してくれたと聞いて
とても嬉しかったです。
コンサートをしてくださったり、ブログやTVでも
呼びかけてくださって、
僕も がんばろうと思いました。
早く元気になって帰ってきたいと
思います。
岩田 天晴


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渡航のご報告 - (2009年01月07日 )
渡航のご報告が遅くなり、申し訳ありません。
1月6日皆様のお陰で成田より出発することができ、無事ニューヨークに到着して、一夜あけました。
今朝は雨で、夜には雪かみぞれになる予定です。


出発当日は体調も良く、車イスを使わずに歩いて
空港関係者、航空関係者の手厚いサポートを受け
沢山の学友、知人に見送られ
嬉しそうに照れくさそうに、心強い思いで出国しました。
フライトして早い段階で嘔吐し、一瞬ヒヤっとしましたが
そのあとは食事もとれ、特段のトラブルもなく到着できました。


本当にありがとうございます。
ここまで来れました。
大きく近づくことができ、感無量です。


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2009-01-15 21:11 | 記事へ | コメント(8) | トラックバック(0) |
| 天晴くんを救うために |
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2009年01月14日(水)
祝 成人式  ギャル娘 大人への道
1/12(月)

ギャル娘の成人式でした。

朝7時前に起きて ギャル娘を池田の 北田呉服洋品店に
連れていく・・・

着つけしてもらっ今度は・・・・・

美容室へ。  美容師の元夫の美容室でセットしてもらうことに
したようなのだ・・・
相方には 娘は申し訳なくて言い出せなかったみたいで
でも 元夫にも気を使って・・・ 複雑だったみたい。

でもおつるは 相方にちゃんと言ったよ。
そしたら 相方は笑顔で納得してくれたよ。 
相方はいいひとです。  

それと 娘の友達の双子ちゃんを
小さなときから 親がわりに面倒みてたんだけど
そのうちの一人が ギリギリになって 急遽着物着せてほしいと・・・

相方も早起きして 両方の娘を送り迎えするために待機!!

そして・・・娘二人をお迎えに行き・・・・

そこから双子ちゃんのひとりに着つけ。
成人式の帯結びは結構 難しいのだ・・・・一時間かかった。

記念撮影


そして相方とふたりで 成人式会場へ 送る・・・
 
「そで持ってあるきなさーい」 「車乗るときは帯気をつけてー」

会場へつくと とっくに式は始っているというのに
入口の広場にいっぱーい。

?? みんな会場に入らないの??? 



今年の成人式も 沖縄では大暴れで逮捕者が出たとニュースが
出ていました。 

川西も結構 関西のチベット地帯と言われるほどの田舎なので
田舎の悪がきちゃんたちが いっぱーい。

男の子も羽織はかまが最近 多いのね
日本の伝統文化を受け継ぐのは いいこっちゃ。
しかも 日の丸の扇子を持って笑
こちらは 川西南中軍団↓


こちらは 川西多田中軍団↓
この子たちのことは ずいぶん私もお世話しました

みんな やんちゃだけど 心の優しい 寂しがりの子たち。
「成人おめでとう」って言ったら ニコっと
「ありがとーーーー」って言ってくれたよ。




寂しくて 突っ張って虚勢はって
大人には 誤解されて嫌われちゃう・・・
でも ずるいことや汚いことはしない子たち。


ビール飲んで 日本刀のおもちゃ持ってる子も笑
ちなみにすぐ隣は警察署なんですけど笑 


ギャル娘の親友はやっぱり 全員ギャルです


娘のように可愛いがってた双子ちゃん
一人は10代で 赤ちゃん産んで もうママなんです。




小学校の時の弱小 少年サッカーチームのときの
メンバーとともに・・・
スポーツの仲間って 永遠に大切なんですね


赤ちゃんのとき 公園でいつもお砂遊びをしてたりょうちゃん


保育所で一番仲良しで いつも夕方最後まで
いっしょに親を待ってたこうじくんと↓


中学のクラスの御友達と 


可愛い着物がいっぱいです



一番右の子は ミス川西↓




なんかね・・・

この写真を見てたら 懐かしくて

今は ギャルだとか 見た目が派手だったりするけれど
でも 中学・高校のときよりだいぶ 大人になった。

この子たちはみんな いい子だよ。

なんだか こういう写真を見てたら 涙がでて
胸がじーんとした。


子育てついに 終わり。

あっというまの20年だった。

このあいだ おむつしてたのにな。


そして・・・・・・・・・・・


ギャル娘と 彼です。 成人 おめでとう

お揃いみたいな黒い着物笑
私の 将来息子になるだけあって
ちゃんと 日の丸の扇子持ってます。 





実は、この夏 ギャル娘は 赤ちゃんが生まれます。
できちゃった結婚します。
彼はまだ大学生だから 式はお預けだけどね

ダルビッシュとサエコみたいに仲良しです。

幸せになるんだよ。

人生の中で 一番 幸せそうな娘の笑顔を見れて
おつるは 幸せです。

ビールがうまいのです。

あ〜  この夏には おつる三代目がこの世の登場か・・・・

めでたし めでたし











2009-01-14 23:36 | 記事へ | コメント(10) | トラックバック(1) |
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カトリック大津教会へ そして琵琶湖の旅 と結婚式  そのA
美しい教会をあとにして〜
ロイヤルオークホテルというすごく立派ななホテルでの披露宴



さわやかで笑顔が素敵な 初々しい大学生みたい新朗新婦



おつると相方は シャンパンでルネッサーンス
ここぞとばかりに 赤ワイン 白ワイン ビール
シャンパンのおかわりしまくり 飲みまくり〜

娘たち あきれてます↓笑



新朗新婦は 大学の同級生で支え合ってきたそうです。
新朗は小学校の先生
新婦は幼稚園の先生と 先生どうし。

こんな笑顔の優しい若い教育者の夫婦の誕生は なんて素敵
日本の教育の未来を支えてくださいねっ

おつると相方は 新朗の上司の校長先生や教頭先生と
ごあいさつ〜笑 

二人は〜〜 らぶらぶです〜



そして まだまだ宴会はつづいたのであった〜

親族だけで 温泉湯元館に移動  すごく綺麗なホテル!!!

夜も宴会で まだまだ飲むよぅ
相方は男兄弟ばかりの5にん兄弟で 全員酒豪なのです

しかしおつるは 娘たちと温泉で泳いだら・・・・笑
部屋で ぶっ倒れて寝てしまいました。
相方たちは まだまだ ホテルの部屋でも飲んでたらしい・・・

つぎの日は 朝ごはんを食べて
最後に 親族で記念写真〜〜


滋賀県は 雪がつもってて
湖がキラキラして きれい・・・・・

母方の明治生まれの祖父が 近江商人だったので
なんだか 親近感があるのです・・・



そして 野洲にある 鮎屋の郷というお土産やさんに
行きました。
美術館などもあって 滋賀県名物がいっぱい。

ギャル娘は おいてある大太鼓を打ちならして暴れたので・・・
きちがい娘・・・
人はみんな こっち見るし〜

警備員が 近寄ってきて・・・逃げました笑

そのあとで おつるは店内でデジカメ撮ってたら
お店のひとに 叱られました。
ちびつるは 店内でソフトクリームこぼして お店のひとに
叱られました。

おつる一家 怒られてばっかりや。




幸せをいっぱいもらった旅行でした

しかし 飲みすぎ〜




2009-01-14 23:02 | 記事へ | コメント(5) | トラックバック(0) |
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カトリック大津教会へ そして琵琶湖の旅 と結婚式
連休の土曜日と日曜日にかけて滋賀県 琵琶湖に行ってきました。
相方の姪っこちゃんの結婚式出席です。

朝から おつると ギャル娘と ちびつるちゃんは
ドレスアップ♪ 

そのまま車に飛び乗り〜 途中まで行くと
相方が「あ〜お祝い忘れた〜」  いったん戻り・・
高速飛ばして 滋賀県大津へ・・・

滋賀県って案外近いんですね・・おつるんちから1時間20分で
大津に着きました。

大津教会は、昔の日本の小さなお城みたい
青い瓦の屋根に 白い壁・・古めかしいけれどとても厳か。


教会の控え室に着いてすぐ、おつると相方は聖堂で
オルガンとリコーダーの練習。
新婦さんに 結婚式の署名の時に演奏を頼まれたのです

オルガンはドイツ製の チャーチオルガン
パイプオルガンではありませんが綺麗な音です。

あ〜箕面教会にもこんなオルガンが欲しいなぁ〜

しばらくすると 親族がつぎつぎ集まってごあいさつ

結婚式のはじまり〜

教会内部も アーチがあったり 古いベンチには跪き台もありました。
(政治的なポスターなんかは何も置いていない素敵な教会でしたよ)


腕を組んで入場する花嫁とそのパパ・・ジーンと感動します♪


今日の結婚式の聖歌隊は 大津教会の聖歌隊さん
ソプラノとアルトの女性二人とオルガニストの三人でした。


たったお二人の歌声なのに とても素晴らしくて
美しい歌声 あまりのうまさにびっくりです。
これぞ聖歌隊!! と思いました。

オルガンもすごく素敵で、おつるは 見習わなくちゃ・・

神父様は 瀧野 正三郎神父様
おだやかで優しそうな神父様でした。

指輪の交換や誓いの言葉・・・



そして 署名の時に おつると相方は演奏しました。

曲は グノー・バッハのアヴェマリア
オルガンの音色がきれいで 祈りながら落ち着いて
演奏することができて よかった・・・♪
相方も落ち着いて、リコーダーの響きが聖堂に綺麗に響きました。
相方はドイツに国費留学してリコーダーの勉強をした
リコーダーの演奏家なのです♪




少し緊張したけど・・・・

終わってから相方のお母様や いろんな方に
「素敵な演奏だった」と褒めていただきました。



幸せそうな新朗と新婦ちゃん
学校の先生と幼稚園の先生 
とってもさわやかな カップルでした



外に出てフラワーシャワーの時には びっくり
新婦の幼稚園の教え子ちゃんたちが いっぱーい
そして手には クラッカーを持って

せんせーいと パーン鳴らして 笑顔〜




ちびっこたちに おつるは「何歳? 年長さん?」って聞くと
「6歳〜」「ぼくも6歳〜」

その中で 丸坊主頭のごんたぼうずちゃんが
「おれ 0歳〜」というので・・・

おつるは エドはるみのギャグで
「あら〜〜お子ちゃまねぇ おっぱい飲みたいの〜」とかえしたら
ちびっこたちに 「わぁ グゥ〜や〜」とウケました笑 


素敵な結婚式

ギャル娘は 「あ〜結婚式したい〜」
おつるも (あ〜もう一回結婚式したい〜) あかんやんっ笑


2009-01-14 21:47 | 記事へ | コメント(4) | トラックバック(0) |
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◆【特別号】「田母神論文」て-G「わが国のシビリアン・コントロール」  荒木 肇
荒木 肇先生のメルマガ配信はこちらから↓
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◆【特別号】「田母神論文」について-8                荒木 肇 
『わが国のシビリアン・コントロール』
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▼誰も知らなかったシビリアン・コントロール

 前回で、シビリアン・コントロールには完全な定義がないこと。各国ごとに、その言葉は使われてはいても、それぞれに歴史的背景があること。それぞれの考え方にも違いがあること。そういう中で、わが国の場合は、現在のところ、マスコミや識者の論調からみて、国民の代表者とされる「国会統制」を意味するらしいということを申し上げてきました。

 では、わが国の歴史を見なおしてみたらどうでしょうか。シビリアン・コントロールという考え方や、言葉はいつごろから使われたのでしょう。
 明治維新では、官軍といわれた天皇陛下の軍隊は、廃藩置県(1871)を機に「御親兵(ごしんぺい)」と言われるようになりました。翌年は徴兵の詔勅が下り、さらに次の年、徴兵令によって新しい国軍が生まれました。

 旧陸海軍は、憲法によって天皇に直隷(ちょくれい:ただちに支配下にあること)するとなっています。軍隊の統率者は天皇であることを意味しましたが、天皇は大元帥とも呼ばれていました。これを天皇は元首としてではなく、大元帥(だいげんすい)として率いるという解釈もあったそうです。でも、元帥そのものは階級ではなく、元帥府に列する陸海軍大将を指し、大元帥も象徴的な言い方でしかなく、観念的なものだったといいます。

 旧陸海軍も、明治憲法の下にあっては、他の国家機関と並列するものでした。これは、政府から独立していたという意味です。ここには、シビリアン・コントロールという考え方は生まれる余地はありません。

 軍事についての、さまざまな制度をあわせて「軍制」といいます。軍制には、軍を編成して、維持管理する軍政と、軍を指揮運用する軍令と、軍の秩序を守る軍事司法があります。このうち、軍令権を特別に統帥権といいました。

 統帥権は軍隊のある国には、必ず規定があります。大統領が持つ国、あるいは内閣制度をとる国では内閣が持ちます。明治の建軍当初では、陸軍がモデルにしたプロイセン(ドイツ)だけが、列国の中でただ一つ、首相が関与しない体制でした。プロシャ参謀本部で知られるように、当時のドイツ軍も統帥権は政府から離れていました。

 わが陸海軍は1945年、敗戦の結果、完全に解体されました。統帥権を政府から独立させ、政治までもひきずった軍隊は滅んだのです。

 警察予備隊の発足時にも、シビリアン・コントロールなどという言葉は全く知られていませんでした。マッカーサー司令部による突然の編成命令。しかも、それがアメリカ軍の野戦4個師団をそのまま再現する構想であったことは、当時の官僚や政治家にとっても、まったく予想外のことでした。その頃には、わが国の再軍備など誰にとっても思いもかけないことだったのです。


▼警察予備隊幹部に軍人はいなかった

 当時、警視庁警務課長だった後藤田正晴氏(のち警察庁長官、政界に進出、大臣を歴任し、最後は副総理)も、予備隊発足で本部警備課長兼情報課長になりました。その思い出話があります。
 米軍からもらった編成表の中に、フローズン・カンパニー(冷凍中隊)があって驚いたというのです。戦死者は火葬しないで冷蔵します。遺体は、そのまま本国へ送り返すのが米軍の文化です。野戦軍の編成には、必ずこの中隊がありました。苦戦が続く朝鮮半島に送るつもりか、そんな風に思ったともいいます。

 のちに第5代陸上幕僚長になった大森寛氏も警察官僚でした。1930(昭和5)年東京帝国大学法学部卒業、内務省に入り、敗戦時には千葉県警察部長。45年10月に占領軍は「公職追放(こうしょくついほう)」を指令しました。国家主義的な言動があった官吏や、政治家、教育者、軍人などをすべて公職からは排除するという政策です。
 警察部長だった氏もその指定を受け、職を失いました。農業をされたり、弁護士をされたりしたそうです。5年間の空白期をおいて内務省に戻り、警察予備隊に入隊。最初の階級は警察監補(陸将補)で第3管区総監(のちに第3師団)が最初の補職でした。

 大森元陸将の語る初期の思い出話に興味深いことがあります。とにかく軍事素養がある指揮官がいなかった。元将校などの正規軍人は入隊していない。隷下(れいか)の善通寺(ぜんつうじ)の部隊などでは、隊員が選挙で隊長を選んでいたそうです。
 また、第9師団長まで務められた白井明雄氏(1929年生まれ、52年幹部候補生採用)の記憶では、部隊幹部は外地(がいち)からの引き揚げ者だった官吏や、会社で管理職経験のあった人を選んでいた。隊員の教育にあたった米軍顧問や通訳、幹部のやりとりを見ていて、こんな幹部の指揮で戦場に出たら、たちまちやられるなと思った。

 こうして、内務省出身の警察官たちをトップにおいて、予備隊は発足しました。同時に、予備隊は軍隊というイメージをなくすために、吉田茂首相はじめ政府の人たちは苦労していたのです。では、どうして野党、左翼勢力はこうした再武装化に反対できなかったのでしょうか。
 それは、占領軍が野党幹部を呼びつけて、予備隊についてのすべての批判は許さないとしたからです。国会議員でも、質問に名を借りた批判でもしたら、ただちに占領軍命令違反で実刑だと脅されて、当時の野党幹部はみな尻込みしたのでしょう。

 どうしてそんなことができたか? 実は、ポツダム命令という便利なものがありました。これは占領軍の命令を実行するための特別な法形式でした。占領が終われば効力が無くなるという一時的な対応をするものですが、内容が憲法違反でもかまいません。予備隊の設置には、このポツダム命令が使われたのです。(『事典:昭和戦後期の日本』百瀬孝、参照)

 占領期に生まれてもいない私たちは、どうも、このあたりの理解が曖昧になっています。外国軍隊に占領され、軍政が布(し)かれるとは、こういうことなのです。今でも見られるニュースフィルムがあります。労働組合のトップによってゼネラル・ストライキ(すべての産業労働者が同盟してストを起こす)が企画されました。

 なんとお人好しのことだったのでしょうか。当時の組合トップは、占領軍がそんな暴挙を許すと思っていたのです。いや、そういう自由はあるだろうと甘い見通しを持っていたのでした。それがマッカーサー命令によって、あっという間に中止させられました。くやし泣きをしながら、中止宣言を涙声で語る委員長の姿が映像に残っています。


▼制度化されなかったシビリアン・コントロール

 予備隊の創設時、シビリアン・コントロールについて興味深い証言があります。それは大橋法務総裁の回想です。アメリカ側から、部隊のキャップを作れという指示があった。日本側は、予備隊本部の増原長官が総指揮官だと回答したら、それは違うという。制服のキャップは別に決める。それはシビリアン・コントロールのため必要なのだという説明だった。困ったのは日本側である。それまで聞いたこともない言葉だったし、誰に聞いてもよく分からない。(『再軍備とナショナリズム』大嶽秀夫:中公新書、参照)

 GHQ(総司令部)に問い合わせてもよく分からなかった。GHQの将校や文官の中にも、詳しい人は誰もいなかった。あまり地位の高くなかった1人を除いて、国防省本省の勤務経験者もいなかったという。与えられたメモをもとに、組織作りをして、内局(背広組)と制服の二本立てはできた。しかし、互いの権限の関係や、実際の運用の方法などが少しも分からなかったという。

