2008-11-28
10万はてなポイントを進呈します。東浩紀の歴史修正主義を基礎づける記述が<デリダの文献にある>ことを発見できたら
東 世界にはいろんな立場の人がいます。たとえば、南京虐殺があったという人となかったという人がいる。ぼくは両方とも友達でいます。このふたりを会わせて議論させても、話が噛み合わないで終わるのは目に見えている。なぜならばふたりとも伝聞情報で判断しているからです。歴史学者同士なら生産的な会話は可能でしょう。しかしアマチュア同士では意味がない。(中略)ちなみにぼくは南京虐殺はあったと「思い」ますが、それだって伝聞情報でしかない。そういう状況を自覚しているのが、大塚さんにとっては中立的でメタ的な逃げに映るらしいですが、それはぼくからすれば誤解としかいいようがない。
大塚 南京虐殺があると思っているんだったら、知識人であるはずの東がなぜそこをスルーするわけ?知識人としてのあなたは、そのことに対するきちんとしたテキストの解釈や、事実の配列をし得る地位や教養やバックボーンを持っているんじゃないの?
東 そんな能力はありません。南京虐殺について自分で調査したわけではないですから。
大塚 でも、それを言い出したら何も言えなくなる。柳田國男について発言するのは柳田國男以外できなくなってしまう。歴史学自体がすべて成立しなくなってしまう。資料はすべて伝聞情報だからね。一次資料だって誰かのバイアスがかかっているわけで、南京虐殺論争だって、そのバイアスの部分で虚構と言うのか、あるいはバイアスを取り除いたところであったと言うのか。とにかく、東浩紀っていうのは、結局は人は何も分からないって言ってるようにしか聞こえないよ。
東 ある意味でそのとおりです。
大塚 (前略)つまり君が言っていることっているのは、読者に向かって、君は何も考えなくていいよと言っているようにぼくにはずっと聞こえるんだよね。
東 ええ。それはそういうふうにぼくはよく言われているので、そういう特徴を持っているんだと思います。
大塚 そうやって居直られても困るんだって。(209〜211頁)
http://watashinim.exblog.jp/8879908/ より孫引き
[↑読んでません。]
東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第6回(11/14)
(前略)
南京大虐殺について僕はあると思っている
しかしあるという奴とないという奴がいてこれを調整するのは不可能
いくらでも理論武装することは可能
この世界で公共性を考えるなら、まずあるいう奴とないという奴がいるんだ、
ということからはじめないといけない
と書いたところ、案の定批判が来た
批判が来るに決まっている発言
まさにそのまんまの反応が来る
何故分かっているということを信頼できないのか
左翼系の公共性の議論は突飛に見える
しかし公共性の定義の通りやったらそうなる
絶対的な真理なんかない
討議は無限に開かれていないといけない
僕はそういうところが出自なのでよく知っている
そのまんま実現するなら、南京大虐殺はあるという奴とないという奴が要る、という包摂
しかし歴史的真実は一個である云々
僕の発言がどこから出てきているのか
デリダ
指導教官は高橋哲哉 『靖国問題 (ちくま新書)』で有名
デリダを通ってしまうと、歴史的真実とか言えなくなる
言うということはデリダを裏切る
左翼とかポストモダニストが言っていたことはそういうこと
という文脈で話をしていたのだが、本では南京の部分だけが残された
それがネットにコピペ
ばーっと批判
いやいやいやいやいやいや。それはないないないないない。
まず、へんなエクスキューズがあってごちゃごちゃしていますが、東はここで明確に歴史修正主義の立場に立っています。7兆歩ゆずっても、容認はしてるでしょう。
で、それがデリダから出てくる?
ありえないってwww
言っておきますが、僕はデリダを読んだことがありません。
けど断言できます。それはないってば。
あのね、もちろん、いま私が見つめているスクリーンは本当に存在するんだろうか? とか。このコップをつかんでいる感覚はあてになるんだろうか? とか。自分以外の人間は実は火星人で、自分が見てないときにはパパもママも爬虫類のような姿をしてるんじゃないだろうか? とか。エッフェル塔は本当に存在するんだろうか? とか。
そういう疑問はありえます。っていうか、だいたい誰もが子ども時代に一度は思うことじゃないでしょうか?
