建国記念の日の11日、これを祝う式典や反対する集会が東京で開かれました。建国記念の日を祝う式典では、政府主催で建国の日を祝う行事の実施などを求める決議を採択し、反対する集会では、歴史に学びながら憲法が生きる21世紀と戦争のない世界を目指そうという決議を採択しました。
このうち、渋谷区では、神社本庁などで作る「日本の建国を祝う会」が式典を開き、およそ1500人が参加しました。主催者を代表して拓殖大学の前の総長の小田村四郎さんがあいさつし、「天皇陛下が即位されて、ことしで20年になり、喜ばしい年に当たる。不況や不安定な国際情勢など難問が山積するなか、国民が一体となって克服し、日本再生の決意を新たにしたい」と述べました。続いて、建国の精神を広く受け継いでいこうと、政府主催で建国の日を祝う行事の実施などを求める決議を採択しました。一方、東京・中央区では、歴史研究者や教職員組合の人たちなどおよそ300人が参加して、建国記念の日に反対する集会が開かれました。この中で、憲法学が専門の愛知大学の小林武教授は「日本の憲法は民衆から愛され、平和の防波堤としての役割を果たしてきた。雇用不安など今日のさまざまな問題も、憲法の条項を生かすことで解決の道を見いだすことができるのではないか」と述べました。このあと、集会では「歴史に学びながら憲法が生きる21世紀と戦争のない世界を目指そう」という決議を採択しました。
「建国記念の日に反対する集会」あまりに露骨で、驚いたというか失笑してしまいました。建国記念の日とは、古くは神武天皇が即位したとされる日が由来となっており、祝日法で「建国をしのび、国を愛する心を養う」と定められた国民の祝日です。つまり、建国記念の日に反対とは、「日本という国が建国されたことを嫌い、国を愛することを拒否する」と同意です。そんなに日本が嫌いだったら日本から出て行けば良いのではないか。彼らに対してはそう思わずにはいられません。
その上、「憲法さえ守れば平和も不況も克服できる」とした、もはや宗教とも思える徹底した憲法擁護論を主張し、決議採択までしています。既に建国記念日反対するという題目とはなんら関係なくなっています。おそらく彼らからすれば、”建国記念反対・愛国心反対”も、”改憲反対”も、「反日」という大前提からすれば同じ意味なのでしょう。彼らは恐らく、建国記念の日に反対する集会で改憲反対決議をするということが”場違い”であることすら気付いていないと思われます。極左団体の異常さを改めて感じました。しかも、この集会を行っていのが教職員組合というのですから、日教組問題へのメスを入れることがこの国にとっていかに最重要課題であるかを痛感させます。
参考書籍:
自虐史観もうやめたい!―反日的日本人への告発状 (Wac bunko)
谷沢 永一
中山成彬はなぜ日教組と戦うのか
伊藤 玲子
■平和の防波堤としての役割 (笑)
それはどこの国の防波堤ですか?
■呆れるしかありませんね
本当に気味の悪い連中です。
口先では「平和」など美辞麗句を並べつつ、実際に腹の底はどす黒いものが渦巻いている...そんな印象しか持てません。
彼等の主張は、一種の精神論に近いと思います。憲法9条を守ろうとほざく連中も同様です。
いかにも耳障りの良い正論を言っている様で、実は否現実的な妄言ばかりが目立ちます。
非武装、丸腰が平和の道に繋がると盲信する連中と一緒です。
迫り来る敵戦車の前に丸腰で両手を広げて立ち塞がれば、敵兵が良心の呵責に耐えられず止まってくれると信じている...こんなのは「同じ精神性」を理解出来る者が相手でなければ意味が無い事が判っていない。
もし、日本人の命など、塵以下のものだと盲信している敵の前に丸腰で立ち塞がったら...敵兵は蔑み笑いながら踏み越えていくだけです。
夢の様な理想を掲げ、盲信する彼等はもはや宗教団体といっても良いでしょう。
気味の悪いのは、そんなカルト宗教紛いの連中が、子を教える立場でもあるという事です。
少しでも、こーいった連中の異常性を広めていく事が大事です。まずは身近な事からでも!
■無題
ホント気色悪い塵芥だなあ。
一体どんな教育を受けたんでしょう?猿にでも育てられたのかな?いや、それは自然界を逞しく生きる猿に失礼でしたね。
まあ、塵芥がいくら集まっても塵芥にしかなりません。彼らが集まって声を上げても、周りは汚物にしか見えないでしょう。全ての日本人が塵芥とならないことを信じて。