 実は、それも当然でした。アメリカ人の言うシビリアン・コントロールは、アメリカ国防省の中での文官の存在と関係があります。この文官と制服(武官)部局との権限関係をいうものだったからです。
 もともと、わが国の総理大臣には、アメリカ大統領のような軍権がなかったのです。それが、警察予備隊という武力を持つことになりました。警察行政の一環としてできた部隊です。制服のトップと、官僚のトップが両方いる。それは日本人としては、どうにも理解できなかったということでしょう。

 戦前の軍隊では、軍政機関(陸・海軍省)と軍令機関(陸軍参謀本部、海軍軍令部)に分かれて軍務を行なっていました。軍事行政は前者が、作戦については後者が担当し、その構成員はほとんど軍人(武官)でした。
 案外知られていないことですが、陸・海軍大臣と次官は、その就任している間は「文官」あつかいになりました。なぜなら、内閣の一員だったからです。でも、局長(少将級)以下はほとんどが軍人で、宣誓もした軍属、文官もいましたが、軍人の指揮をするのは軍人というのが原則でした。

 アメリカ人が日本に再軍備をさせる。新しい軍隊は、自分たちのようなシステムにする。これが彼らにとって、ふつうの感覚だったのでしょう。
 だから、警察予備隊本部に勤務するには警察官以外の職員(背広を着る)でなければならなかったのです。これが内部部局の始まりでした。そして、その下にあって部隊を指揮する総隊総監部の職員は警察官(制服を着て、階級をもつ)がなることが決まりました。予備隊本部長官は総隊総監部を監督します。その補佐に当たったのが内部部局でした。

 こうして、なんとなく、内部部局(略して内局)の背広を着る人たちが制服組(警察官)より優位に立つという雰囲気ができました。

 あくまでも「なんとなく」と言って間違いはないでしょう。というのは、シビリアン・コントロールというのは、相手としての「軍人」という存在があってのものだからです。警察官は軽火器で武装はしますが軍人ではありません。当時の吉田首相や政府要人も、実のところ、シビリアン・コントロールをアメリカ並みには徹底できませんでした。


▼「軍隊」のないところにシビリアン・コントロールはない

 徹底すれば、「軍隊」であることを認めなければなりません。また、社会党などの野党も、再軍備を否定していましたから、アメリカ的なシビリアン・コントロールは認めることもできなかったのです。おかげで、わが国のシビリアン・コントロールというのは、制服に対する文官優位というようなことを意味するといった決着がつけられてしまいました。

 年末のテレビの対論番組で起きたことでした。田母神元空将が出演し、他にはおなじみのコメンテーターや自民、公明、社民、共産の各党国会議員がいました。ゲストは低成長時代の経済生活を説くベストセラーを書いた学者でした。その高名なM氏は、田母神元空将が、『われわれ軍人は……』と発言したとたん、それを強引にさえぎって、『日本に軍人はいないよ。憲法に陸、海、空軍は持たないと書いてあるじゃないか』と言い出しました。ついさっきまで、「文民統制」に田母神発言は反逆していると主張していた人です。

「軍人」のいないところには、シビリアン・コントロールはありません。だから、自分たち自衛官が、他国のように「まっとうな軍人」として扱われていないと主張することは、シビリアン・コントロールを侵したことになるのでしょうか。M氏の発言からは、本来の意味からまったく外れた解釈をしていることが証明されただけでした。

 よく戦後西ドイツの再軍備と、わが国の自衛隊設立が比較されます。その比較も興味深いものがあります。詳しくはふれませんが、私は戦後社会の状況を考えると、両国の間には、とても大きな違いがあると思っています。とりわけ、国家の指導層たちのソビエト連邦の脅威に対する意識の違いが大きかったのではないでしょうか。

 また、戦後の経済復興・発展には、他国の戦争が大きく寄与しました。これも、わが国を指導した経済界の大物たちの意識形成に関わっていると思えます。

 わが国の指導層は、ドイツの指導層と異なって、どうもソ連の脅威に対して切実感がなかったようです。もともと、わが国の青年(とりわけ高学歴者)は社会主義に親しみをもち、その兆候は日露戦後から現れています。朝鮮戦争の時ですら、ソ連軍が北海道に上陸するとは、あまり心配していなかったという回顧録が多く残っています。

 また、国際政治の上での軍事力の政治的機能についても、真剣に考えてこなくてすんでしまったという見方もあります。アメリカの傘の下で、いつも守られてきた。遠くで起こる戦争には関わらない方がいい。むしろ、他国の戦争は経済を活性化させるものだという意識を作ってきたのではないでしょうか。

 防衛問題については、国内の左翼勢力とのイデオロギー対決の道具になってきました。左右両勢力ともに、国内問題である教育や、治安の問題といったことに結びつけて語ることが多いのもそのためでしょう。日教組のスローガンに、戦争反対、再軍備反対が必ず掲げられ、国際政治への冷静な言及が足りないのもそのせいではありませんか。いまだに、アメリカ軍基地や、空母の寄港に反対する行動を見ていると、冷戦崩壊後の国際社会をどう見ているのか、何も伝わってくるものがありません。

 自衛隊が海外に出て活動するようになりました。そんな時代に、政治家の皆さんは、まだ、国内のことばかりに目を向けているように見えます。出かけて行くのは私たちの同胞です。シビリアン・コントロールの意味も正確にわきまえず、その場当たりの法律解釈だけで、自衛官の生命を軽々しく道具にしてきたと言っては言いすぎでしょうか。


▼「9条」がなくなると戦争になるか

「軍靴の音が聞こえる」とか、「戦前もたどった道」などの陳腐な言い方があります。ほんとうの軍靴の音など聞いたこともない、戦前の道のりも自分で調べたこともない、そういう人ほど、こういう物言いをします。まあ、イメージだけで想像をふくらませることができる才能かも知れません。ただ、それを絶対に正しいから、他人に強制しようとすると困ったことになります。

 9条が改正されて、わが国が陸・海・空軍を持てるようになり、交戦権を認めるようになったとします。それがいきなり戦争になるでしょうか。
 まず、自衛官が陸・海・空軍人と言われるようになり、戦時捕虜になることが保証されます。おそらく、軍事法廷も設置されて(これにも憲法の改正が要りますが)、スパイ行為や利敵行為に対する処罰が強化されるでしょう。また、現在の給与体系が変わって、文官、武官のそれぞれ独自の給与体系ができると思われます。

 おそらく、シビリアン・コントロールがまともに議論されて、政治の質が明らかに上がることでしょう。海外に派遣される軍人も、現地で地位協定が結ばれるようになり、他国の軍隊と肩を並べて行動できるようになります。
 政治の質などと素人の私が言うのもおこがましいのですが、少なくとも世界の実態を見、より有効な国際貢献への話し合いがされる機会が増えるのではないでしょうか。それが、即、戦争をするというようになるとは思えないのですが。

 とにかく、現在の状況では、自衛官は踏んだり蹴ったりです。国外では、わが国の特殊な事情を説明しなくてはなりません。まず、理解されることもないのですが。国内では果たしている役割を理解されず、子どもや家族まで偏見の目にさらされることもある。感謝をされるどころか、反対派からは税金泥棒とか、平和の敵呼ばわりをされる。今でも、自衛官になりたいというと反対する先生もいるらしい。

 とはいえ、良くなってきたこともあります。地方や、大都市の一部でも、自衛隊のことをキャリア教育の一環としてとらえ、見学したり、調べに行ったりする子どもも増えてきました。自衛隊の方でも、そういう行動にはとてもよく協力しています。忙しい中、手不足の時代でも、そうした教育事業には全面的に受け入れるといった姿勢があります。
 地方でも、経済の先行きが見えない中で、自衛隊を就職場所に選ぼうという若者が増えています。しかし、同時に、人員削減や、それにともなう駐屯地の縮小などで経済的に苦しんでいる市町村もあるのです。自衛隊、とりわけ地域に密着する陸上自衛隊については、国防や財政上の合理性だけではなく、他のことも考えなくてはならないようです。


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◆荒木肇経歴
1951年、東京生まれ。横浜国立大学大学院修了(教育学)。横浜市立学校教員、情報処理教育研究センター研究員、研修センター役員等を歴任。退職後、生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師、現在、川崎市立学校教員を務めながら、陸上自衛隊に関する研究を続ける。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。年間を通して、陸自部隊・司令部・学校などで講話をしている。

◆主な著書
「自衛隊という学校」「続・自衛隊という学校」「指揮官は語る」「自衛隊就職ガイド」「学校で教えない自衛隊」「学校で教えない日本陸軍と自衛隊」「子供もに嫌われる先生」
いずれも並木書房刊 http://www.namiki-shobo.co.jp/
2009-01-14 20:52 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年01月12日(月)
【正論】日教組よ、まず「自己批判」せよA 初代内閣安全保障室長・佐々淳行
 
第1は、日教組が文部省の道徳教育に暴力で反対した事実である。昭和33年、全国7つのブロック別に校長・教頭を対象にした「道徳教育講習」が実施されたが、当時の小林武委員長率いる日教組は数千人を動員して実力妨害した。全国7番目、九州地区の別府道徳教育講習には、全国を転戦してきた日教組武闘派2000人が大分県職組、大分全学連と組んで、デモや反対集会を展開した。会場旅館での座り込み、校長・教頭の参加実力阻止と、別府に騒擾(そうじょう)状態をもたらした。

 当時大分県警1300人の警備部隊を指揮したのは、筆者である。

 その渦中で、W巡査部長が日教組の闘争本部に監禁される事件が起きた。筆者は部下のU警備部長らを伴い、警察官の即時解放を求めて、制服で交渉に赴いた。すると、闘争本部では、筆者らを武装解除して人質に、と騒ぎ出すしまつだ。筆者は腕時計をみながら「県警の機動隊には、30分たってわれわれが帰らなければ、突入し、全員検挙せよと命じてある。その時は二宮武夫県議(故人・のち社会党代議士)、貴方に私が手錠をかける」と告げた。間もなくW巡査部長は解放された。






 警官の子を立たせる体罰

 第2は、当時警視庁警備課長だった筆者の息子が世田谷区立小学校で日教組闘士の女性教師Sから、警察官の子というだけの理由で、長時間居残り、立たされるという体罰を受けた事件だ。この教師は授業中、
「お父さんが警官、自衛官の子は立ちなさい」
と命じた。数人がオドオドしながら立つと、クラス全員に
「この子たちのお父さんは、ベトナムで戦争し、学生を警棒でなぐっている悪い人たちです」
といい、
「立っていなさい」
と理不尽にも放課後、夕方まで立たせていた。


 帰宅した息子からこれを聞き激怒した筆者はN校長に抗議の電話をかけた。ところが校長は「相手は日教組、争わない方がよい」と応えた。筆者が「公立小学校で親の職業による差別・いじめ教育と、罪のない子供に『立たせる』という体罰について教育委員会に提訴する」と迫ると、校長は当の教師を拙宅によこした。そして彼女は日教組を盾に、「組織をあげて警察の権力的弾圧と闘う」と息巻いた。

 筆者が「私は一個人の父兄として貴方をクビにするまで闘う」というと、女性教師は突然、床に土下座して「クビになると食べていけない。みんな日教組の指示によるもの」と、泣訴哀願したのだ。

 また、京都では警察官の子は勉強ができても成績は「オール3」だったという事実もある。

 自虐史観の日教組は、日本のアジア侵略について、やった方は忘れても、やられた方は忘れないと言っている。同様に子供たちも忘れていない。日教組は、何の罪もないのに理不尽に心を傷つけられた警察官、自衛官の子供たちに謝ってから、ものを言うべし。(さっさ あつゆき)

2009-01-12 00:25 | 記事へ | コメント(9) | トラックバック(0) |
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2009年01月11日(日)
【正論】日教組よ、まず「自己批判」せよ@ 初代内閣安全保障室長・佐々淳行
おつるの父親は 警察官でした。

わたしは子供の時から父親の警察官の制服姿が大好きで
誇りでした。

父親は仕事の話はあまりしない人でしたが
浅間山荘の事件などがあった当時は、関西でも過激派の運動や
学生運動がさかんで、
週刊誌に父親が 警備をしている大きな写真が載ったことが
あって、今でもその写真のことは覚えています。

浅間山荘で警察官が殺されたニュースなどをテレビで見ていて
わたしは父親のことがとっても心配でした。

大阪空港の警備担当もよくしていたので
アメリカの大統領や 各国の要人が来たときなどは警備に
あたっていました。そこでも暗殺とかにまきこまれたりしたら・・
と 心配でした。

警察官は殉職した人もたくさんいます。
警察官も自衛隊員も消防隊員も 命がけで国民の命を
守る仕事。 私は尊敬しています。

昔、婦人警官になりたかったけれど身長が足りなくて・・・

今日、父親と同世代の
初代内閣安全保障室長・佐々淳行氏の産経ニュースの提言を
見つけました。

「何の罪もないのに理不尽に心を傷つけられた警察官、自衛官の子供たち」・・・・ひどい・・・本当にあったお話です。
現在ではあからさまなここまでの教師による暴言は
あるのかどうかわからないけれど

たとえば
大阪などの中学や高校では生徒の「自衛官になりたい」という
進路相談で教師が 自衛隊の仕事を否定する話はよく聞きます。

私は、教師から直接 いじめられたことはありませんでしたが
あの当時の警察などを批判するマスコミの影響からか、同級生から
「あいつはポリの娘やで〜」などと言われたことはありました。


日本の道徳教育の否定は本当に教育の負の部分であると思います。
そんな中で、安倍元首相の教育基本法改正は素晴らしい。

麻生総理が豊かな情操、道徳心の育成をと 教育再生懇談会を再スタートされました。こういう業績は ほとんど報道されませんが・・
(○ささき。さんの日記より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1027769492&owner_id=3840313)

 第6回教育再生懇談会議事次第
平成20年12月18日(木)
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku_kondan/kaisai/dai6/6gijisidai.html

○「教科書の充実に関する提言」
(第二次報告 平成20年12月18日)
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku_kondan/houkoku/kyokasyo-teigen.pdf



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http://sankei.jp.msn.com/life/education/081021/edc0810210250000-n3.htm
政治信念貫いた中山氏

 中山成彬前国土交通大臣が、日教組(日本教職員組合)が日本の教育に及ぼした害悪を批判し、舌禍事件として騒がれた。確かにTPOが悪い。唐突で、麻生新内閣にはマイナスだった。だが中山氏は政治信念を貫いて日教組批判を撤回せず大臣を辞め、堂々と自らの責任をとった。その出処進退は九州男子らしく見事である。

 中山氏の日教組批判は、表現はちょっと粗いものの、国民の大多数が日教組に対して内心で抱く気持ちを代弁したものだ。もちろん、文部科学省(旧文部省)も悪いが、日教組は教育現場で半世紀にわたり、子供の教育よりイデオロギー闘争を優先させ、初等・中等公立学校教育を今日のような荒廃に陥れた。明らかな日教組の弊害である。

 反体制的な自虐史観、日の丸・君が代反対、全国学力テスト反対、デモ・座り込みなどの校外での政治活動優先…と、いちいち、中山氏が指摘した通りではないか。

 日教組関係者は、道徳教育は反対ではないという。しかし彼らが半世紀にわたり、道徳教育の導入に時には集団暴力で、時には陰湿な抵抗運動で反対し続け、児童・生徒たちの公共心やモラル、愛国心の低下をもたらしたこと、これまた歴史的事実である。日教組が文科省との協調に路線転換したのは1995年。だが、公共心、愛国心、道徳教育を謳(うた)った一昨年の教育基本法改正を「改悪」といっているではないか。

教育講習を暴力で妨害

 岡本泰良書記長はじめ日教組は中山氏を批判する前に、まず自ら犯した半世紀の過ちを反省し、謝罪すべきである。黙っていれば、言いたい放題。筆者は歴史の生き証人として、中山氏が言わなかった2つの事例をあえて証言し、日教組の反省と総括、自己批判を強く求める。

つづく








2009-01-11 23:43 | 記事へ | コメント(3) | トラックバック(0) |
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「田母神論文」について -F シビリアンコントロールとは魔法の言葉 荒木肇
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◆ご挨拶 
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 皆様、松も取れました。遅れましたが、明けましておめでとうございます。
 いろいろなことがあった1年間でしたが、私にとっては、このメルマガの発刊、多くの読者の皆さんから寄せられたご支援が大きな励みになりました。
 今年もよろしくお願い致します。

 近く、山陰の歴史ある駐屯地に参ります。年頭の講話です。駐屯地司令から、ぜひ、若い隊員にも元気が出るような話をしてほしいと頼まれました。
 テーマは、『忍耐と自信−−若い諸官と考える』としました。

 この30年あまりの間で、わが国の社会は大きな変容を見せてきました。生活の格差はますます大きくなり、中間層が減ってきました。貧困率も上がる一方です。計画的に生きることも難しくなりました。
 若者は、学校の機能の1つである就職へのパイプラインが歪んだことから、安定した職につきにくくなりました。私を含めた中・高年世代も、将来を考えると不安が頭の中をよぎってしまう時代です。

 人と人との関係がうすくなりました。世間はギスギスとしています。他人の過ちや失敗に、きびしい目を向ける風潮が強くなりました。
 誰もが気持ちにゆとりをなくして、弱い者や、辛い立場にある人をいじめて、一時(いっとき)の快感をたよりにしているようにも見えます。

 今回の田母神論文に対しての非難のしかたも気になりました。「中学生なみ」、「無知」、「学問的には認められていない」などという言葉が活字になったり、テレビのコメンテーターからも投げつけられたりしました。相手の言葉尻をとらえては突っかかる討論(?)番組もずいぶん目にします。

 なぜ、人は居丈高に優位に立ちたがるのか。おそらく自分に自信がないからでしょう。こうした人は、中学生より自分が上なのだと信じている。物知り競争では自分が勝つ、学問は俺の方がよく知っていると誇示することで安心するのです。