そしてそのレベルにおいてであれば、当然「南京虐殺はあったと「思い」ますが、それだって伝聞情報でしかない」と言えますよ。そのような懐疑を一貫させれば、社会生活は不可能になりますが。
けどね。その種の懐疑というのは別にデリダの専売じゃないし、さっきも書いたように普通の人がふと抱いたりするものです。
それじゃあ東はデリダから何を引き出したのでしょうか?
というわけで、年末特別企画です。
デリダの文献から、歴史修正主義を正当化ないし容認する記述を見つけてください。
第一回ツネオ杯ゼロ道場アカデミー
一等賞:南京大虐殺否定論への容認を見つけた人→30万はてなポイントを進呈します。
二等賞:ホロコースト否定論への容認を見つけた人→20万はてなポイントを進呈します。
三等賞:具体的な事件への言及ではなくても、歴史修正主義一般を容認している記述を見つけた人→10万はてなポイントを進呈します。
締め切り:年内
*もし各賞に該当する記述を見つけた人が複数いた場合は、賞金は先着一名様のみとさせていただきます。また、一人で複数の賞に該当する場合は、最も高額な賞のポイントのみをお支払いします。
**日本語・英語で比較的容易にアクセス可能な文献に限らせていただきます(デリダは山のように翻訳されてるんだから、いいでしょ?)。
***該当箇所だけでなく、それがデリダ哲学全体の文脈の中でどのように位置づけられるのかということも示してください。っていうのが難しくても、少なくとも該当箇所を含む論文または章の文脈を踏まえてください。
****人によっては違う意味で使うこともあるようですが、ここでの「歴史修正主義」とはホロコースト否定論や南京大虐殺否定論などなどなどのことです。したがってデリダがこの言葉を肯定的に使っているかどうかということではなく、↑の意味での歴史修正主義を容認しているかどうかを探してください。
参考
みなさま、ふるってご応募ください。もちろん東さんご本人からの応募を最も期待します(東さんのお友達がいらしたら、この企画のことをお伝えください)が、誰でも応募できます。
なんで賞金を用意するのかって? 絶対に見つからないと100%確信してるからです。
逆に入賞者が出なかったとしても、僕は何も求めません。リスクフリーだからです。
なんでデリダを読んでないのにそんな自信があるのかって?
常識があるからです。
ところで最後に、よい子のみんなにツネオからのお願い。
「永遠の嘘をついてくれ」――「美しい国」と「無法者」の華麗なデュエット
↑これをブクマして。読んで。そして知り合いの編集者に紹介してください。これと「はてなサヨク」数名の方の文章をセットにして出版すれば、飛ぶように売れると思います。なお、これは確信じゃなくて、「根拠なき希望」です。
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- 松下昇?〈 〉闘争資料 - ”事実も又成長する”
- 女教師ブログ - ホロコーストを容認してる、、、、よね?
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ほんとはデリダの本は俺が書いていたんだと、正直に名乗り出てくれた日本人には、3万ポイント進呈するというのはどうでしょう。
PS高額所得者は辞退が望ましいと思います。
この発言には切れました(怒)。東は自分の言論の権威づけのためにデリダの名前を利用することは、本当にやめてもらいたいと思います。デリダの名前は東の人生設計のための「ネタ」ではありません。鵜飼哲や高橋哲哉らデリダ研究者は真剣に反論すべきです。デリダのためにも、東は有害です。東はいまだ「デリダ研究者」を名乗っているのですから。「僕は郵便的誤配」と居直って、東はデリダを利用しているだけです。
残念ながら、デリダの中に歴史修正主義的言説は一言たりともありません。
彼の言説は一貫して下記の意識に貫かれています。初期も中期も後期デリダも関係ありません。
「ヘーゲル・マルクス・ハイデガーにたいして歴史の終わり(ここ注目)や没歴史性を対立させるためではなく、逆にこの存在−神学−始原−目的論が歴史性に閂をかけ、歴史性を無力化し、そして最終的にはそれを無化してしまうことを示すためであった」(「マルクスの亡霊」p168)
上記の本は1990年以後、つまり東のいう「大きな物語」の終焉以後書かれています。「歴史が終わった」から、と「動物化する」東とえらい違いです。
