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麻生捨て身の「給付金解散」シナリオ(1/2)

文藝春秋2月12日(木) 12時46分配信 / 国内 - 政治
支持率は危険水域、党内では反乱騒ぎの中、一縷の望みを託すのは……
 
「今こそ、政治が責任を果たす時です」「日本の底力は、必ずやこの難局を乗り越えます」
 
 一月二十八日、首相・麻生太郎は、民主党の“牛歩戦術”により引き延ばされていた施政方針演説をようやく行った。「最後の国会演説」などと揶揄されていただけに、さぞかし力が入るかと思いきや、フリガナがふられた草稿を追う言葉に迫力はなく、与党席からの拍手もまばら。昨年九月の所信表明演説では、民主党を挑発する言葉を連発したが、今回はそれも影を潜めた。すでに“敗軍の将”のような雰囲気を、敏感に感じ取った自民党議員も少なくなかった。
 
 一週間前、米国に興奮と熱狂を呼び起こしたバラク・オバマの大統領就任演説とは比べるべくもない。オバマはワシントンに足を運んだ二百万人を前に、「今私たちに求められているのは、“新たな責任の時代”だ」と熱弁を振るった。支持率六八%はケネディに次ぐ戦後二位である。その華々しいリーダー誕生の瞬間を、支持率一七%(時事通信)の我が国の首相はCNNテレビで見つめていた。麻生は毎朝、英語勘を失わないためにCNNやBBCの英語放送を十五分ほど聴くことが習慣になっている。
 
 国民の心はなぜ麻生から離れたのか。チェンジを標榜するオバマとは対照的なライフスタイルへの頑なまでのこだわりもその理由のひとつだろう。ホテルのバーでの“クールダウン”が顕著な例だ。東京・神山町の七百五十坪の大邸宅から、首相公邸への引っ越しを延々と先送りにした背景にも、そうした頑固さがのぞく。大勲位・中曽根康弘が、「公人中の公人たる首相は、一億国民の命運を預かる立場であり、公邸に入って、二十四時間、身命をなげうって取り組め」と苦言を呈したこともあり、麻生本人は一度は新年早々の引っ越しを決意した。だが、家族の反対にあって延期。その後、自民党内からの「家庭内のねじれも解消できないのか」「家族も説得できないで、国民を説得できるわけがない」との批判の声が届いたのか、渋々重い腰を上げたのだ。
 
 神山町の邸宅は、天井高は二メートルを遥かに超える洋館で、生活スタイルは完全に洋式。二階の寝室を出て、客間に向かう麻生が階段を降りるときには、すでに靴をはいている。家のなかを寝巻き姿でうろうろする、どこかのお父さんとは大違いなのだ。さらに朝食後の散歩は健康維持のための重要な日課だ。公邸に移ってからも官邸裏につながる庭園では満足できず、半時間あまり国会周辺を時速六キロで歩きまわる。「なんの努力もしない奴の医療費をなぜオレが払わなければならない」と公言しただけあって、足取りは快調だ。健康診断の数値も極めて良好。体脂肪率一五・六%、BMI(体格指数)22、血管年齢四十二歳のデータに、主治医は六十八歳とは思えぬ“理想的な数値”とのお墨付きを与えた。国民の支持を失っているときには、気力・体力が政権維持の重要なポイントとされるが、その点だけは心配がない。
 
 最近では、自民党内で反乱が起きる最大の懸案とみられた二〇一一年度の消費税増税問題がいわゆる二段階論で決着したことで、「これから反転攻勢だ」と意気込んではいる。ただし、明るい兆しはいまだ見えない。
 
■縮み上がる中川
 
 そもそも「消費税政局」にしても他力本願で難を逃れたに過ぎない。その過程では、かなり緊迫した場面もあった。最大のキーマンが元幹事長・中川秀直だ。離党した元行革相・渡辺喜美はかねてより中川との関係を公言し、中川も渡辺に「捨て石にはしない」と励ましてきた。さらには「新しい旗を立てる。日本版ニューディール政策だ」とブチ上げる中川に同調する議員が、消費税増税反対派を形成し、勢いを増す場面もあった。
 