 言葉尻をとらえて、相手の言葉をまず叩く。議論に勝つには、それが一番だと思っているのでしょう。こういう人の特徴は、最後まで相手の話を聴かないということです。
 とにかく勝ちたい。勝っているように見られたい。当の話し相手より、それを聴いている他人の目に自分がどう映るかが大切なのでしょう。

 また、ヒステリックに相手を攻撃する。時にはレッテルを貼って相手の言論を封じようとする。
 これは、異文化への耐性が不足しているのです。誰もが快適にすごしたいのは当たり前。だから、異論に対しては不愉快だから否定しようとなって不思議ではありません。それが集団になればなおさらのことです。誰も仲間はずれにはなりたくありません。

 コミュニケーションに必要なことは、「忍耐と自信」だと私は考えています。また、コミュニケーションとは、いかに相手に共感をもつかにかかっていると思います。
 無知な人でも、悪意のある人にでも、まず、共感をもって相手の話を聴く。その上で、情報と感情を与え合って、お互いに「より良い」人になっていく。そうしていかなければ、国民や社会というものが成り立たなくなってしまいます。

 田母神元空将は、「文民統制」を否定したと批判されました。ある論者は、戦前の「軍人勅諭」まで引用して、自衛官に、政治に口を出すな、この発言は賢くないと非難しました。
 でも、戦前のような軍人(国際標準の軍隊に所属する人)の処遇を受けていないからこその田母神さんの発言に対して「軍人ニ賜リタル勅諭」を使って発言を封じようとは。あれあれと思ったのは、私だけではないと思います。

 NHKの番組でも、キャスターが何度も使ったのは、『国民によって選ばれた総理にさからった』という文民統制への侵害という論法でした。また、番組では、防衛大学校長が、学生に『服従の喜び』ということを説いておられました。「古い忠誠心は要らない、民主政治に服従する姿勢こそが大切だ」ということを映像にしていました。

 年頭にあたって、わが国でいう「文民統制」について考えてみたいと思います。(荒木 肇)


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◆【特別号】「田母神論文」について-7                荒木 肇 
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▼「シビリアン・コントロールとは魔法の言葉」という碩学の指摘

 先頃亡くなった高名なアメリカのサミュエル・ハンチントン氏の著書に、次の一節があります。
『シビリアン・コントロールという概念は、かつて満足に定義されたことはない』(「軍人と国家:The Soldier and the State」)

 また、アメリカで行政改革を行なったとき、国防部会をまとめ、フーバー委員会(1949)の幹事だったフェルディナンド・エバースタットも、自分の回顧録の中で、次のように書いているそうです。
『シビリアン・コントロールという言葉は魔法のような言葉で、誰もがそれは何を意味しているか知らないのである』

 満足に定義されたことがなく、魔法のような言葉だという2人の碩学(せきがく)の発言があります。「魔法」という言葉が使われています。いったいどんな魔法なのだろうかと思われませんか。

 まず、混乱が起きるのは、シビリアン・コントロールが政治による統制を意味するのか、行政一般による統制を意味するのかということからです。
 また、政治統制といっても、市民統制、国会統制、内閣統制、それに長官(大臣)統制とさまざまな意見があります。

 わが国の使われ方では、まず政治による統制を指しているようです。また、そのうちでは国会統制を意味すると思われます。国民によって選ばれた国会議員が、互いに互選し合った内閣総理大臣の統制に服することが「文民統制」だとされているようです。

 今回の田母神発言について、批判する大方のマスコミの論調は次の通りでした。

 村山総理大臣が過去、わが国の近現代史における過ちを認める談話を発表した。それは、とても正しいことであった。わが国の過去の悪行(あくぎょう)は疑いもない事実であって、国家、国民として謝罪するのは正しい態度だった。だから、それをいつまでも踏襲(とうしゅう)しなければならないのが、わが国の政府である。また、公務員である、とりわけ、田母神氏は武力集団の長なのだから、村山談話を否定するような言動は許せない。こういう論法です。

 しかし、冷静に考えてみると、政治による統制というのは民主主義国家である以上、どんな行政にも言えることです。わが国の行政の中でも、何も自衛隊だけ、防衛行政だけをことさらに取り上げることが必要なのだろうかという疑問が起こります。

 1978(昭和53)年7月のことでした。週刊ポスト誌上で、当時の栗栖弘臣(くりす・ひろおみ)統合幕僚会議議長による「超法規発言」がありました。わが国に対する奇襲攻撃があったとき、現行の自衛隊法では対処することに不備がある。現場の部隊では、いわゆる「法」にそむく場合もありうるといった内容です。

 というのも、当時はいわゆる「有事法制」がなかったからでした。武力侵攻や、武力による衝突が起きたときに、自衛隊の行動を規定する各種の法律が整備されてなかったのです。
 どこかの国がとつぜん、わが国の海岸に上陸を企ててきたとします。現場から報告を受けた防衛庁長官が事態を総理に報告する。それを総理は国会にはかって承認を受ける。それから後、総理は自衛隊に防衛出動をはじめて命令できるというシステムだったのです。
 これでは、出先の部隊が自由に行動できないし、時間的なロスがあるというのが栗栖陸将の主張でした。

 このときも新聞、テレビなどは大きく取り上げ、栗栖陸将は罷免されました。『自衛隊に対する国民の信頼は大いに揺らいだ』と連日、識者や言論人は熱く語っておりました。自衛隊は勝手に戦争を始めようとする、いつでも自衛官は好戦的だという論調が主流でした。

 それでも、この事件をきっかけに、世論も政府も「有事」の自衛隊の実際行動を見直す機会にもなりました。

 政府は公式見解(防衛庁見解)で、同年9月23日に『いわゆる奇襲対処の問題について』を発表しました。
 自衛隊は、「国会の承認を得て」、その厳格な文民統制の下にのみ武力を行使できる。しかし、緊急の必要がある場合は、国会で承認される前でも防衛出動を総理は命令できる。そして、防衛出動の下令前の自衛隊の応急的な対処行動のありかたについては、法的側面も含めて慎重に検討するというのが当時の発表でした。


▼各国それぞれのシビリアン・コントロール

 わが国のシビリアン・コントロールについての大方の受け止め方は、これまで述べてきたように、国会統制を意味することはお分かりになったと思います。
 それでは、各国の事情はどうなのかを調べてみました。

 シビリアン・コントロールの始まりはイギリスと言われています。それは議会が、国王の軍隊に対する優位をもっているというものです。イギリス革命の始まりは1628年の「権利請願」といわれますが、具体的には王の出した「戒厳法」や「軍隊の民家宿泊命令書」などへの反抗でした。また、1689年の「反乱法」は、王がもつ常備軍は、議会が毎年、それを更新しないと違法になるという主旨をふくんでいます。これが伝統的に現在も継承されて、イギリスでは現在も国会の承認がないと陸・海・空軍を維持できないという仕組みになっています。

 アメリカでは、ちょっと事情がことなっているようです。アメリカ革命というのは、イギリス国王の軍隊に対して、武装した市民たちが起こした闘争が始まりになっています。勝利を手にした「市民兵」たちが最もおそれたのは、大統領がすべての軍権を握ってしまうことだったと言われます。だから、大統領の権限をなるべく分散させることにしました。

 アメリカ議会は戦争宣言をすることができます。大統領が戦争を決意しても、国の議会がそれを認めなければ、軍隊は動けません。また、軍隊の建設や維持、軍の予算面を議会はおさえています。大統領は軍の最高指揮官でありますが、行政府内では長官をおくことで軍権の分散化をさらに図りました。
 合衆国憲法の中には、民兵のコントロールを州と国会に分けることまで規定されています。このときに、議会が主張した言葉の中に、シビリアン・コントロールが初めて使われたという説もあるそうです。

 このように、絶大な権限をもっているかに見えるアメリカの大統領の軍権は、さまざまな制限を受けているのです。現在のアメリカを見ると、文民である大統領の軍権の大きさを印象づけられます。しかし、建国当時としては、大統領だけによる支配の危険性を考えていたといえるでしょう。

 次にフランスの場合を考えてみます。軍事力は市民のものだとするのがフランスです。フランス革命は王の軍隊に対抗した新興市民階級(ブルジョワジー)による勝利だといえます。革命後のフランス軍は、市民からなる軍隊、すなわち国民軍になりました。そのとき、多く使われた標語は「市民による支配」であり、これがアメリカ、イギリスと異なるところです。軍隊の主導権は「市民」がもつ、つまり「市民統制」という考え方でした。


▼潜在的軍人が多い国と、顕在的軍人だけのわが国の特殊事情

 戦前のわが国が軍国主義だった。強大な軍事力をもち、国民も軍隊をいつも支持していたと思われがちです。ところが、その実態はというと、対外戦争があったときは別にして、軍隊や軍人は決して人気が高かったわけではありません。「国民皆兵」という言葉にも誤解があって、「誰もが兵士になる可能性があった」というだけです。

 誰もがといいましたが、実際に徴兵検査に甲種合格する人は3割程度。平時では、その半分くらいが入営します。したがって、若者のうち7人に1人くらいが現役兵になりました。そして、およそ2人が「補充兵役」に服し、「教育召集」を受ければ3カ月の訓練を受けました。それも予算不足の中で、なかなか順番が回ってこない。とうとう30代の半ばまで、軍隊とは縁がなかった補充兵も、実際には多かったわけです。

 学校には軍事教練があったではないか、だから中学生ぐらいから銃をもたされて軍国教育がされたという人もいます。経験者も、まだ健在ですから、配属将校がいばっていた、軍人はひどかったという話もよく見聞きします。でも、冷静に調べてみると、中等学校以上の軍事教練が厳しくなったのは、実は昭和12(1937)年以降のことでしかありません。

 軍隊、とりわけ陸軍の学校への支配などと言われる「学校配属将校制度」ですが、元々は当時の文部省が言いだしたことです。中等学校以上では、明治のころから軍事教練は行なわれていました。軍隊の持つさまざまな近代性や、体操技術などを学ばせるのが必要だと政府は考えていたからです。ただし、生徒たちで真剣に授業を受けていたのは、ごく少数だったというのが実態です。
 当時の記録を見ると、学校は退役したり、後備役に入ったりした陸軍の下士官を主に雇っていました。昔の中学生はいたずらで、腕白で、エリート意識も高く、教練の先生のことなど何とも思っていなかったのです。夏目漱石の「坊ちゃん」に見る通りでした。

 中学生がそうであれば、当時の若者の数%にしかあたらない高等教育機関では、生徒、学生の態度はもっと悪かったようです。
 もともと、軍人などは尊敬されない職業でした。当時の陸軍将校たちの研究誌、「偕行社記事」を読むと、学校へ配属された将校たちの苦痛のうめき声がたくさん聞かれます。
 また、帝国臣民を育てる小学校教員たちは、兵役ではたいへん優遇されていました。わずかな兵営生活で現役をおえて、すぐに陸軍伍長になったのです。その教育期間中は陸軍も気をつかっていましたが、不満や不平、反抗的な態度を取る者も多かったと記録があります。

 日露戦争の後になれば、軍隊の学校への志望者も、どんどん減っていきました。陸軍士官学校や海軍兵学校へ行くよりも、高校や専門学校へ進むのが当たり前でした。陸軍の下士官の募集は、いつもうまくいかず、定員を満たすのもやっとの有様だったのです。
 昭和の初めになって少年戦車兵、同航空兵などの制度が始まりました。これも実は現役下士官を確保するための苦肉の策だったのでした。

 これに対して欧米の各国では、軍人の人気は高いものでした。文化的伝統があり、教育を受けた者は、率先して軍に加わるという風潮がありました。わが国の学徒出陣を悲劇的に語る人も多いのですが、欧米では卒業を待たず志願する学生が多く、それがわが国の弱点になったという指摘もあります。

現在でもアメリカのROTC(予備将校養成制度)は人気があるようです。学生のうちから定期的に軍事訓練を受け、卒業後は幹部として入隊する。その後、士官学校卒業者と変わらぬ扱いを受けている将校がアメリカ軍には多いとききます。

 わが自衛隊も、若者や学生対象に平成13年度から「予備自衛官補」という制度をつくりました。一般では、3年間で50日間の訓練を受け、終了時には希望によって予備自衛官にもなれるというシステムです。
 また、技能をもつ人には2年間で10日間の訓練を行ない、指定された予備自衛官の階級を与えるということもしています。でも、これも積極的に広報をしていかないと、なかなか定着しないという悩みをあるようです。

 それもこれも、一般国民の間に軍事や軍隊がどう受け止められているかの違いからくるものでしょう。
 欧米では、今も、軍隊的な規律を守ることや、その精神的な鍛錬をすることが世間でも一定の評価を受けています。
 軍事専門職には、相応の敬意がはらわれて、軍隊の将校や下士官は社会的な評価も高いようです。その証拠には、欧米には軍隊を取り上げた映画も多く、将校や下士官はヒーローになっています。

 青春映画のヒットだった「愛と青春の旅立ち」も、アメリカ海軍の予備役士官養成制度を描いています。だらけた軟弱な学生が、厳しいプロ意識に燃えた下士官の指導に応えて、最後は一人前の士官になる。フェアな下士官は態度を改め、若者に敬礼する。これを若者の恋人との関係を加えて、ラブロマンスのような題をつけた映画会社のセンスには敬服したものです。もしも、原題どおり、「士官と紳士」だったら、わが国では人気が出なかっただろうと思います。

 欧米人は幼い頃から、軍隊を見慣れ、軍事に関心をもつようです。軍人も身近で、親戚の中には兵士がいたり、軍の関係者がいたりすることも珍しくない。家には武器があり、狩猟や射撃もスポーツとして認められている。アメリカでは、今も少年の誕生日のプレゼントにライフルを与え、父親が手入れのしかたを教え、使い方のルールを仕込むという文化が残っています。

 文学作品を見ても違いがあります。トルストイの「戦争と平和」、ミッチェルの「風と共に去りぬ」、ヘミングウェイの「武器よさらば」など、偉大な作品には戦争を主題にしたものが多くあります。また、欧米の知識人の経歴にも注目すると、わが国とはずいぶん違ったことになるのです。

 トルストイは青春の5年間、陸軍将校でしたし、クリミア戦争にも参加しました。「赤と黒」で有名なスタンダールは、17歳で陸軍に入り、輜重兵将校として、ナポレオンのイタリア、ベルリン遠征に加わり、最後にはモスクワ遠征の悲劇の撤退行まで経験しました。
 モーパッサンは普仏戦争に志願兵として参加。モーリアック、セリーヌ、レマルク、リルケ、モーム、D・H・ローレンスなども第1次大戦に参加したのです。ロマン・ロランやヘミングウェイなども赤十字要員として戦争に加わっています。

 これに対して、わが国の文豪で、軍隊経験がある人はほとんどいません。軍医総監にまでなった森鴎外がいるくらいです。夏目漱石などは徴兵検査の合格をまぬがれるために、北海道に本籍を移したくらいでした。

 軍人になることを厭(いと)わないどころか、進んで戦場に行く文化人を生む国々。対して軍事的なことから、なるべく目を背けようとする文化人の多いわが国。戦時になると志願者がぞくぞくと増える国々と、「ヘイタイにとられた」という言い方がされるわが国。
 制服を着ていないだけの潜在的軍人だらけの国々。世間とへだてられた環境で厳しい訓練を受けなければ軍人になれなかったし、なれないわが国。さらに制服を着た顕在的な軍人が目立ったわが国。

 こうしてみると文化の違いがはっきり見えてきます。(これらについては、最近、主婦の友社から再刊行された『戦争と人間の風土:鯖田豊之』に詳しい考察があります。私は高校生で、この本に接し、ずいぶん学ばされました)


▼軍人より軍事に詳しいジャーナリストや政治家

 また、鯖田豊之氏が指摘していることですが、欧米には軍人より軍事に詳しいジャーナリストや政治家がいます。軍人は国家公務員ですから、行動の自由がありません。これに対して、ロバート・キャパのような写真家は、世界各国の紛争地に出かけました。新聞記者の中にも、軍隊経験をもち、なかには予備役軍人である人も欧米では珍しくありません。

 政治家でも、いまでも、アメリカ大統領選挙では必ず「軍歴」がいわれます。おそらく、アメリカの上・下院議員の中には、かなりの数の軍人がいるのでしょう。さらに各州ごとに保有する、民兵の後身である州兵の幹部の経歴をもつ人も多いはずです。

 わが国のジャーナリストで、自衛官生活を経験している人は、かなり少ないのではないでしょうか。もしかしたら、主要な新聞の記者の中には、自衛隊を見に行ったことはあっても、用意された訓練は体験しても、自衛官として勤務した人はいるのでしょうか。

 政治家の中にも、中谷元防衛庁長官は防衛大学校を出て幹部の経験がある人ですが、その他の議員はいかがでしょうか。市会議員、町会議員の方々には、元自衛官の方々もおられますが、国政の場ではどんなものでしょう。
 石波大臣が「軍事オタク」などと揶揄されました。軍事や兵器に関心をもつことだけで、からかいのタネになるような政治の世界だとすれば、これもまたわが国独自の問題だといえましょう。

 政治家ならば、誰もが軍人のような識見をもてとか、軍事に素人が余計なことを言うなというような暴論を語るつもりは、金輪際(こんりんざい)、ありません。
 でも、文化的な伝統が異なる中で、わが国のシビリアン・コントロールの実態は、どんなものなのか。報道する人たちのシビリアン・コントロールへの姿勢はどうなのか。
 各国では、それぞれの歴史や文化を背負ったシビリアン・コントロールがあることは見てきた通りです。

 次回は、わが国の「文民統制」の制度的な実態について、考えてみましょう。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆荒木肇経歴
1951年、東京生まれ。横浜国立大学大学院修了(教育学)。横浜市立学校教員、情報処理教育研究センター研究員、研修センター役員等を歴任。退職後、生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師、現在、川崎市立学校教員を務めながら、陸上自衛隊に関する研究を続ける。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。年間を通して、陸自部隊・司令部・学校などで講話をしている。