「(・・・)もうひとつ別の歴史性を考えることであった。歴史性を断念しないことを可能にし、むしろ逆に約束としてのメシア的かつ解放的な約束の肯定的思考へアクセスを開くことを可能にするような歴史性としての出来事の別の開口を考えることであった」
「それはあくまで約束としてであって、プログラムとしてではない。というのも開放への欲望を断念すべきかどうか。むしろかってないほど、その欲望に執着しなければならないと思われるからである。しかも「ねばらなない」の「破壊不可能性」そのものに対してと同様に執着しなければならないと。これこそ、再−政治化の条件であり、もしかすると別の「政治的なもの」の概念の条件でもあるかもしれない。」(「マルクスの亡霊」)
すごい! すばらしい企画です。ぜひコラボで実現しませんか? 僕は釣り文作成を担当します。jam-014さんはスポンサーになってもらえますか? 僕はこのエントリーですでに10万円つんでるので、とりあえずこれに専念したいと思います。
>gensyouさん
まずいっすね。ただ、普通のネット右翼の水準ですんで、東さんが特別ひどいわけではないですけどね。でもひどいよねー。
>takashitujiさん
デリダ自身のテクストご紹介ありがとうございます。僕自身は、デリダはどっちかっていうと嫌いなので、彼の名誉が傷ついても気にしないのですが。。。でも、僕もマルクスについては崇拝してるので、takashitujiさんの気持ちもわかるような気がします。
引用していただいたデリダの文章は、残念ながらというか予想通り100%理解できませんでした。けど、(トンデモ版)歴史修正主義を誘発しそうなものでは、とりあえず少し安心しました。ありがとうございます。
×とりあえず少し安心しました
○とりあえずなさそうなので安心しました。
あったなかったをすべて伝聞情報と片づけるのは少々乱暴な気がします。
一次史料自体にバイアスがかかっているのは当然であって、総合的に一次史料を多く調査して検証するしかありません。
事実を客観的証拠で裏付けるならこの場合、法医学と考古学での鑑定作業も必要になります。
話を純化してはどうでしょうか。
ところで私もTOEIC学習しているんですが、はっきり言って恥ずかしながら点が伸びません。750前後で止まって嫌になっています。デリダとか余計なもの読んでるからかもしれません。とりあえず学習法としては、旺文社の「英単語・英熟語1800」を聞く。「英語耳」(ASCII)をやる、日経ウイークリーを読む。グレゴリークラークのNIKKEIWEEKLY解説を聞く。です。テスト対策は特にやっていません。実感としては、学校で習った英語学習洗脳が忘れられず、なにか努力が空回りしている、という印象を持っています。グレゴリークラークのゆるい、経済記事解説英語守ピーキングは、文脈が分かっているからか、聞き取れます。何かTIPはあるでしょうか?。
文部省ですら「日本や東アジアの近現代史の専門家がおらず諸説には含めない」としている「説」ですなぁ。ちなみに「南京市を攻めた日本軍の兵隊の総数」って、南京城およびその近郊に向かった部隊だけで6個師団(プラス司令部直轄の諸部隊)、中支那方面軍全体では9個師団以上になるんだけど、それがどれくらいの人数になるか、わかってます?
>Apeman
あはは、まさに話がかみ合ってないですね。でもね、まおさん、ちょっぴり厳しい言い方になりますが、今回はApemanさんの方が正しいです。ごめんなさい。でも事実なのでいかんともしがたいのです。
まず、学校英語は理想とはほど遠いですが、そこで努力したことは決して無駄にはなりませんよ。「自分は間違ったやりかたをしてきた」と考えるよりも、「学校英語で得た知識を基礎にして、さらに英語学習を続けよう」とポジティブに考えた方がいいと思います。
A: TOEICにまだ慣れていない場合の対策
1.
TOEICはテストです。そしてテストには傾向があり、それに対応した攻略法があります。まず、TOEIC参考書を1冊やって、ストラテジーを習得しましょう。ただし、一般に流通しているストラテジーが必ずしも万人に有効というわけではありません。専門家の指導を参考にしながらも、最終的には自分にベストな解き方を作っていきましょう。なお、僕の友人が書いた以下の書籍には、一般的な攻略法が、そのメリット・デメリットまで手短に示されています。
http://www.amazon.co.jp/新TOEIC-TEST「正解」一直線-増補コンパクト版-神崎-正哉/dp/4896848217/ref-toled-22
2.
