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(元)登校拒否系 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2008-12-25

飯島愛の先生

飯島愛の先生 - (元)登校拒否系 を含むブックマーク はてなブックマーク - 飯島愛の先生 - (元)登校拒否系 飯島愛の先生 - (元)登校拒否系 のブックマークコメント

 最近はテレビをほとんど見なくなってしまった。ネット中毒だからだ。

 正確にはテレビ番組を見ることはあるが、YouTubeで見る。


 さて、このたびの訃報にせっして、ふと思い出したことがある。

 僕がまだテレビっ子だったころのことだ。


 久米宏が司会。たぶん。よく覚えてないけど。

 それは「成功者の半生」を再現して、本人がスタジオでコメントする、みたいな番組だった。

 それで飯島愛が出てきた。

 そう、彼女が「成功者」であった時代があったのだ。

 そしてこれはそのころの話だ。


 彼女の半生は壮絶なものだった。

 その中のエピソードとして、超ウルトラ最低な教師に出会ってしまったという話があった。

 そしてそれを「きっかけ」の一つとして彼女は不良街道に突入するのであった。。。

 詳しくは覚えてない。たぶん、彼女の自伝を読めば書いてあるんじゃないかな?

 僕は特に興味がないから、記憶を確かめたいとまでは思わない。


 さて、たとえば不登校児の語りを収集してみるとわかることなんだけど、この「きっかけ」というものほどアテにならないものはない。

 少なくとも「原因」とはまったく別物として見るべきだ。


 というのはここではどうでもいいことだ。

 話を続けよう。


 再現VTRが終わって、久米宏が、以下のような発言をした。

 いや、もちろん発言内容は覚えてない。

 ただ、悪い教師に出会わなくて、良い教師に出会っていればよかった。

 と解釈しうる発言をした。


 それに対して飯島がどんなリアクションを示したかは覚えていない。


 でも僕にとってはショッキングなことであった。

 さまざまな感情がごちゃまぜになって到来した。

 怒りなのか、悲しみなのか、くやしさなのか?





 当時の飯島は「成功者」であり、そういう者としてそこにいた。

 そして彼女は過去に壮絶な体験をしていた。

 そういう役割を、その番組のなかでは与えられていた。


 であるとするならば、彼女の半生における重要なエピソードがなかった方がよかったと捉えることは、現在の(=当時の)彼女にとってどんな意味があるのか?


 過去を取り消すことはできない。

 取り消すことが可能なのだとしたら、答えは決まっているのかもしれない。

 けれどもそれが無理だとしたら、これは難問である。


 そして彼女は「成功者」だった。


 そのことが、この問いに対して一つの角度を与えていた。

 あの苦しみがあったからこそ、今の彼女がある、という例のあの言い方だ。

 これについては、ずいぶんと前に↓で書いた。


「登校拒否解放の(不)可能性」前編 中編 後編


 さてそれから時間がたった。

 半生があり、半生を振り返る時点があり、それもまた半生、いや全人生の一部となった。


 そして最後の瞬間に飯島愛は「成功者」ではなかった。

 実際のところは知らない。

 しかしマスコミ物語的にはそうだ。


 そして今こそあの問いが本当の意味で試されている。

 少なくとも僕にとっては。






プラトニック・セックス

プラトニック・セックス

  • 作者: 飯島愛
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2000/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

jam-014jam-014 2008/12/25 02:46 ≪さて、たとえば不登校児の語りを収集してみるとわかることなんだけど、この「きっかけ」というものほどアテにならないものはない。
 少なくとも「原因」とはまったく別物として見るべきだ。≫

どうでもいいこと、と書いてある部分にコメントするのもあれですが、
仏教の一派では、因は縁によりて果となるという考え方がありますね。
結果から原因を特定もできないし、原因が必ずしも、結果を生むわけではない。
「きっかけ」は縁に近いものだと思いますが、それもまた独立してあるわけでもないのでしょう。

ビタースウィートビタースウィート 2008/12/29 12:19 某サッカー選手は、高校の頃先輩からいじめに会い、オリンピックに出て見返してやると見栄切って、実際日本代表まで上り詰めたようです。彼は当時のことを振り返りあれは当時としてはマイナスの出会いだったが今となってはプラスの出会いとなっている・・だから彼らにも感謝しないといけないのかもというような言い方してました。後、普通のOLしてた人が余命○年だがの病気を宣告されて人生について深く考え始めるとか・・何が起きるか、誰と出会うか私たちは選べないのでタラレバっていうのは本当に無駄ですね。少し前子供に悪魔という名前をつけようとした人がいて、その子に逆境を乗り越えて強く育って欲しいからその名前をつけたようです。でもそれは(少なくとも親には)選べるから逆境にならないと思いますね。

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