◆主な著書
「自衛隊という学校」「続・自衛隊という学校」「指揮官は語る」「自衛隊就職ガイド」「学校で教えない自衛隊」「学校で教えない日本陸軍と自衛隊」「子供もに嫌われる先生」
いずれも並木書房刊 http://www.namiki-shobo.co.jp/

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2009年01月10日(土)
グアダルーペの聖母 そのB  動画 映画プレビュー 
1531年12月9日、メキシコ・グアダルーペのインディオ、フアン・ディエゴの前に聖母が現れたとされる。聖母は、司教に聖母の大聖堂を建設する願いを伝えるよう求めた。病気の親類の助けを求めにいこうとしていたディエゴが話しかける聖母をふりきって走り去ろうとした時、聖母は彼を制止し、親類の回復を告げた。ディエゴが戻った時、病気だった親類は癒されていた。聖母に司教へしるしとして花を持っていくよういわれたディエゴは、花をマントに包み、司教館に運んだ。司教館に花を届けた際、ディエゴのマントには聖母の姿が映し出されていた。 Wikipedia グアダルーペの聖母 より メキシコやスペインでは「guadalupe グアダルーペ」という映画が公開されている。 日本では全くなじみのないことなので、公開されないのかな? そんなわけで、映画プレビュー。 ★holayasu さんブログより転載 http://blogs.yahoo.co.jp/holayasu/27669222.html#27669222
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グアダルーペの聖母と レヒーナそして・・チベットとインディオ そのA
レヒーナのことを知り、チベットとの関係を知り
インディオとの関係・・・

そして 12月12日の聖人の日の 守護
グアダルーペの聖母との出会いに 感動しました。

メキシコ人は メキシコの国の守護である
グアダルーペをものすごく 信仰していて、
毎年 12月12日の巡礼には 700万人もの人が 集まるそうです


私自身、クリスチャンになってから

ラス・カサス神父の「インディアスの破壊に関する簡潔な報告」を
読み
スペイン人のそのあまりの残虐さには 
キリスト教に対して疑問を持ったこともありました。

そんな中でも ラスカサス神父のように
インディオの保護のために
人生を捧げつづけ 植民地のスペイン人から反感を買い
命を危険にさらした
神父がいたこと・・・

そしてそんな時代の 1531年 メキシコに出現した

今もなお メキシコの守護聖人である グアダルーペの聖母のお話

ファティマや ルルドの聖母出現のお話は 有名ですが
私は 昨日まで無知ゆえに知りませんでした・・・

メキシコでインディオが人間として扱われなかった
その虐殺の時代に
インディオに出現した聖母マリアで、
インディオを虐殺から救った
といわれ

アステカの女神、トナンツィン
と同一ともされ いまでもメキシコで最も
信仰され、メキシコの国の守護聖人とされています。


1537年、ローマ教皇パウルス3世は、この聖母の出現により
植民地におけるインディオへの迫害を禁じたのです。

その後まもなく多数のアステカの人々がこの聖母像を崇敬するためにやって来て、次々に改宗が始まり 
一説では十六世紀初めルターの宗教改革で
ヨーロッパで失われたカトリックの数だけ
このメキシコで わずか 数年で 

<特大800万人のアステカ人のカトリックへの改宗>が  あったのです。

またこの聖母は 石の蛇を踏みつぶすと言われる名を持ち

石の蛇というのは 

これまでにアステカの人々から一年に二万人の人身御供を要求していた神だったのですが

アステカ人たちは 聖母を神から遣わされた方として理解し、
人身御供の悪習は突然終わった
ということです。



グアダルーペの聖母(ぐあだるーぺのせいぼ、Nuestra Señora de Guadalupe、英語:Our Lady of Guadalupe)とは、カトリック教会が公認している聖母の出現潭の一つであり、メキシコで最も敬愛されている宗教的シンボルである。

wiki***************************************************

1531年12月9日、メキシコ・グアダルーペのインディオ、
フアン・ディエゴの前に聖母が現れたとされる。

聖母は、司教に聖母の大聖堂を建設する願いを伝えるよう求めた。
病気の親類の助けを求めにいこうとしていたディエゴが話しかける聖母をふりきって走り去ろうとした時、
聖母は彼を制止し、親類の回復を告げた。

ディエゴが戻った時、病気だった親類は癒されていた。

聖母に司教へしるしとして花を持っていくよういわれたディエゴは、花をマントに包み、司教館に運んだ。司教館に花を届けた際、ディエゴのマントには聖母の姿が映し出されていた。

1537年、ローマ教皇パウルス3世は、インディオは理性ある人間として扱われるべきという回勅を発し、植民地におけるインディオへの迫害を禁じた。近年の調査では、マントの聖母像の瞳部分にはディエゴとおぼしき人物が写っていると主張する人がいる。

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これがマントの絵です↓



聖母から 司教へ聖母出現のしるしとして
花を持っていくように言われたディエゴですが

メキシコの冬には 咲かない 薔薇の花が
あらわれたそうです

薔薇を 包んでいた布に 聖母がうつしだされたそうですが
その絵がこの絵です。

聖母像が刻み込まれたこのサボテンの繊維でできたマント
(ティルマ)は
さまざまの科学的な鑑定を経ても、未だにその謎が完全には解けないと言われている。

1531年以来468年も崇敬されて人目にさらされ、
聖堂の中で祭壇の上方に掲げられていたため、
ろうそくですすけ、悪化するはずなのに、不思議なことに
全然古びていず、今もみずみずしく、生き生きとしており、繊維質の悪化がまったく見られないという。

おまけに粗い繊維質のティルマに描かれた聖母像の顔料が
未だに特定できないそうである。

例えば、太陽光線、飾りふさ、天使ケルビム、マントの三日月や星、金の縁取りなど、後からの書き込みがあることが確証されているが、それらの顔料は特定されており、年代によるひび割れや劣化を示している。

しかし、後からの書き込みでない最初の聖母像の衣装、マント、顔、手などの顔料は化学分析によっても何であるかが特定できず、しかもいかなる汚れ、すすけもなく、年代による劣化もないという。

もっと不思議なことは、聖母像の瞳には人物像の反映があることが分かったという。
コンピューターを用いた画像処理で判明したように、瞳に映っていたのははっきりと認められる複数の人物の顔と手である。

ティルマが最初にスマッラガ司教の前でほどかれたときに、列席していたスペインの高官たちが聖母像の瞳に映ったと信じられている。新しいスペイン総督ラミレス・イ・フエンレアルはその一人ではないかと言われている。

 参考「グアダルーペの聖母」
 http://www.d-b.ne.jp/mikami/guadalup.htm

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数日前より「みこころの部屋」というメーリングリストに
参加させていただくことになりました。

これは「子羊の晩餐」の翻訳者の川崎重行さんと
濱田洋一さんという方が作られました 

■顧問司祭

内山 恵介 神父    (御受難会・司祭のマリア運動日本代表者)

■名称の由来と通称

 「みこころ」とは「イエズスの至聖なる聖心」と「聖母の汚れなき御心」を意味します。この不可分な関係にある二つのみこころの相互関係を英語でAlliance of the Two Heartsと呼ぶことから頭文字をとってathml(mlはメーリングリストの略)という通称で呼ぶことにします。この名称には、メンバーがキリストと聖母のふたつの御心の中に憩いながらカトリック信仰をはぐくむという希求的願望が含まれます

■目的

1.祈りによる霊的・精神的な助け合い
2.教区や小教区の枠を越えた交流
3.カトリック教会内外の情報・意見交換
4.信仰知識の強化
5.啓蒙活動

メーリングリストにご参加されたい方は↓
http://www2u.biglobe.ne.jp/~athml/ 









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2009年01月09日(金)
グアダルーペの聖母と 「レヒーナ ミュージカル」そして・・チベットとインディオと
ついに 関西にレヒーナ ミュージカルがやってきます。

私はとっても見に行きたいけれど、残念ながら
姪の結婚式が滋賀県であるため、和歌山へは行けないのです。
そしてつぎの1/18も 兵庫県リーグと重なっています。
3月か4月の四国公演に行けたらいいなぁ・・・



IZANAIミュージカル●「cosmic love Regina」●

■2008年12月13日(土) 長崎
■2008年12月23日(火/祝) 新潟 は大成功だったそうです!!


■2009年1月10日(土) 和歌山 和歌山市民会館

■2009年1月18日(日) 山口 岩国市民会館
■2009年3月1日(日) 高知 高知市文化プラザ かるぽーと
 ※スガジャズダンススタジオ25周年記念舞台
■2009年4月18日(土) 香川 丸亀市綾歌総合文化会館 アイレックス

チケットや公演に関する詳細はこちら↓
http://www.suga-izanai.org/index.html

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レヒーナについては、以前
チベットとレヒーナと 龍神さまと 竜のひとと 不思議なこととして ブログにとりあげました。
http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/475/

その時に、このミュージカルの主催者さんの
國友悠一朗さんに コメントをいただいて、メールもさせていただきました。

2008年12月05日(金) 11:41 by 國友悠一朗
初めまして、わたし、レヒーナを検索していたらこちらのブログにたどり着きました。とても共感できる文章に感銘を受けています。わたしはダンサーで、実は今月末から来年一年間全国をミュージカルツアーをします。その題名が『COSMIC LOVE REGINA』なのです。

昨年からメキシコにゆきまして著者のアントニオベラスコさんにお会いしこの物語の真実を学びました。春には日本に招聘し東京、大阪、香川にて講演会そして踊りの祭を行いました。

レヒーナの生き様、メッセージはこの時代にシンに必要であることです。私達はIZANAIおどりという道具を使い人が本来持つ偉大な力
、愛を創造する力を復興させることを人生の使命と信じています。

純粋さ、真っすぐさが、こころが、願いが、祈りがこの世には必要です。レヒーナのミュージカル、関西では来年1月10日に和歌山市民会館にて公演が決定しています。

もしよろしければメールいただければ有り難く感じます。
いつもこころに太陽を
國友悠一朗


*****************************************************************

レヒーナは「鷲の国に女王もどりて破るべし月の牢獄」という予言どおりメキシコとチベットを結ぶ数奇な運命に生まれ、人々を覚醒へと導いた、美しい女性


……1948年3月21日、メキシコの聖火山の麓に生まれ、生後すぐ両親(母親は幼児洗礼を受けた敬虔なクリスチャン)とともに
チベットに渡り、ラマ僧タグドラ・リンポチェという最高の僧侶と
出会い、教育を受けます。
この同じ時期に 13歳年上のダライラマが同じ場所で
教育を受けていたのです。

そして1959年 レヒーナが11歳のころ
中国によるチベット弾圧、チベット動乱がおこり、ダライラマは
インドのダラムサラに亡命、レヒーナの両親も殺されて
レヒーナは 
ヒマラヤの奥地に逃げ延び、美しい湖畔の洞窟で ラマ僧とともに
修行の生活をします。

数年後ラマ僧は殺されレヒーナは中国の女囚刑務所で再教育させられ本国メキシコへ・・・

そこでメキシコの人を覚醒するために、オルメカ、アステカ、マヤ、サポテカ文明「メ・シ・コ」の4人の伝統守護者と力を合わせ、最低40万人が参加する行進、宇宙の基本12音階の「波動」、人間の心の深い「沈黙」と「言霊」の力を使った儀式を行い、眠っているメキシコの最古の住人(男女の火山)を
目覚めさせたのだ。。。

1968年10月2日、メキシコオリンピックの10日前
死者250名以上を出し、メキシコ現代史の分水嶺となった
「トラテロルコ事件」は レヒーナの儀式であり殉死であったのです

そのレヒーナが 最後に数十万の人々を従えて
行進した場所が

グアダルーペ大聖堂よりトラテロルコというアステカ時代の遺跡跡
でした。

*****************************************************************

レヒーナと チベット、ヒマラヤ、
オルメカ、アステカ、マヤ、サポテカ文明
そして カトリックの聖母、 インディオ そして 日本・・

すべてがつながっていると感じます。



お正月にテレビで エジプトのピラミッドの謎の番組を
見ていました。
相方が考古学の番組が好きだからです。

その放映の中で メキシコにもピラミッドが・・・ということで
ティオティワカンのピラミッドの映像やメキシコの山山が
映し出されて

私は 「ああっ ここは レヒーナの場所だよ」って
思いました。


そして昨日、ふと 私の誕生日の聖人は誰かしらと
カトリックの聖人カレンダーを
調べていたところ・・・

「グアダルーペの聖母」となっていました。

「グアダルーペ」が 聞き覚えがあったので思い出すと・・・
レヒーナの場所でした・・





最近 1500年代 中南米でのキリスト教のせん教師をともない
インディオの迫害が 行われた歴史を引用した

秀吉の カトリック弾圧は 日本を植民地化から
救ったとか キリスト教がその当時 何十万人も日本の娘を
ヨーロッパに売ったというような 誤謬説があって
キリスト教が すべて悪だという観点で書かれている記述をネットで
見つけて、非常に悲しい思いをして・・・
一生懸命 カトリックのことを説明していたところでした。


そして・・ 「グアダルーペの聖母」がインディオを迫害から
救ったという事実を知りました。


明日は 「グアダルーペの聖母」について書きたいと思います・・















2009-01-09 01:57 | 記事へ | コメント(5) | トラックバック(0) |
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2009年01月07日(水)
派遣村も派遣村だけど・・ 憲法9条? 安保粉砕? 便乗して思想宣伝すなーそのA
派遣村で 憲法9条????。

「年越し派遣村」の正体は、予想通りの「9条守れ左翼」による反政府闘争でありました。
「年越し派遣村」なんて真っ赤なウソ、ホームレスを集めた「年越し護憲村」でありました。
http://14471.iza.ne.jp/blog/entry/861634/

写真 右上にご注目〜

失業者支援で思想宣伝をするな! 「派遣村」リポート(上)
パブリック・ジャーナリスト 藤倉 善郎【東京都】
http://news.livedoor.com/article/detail/3962551/
↓貧困問題に思想宣伝はいらない!撮影:藤倉善郎、1月3日・日


PJ 2009年01月05日】− 年末からメディアでも話題になっている東京・日比谷公園の「年越し派遣村」。昨年始まった企業の大量解雇や派遣労働者への雇い止めで、仕事も家も失った人々が急増。彼らに宿泊場所、食料、衣類などを提供し、就職や生活保護に関する相談を受け付けるため、全国ユニオンが昨年12月31日に開設した。



ところが、こうした支援活動について、インターネット上である問題が話題になっている。名古屋での同種の活動を報じた新聞写真に、憲法9条の改正に反対する趣旨の横断幕が写されていたのだ。

中略〜

そして問題の思想宣伝だが、やはりいた。「9条改憲阻止!」のタスキをかけた男性が、ビデオカメラを片手に歩き回っているのだ。報道腕章や所属を明示するものは着けていない。明らかなルール違反。しかも、腕章をしている報道陣でさえいちいちスタッフから呼び止められるのに記者が見た限り「9条改憲阻止!」男は誰にも呼び止められていない。これは“9条特権”なのか、それとも、みな気持ち悪がってかかわりあいになりたくないのか。それとも、すべてのボランティアに顔が知れているほどの「派遣村」幹部なのか?

 失業者支援は、関係者の思想を問わず、その活動自体に大きな意義がある。同様に、失業問題に便乗した思想宣伝行為は、その思想の内容を問わず愚かしく恥ずかしい。労組が一堂に会した「派遣村」だけに、なおのことそれに便乗した思想宣伝が見苦しく思えた。「派遣村」主催者は、報道陣を締め付けるなら、同様に“空気が読めない思想宣伝”も何とかしたらどうか。【つづく】


そして 派遣村に翻る「安保破棄」の旗????

nekoponさんのブログより・・
http://14471.iza.ne.jp/blog/entry/861881/
は? 「守ろう憲法・地方自治」って、雇用問題と何の関係が?