TOEICでは、特にリーディングセクションで全ての問題を解ききることが重要です。『新・公式問題集』で、本番同様に時間を計って時間配分の練習をすることをオススメします。
ながくなったのでこの辺にしますが、YouTubeにはデリダの英語でのインタビューなどが結構ありますよ。"derrida"で検索してみてください。
どうもありがとうございます。TOIC4回受けたのですが、まだなれないということなのでしょうか?(とほほ)推薦の本買っています。
ところで東氏から以下のコメントを頂いていますね。ありがたい話です。
>デリダが上記のような主張をしたとは、授業ではひとことも言っていな
>いし、ぼくもそんことは主張するつもりはまったくありません。それは単純な誤解、というか速記の恣意的な読みこみです。
>したがって、「東浩紀のデリダ解釈がおかしい!」とか言っているらしいひとは、単に的を外しています。この点については速記者(id:nitar)に確認をとってもらってもけっこうです。
しかし真実は分かりません・・・なぜならその東工大の授業を見たわけではない訳ですし、一次資料である現場はもはや存在しないわけですから、われわれとしては東氏本人を含む、その過去の授業に対する伝聞情報で判断するしかありません・・・(なんちゃって)結局人は何も分からないと言わざる得ない・・・(なんちゃって)
つまり東氏の情報技術論・ネット議論論・公共財論を敷衍するとこういう形での議論の展開を受け入れざるを得ないんじゃないか?という疑問があるわけです。
「ぼくが公認してもいない速記の断片的引用ばかりがコピーされ」てもシステムが回るような公共財を思考しようとするのが、東氏の議論の肝なのではないでしょうか?
>の授業に来て質問したらいいのではないでしょうか。
つまり肝心のところは、公共財ではなく、公共的議論に頼らざるを得ない、ということになってしまうのではないかと、思うのです。
すいません。買ってみます、です。
この問いに、「それは反論のための反論」、「議論のメタに悪意を持って立っている」と言ってもらいたくないわけです。
東氏の言うとおり、
「ポストモダニズム系リベラリズムの立場とは、このようにハードで、ときに自己矛盾を抱えかねない」わけで、そのアポリアに答えようとしている東氏だからこうして注目されているわけですから。
もしフォリソンが、単に、「私が歴史研究をする権利を残しておいて下さい、私にあれこれの証言を言葉通り信じない権利を残しておいて下さい」と言っただけなら、私としては、彼に仕事をさせておくことに賛成したでしょう。彼が、大量の証拠に反して、これらの批判的問いから、確証され証明された真理の観点からは受け入れられない断言へと移行すると主張するときには、その場合には、彼は能力が欠如していることになります。その上、悪事を働いていることに。しかし、まず能力が欠如しているのです。したがって、大学で教授を自任するにはふさわしくないということになります。その場合には、討論は不可能です。しかし、原則として、大学は、批判的討論が、無条件的に開かれたままでなくてはならない唯一の場所であり続けています。それこそが、私が固執する遺産なのです。たとえ私の大学への関係が複雑なものであったとしても、それはヨーロッパの、そしてギリシャ哲学の遺産であり、他の場所で生まれたものではありません。そして、この哲学を主題として私が提起するあらゆる脱構築的問いにもかかわらず、私はそれに、ある種の〈然り〉を言い続けており、けっしてそれを投げ捨てることを提案したりはしないでしょう。
……だけどデリダはその馬鹿を制裁を受けるべき馬鹿だと言うことを躊躇してません。
まあ東が右よりの世相を泳ぎきるための布石をパンラパラやってるチキン野郎だってことだけは分かりますね。
http://d.hatena.ne.jp/nitar/20081128#p1
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/subcal/1227521323/
上記等で東と東信者が平然と歴史が蔑ろにする態度、歴史の一学徒として腹立たしさを隠せません。東信者はアフガニスタン爆撃は正しいなどと唱えています。
はじめまして。基本的にデリダの「歴史修正主義」観に関してはZ氏の引用で論点は尽きていると思います。デリダは「大学は、批判的討論が、無条件的に開かれたままでなくてはならない」としながらも、「馬鹿は制裁を受けるべき馬鹿である」と言う態度を崩していません。「個人的には(東氏の用語です)」その観点は間違っていると思うけど、スルーするとは、とは絶対言わないでしょう。デリダはさらに『きたるべき大学』ではこの大学観を社会全体にも拡張させる社会がくるべきであるとしていますから、なおさらです。
つまり、http://d.hatena.ne.jp/KGV/20081203#1228309384で言われているように、