 こうした事態に、調整能力のない官邸に代わって動いたのが町村派の面々だった。まず久々の出番を探ったのは、元首相・安倍晋三。安倍は政権投げ出しと批判された一昨年の九月以来、謹慎の意味から、政治的な動きに関わることを意識的に避けてきた。しかし町村派の若手には隠然たる影響力があり、麻生とも一貫して緊密な関係を維持してきた。「麻生の邪魔をしているのは、塩崎恭久、山本一太ら、安倍内閣のときのお友達ばかりだ」といった陰口が耳に入ったこともあり、安倍は自ら収拾に乗り出すことにしたのだ。
 
 余談ながら、安倍にはもう一つ、麻生に「借り」があった。麻生派の前身の派閥を率いてきた衆院議長・河野洋平が引退を表明し、その後継の女性候補(麻生派)が出馬する神奈川十七区から、安倍の首相秘書官だった井上義行が出馬するというのだ。小田原市議選を目指していたはずの井上の電撃的な総選挙出馬の動きが発覚したのは一月二日のことだ。箱根駅伝の小田原中継所。陸連会長でもある地元の河野がレースを観戦していると、視界に井上の姿が飛び込んできた。しかも周りには、ビラをまく支持者らしきグループ。ビラには国政への意欲がつづられていた。河野陣営が直ちに麻生を通じて、安倍に確認すると、安倍も寝耳に水だった。しかし井上の意思は固い。安倍の制止を振り切ってでも出馬の構えだ。
 
 麻生のために一肌脱がねばならない安倍は、一月十五日、町村派総会後の安倍・町村(信孝)・中川の三者会談で「今は派内でお互いが対立するときではない」と切り出した。そして側近の世耕弘成に命じ、消費税増税問題について双方が受け入れ可能な文案の作成に着手させた。一方、中川とは犬猿の仲という町村も税制調査会顧問・伊吹文明らと落とし所を探る。安倍は麻生の携帯電話を鳴らし、「町村派の若手と塩崎までは責任をもって抑える」と伝えた。外堀は埋まった。
 
 しかし中川は簡単に納得しない。最後はやはり元首相・森喜朗の出番だった。森にも覚悟があった。森・中川はもともと永田町随一の師弟コンビ。森が夏の暑い日に事務所で「おしぼりと中川君」を所望したというのは知る人ぞ知る話だ。だが、昨年の自民党総裁選で、森が麻生支持を鮮明にしたにもかかわらず、中川は平然と元環境相・小池百合子を擁立。両者の亀裂が広がっていたところに、今回のクーデター騒動である。
 
「党幹事長まで務めた議員がやってはならない反乱を起こしている」。森は中川を痛烈に批判し、さらに中川が、幕末・維新の志士、坂本竜馬に自分を重ね合わせてカラオケで『ふたりで竜馬をやろうじゃないか』(堀内孝雄)を熱く歌い上げると聞くと、「何を自分に酔っているんだ」と吐き捨てた。「本当にその路線を変えないのなら、派閥を出ていってもらってからにしてほしい」。人づてに聞いた森の激しい怒りに中川は縮みあがった。今が自らの政治生命を賭すタイミングなのか、大きな迷いが生じた。
 
 一月二十一日夜、官房長官・河村建夫と都内のホテルで向き合った中川は、丁重に頭を下げる河村を前に、テーブルをひっくり返す気概は失せていた。「二〇一一年度消費税上げが明記されないなら自分は納得するし、党を割ることはない」。党の部会で政府案が了承された後、麻生は、中川に白旗をあげさせた最大の功労者、森にまっさきに電話を入れた。「森さんのおかげで救われた。本当にお世話になりました」。麻生は電話をしながら無意識のうちに頭を下げていた。党分裂の危機はひとまず過ぎ去り、麻生も一息ついた安堵の表情を見せた。
 
――(2)に続く
 
(文藝春秋2009年3月特別号「赤坂太郎」より)
  • 最終更新:2月12日(木) 12時46分
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