極め付きはコレ↓。「安保破棄」ってwwwww 「雇用問題は単なる客寄せのダシです」って認めちゃってるようなもん。誰か止める奴いなかったのかよ(呆)。自治労連だの国交労連だの全教だの、ぜ〜〜〜んぶ、共産党。


うわ でたっ 社民系の日教組と別れた
元日教組の共産党系の全日本教職員組合(全教)・・・の旗が・・・・
っていうか 公立学校の先生は、生徒に淫行しても飲酒運転しても
クビにならないんやから 派遣切りとか まったく関係ないやん

マテリアさんブログも・・
http://materiamateria.blog49.fc2.com/blog-entry-217.html
国会裏手で派遣村デモ隊を歓迎する、民主、公明、社民、共産の議員団 (398KBでデカすぎとな!)
http://gazoubbs.com/general/img/1219593765/297.jpg

国会裏手で派遣村デモ隊を歓迎する、民主、公明、社民、共産の議員団 その2
http://gazoubbs.com/general/img/1219593765/298.jpg

野党(おもに共産党)は派遣を政治利用してるし、
案の定、9条信者・プロ市民・ホームレスが大半だし・・・・


そして ホームレスを食い物にするキリスト教 「派遣村」リポート(下)
http://news.livedoor.com/article/detail/3964048/

「杉並区の教会で飯を食わせてくれると聞いたので行ってみたら、クソ寒い季節なのに冷たい水の中に頭まで沈められた。しかも飯なんか食わせてくれない。教会に通いつづけて、5回水に浸(つ)かったら飯を食わせてやると言われたから、行くのやめたよ。その教会は韓国系じゃなくて、日本人がやっているようだった」

もちろん、すべてのキリスト教会がホームレスを食い物にしているわけではないだろう。「派遣村」でも、ボランティアとして働くシスターの姿が見られた。信者獲得に直結しないような活動にも参加するクリスチャンは、ちゃんといる。しかし極端な少数派であるにせよ、東京都内だけで複数の教会の悪評が出てくることには、記者も驚かされた


水につかる洗礼とか 賛美歌という言葉からすると
カトリックではなくて、プロテスタントの一派。
または キリスト教系をかたる新興宗教だと思う・・・
ボランティアとして働くシスターは カトリックだよね・・
あ〜カトリックの悪評判でなくて ちょっと安心したけど・・

しかし カトリック正義と平和協議会、松浦補佐司教さまも
「憲法9条」ばっかり言ってると

カルト集団とおんなじように世間は見るんやでっ  やめてね


しかし やっぱり派遣村は 異常なのだ。
中には、実家もなく、本当に困った人もいるのかもしれないけれど・・・
派遣って、正社員雇用するよりは保健や退職金 企業側がいらないから便利っ本当にいらない時はクビ切りやすいっ
てわけで 派遣なんだけどなー。
 派遣される側も、しがらみがなくていいとか 人間関係しばられないし、それでいて 時給いいしねーってことでしょ。
で、いつ首切られるかもしれないのは覚悟の上。
そんなの最初から みんなわかってると思うんだけど・・・??
そういう覚悟もなくて なんで最初から 派遣で働くかなぁ。

派遣の健康な若いお兄ちゃん 助けるより 助けなあかんとこ 世界中に いっぱい他にあると思う。
イスラエルに攻撃されて殺されてるガザの子供たちとかね・・・
虐殺されるチベットやウイグルのひとたちとか・・
拉致被害者さんたちとかね・・

ほんまに助けたいんやったら 共産党や社民党のひとたち
一家庭に 派遣のお兄ちゃんやホームレス一人づつ居候でもさせてあげたら?
明治時代とか大正時代は 若い苦学生の書生さんとか
居候させたり 貧乏な女の子を女中に雇って あげてたよねぇ

でも私はいやだよ。 そんなお兄ちゃんたち助けないよ。
健康な日本男児 自分のことは自分で何とかしたらって思う。

おつるは 超冷たいねんで。
2009-01-07 12:38 | 記事へ | コメント(22) | トラックバック(0) |
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派遣村も派遣村だけど・・ 憲法9条? 安保粉砕? 便乗して思想宣伝すなーその@
坂本哲志総務政務官が
「集まったのは、本当に働こうとしている人か疑問」「学生紛争のときの戦術が垣間見える気がした」との発言でまたもマスコミから
叩かれましたが・・・・

2ちゃんねるでこんなの見つけたし〜

●「派遣村から交通費がでるよ」

●「派遣村の自称失業者、正月終わったのに仕事を探さず別の施設に移動して今日もごろ寝」

●「派遣村へ行って生活保護を申請しよう」
東京で申請すると、手取り15万確実にもらえるぞ。
その上、医療費、公共交通無料
当然国民年金も免除だ。
いつまでも派遣村は開設していないぞ。
善は急げ。青春18切符をもって東京へ行け

●「派遣村の内情を田中康夫が暴露!」
派遣村の裏で指揮っているのは共産党系の労組団体でホームレスに動員をかけている。
露骨な政治的パフォーマンスで派遣労働者の為にやっているわけではない。田中曰く、裏で指揮っているのは共産党系の労組団体で動員をかけている。露骨な政治的パ
フォーマンスで派遣労働者の為にやっているわけではない。なぜ日比谷公園なのか? 厚労
省の目の前だからか? 何故厚労省の講堂なのか? 生活保護を所轄するのは都や区の行政
であり、厚労省は関係無い。そして本来の目的は仕事を求めるはずだったのに、なぜ共産党
お抱え弁護士が出てきて、一斉生活保護請求なのか?

*************************************************

なんか怪しすぎる、派遣村っ
国民はまたまた マスコミに騙されて、こんな状況の社会は
自民党、麻生政権のせいだとでも言うような選挙のための
反自民・反麻生キャンペーンに乗せられてるんじやないん??

そして・・・こんな記事も
http://news2plus.blog123.fc2.com/blog-entry-442.html
【9条】派遣村(笑) 案の定9条信者布教の地になってたでござる の巻

コメント・・・笑

雇用問題と9条関係ないじゃねーかw

9条守ろうって言ってる人はなんで「たたかおう」なんて言葉使うん?

あいつらって震災の時にも布教してたし最悪な奴らだな

派遣村<こちとら慈善事業でやってんじゃねえんだよゴルァ
↑こういう事だったんだな。やっぱり。

人間っていうのは飯を食わせてくれる連中について行くんだよ

これやってるのって全国ユニオンか
つーことは社民党系だな


派遣村 2日の予定
9時 朝食
10時 銭湯行動
10時 マリオン前街宣
12時 昼食
15時 炊事開始
17時半 夕食
19時 激励トークタイム
21時 映画鑑賞

wwwwwwwww

映画鑑賞?

カニ工船ですよ

9条って・・・・広島市民球場シーズン最終戦じゃなかったっけ?
中継で見てて、カープファンが不憫になった覚えがある ↓




しかし・・・やっぱりおかしい・・・

そして こんな記事はどういうことっ

●雇用促進住宅の低価格住宅を、山奥にあると非難して入居しない
 →港区、西東京市、八王子、町田などにもあるのに、なぜかあきる野市のことだけ
●旧公団(UR)が特定の空き部屋を2割引で貸し出す上に、敷金なども配慮したのに入居しない
●ワタミなどのブラックが、全国で500人の雇用を発表したのに、枠が全然埋まってない
●介護業界が「ぜひ来て!」と呼びかけるも、まったく枠が埋まらない
●派遣村にやってきて、生活保護だけは申請する




これでどうやったら「かわいそう」というのか、教えてほしい。




仕事探しとか ハローワークとかなくって

レクレーションとか 交流タイムとか
映画鑑賞って なにこれーーーーーーーー

小学生の 夏休みキャンプやあるまいし・・・

楽しそうやん

それで母子家庭や 年とっても 掃除や警備員や
厳しいお仕事して頑張ってる自営業の商店や
つぶれかけでも頑張ってる零細企業のおっちゃんが
必死で働いて・・・
・・・・・そんな 働く私たちが納めている税金で

生活保護もらうん??? 
 
若い健康な おにいちゃんたちが??

戦争中 若いおにいちゃん必死で国のため頑張って
戦後は 若いおにいちゃん
焼け野原から 必死で国を立て直して生きてきたけど

で 今のおにいちゃんたち・・・ 

意味わかんないんですけどっっっ 

2009-01-07 12:11 | 記事へ | コメント(4) | トラックバック(0) |
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2009年01月06日(火)
2009年 3月17日 フリーチベット!!




●中国内のチベット人、3割「独立求める」…亡命政府調査http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090106-OYT1T00053.htm

 【台北=源一秀】
チベットの将来をめぐって最近実施された意識調査で、中国に住むチベット人の3割弱が、中国からの「独立を求める」と回答していたことが明らかになった。

 チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世は、中国の枠内での「高度な自治」を目指す路線を掲げているが、中国政府による人権抑圧が続く中、チベット人の間で独立志向が高まりつつあるとの指摘もある。ダライ・ラマのおいで、亡命チベット代表者会議代議員のケドルゥプ・サンドップ氏(56)が、台北市内で本紙に語った。

(中略)

  意識調査の結果について同氏は、ダライ・ラマが1988年に独立要求を放棄した事実を指摘し、「ダライ・ラマは、この20年間、中国に対し『高度な自治』を求めてきた。だが、チベット人の自由・人権の抑圧状況に変化がないため、若年層を中心に不満を持つ人が増えている印象だ。独立志向はますます強まるだろう」との見方を示した。
同氏は、ダライ・ラマの命を受け、97年より台湾を拠点に、各国でチベット問題解決のため、ロビー活動を行っている。
(2009年1月6日08時32分 読売新聞)

●中国、ラサ一斉検挙でチベット人59人逮捕 
 2008年12月25日 ロイター
[ダラムサラ]前夜の中国新聞社の報道によると、チベット自治区ラサで行われた警察による一斉検挙で59人のチベット人が逮捕された。

逮捕された59人は、チベット人の精神的指導者ダライ・ラマ法王の扇動により、チベット内で分離独立主義を助長する「反動的」な音楽をダウンロードしたため告発されたとのこと。

中国新聞社はこの報道で、「2008年3月の暴動事件の後、ダライ集団の陰謀と扇動に影響された複数の人間が、意図的に流言と扇動的な道徳感情を広め、国家および個人の安全を驚異にさらした」と伝えている。

また、警察がインターネットから違法にダウンロードした曲の販売を取り締まる目的でラサの市場を捜査中であったことを付け加えた。

中国政府は、分離主義者の行動を未然に防ぐという口実のもと、拷問や根拠のない勾留、チベット人に対するダライ・ラマ法王非難の強要といった弾圧的な手段を取っている。

国際社会では、2008年3月10日の暴動(チベット人の死者219人、負傷者1,294人、約5,600人が未だ拘禁または拘束中、行方不明者は1,000人を超える)以来、中国政府の誤った政策に反対するチベット人の平和的抵抗を中国側が暴力で弾圧していることについて、非難する声が高まっている。

チベット全土のチベット人活動家は、ダライ・ラマ法王の帰国とチベットにおける基本的人権を求めている。

月曜日午前、ワシントンに本部を置く人権グループは、中国法廷が、チベット状況に関する情報を外部に流しているという理由で、非政府系組織に所属するチベット人1名に終身刑を科したことを伝えた。

「インターナショナル・キャンペーン・フォー・チベット(ICT)」より電子メール配信された声明(11月8日付、チベットの地方新聞掲載記事からの引用)によると、先月ワンデュという人物が終身刑を言い渡されている。

人権グループは、その他にも6人のチベット人が長期刑の宣告を受けたと述べている。

「チベット外部の人々に情報を流したために科される刑としては、前例のない厳しさである」と、同グループは言う。

「この新たな状況は、現在のチベットにおける弾圧についての情報入手がより困難になることを示しており、またチベットでのNGOの活動においても難題となる。」


今年の3月17日はきっと チベット本土だけではなく
北京オリンピック、聖火リレーの時に
世界中のひとが抗議したような

抗議運動、フリーチベットの炎がもう一度 

燃えあがるはずです。

関西でも 東京でも 名古屋でも・・・・

もう一度 キャンドルフォーチベットも 世界のひとが
灯すでしょう。

なにかが 変わる・・・と信じたいです。

私もまたがんばりますっ  フリーチベット!!





2009-01-06 15:46 | 記事へ | コメント(4) | トラックバック(2) |
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2009年  「9の年」は中国の厄年・波乱破綻の年・武力の年
中国で「9の年」は 厄年・波乱・経済破綻の年・武力の年というジンクスがあるようです。

 49年 新中国建国
 
 59年 毛沢東の大躍進政策が破綻(はたん) 
2000万人以上の餓死者が発生

 同59年 3月17日 チベット侵略・弾圧、同化政策にチベットは反発 
ダライラマ法王亡命 3月17日
 69年 第9回党大会で文革派が勝利、中ソが国境衝突を繰り返し全面衝突の危機

 79年 華国鋒政権が始めた急進近代化路線が失敗、3年間の厳しい経済調整を強いられた。

 89年 天安門事件 インフレや幹部の腐敗に憤る学生・知識人らの民主化運動が全国に広がり、天安門広場周辺では軍の発砲で大量の死傷者 広場は血で染まる


 99年はアジア経済危機の影響でデフレが深刻化、2年連続の7%成長に低迷した。米軍機がユーゴの中国大使館を誤爆、 米中関係が険悪化した。

 同99年 4月25日 気功集団 法輪功の1万人が北京・中南海を包囲 指導部を震撼させる 

*********************************************************************


●【東亜春秋】編集委員・山本勲 よみがえる天安門事件の記憶よりhttp://sankei.jp.msn.com/world/china/081217/chn0812170258000-n1.htm

世界人権宣言60周年を迎えた今月10日、民主派勢力が共産党独裁体制の終結を求める「08憲章」をインターネット上で発表した。


 自由、平等、民権に基づく三権分立の政治体制を確立し、台湾や(チベットなど)多民族が参加する中華連邦共和国の建国を呼びかけている。

 1週間で国内外の学者、人権活動家ら3600人の署名を集めたが、中心人物とみられる反体制作家の劉暁波氏は直前に当局に身柄を拘束された。劉氏は天安門事件でも投獄され、釈放後も当局の厳しい監視下にあった。

 天安門事件は共産党政権の腐敗・堕落や経済失政に対する国民の怒りが原因だった。この20年間に経済は飛躍的成長を遂げたが、政治腐敗や格差拡大、人権抑圧、言論弾圧などの独裁体制による弊害は一向に改善していない。

*********************************************************************

読売新聞 2009年 1/3 土曜日 朝刊より 

●「新春 大胆予測」(ベテラン特派員が占う)
中国 ・・・中国特派員 河田卓司 



中国にとって2009年は、新中国建国60周年の節目の年だ。この60年、
中国では「9の年」には59年のチベット動乱、89年の天安門事件など
重大事件がおきている。 現在の状況から考えると、21世紀初めての
「9の年」もかなり多難な年になるのは間違いない。

今年。中国では「政治的に敏感な日」がやってくる。
まず3月17日。 50年前チベット人は中国の急激な同化政策に反し、
この日ダライ・ラマ14世はインドに亡命した。

4月25日は1999年、気功集団 法輪功の1万人が北京・中南海を包囲し、指導部を震撼させた日だ。

5月12日には四川省大地震1周年を迎える。学校倒壊の原因究明は進まず、現地では不満がくすぶる。 

そして6月4日。 20年前のこの日、民主化などを求めてて安門広場に
座り込んだ学生らを軍が制圧し、広場は血で染まった。

実は、これら「9の年」には共通の背景がある。経済の停滞がそれだ。59年は大躍進の失敗で全土で飢饉がおきた。69年は文化大革命
の最中で、政治闘争に明け暮れた。79年は急激な近代化が失敗した。
89年も経済は低迷。99年は7パーセント台の成長にとどまった。
要するに、経済停滞の中で大事件が起きている。

 では、今年はーー
中国経済は驚異的な2ケタ成長を続けてきたが、昨年から減速を
はじめた。そこに米国発の金融危機が襲来し、企業倒産も急増している。

 中国は独裁下の超格差社会であり、庶民の間には腐敗・不公平への不満が渦巻く。ただでさえ、暴動、争議が多発している中、大不況になれば、不満は膨張し、社会は不安定化する。

共産党は、不満を力で押さえつけ、10月1日の建国60周年を平穏に
迎えたいところだ。しかし、政治・経済とも運営を一つ誤れば
「9」のジンクスにはまりこむ。 今年はまさに波乱含みの年になろう。

最後にもう一つ、中国の「9の年」は武力の年でもあった。
59年は中印紛争、79年には中ソ国境衝突、79年には中越戦争がおきた。89年には天安門で軍が発砲し、99年はユーゴでNATO軍機が中国大使館を誤爆し、米中関係は緊張した。

 今年、中国が周辺国と武力衝突するとは考えにくいが、あえて言えば、北朝鮮の金正日総書記が死去するなどして北朝鮮が大混乱した場合、中国の軍が進駐する可能性はゼロでしない。
この武力を伴う「9」のジンクスだけは、絶対ごめん被りたいが・・・



クリスマス〜お正月 おつるは
何度も何度も 「中国共産党の独裁体制が崩壊して
チベットやウイグルや 南モンゴルや台湾や・・・
法輪功や カトリック地下教会や・・苦しむ人が救われますように」
って お祈りしつづけています

変革の年になりますように

でも天安門みたいなひどいことは絶対いや。





2009-01-06 14:59 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
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2009年01月05日(月)
1月4日 主の公現のミサ
今日のごミサは 母親と 妹おみつと 姪っ子も参加でした。

オルガン担当ではなかったので

妹と 姪について まん中の席に座りました。

信徒席は 折りたたみ式の跪き台があるので
とっても楽ちん。

ずっと立ったままよりも 跪いたほうが体も楽で
真剣にお祈りできるのに
どうして 跪かなくなってしまったのかなあ・・??