>「声に耳を傾ける、少なくともその声に場所を与える」というのは、「あなたの意見は意見としてわかりま>すよ。私の意見は違いますが、そういう意見があるというのは理解します。ええ、ええ」というような東>浩紀的態度では全くない。
>このような意見に反対する者が、絶えず本気で反論することだけが「場所を与える」ということだ。
とはいえ、こう言っただけでは、東氏の論点をとり逃がすことになると思います。東氏は、南京大虐殺などについては「個人的には、私的には」きわめてリベラルな考えを持っているはずです。また「南京大虐殺」が存在しなかったと考える社会がメジャーになっていい、と思っているわけでもありません。
東氏は平たく言うと、現在のネット社会における、怨恨と中傷の言説、根拠も責任も何もなく語る言説、あるいは、いわゆる「ネトウヨ」などについて、従来の「啓蒙」と「討議」の発想で、処理できるのか?と問うているのです。
東氏の答えはNOです。誰も人がネットに書く、カキコすることを止めることはできないと彼はします。たとえそれに対して読むことのリテラシーはつけることができたとしても。情報化社会になり、人との細かい差異が簡単に目に付きだし、嫉妬と怨恨と小さな自己承認と自己満足を人が求める(→そしてカキコする)のは避けることができないとするわけです。
そのうえで、
「歴史修正主義者」(これは東氏の論点の一つの例にすぎません)がどれほどネットの中で暴れ回ろうとも、結果として歴史修正が実現しないような社会であればそれでいいし、その結果として「歴史修正主義」を容認したように見えたとしても、それよりない、とするわけです。それが彼の言う討議による「公共圏」よりネットインフラやグーグル的な工学的制度設計の「公共財」に可能性を見出すわけです。
とはいえ、この論点(公共圏より公共財の優位)を東氏がつらぬいているかというと、上での私の疑問のようにはなはだ疑問ですし、
そもそも私は彼の「公共」という言葉の意味がさっぱり分かりません。まだ極めてあいまいでねれていません。
ttp://d.hatena.ne.jp/nitar/20081128#p1では「ぜんぜんわかっていない。説得する気すらなくなる
名無しの空間に公共性があるとは僕は思わない 」と言います。
しかし彼は2ちゃんを2000年代、ケータイやWIIより最大の発明物としますし、2ちゃんにも積極的に「降臨」しましたし、彼が主催する「ゼロアカ」では積極的に2ちゃんを盛り上げのメディアとして、「門下生」たちは使いました。「はてな論壇」も彼に批判的な論調がでるまでは、閲覧していたし、そのメディアとしての可能性を発言していたのではないでしょうか?
また、ネットで「南京大虐殺」をググれば、賛成も反対もばーっといっぱい出てくる。証明不可能、と彼は言いますが、そもそも人はそんなにページを見るでしょうか。Wikipedeiaを見れば賛否両論アル、終了。ですむし、最近のWikipedeiaはある程度情報の正確さも保たれているはずです。学者も書き込んでいるでしょう。
詳しいお答えを頂き、ありがとうございます。私は一次資料へ向かって、より精度の高い歴史を積み重ね、そこから歴史の悲劇を学ぶべきと考えます。出鱈目な歴史が蔓延するような社会は危険であると考えるので、「その結果として「歴史修正主義」を容認したように見えたとしても、それよりない」という東浩紀氏の意見には賛同できません。
基本賛成です。ただ私は東氏の言動には賛否を抜きに注目しています。彼はWEB2.0環境における言論を考察しようとしていますが、それはかなり影響力を与えることのできるコアなところで行われており、「あずまんが、ま〜た思いつきでしゃべってネットで炎上、祭りになって叩かれているよ」で済まず、波及する可能性があるからです(本人はた〜ぶん結構無自覚ですが。)
たとえば彼のGLOCOM時代、機関誌『智場』で、はてな取締役で「WEB進化論」の梅田望夫とGLOCOM所長公文俊平の対談を司会鈴木健で実現させていますが、これなど、興味深い。公文俊平と言えば情報社会学会の会長です。鈴木健氏といえば、検索すると出てくると思いますが、「天才プログラマー」認定(?)を国家から受けている人です。・・・他にもあれこれ余計な情報も書きたいですが、今のところディーセントではないと思われるため書きません。
東氏本人的には、多分情報工学的財の設計など内々からでないとできない、右・左の政治的立場を強調するのは無意味だ、と自覚的かつ綱渡りをやっている意識があり、そこから言論がでていると思うんですが(彼の著「キャラクターズ」にちらっとでています)、それならばもっと慎重かつ大胆にやってもらいたい、と願っています。そうしないと、彼が本当は信用されたいと思う人たちから信用されないという循環を繰り返すのではないか、と思います。
http://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/20081208