今日は 東方の三博士が 星に導かれて
イエス様のところにやってきた お話・・・・・

後藤進神父の司式でした。
ゆったりとお話になる神父様のお話は素敵でした。

聖歌隊の オサルタリスは 信徒席から聞いていると
とっても綺麗でした

今日もミサの後で 和田神父様が ベネディクト教皇様の
メッセージをお話されて

わざわざコピーをされて ほしい方は
申し出て下さいとのことで 私たちはいただきました。

家に帰ってじっくり読むと

物質的貧困とは 別の非物質的な貧困の形の存在
物質的搾取からもたらされるものではなく

発展した豊かな社会にも 情緒的・道徳的・霊的貧困が見られる
ということ・・を読みました。

まさに日本の場合は 豊かな社会ですから
情緒的・道徳的・霊的貧困が最も 問題視されなければならないと
思います。

派遣きりなどが言われる中
新聞の折り込み求人広告などを見ると ありとあらゆる
驚くほどたくさんの 求人広告が出ています。
仕事なんて 選ばなければいくらでもあるのにな・・
それで 思い通りにならない苛立ちから
人を殺したり 泥棒したり・・・

そこには精神的 道徳的貧困があるのかもしれないなぁ 

援助を強調しいぎる政策が 貧困を生むという結果にも
なったとも書いてありました。
まさしくそういう部分が 日本には多いような気がします。

もっと精神的・道徳的・霊的貧困をなくすような
教育や考え方が日本には必要でしょうね・・

和田神父様が コピーは欲しい人全員に
下さるとのことでした。

ところで ミサの前に
セバスチャンさんが ロザリオを 私と母と相方に
それぞれプレゼントしてくださいました。

青くて、とても綺麗なロザリオです。


セバスチャンさんがドイツに住んでおられる日本人の
ブログのお仲間からいただいたとのことです。

とても嬉しい♪

箕面教会の小聖堂に クリスマスのときから
マリア様と ヨゼフ様と 赤ちゃんのイエス様の
お人形がありますが

子供たちに「ミサが終わってから見てごらん」と後藤神父様が
おっしゃっていて

姪っ子と見に行くと 東方の三博士のお人形が
並んでいました。












2009-01-05 16:48 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
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おつるファミリー 岡山一泊 旅行記 そのA 岡山城
朝、娘たちは
相方のいびきと 歯ぎしりで眠れんかったらしいです笑

朝ごはんは 大広間で・・・
朝ごはんもとっても美味しかった♪

山佐本陣 http://ww32.tiki.ne.jp/~yamasa/index.html
飾ってある写真ょ見ると 大正時代の
岡山駅前の旅館として 由緒ある旅館だったのですね
どおりで玄関に 大きな日の丸が掲げてありました。

倉敷にある瀬戸大橋のふもとにできた
鷲羽山ハイランドホテルという新しくて立派なホテルが
チェーン店、日本料理店も系列なので  だから お料理がおいしいのね。

古くて ぼろっとした旅館だけど
子供たちが暴れても 気がはらないし 一万円では大満足!!
なんと お正月以外なら 8000円ぐらいで二食つきでお泊りできるみたいです。

旅館で 仲居さんと記念の集合写真♪


そして 岡山城へ・・・

御堀には綺麗な白鳥がいました

岡山城は、大東亜戦争中の アメリカの都市爆撃で
燃えてしまったので 今から30年前に当時の形を
再建されたものだそうですが 中は鉄筋になっているそうです。

日本は戦争中、敵の文化財や城、史跡を壊さないよう
できるだけ注意をはらったといのに・・ ひどいなぁ
そこが日本人の美徳なのですよね〜

黒いから 烏城と呼ばれたそうです。美しいです。
やっぱりお城はいいなぁ


中にはいろいろ刀や鎧などが展示してありました。

裸一貫から戦国大名までのぼりつめた梟雄
宇喜多直家と息子の秀家が建てたお城・・・
でも関ヶ原の合戦、激動の時代で 秀吉の猶子小早川秀秋
家康の外孫の 池田忠雄と 城主が変わっていく・・

宇喜秀家に嫁いだ 豪姫のおべべも飾ってありました

お城の中に 殿様・お姫様 無料お着つけサービスコーナー発見
先着三名様までなので 

ギャル娘と 甥っ子りきと 姪っ子あすちゃんが変身


ギャル娘がお着つけしてもらっていると
なんだか 観光客がぞくぞくと集まってきて
外国人観光客さんたちが 写真を撮りはじめました。 

あー おつるも鶴姫やりたかったー。


りきくんは若殿です 照れてます


かつらかぶると 可愛い笑


ちび あすちゃんは あんみつ姫


やっぱり日本人は 着物やねぇ〜

岡山城 なかなか素敵〜でした。

金沢の兼六園、水戸の偕楽園、岡山の後楽園の三大名園と
呼ばれるお庭も綺麗でした。

美味しいおぜんざいや 抹茶をいただいて
そして みんなでサービスエリアでお食事して帰宅〜〜

 よぅ 飲んだ〜







2009-01-05 14:35 | 記事へ | コメント(13) | トラックバック(1) |
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おつるファミリー 岡山一泊 旅行記 その@
1月1日の 教会のミサから帰宅
      いそいで着物を脱いで・・・いざ、岡山へ♪

電池式じいじ・クリスチアーナおばあちゃん
妹    おみつ 
妹の長男 りき(最近 お洒落ギャル男になりつつある中三)
妹の長女 あす(小学三年生)
妹の二男 てんち(小学一年生) そしてうちの一家 4人の 総勢 10人

車二台に乗りこみ 出発〜〜

母は経理事務のお仕事をずーーっと続けているので年末は毎年 ギリギリまでお仕事、しかも会社のおもちつきのお手伝いや大掃除などで へとへと・・・ 妹もギリギリまで 医療関係の仕事・・・

というわけで 結構 お正月だけは あげ膳・すえ膳したい・・・
と 今までも安いお宿や公共の宿を探して一泊することが多いのだ。

今回は妹 おみつがネットで探したお宿
(最近、公共の宿は案外 高いのだ・・グリーンピアとか厚生年金会館とか・・・)
お正月は お正月料金で普段より特別料金で 高いところが多いんだけど
なんと 一泊朝食夕食つきで 1万円!!を探してきた おみつ。 
 おみつ でかしたっっ

しかし 「岡山 山佐本陣」名前が 古めかしい・・しかも山あいの温泉とかじゃなく むっちゃ駅前 ぼろぼろの旅館やったりしてー。

じゃらんとかのネットで 口コミを読むと
「真珠風呂がラブホテルみたい」笑
「暴走族の走り回る音がうるさかった」笑「かなり古い」笑

でも 真珠風呂・・・おもしろそう♪

中国自動車道〜山陽自動車道
結構すいているけれど、妹の暴走族まがいの荒ぶる運転についていくのは怖い〜  まだ 死にたくないよぅーー 別にスリルとサスペンスはいらんし・・

しかし・・・なんだか最近のサービスエリアのトイレが どこも 
高級ホテルのトイレみたいで驚いたー。 この予算はどこから???

サービスエリアでは じいじをトイレにつれていくのが一苦労
全員で介護状態 足が悪いから 手つないで 肩支えて
ズボンおろしてあげたり〜  脱げた靴履かせたり〜

「じいじ、殿様状態やんっ ええなぁっ 幸せやなっ」というおつる笑

三時間で岡山到着〜〜

旅館は・・・・古い。 ロビーのじゅうたんとか 天井のライトとかが三丁目の夕日的懐かしさ??  なんだか懐かしい・・・笑
ソファーが えんじ色のビロード・・
でも フロントのお兄さんとか 従業員のおばちゃんは むっちゃ親切。

車いすにじいじを乗せて 運んでくれるぅー また 殿様気どりのじいじ・・・

廊下の壁が 昔懐かしい塗り壁で キラキラしたラメ入りのやつ
昔の実家がこの壁で、よく小学校のとき「キラキラのラメが 顔についてるでー」と言われたなぁ笑

案内されたお部屋も古いけれど とっても広くて たたみや壁紙が新しく改装してあって 清潔で リラックスできました♪

到着してすぐ晩御飯♪  
御隣りの部屋へ案内されていくと・・・わぁ結婚式みたい。すごい御馳走が並んでたー。



オードブルはお正月〜ってかんじー
わぁ 鯛の口からなんか 金銀のひもが噴射されてるー
子供向けのコロッケとか焼き鳥とか枝豆とか てんこもり〜


さあ 飲むぞぅ  乾杯っっ

お見合い??↓


呑んでます↓ どちらも酒豪です↓どちらも仕事大好き


10代と 50代です↓ 芸術家 


並ぶと似てます↓ 10代と80代の変人 どちらもゲーマー 芸術家


暴れん坊の二人↓ 天真爛漫



死ぬほど飲んでーーー お腹が爆発しそうでしたっ

そのあとは〜

ドキドキわくわく 真珠風呂へー
あれ 真珠のお城が 飾ってあるだけでした笑

あとから聞くと 男風呂に あったらしいです。
真珠風呂〜笑



二日目につづく・・・・・・・・
2009-01-05 13:01 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年01月04日(日)
◆箕面教会新年のミサ 和田神父様の言葉 と ベネディクト教皇様のメッセージA
翌1月1日 元旦の午前のミサは 10時

 昨晩 大みそかのミサの後
和田神父様とワインをいただいて2時ごろまでお話

帰宅して寝たのが4時でした・・

眠いけど8時に起きて いそいで着物を着てーーーーー
(大和ナデシコは お正月は着物です)

母を迎えにいって いざ教会へ

今日もオルガン担当です。

復活祭やクリスマス 大みそか 元旦のミサの
オルガンを担当できるのは ものすごい喜びです。

緊張しますけれど・・・


写真はセバスチャンさんがまた撮ってくれました。↑

お正月なのでたくさんのひと・・・

拝領では オサルタリスO-sa-lu-ta-ris ho-sti-aを
拝領後の独奏は グレゴリオの アベベルムを
心こめて 祈りをこめて弾きました。

世界中のひとが幸せになりますように
中国08憲章の民主化が成功しますように
拉致被害者さんが帰ってきますように
チベットやウイグルや南モンゴルの苦しめられている人々に救いを
世界中の子供たち 日本の子供たちの未来に幸せを・・・

とおつるは 祈りました。

今日の和田神父様のお話でも

昨晩と同様、聖母マリア様が 神の母であることの
コンスタンティノープル ネストリウスの歴史のお話をふまえて
お話をされました。

そのあとで 信徒全員に ベネディクト教皇様のメッセージを
昨日と同じようにお話され、
やはり 貧困は人口増加にも原因があるというのは間違いで
人口増加と貧困は関係がないんだ、
人口増加による貧困を防ぐ名目で中絶が行われ殺人が行われる
ということ、これは 全人類の中でもっとも貧しい者を滅ぼすことだと強調されました。
子供たちには正しい道徳感、性についての正しい教育が
行われることが大切と

そしてそういう事に対して 取り組まない
正義と平和協議会に対して 私は憤りをつねに感じていると

またも はっきりとおっしゃいました。

新年、素晴らしいごミサでした。



教皇ベネディクト十六世 2009年
「世界平和の日」(1月1日)メッセージ
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/peace/09peace.htm

素晴らしいミサでした。

終わってから記念写真

聖歌隊 三人娘???↑です




2009-01-04 03:27 | 記事へ | コメント(14) | トラックバック(1) |
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◆箕面教会新年のミサ 和田神父様の言葉 と ベネディクト教皇様のメッセージ@


12月31日 大みそか 箕面教会のミサ


相方と私は 今まで お正月は金沢の相方の実家に帰って
金沢のミサに出たり、お正月の朝 10時のミサには参加したことが
ありましたが

今回は、和田幹男神父様から 大みそかの真夜中のミサに
テデウムのグレゴリオ聖歌をすると
ぜひ音楽を指揮とオルガンの参加をとの お話があり

初めて参加させていただくことになりました。

相方は、大みそか 教会に車で行くなら お酒飲めないと
渋っていましたが・・・・笑

夜の11時すぎに教会に到着。
相方は典礼の準備をしていまる間 オルガンの準備。

聖歌隊はお年寄りが多いので参加できる人は少なくて
若い敬虔なクリスチャンの女性と 男性の二人だけ。
そして 私がオルガン 相方が指揮と先唱です。

つぎつぎと 被昇天修道会のシスターたち
お告げのマリア修道会 パウロ会の修道会のシスターたちが
集まりました。

ミサに参加する信徒さんは いつもの朝のミサでは
見たことのない方もおられました。

ミサは テデウム Te Deumの長いグレゴリオ聖歌から
はじまりました。 
これは伴奏なしで 音だしだけ担当してあとは 一緒に歌い
ました。 はじめてなので難しかったけど素敵でした。

相方と神父さんの美しい声が響きます。
シスターさんたちもさすが 歌える方がおられました。

続いて 灌水式 アスペルジェス・メ Asperges me

この二曲は 和田神父様のご意向で、相方と
事前打ち合わせをしていたのです。

そのあとは 感謝の賛歌や栄光の賛歌など
オルガンは祈りながら弾きました。

相方と私は ひざまづいて祈り、聖体拝領は口で拝領しました。

聖体拝領後は オ・サルタリス O Salutarisを
気持ちをこめて祈りをこめて 独奏をしました。

このミサでの和田神父様の説教は 驚くものでした。

まずは、 聖母マリア様についてのお話でした。

当初のキリスト教徒はマリアを「神の母」とよんで崇拝していた。それは、なによりもイエスの神性を強調する名称だった

が、キリストには二つの分離したペルソナと性質があると主張するコンスタンティノープル総主教ネストリウスが
マリアはキリストの人性のみの母であり,“キリストの母”と
いうべきで“神の母”と呼ぶことに反対した

その神的位格と人的位格の二つの位格が存在するという教義上の立場は異端という神学論争に和田幹男神父は触れられ
その後 エフェソス公会議でキリストの位格(ペルソナ)について神人一体であること、マリアは神の母であることが決定され
ネストリウスは異端とされたということ

553年のコンスタンティノープルの公会議では
聖母の終生童貞の確認がなされたということ

イエス・キリストは二重人格のように神と人とわかれたものではなく
「一つの位格(ペルソナ)」として確認されました。神の独り子は私たち人間の救いのために天より降り、肉体をとって人間となり童貞女(処女)マリヤから生まれました。当然、「神の子」と「マリヤの子」は同じ「子」であるということであると。
マリア様は 神の母であるということ。

そして聖母マリア=教会であるということをお話されました。


そして そのお話のあとで、ローマ教皇ベネディクト教皇様からの
メッセージが 夜9時に届いたというお知らせがあり
そのメッセージを手にとりながら ご説明されました。


驚いたことに
このメッセージは 決して
日本の正義と平和協議会が出しているような
政治的 イデオロギーのようなメッセージとは
まったく異なる
極めて霊的なものである。

ということをはっきりと 強調なさいました。

和田幹男神父さまはさらに 「私はつねづね 日本の正義と平和協議会のイデオロギーや政治的言動には 腹がたっている 怒っているのだ」と 
はっきりとおっしゃいました。



ベネディクト教皇様のメッセージは

貧困と闘い、平和を築くというメッセージであること

ともすれば政治的なメッセージに聞こえ
日ごろ正平教のいう「軍縮」「貧困」などの言葉と
同じような言葉があるけれども 正平教のいうものとは
まったく意味が違うということを 
和田神父様はおっしゃったのです

正平協のような イデオロギー 思想が偏ったみかたで このメッセージを 見てはいけない・・
霊的な見方で 受けとめなくてはいけないと。


特にベネディクト教皇様のおっしゃる
「貧困は人口変動の結果だと考えられることがしばしばあり、そのため、出生率を下げるための国際的な活動がある。
貧困と闘うことを口実に、何百人もの胎児を殺害することは、実際には、全人類の中でもっとも貧しい者を滅ぼすこと

このもっとも大切なことについて 正義と平和協議会がなぜ今まで
言及せず、無視しているのか いつも憤りを感じているのだと

和田幹男神父様はおっしゃいました。

おつるが思うに 正平教は 
中絶は女の権利 産む産まないは女性の自己決定権と主張するようなジェンダー、フェミニスト団体と深く関わっていますが
共産主義的、社会主義的 イデオロギー的活動に偏向し
それを福音と勘違いしている正平教の活動、言動
そういう団体と行動を共にせぞるを得なくなってしまうような行為はキリスト教の教えと整合性がなくなってしまうということなのです。





その他 マラリア、結核、エイズなどの流行病 子どもの貧困
軍縮と開発の関係 食糧危機などに教皇様は触れていらっしゃいますが 「貧困との闘いが真に必要としているのは、深い兄弟愛をもって生き、個人、家族、共同体とともに本当の意味での人間らしい発展の道をともに歩むことのできる人なのです」と

物質的、技術的な援助だけではなく 道徳的霊的な道を
おっしゃっていると。

和田神父様はこうもおっしゃいました。
ともすれば 虐げられる人にのみ目をむけがちだが
虐げられる人と呼ばれるひと 虐げる人と呼ばれるひと
すべての上に神があるのだと・・・・



私と 相方は 和田幹男神父様のお話に
二人で顔を見合わせて 驚きました。
ここまで ミサにおいて あからさまに「正義と平和協議会(正平教)」への批判をされるのは 初めてだったからです。

しかも 正義と平和協議会の活動を盛んにされている
おおさか女性9条の会 そして共産党の赤旗にも
登場した  代表的シスター マリア・コラレスさんや
正義と平和協議会の社会活動に参加されているシスターの
おられる目の前で!!!!

でも 私は この和田幹男神父様の 
この大みそかのラテン語と 荘厳なミサと 
そして聖母マリアが神の母であるという言葉 
ベネディクト教皇様の言葉を お話される姿は 神々しく

涙が出ました。 感動しました。

私と相方の 昨年一年の頑張ってきたことは
神様が見守ってくださって こうして神父様も
同じ思いでいて下さるのだと 本当に幸せに思う 新年の
メッセージでした。

そのあと、修道院のシスターさんたちが帰られたあと
いつも典礼の準備をしている典礼委員の相方のお仲間の
三組の ご夫妻とともに 

神父様のお食事をしたりする 応接間のあるお部屋に
呼んでいただいて 和田幹男神父様 後藤進神父様と みんなで

ワインと 神父様が用意された
とっても美味しい神戸の巨大なゴーダチーズで 乾杯!!



素晴らしい新年のミサでした。

***********************************************

教皇庁立聖書研究所大学院修士 (聖書学科 、旧約聖書学 )
神学博士(教皇庁立ウルバノ大学)
文学修士(上智大学)

和田幹男神父様の研究

 1. 聖書における人間の苦しみと神の正義
苦難のしもべ,神の正義,聖書
研究分野: 宗教学
(個人研究) -
2. 古代イスラエルとその周辺諸国における知恵
知恵,知恵文学,賢者
研究分野: 宗教学
(個人研究) -
3. 死海文書研究
クムラン,写本,ユダヤ教
研究分野: 宗教学
(個人研究)

1. 『聖書』.新共同訳(1987年.日本聖書協会発行).翻訳者兼旧約編集実務委員 (その他 、1972-1987 )
2. 監修吉田信一『旧約聖書を読む』上、第一章モーセ五書(4-43頁),NHK学園,1990年(NHK学園通信講座「旧約聖書」用テキスト) (その他 、1990 )
3. 古代サラミス(北キプロス)調査旅行 (フィールドワーク 、1990 )
4. マルタ島およびシシリー島、カラブリアにおける聖パウロのルート調査 (フィールドワーク 、1990 )


著書

1. 私たちにとって聖書とは何なのか-現代カトリック聖書霊感論序説- (女子パウロ会 、1986 )
2. 聖書年表・聖書地図 (女子パウロ会 、1989 )
3. 聖書Q&A (女子パウロ会 、1990 )
4. 創世記を読む (筑摩書房 、1990 )
5. 新共同訳旧約聖書注解III 続編注解,(共編、共著)担当:エステル記(ギリシア語) 219-230頁,旧約聖書の正典 481-492頁,古代イスラエル時代年表 493-500頁 (日本基督教団出版局 、1993 )
6. 新共同訳旧約聖書注解II(共編、共著)担当:文学詩歌概説15-20頁、ヨブ記21-87頁、邦語参考文献599-603、旧約聖書注解用語解説604-608 (日本基督教団出版局 、1994 )
7. 宗教の人間学(共著)担当:旧約聖書における人間観47-63頁 (世界思想社 、1994 )
8. 神の福音に応える民(共著)担当:旧約聖書の翻訳59-92頁 (リトン社 、1994 )
9. 新共同訳旧約聖書注解(]G0001[)(共編、共著)担当:列王記上3-10章591-609頁、エステル記839-851頁 (日本基督教団出版局 、1996 )
10. 聖パウロ-その心の遍歴- (女子パウロ会 、1996 )
11. ヨブ記 (新共同訳旧約聖書略解(監修木田献一) 日本基督教団出版局 、2001 )














2009-01-04 00:34 | 記事へ | コメント(4) | トラックバック(0) |
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2009年01月03日(土)
あけまして おめでとう ございます。 初春のお慶び♪
 あけましておめでとうございます 

幸せな幸せな お正月です。

昨年度は 御世話になり有難うございました。



振り返ると、昨年はおつるにとって 人生の転機、
激動の一年でした。

 お仕事
 新人のお二人に 春から教えつつ、
 仕事の師である先輩に勉強させていただきながら
 新に増えた責任あるお仕事やりぬきました。

サッカー
 毎週、神戸の北区まで練習に通い、レギュラーとして
 試合に出してもらい、頑張りました。
 春には兵庫県レディースリーグ 準優勝しました。
 来年 春の優勝めざして頑張っています。

 はじめての神戸での 日本代表の国際試合
 神戸サポーターとともに 応援がんばりました。
 田崎ペルーレ最後のホームでの試合 応援がんばりました。

 チームの監督やコーチ、メンバーさんと
 信頼関係がますますできて仲良しになれました。
 とっても素敵な新人さんがたくさん増えました。
 

教会の政治的言動を憂慮する会 との出会い
横浜アクショングループ・カトリックアクション同志会
との出会い


 尊敬する素晴らしい方々、一生の尊敬する信友と出会いました。
 そして「正平教」と戦いがはじまりました。

 東京のカテドラルの荘厳ミサに参加
 正平教 全国大会に参加して 抗議しました
 大阪会議にもなんども 参加しました。
 イエスの惑星BBSが すごい盛り上がりになりました。


フリーチベット

 チベットのデモに 大阪、奈良、京都、神戸と 
 なんども参加しました。

 書写山円教寺にも行き、大樹玄承様にもお会いしました。
 比叡山の宗教サミットにも行きました。
 チベットライブイベントで チベット料理店も頑張りました。
 フリーチベットのお仲間や友達もたくさんできました。

 北京オリンピックの開会式抗議の キャンドルフォーチベット
 米流時評さんに取り上げていただいて
 全国規模での告知になり 日本中の人々とキャンドルを
 灯しました。

 レヒーナのことも知り
 レヒーナミュージカルの方からも連絡をいただきました。

フリーウイグル

 ウイグルのデモにも参加しました。

 札幌医科大学教授 高田先生との出会い
 高田先生のご活躍を応援しました。
 中国の核実験について 告知がんばりました。


日本のために

 日本の子供たちの未来を守るために
 保守の方々と交流しました。

 クリスチャンとして靖国神社にお参りしたことが
 友人の投稿により全国紙に掲載されました。
 東京では 憂国者さんにお会いできました。

 日本を守る自衛隊のことをもっと知りたいという思いが
 荒木 肇先生との出会いに つながりました。

 麻生太郎氏の講演会に参加しました。
 地元の梶田市会議員、市長、こびき議員、加茂県議会議員の
 市政勉強会に参加しました。

 その後、こびき議員事務所を訪問し チベットの事など
 お話を伺いました。
 mixiに こびき議員のコミュニティを作りました。

 民主党保守の 長尾たかし先生の人権擁護法案の勉強会にも
 参加しました。

  日本の若き新保守活動家 久野潤先生との出会い
 により、拉致被害者青山繫晴さんの講演会のスタッフとして
 参加し 南京大虐殺はなかったという 勉強会にも参加しました



クリスチャンとして

 教会のオルガン がんばりました。
 相方とともに グレゴリオ聖歌・ラテン語聖歌を
 取り入れ、カトリック聖歌集など 古き良き伝統を
 伝える教会音楽に取り組みました。
 子供ミサの フォークソング調の歌をとりやめました。

 ベールの着用、跪き、口での拝領を続けました。

 和田幹男神父様の信頼を受けともに ミサや
 伝統の継承についてブログの告知もがんばりました。

 箕面教会の地区長になり バザーやクリスマスお手伝いし
 清掃奉仕もまじめに参加しました。

 母が洗礼を受けました。

家族

 相方は吹奏楽部の指導を頑張り 指導する子どもたちは
 銀賞をとりました。

 長女 ギャル娘は音楽大学で頑張り、教育実習や介護実習も
 頑張りました。 遊びとバイトも恋愛もね

 二女 ちびつるは 美術部部長として
 運動会、文化祭、PTA広報誌などの絵を全部担当し
 学校のホームページにも掲載され ポスターで賞もとりました。

猫の保護

 何度も 捨てられた赤ちゃん猫を保護したり
 何度も病気で亡くしたり 年間 すごい医療費もかかったけれど
 現在また 数匹増えて 9匹は順調に元気です。





昨年のお正月の目標は
 
 「いっぱい 愛する」 

家族 娘 愛して 友達愛して 人を愛して 猫や虫や鳥を愛して
花を愛して サッカー愛して 仕事愛して 
いっぱいの子供たち愛して 愛いっぱいに 生きるのだ。
 

でした。

すごく忙しかったけど、人生の中で最も
充実した すごいエネルギーで 何かに突き動かされたような
神様に何かを与えられたような 激動の一年でした。

すべてがバラバラみたいだけど・・・
でも 全部 私の中では つながっている・・・
すべて わたしにとって大切なことでした。
わたしが 今まで生きてきたことが 
このための 布石(ふせき)だったかのような気がします。

いっぱい愛するだけでなく 愛のために戦った・・
そして いろんな方の愛にも出会うことができました。


本当に昨年 出会えた人々は 私の宝ものです。

そして


今年の目標は・・・・・


 さらに・・・
 もっともっと 愛に生きる そして何も恐れず戦う
 そして みんなに 愛をあげたい  


                がんばります。 

 


2009-01-03 15:16 | 記事へ | コメント(10) | トラックバック(0) |
| おつるの日常 |
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2008年12月29日(月)
天晴くん 1月初旬 渡航へ
天晴くんが 1月初旬 渡航することが決まったそうです


渡航に関するお知らせ - 天晴くんを救う会事務局

(2008年12月01日 10時05分58秒)


これまで、入院予定の病院をUCLA病院として参りましたが、NYにあるコロンビア大学病院に決定いたしましたので、報告します。

この変更は、現在、入院している東京大学附属病院の主治医のアドバイスを参考に、臓器移植を希望して待機している患者の数、病院の受け入れ体制などを総合的に勘案し、本人と両親が決定したものです。
天晴くんを救う会としては、この判断が会の趣旨に適うものなので、了承いたしました。尚、この変更によって、必要とする金額には変動はありません。

現時点では、1月初旬の出発を想定して渡米の準備を進めております。

以上

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お母様より 12月の天晴くんの様子です。

天晴を応援してくださっている皆様へ - 岩田智花 (2008年12月10日 )


変わらぬ温かい応援をありがとうございます。
励ましのお手紙、色紙、千羽鶴など沢山のメッセージも頂いて感謝の気持ちで一杯です。
先日も、小学校時代の友人が、学年のみんなで折りました、
と千羽鶴を届けてくださいました。
仲良く遊んでいた小学生の頃の印象を塗り替えるほど成長・変身していて、
驚きとともに、この時期の子供たちの心身の成長は著しいものがあると実感。
大変眩しかったです。
「元気になって帰ってこいよ。待ってるぞ。」という頂いたメッセージが
力強く、頼もしく、天晴の背中を押してくれます。



天晴は「肉芽ニクゲ」が大きくなってきて痛々しいのですが、
これも再生しようという、生の力なのかなぁと思っています。
今日は全身シャワーをして、洗髪もし、管の挿入部もジャバザァバと洗い流せました。
彼にとってはベッドから降りて、着替えて、洗浄して、着替えてベッドに戻る、のは大仕事です。
今まで以上に清潔にし、感染に気をつけなければいけないので
出来たら週に二度のシャワーの回数を増やしたいのですが、
なかなか本人の了解を得られないでいます。
                                       岩田 智花
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リラックス (2008年12月10日)
シャワー後、ホッと一息「疲れたぁ・・・」



でもサッパリした後は、お楽しみのDVDを見ながらリラックス



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みんなの愛に支えられて
手術が来年初め 成功することを 心からお祈りします 
2008-12-29 01:34 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(4) |
| 天晴くんを救うために |
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◆【特別号】「田母神論文」について-6 『「交戦権」と自衛隊』
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◆【特別号】「田母神論文」について-6                荒木 肇
『「交戦権」と自衛隊』 
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 年の瀬も押しつまりました。あわただしい日々をどなたもお過ごしではないでしょうか。
 おかげさまでこのメルマガの読者も千人を超えることができました。とくに「田母神論文」について書いたところ、部数が加速度的に伸びています。この特別号はもう少し続けてみたいと思います。


▼田母神空将が私たちに問いかけたこと

 さて「田母神論文」は、テレビなどでは、ほとんど騒がれなくなりました。当初から私が問題としたかったのは論文の後段部分です。しかし、報道や批評のほとんどは、感情的な「文民統制擁護」であり、「村山談話に服従しなかった」という非難ばかりだった気がします。
 歴史学の専門家でもない田母神空将の論文、それを無学だ、事実を知らないとあげつらっている方々を見ても、どこかずれているような気がしてきました。

 NHKの「クローズアップ・現代」でも事件は取り上げられました。その内容は、司会のキャスターの発言からすると、「国民が選んだ総理大臣の言葉に逆らった」、つまり、「文民統制」に服さなかったことが許せないということのようでした。

 しかし、田母神論文が、私たちに突きつけた問題は、それだけだったのでしょうか?
 論文や、そのご発言に関して、まるで語られなかったことがあります。
 空将が私たちに問いかけたのは、自衛隊が軍隊かどうか、皆さんはどうお考えかということです。もう一つは、いや国際標準の軍隊ではありません、このままでいいのですかという問いかけでしょう。

 自衛隊は、現状のところ、残念ながら世界各国の軍隊とはことなっています。それについては、たくさんの見方がありますが、今回は「交戦権」ということを切り口にして、私の意見を読んでいただきたいと思います。


▼「国の交戦権は、これを認めない」という文言の意味

 まず、中学や高校で習った第9条のおさらいをしてみましょう。
 第1項では、「戦争の放棄」、第2項では「戦力の不保持」と「交戦権の否認」が書かれています。
 これらについては、戦後、さまざまな解釈がされ続けてきました。その結果が、自衛隊の現状ともいえます。侵略戦争は放棄するが、自衛行動に限っては憲法を逸脱しない。侵略戦争をするような戦力は持たないが、必要最小限の防衛力は保有するという主張が認められてきた結果でもありましょう。

 ここでは、「交戦権」という言葉について考えてみましょう。
 私は中学生時代に、この文言が、なぜついているのだろうと不思議に思いました。交戦する権利とは、敵と撃ち合いをする権利、やられたらやりかえす権利と単純素朴に考えたのです。これを国として否定するなら、自衛官は、どういう立場になるのだろう。敵にやられて、やり返したら違法になるのではないか。そもそも、自衛のためとはいえ、敵を殺傷したり、物を破壊したりしたら、国は認めてくれないのかも知れない。だったら、とんでもなく割に合わない仕事ではないか。

 私の叔父は海上自衛官でした。転勤につぐ転勤をくり返し、引っ越し回数はなんと14回。その費用と、単身赴任ばっかりでお金がかかると叔母はいつもぼやいていました。叔父はふだんは無口な人でした。でも、その態度はいつも颯爽(さっそう)としていました。
 創設当初乗り組んだアメリカ製の護衛艦はよく揺れた、そんな話などを酔った時にはよくしてくれました。仕事についての話は、いつも愉快な内容ばかりでした。そんな叔父や、仲間たちが割に合わない仕事に喜んでついている。これはたいへん不思議な気がしたものです。

 大人の本が読めるようになって、「交戦権」には2つの意味があることが分かりました。
 1つは、国家が戦争を行う権利です。これは、もともと国家が目的をもって、戦争をする権利になります。何が悪で、何が善という価値判断は時代によって変わります。第一次大戦までは、国家の固有の権利として他国の財物を奪い、領土を得るという行動は、今とちがって絶対悪ではありませんでした。それをするために戦争をする、そうしたことを権利として保障したのが交戦権です。

 また、国家が戦争をしかけてきた相手に、自衛のために戦争をすることも交戦権だという考え方もあります。戦争は絶対悪だ……と固定した考えを持つと、交戦権を否定することは、この自衛戦争もしてはいけないとなるのでしょう。

 第2の意味は、戦時国際法に認められる交戦国がもつさまざまな権利のすべてをいうことになります。戦争とは相手国の軍人を死傷させ、物資、資産を破壊・捕獲することです。また、中立国の船舶でも、敵のための物資を積んでいないかなどを確かめるため臨検したり、拿捕したりすることもあります。敵の領土を占領すれば、そこの住民を抑留し、軍政をしき、物資を徴発したり、土地や家屋を接収したりもするでしょう。これらの行動を違法性がないと保障するのが交戦権です。

 この交戦権を認めないということならば、たとえば、自衛官が戦闘行為をする。敵兵を殺傷する。それは即殺人罪や傷害罪に問われ、敵の物資を破壊すれば、即犯罪行為になることとなります。また、自衛官には「戦時捕虜」の資格もなく、降伏し、もしくは捕獲された時、敵軍に保護を要求する権利もないということです。

 だから、小泉首相は、『自衛隊が派遣された土地は戦闘地域ではない』と言い続けたのかも知れません。戦闘地域ではない土地で起きた事件なら、それは自衛隊の部隊が攻撃されたとしても事故にしか過ぎない。個人個人の隊員の正当防衛で処理をしろということです。
 だから、すぐ目の前で国際連合の人や、NGOの人が襲われても救えません。イラクでは、友軍であるオランダ軍やイギリス軍が攻撃されても、自衛隊は手を出せなかったのです。

 自分が狙われて、撃たれて初めて発砲できる。しかも、自衛官の行動は、国内法の「警察官職務執行法」に準じなければなりません。相手が小銃だけで攻撃してきたら、自衛官は無反動砲(肩にかついで撃つ小型の大砲)を撃つことはできないのです。もし、撃てば、国内法でいう過剰防衛で裁かれるかもしれません。小銃には小銃で、手投げ弾には手投げ弾でという法規があるのです。

 このことは、前にお話しした「カバー・プラン」と関係があります。自衛隊は発足時に初めて「防衛出動」が規定されました。それまでは保安隊からひきついだ、準警察官的な「治安出動」だけが決められていたからです。ここでも、自衛隊は軍隊ではありませんという政府与党の主張を見せる「からくり」を使いました。

 この防衛出動でも、自衛隊に与えられた権限は不思議なものでした。
『わが国を防衛するため、必要な武力を行使することができる。(中略)事態に応じ合理的に必要と判断される限度を越えてはならない』

 これこそ、自衛隊がふつうの軍隊とは異なる組織である理由です。列国の軍隊は、国内法のしばりは受けません。「事態に応じ合理的に必要と判断される限度を越えてはならない」というのは、まさに「警察比例の原則」にそっくりです。

 どこの国の軍隊でも、武力は無制限行使・自由行使が原則になっています。もちろん、国際法規によって禁じられていることはたくさんあります。毒ガス攻撃や生物兵器も禁止は当然、一般人を巻きこんだ無差別攻撃もできません。そうした例外は除いて、小銃を持って建物にこもった敵をロケット砲で撃つ、砲弾で粉砕することは自由です。

 これに対して警察は、国内の治安維持が任務になります。民間人に対して権限を乱用しすぎないように、しばりをきつくかけているわけです。ライフルをもった犯人には、拳銃や、せいぜいライフルになります。ナイフをもった犯人に、なかなか発砲しないというのもここから来ているのです。

 自衛隊が海外に出かける時代になっても、このことを論議しない。これが「ふつうではない国のあり方」と言って、間違っていましょうか?


▼陸戦に関する条約と「敵対行為」ができる権利

 交戦法規ともいい、陸戦、海戦、空戦の各法規に分かれます。戦時国際法(現在では武力紛争法という)では、交戦国の間の関係を規制し、行動を律する法規が決まっています。
 ただ、空戦法規については、1922年から翌年にかけて、当時の有力な航空部隊をもっていた日、米、英、イタリア、オランダの間で話し合われましたが、合意することができませんでした。今も、明確なものはないはずです。

 陸・海戦法規は、ほとんどが1907(明治40)年に締結されたハーグ条約によっています。そこには、「敵対行為」という言葉があります。戦争は、一方の意志で始まり、双方の合意で終わりますが、手続き上の戦争が始まらなくても、一方からの事実上の攻撃(つまり「敵対行為」)があれば、陸・海戦法規は適用されることになります。

 ハーグ条約の締結前ですが、日露戦争の開戦も、いわゆる「宣戦布告」の前に行われました。日清戦争も、長い間、どちらが先に発砲したかが不明でしたが、最近の研究で第一発はわが日本艦隊から、これも宣戦布告前に行われたことが明らかになりました。でも、当時は、少しもこれは違法ではなく、国際慣習上からも非難された訳ではありません。こうした敵対行為のときも、規則に従わなければならないというのが、ハーグ条約以来の決まりになっています。

 もっとも、日清、日露戦争のときも、国際条約はありました。1889(明治22)年に、やはりオランダのハーグで結ばれたのが、「3つの条約」と「3つの宣言」です。26カ国が集まって、国際紛争を平和的に処理する条約、陸戦の法規慣例に関する条約、そしてジュネーブ条約の原則を海戦に適用する条約でした。この陸戦法規の中に、すでに捕虜に関する規定があります。日露戦争では、この規定に従って捕虜を待遇しました。

 ところで、敵対行為ができるのは、「交戦権者」だけです。誰でも武器を執ることはできますが、交戦権者=交戦資格をもつ者となれるわけではありません。降伏し、あるいは捕獲されて捕虜としての待遇を受けることができるのは交戦権者だけです。だから、捕虜資格と交戦権には、密接なつながりがあります。

 以前、自衛隊を違憲とした裁判官が、「群民蜂起という抵抗のしかたもある」と判決文に書いたことがあったことはお話ししました。でも、国際社会の現実では、交戦権がない者が武器をもって敵対行為をすることは、ただの犯罪です。一定の条件を満たさなければ、民兵隊、義勇隊、群民蜂起者には交戦資格は与えられません。
 武器を隠し持っていたりすれば、捕虜にすることなく、その場で死刑にしても何の問題もないのです。よく旧日本軍が便衣兵(制服を着ずに抵抗する兵士)や民間人を殺したと非難されますが、そのあたり、事実と異なる誤解もあるようです。

 交戦資格は原則として、国家によって正規に任命された軍人に与えられます。そのため、各国は写真も貼った士官名簿を作っています。自衛隊でも、防衛省には陸、海、空自衛隊の幹部名簿が保管され、各人が登録番号をもっているのです。
 また、正規の軍人が指揮する軍用艦船や、軍用機にも交戦資格が与えられます。だから、旧軍の陸軍御用船(徴用された民間商船など)の乗組員も交戦権者であり、捕虜になることができました。

 1899(明治32)年のハーグ陸戦規則では、第一条で、次のような条件を示して、民兵隊と義勇隊に交戦資格を認めています。
1)責任をもった指揮官が存在すること
2)遠くからでも視認できる一定の記章をつけていること
3)武器を公然と所持すること
4)戦争の法規慣例を守ること

 こうしてみると、わが自衛隊は外見上、たいへん立派な「軍隊」でありながら、交戦権を認めない国の武装組織にしかすぎません。自衛官は、国際法の上では立派な交戦資格がありながら、所属する国家が交戦権を認めないという「ねじれた」存在に置かれているのです。


▼ゲリラやスパイ

 現在、陸上自衛隊では、対ゲリラ・コマンドゥ訓練を行っています。それにあわせて、市街地戦闘の訓練にも励んでいるところです。
 では、ゲリラとはどう規定されているかです。正規兵とは、国家によって訓練されて、記章や制服を身に着けて、単独でも交戦資格を持っている者になります。これ以外に、個人の資格で武力行為がされることがあります。これを不正規兵として、一般にゲリラと呼び、奇襲攻撃をする行為そのものをゲリラと呼びます。
 昔の陸戦規約でも、不正規兵によるテロと無差別攻撃は禁止されていました。

 第二次大戦後のジュネーブ条約でも、交戦資格と捕虜資格はゲリラには認めていません。中国で広く行われた「人民遊撃戦」や前にも書いた「便衣隊」は、当時の日本軍にとって、とてもやっかいなものでした。当時、こうした便衣隊はゲリラと見なされていました。鎮圧する側の損害も大きく、何より戦闘に巻きこまれる一般の人々の数が多くなり、国際的には犯罪とされるのがふつうでした。

 現在では、「民族解放闘争」が幅広く行われたこともあり、ゲリラにも交戦資格を認めることになっています。ただし、これにも一定の条件があり、組織的な命令系統が存在していることなどが条件です。

 スパイという言葉もあります。敵国の領土や、敵の占領地内で、情報を集めたり、敵の作戦行動を妨害したりする行為を「スパイ活動」といいます。それに従事する者をスパイとします。一般住民であれ、軍人であれ、国籍を問わず、その行為をなし、逮捕されたときには処罰されます。捕虜にはなれないのです。ふつうの軍人が捕虜になったとき、その戦闘行為について処罰を受けることはありません。スパイ行為に対する刑としては死刑がふつうであり、それは現在も変わりません。

 だから、占領下フランスの対独レジスタンスなどは、ほんとうに命がけでした。中学生の頃上映された、バート・ランカスター主演の「大列車作戦」という映画がありました。占領下のパリから貴重な絵画や美術品をドイツ軍が運び去ろうとします。その中で、機関車に細工をして故障させたフランス人機関手が、ドイツの鉄道技術将校に見破られました。あっさりと技術大尉は銃殺を命じます。知的で、礼儀正しく描かれた将校でした。部下に処刑を命じるその行為を批判がましくも描いていない……。今でも、その将校の行為は、少なくとも欧米では非難されていないのでしょう。

 外国人宣教師などが日本軍に虐殺されたという話がよくあります。記録を見ると、その容疑のおおかたはスパイ行為です。近代国家の軍隊には、必ず陸海軍刑法があり、その中にはスパイに対する処罰規定があります。もちろん、裁判についての規定もありましたが、さまざまな事情で手続きをきちんと踏まなかったという落ち度も、日本軍にありました。そうした事例の中には、ほんとうにスパイだった人もいたかも知れません。そのあたり、誤解がないようにしておきたいものです。


▼戦争を学ぶということ

 わが国民は、ほんとうに戦争を学ぼうとはしないのだなぁと思わされます。戦争につながること、もの、すべてが嫌いという人もいます。それだからこそ、小学校の国語の教科書には必ず戦争を呪う物語が載っているのでしょう。
 国語の学力を向上させろ、読書力をつけろ、作文をさせろと、教育内容や方法について語る人はたくさんいます。しかし、教材の種類の選定については議論が聞こえてきません。

 2年生が読む「一つの花」、出征するお父さんに幼い子どもが回らぬ口で「おじぎり(お握り)ちょうだい」と駅でねだる物語です。3年生では空襲の最中に家族と離れてしまい、一人で衰弱死していく少女の「ちいちゃんのかげおくり」。6年生でも原爆で家族と死に別れる少女の物語、「石うすの歌」など。

 娘をもつ私には、読んでいるだけで切なく、悲しくなる物語ばかりです。もちろん戦争は悲惨であり、くり返してはならない悲劇でしょう。歴史上にあったことを伝えるということは大切なことだと思います。しかし、私は、情緒的な反戦・厭戦教育だけでは、戦争は防げないと考えてきました。
 


 なぜなら、昔の人だって戦争は嫌いだったはずです。誰だって平和な生活を送りたい。それなのに、どうして戦争は起きたのか。「話し合いをしなかったからだ」などとまとめる授業をずいぶん見てきましたが、それはデタラメでしょう。話し合いに行き詰まったり、お互いの状況が読めなかったりして、戦争は始まるのです。

 戦争のタネはいくらでも身近に見つかります。腹が減れば、子ども同士でも他人に意地悪くなります。不満がたまれば、人に攻撃的になるのです。バカと他人を罵ることで優越感にひたったり、悪口をかげで言ったりしては息抜きにします。自分の周りを見渡して、羨ましいと足を引っ張ります。自分の計画がうまく行かなければ他人のせいにする。匿名のメールで意地悪をする。正義面をして他人に説教し始める。

 要するに、科学的な教育ができてこなかったのです。人はどんな時に、他国人を殺してもいいと思うのか。異文化を軽視して、実力でいうことをきかせようと思うのか。それには、戦争を冷静に学ぶしかありません。多くの矛盾する資料や、残された史料を合わせて考えてみる。戦争は理解し、評価するにはあまりに巨大で、複雑で、迷路です。

 教える側は自分の歴史観や、正しいと思えわれる知識を押しつけないこと。自分の歴史観も発展途上の一つの可能性でしかありません。わが国の学校で行われてきた戦争についての教育は、あまりに被害、加害ばかりをいい、冷静な考察をしてこなかったのです。それは、やはり、ある特定のイデオロギーに立った人たちが主導してきたからでしょう。

 そして、気を遣う必要があるのは身近な人ばかりでは足りないのです。隣の人や、目に見える人ばかりではなく、自分の生活を支えてくれている目に見えない人にも関心をもつ。同じ言葉を話し、同じ文化をもつ国民すべてを気にかける。

「自衛官のことを、同じ人間だと思っていないのですよ」、そう言って悲しい顔を見せた幹部がいました。
 誰だって親もいれば、子もいます。家族がいて、安全に、平和に暮らしたい。そんな当たり前のことが分かっていない。そういう人が増えてきた気がします。
 いや、あるいは、昔からそんなに変わっていないのかも知れません。国民生活に「ゆとり」がなくなってきて、他人を見る優しい眼差しが減ってきたのでしょうか。
 



 年内の配信は今回が最後です。来年は1月8日から再開の予定。「シビリアン・コントロール」についてお話ししたいと思います。
 応援して下さっている皆さん、ありがとうございました。少し早いですが、良いお年をお迎えください。(荒木 肇)


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◆荒木肇経歴
1951年、東京生まれ。横浜国立大学大学院修了(教育学)。横浜市立学校教員、情報処理教育研究センター研究員、研修センター役員等を歴任。退職後、生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師、現在、川崎市立学校教員を務めながら、陸上自衛隊に関する研究を続ける。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。年間を通して、陸自部隊・司令部・学校などで講話をしている。

◆主な著書
「自衛隊という学校」「続・自衛隊という学校」「指揮官は語る」「自衛隊就職ガイド」「学校で教えない自衛隊」「学校で教えない日本陸軍と自衛隊」「子供もに嫌われる先生」
いずれも並木書房刊 http://www.namiki-shobo.co.jp/


2008-12-29 00:17 | 記事へ | コメント(14) | トラックバック(0) |
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2008年12月28日(日)
箕面教会 和田幹男神父様が カトリック新聞に!!
今日は、聖家族のごミサで教会に行き、和田幹男神父様のお知らせがありました。          ◆カトリック新聞、来年より「和田幹男神父様のパウロについての 連載」が毎月、掲載されるということです◆ とても楽しみです。 聖書学の権威で 聖トマス大学の教授もされていた 和田幹男神父様の聖なる記事です。 和田幹男神父様のページ http://mikio.wada.catholic.ne.jp/  それと和田幹男神父様は、麻生太郎氏にクリスチャンとしてぜひ 箕面の教会に来ていただきたいなとおっしゃっておられました。 おつるは、麻生首相お願いのメールをして見ようと思います。           ★動画は先日の和田幹男神父様による母の洗礼式の様子です↓                    つづきです↓ 大みそかは、箕面教会0時から新年のごミサ 1月1日元旦は 午前10時が ごミサの時間です。 どちらもおつるは、オルガンを担当します。 1月1日元旦は、私は着物を着てオルガンを弾きます。 聖歌隊も着物です。 心をこめて新年の世界中のひとの幸せのために祈ります。          そしてtontonさんより素晴らしいお知らせです。→ お知らせします。 大みそかの長崎の聖母の騎士修道院でのミサの意向を依頼しました。 中国やチベット、インドなどの宗教弾圧によって命を落とした方々のため。 皆さんもお祈りください。(tontonさん)
2008-12-28 23:47 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
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2008年12月26日(金)
箕面教会クリスマスA  コンサート O HOLY NIGHT
「きよらかな夜の空に」 O HOLY NIGHT Adolphe Adam 作曲 指揮相方 伴奏おつる 歌 箕面教会聖歌隊 聖歌隊長、指揮者は動画を見て「バラバラやなぁ・・もっと練習しなあかんなー」と言ってます笑  でも一生懸命で綺麗な声でした。  おじいちゃんや おばあちゃんもまじった たった 12人の聖歌隊。 聞いてくれたのは 250人ぐらいでした。 一生懸命頑張って 綺麗な声出してて  おつるは 褒めてあげたいです
2008-12-26 00:00 | 記事へ | コメント(4) | トラックバック(0) |
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2008年12月25日(木)
箕面教会クリスマス@ クリスマスミサ 
Merry Christmas!!


フランチェスコさんが下さったとても素敵なカード
ジャンヌダルクのクリスマスカード感激しました

    St. Joan of Arc




        I fear nothing,
         for God is with me!

             —St. Joan of Arc



〜箕面教会 クリスマスのミサ〜



私は 地区長さんなので(超たよりないですが・・・)ミサの後のパーティに向けての シチュー作りのため 3時すぎに 到着。

もう私が到着した時には  じゃがいもやにんじん、玉ねぎを切ったり・・のだいぶ下ごしらえができていました。
  みなさんありがとうございます。 感謝・・・

他の方々はいったん 自宅に帰られて
2地区の地区長さんと一緒に 大きな鍋で シチューを200人分!!

2地区の地区長さんが いつもガールスカウトのお世話などで
こういうことをいつも奉仕されている方なので
完璧!! にできあがりました。  味見するととっても美味しい

とっても早くから来ていたセバスチャンさんとしゃべったりした後
6時からのコンサートリハーサルのためにオルガンを練習しました。


そして 6時から クリスマスコンサートのリハーサル
子供たちも可愛い歌声、聖歌隊も気合が入ってます。

おつるは 小さな男の子に
「ヨーロッパは 男の子の声がきれいで 少年合唱団って
あるんやでー、む 男の子 大きい声がんばって出しやー」
とか ちょっかいかけてます(写真)

リハーサルが終わり・・・・・
ちびつるとちびつるのお友達も 中学の制服を着て到着
母も到着ー。


教会の鐘が鳴り響きます。










19時よりクリスマスコンサート

聖劇のかわりに物語の朗読を相方がしながら

1曲目はグノーの アベマリア
相方のリコーダー独奏と おつるのオルガン伴奏♪

2曲目は ずっと練習してきた グレゴリオ聖歌
Hodie Christus natus est
を伴奏なしで 聖歌隊のアカペラです。
すごく美しい


聖歌隊の男性メンバーです。
画家のメンバーさんの教え子さんで 今日、はじめてきた
音楽専門学校生のおしゃれな男の子も急遽参加!
初めてなのに さすが音楽の勉強をしてるだけあって うまいです
いきなりグレゴリオが歌えるんだもの・・・↓


3曲目はグノーの Adeste Fideles



そして 子供たちの可愛いクリスマスキャロルメドレーのあと


最後に「きよらかな夜の空に」 O HOLY NIGHT
Adolphe Adam 作曲
です。

この歌は セバスチャンさんが動画を撮ってくれて
you tubeにアップしてくれました♪
つぎの 日記ページに アップします。

コンサートもたくさんの方が 来てくださっていていました。

19時半・・・・聖堂が暗くなりミサがはじまりました。

ろうそくを灯し、祈ります。


今日のミサは グレゴリオ聖歌の
Hodie Christus natus est
から はじまりました。

和田神父様のお話は素敵でした。

子供たちの初聖体も可愛いかった・・・


しずけきや  あめにはさかえ
まきびと・・・・

聖体拝領の時は コンサートでも歌った
まきびと もろびとこぞりて Adeste Fideles をラテン語で

そして聖体拝領のあとの祈りの時間は 
Ave verum をラテン語で・・・

聖体拝領の時は 後藤神父様の列に並びましたが
自然に口を開けていた自分がいて・・・

洗礼以来 久しぶりに 口で拝領させていただきました。
とっても うれしかった



神父様が ミサが終わってから
「カトリックらしい、荘厳なミサになりました」と
おっしゃってくださいました。

カトリックアクション同志会にだいぶ以前から入っている
年配の男性も 「荘厳なミサでした」と褒めてくれました。

これも カトリックアクションの 赤羽根恵吉様が 赤いパンジェ・リングァの本を贈呈して下さったおかげです。

そして、聖歌隊長の相方の要望を ラテン語の素晴らしい和田神父様
が受け止めて下さり、ともにミサをつくりあげてきたおかげです。

感動のミサでした。。。

世界中の子供たちのために 日本の国と子供たちのために・・
チベットやウイグルや世界中の苦しむ人のために・・
拉致被害者のために・・・

いっぱい お祈りしました。オルガンがわたしの祈りなのです



昨年の倍近い人数、250人以上の方々が
来られました。 すごいことです。



 ミサの後は、地下で クリスマスパーティ

一生懸命作ったシチューが 大人気。
おつるは シチュー係りで おお忙しー。
三杯もおかわりしてくれるひともいて 作った甲斐がありました。


しかし 5時〜9時まで オルガンを弾いて
オルガンフルマラソン状態。。  
ものすごい神経を使うのと 祈りで全身全霊をこめて
伴奏を 弾くので マラソンを完走したぐらいの
達成感と脱力感なんですが・・・

昨年もですが ひじから下の腕と手が 骸骨になっていました。
ひぇー
(しかし、二の腕は変わらないのよね・・・笑)
帰宅してビール呑んだら つぎの日には元どおりでしたが・・・
ってことは 私の体は ビールでてきているのね??

パーティのビンゴゲームはちっともあたらず・・・

しかし 全員の中で一番に
洗礼を受けたばかりの母親が ファーストリーチになり

そしてしばらくして ビンゴ!!

賞品は 「神の河」という父親がおお喜びしそうな焼酎!!

これぞ 神様のお恵みね
母もおお喜び


25日もミサに行きました。

25日は、後藤 進神父様のごミサでした。

後藤 進神父様の お話も素敵感動しました。

神父様は 「はじめにことばがあった。 ことばは神とともに
あった。 ・・・」のヨハネの福音について
詳しいお話をして下さり、真理と 神様の真実 誠実について
深いお話をして下さいました。

このクリスマス 

この二日間は 聖なる気持ちになりました。

昨年のクリスマスにも 一生懸命お祈りしたけど
そのとき 考えてもいなかったことが
私に 一年 いろいろおこりました。

素晴らしい人との出会いも たくさんありました。

ものすごく幸せです。

来年のクリスマスは どうなっているかな・・・・

私だけでなく 世界中のひとが 幸せでありますように

















2008-12-25 22:09 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(1) |
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