現在位置:
  1. asahi.com
  2. ライフ
  3. デジタル
  4. メディアリポート
  5. 記事

【新聞】新聞は読まれていない! 紙面の「力」復活こそ急務だ

2009年2月10日

  • 筆者 服部孝司

 原稿を書き始めて、「新聞ジャーナリズム」って何だろう、とあらためて考え込んでしまった。新聞が「社会の公器」と呼ばれていたのはいつのことか。広く世に訴えるキャンペーン報道や不正を暴くスクープ記事が今も新聞のいのちであることに変わりないはずなのに、世論を喚起、リードするという意味で、新聞はとうの昔に「公器」の地位からころげ落ちている。

 新聞業界が今総力を上げるべきはジャーナリズムの復権であり、紙面が力を持つことだろう。しかし現実はどうか。新聞の値打ちが紙面でなく景品の多寡となって久しい。とりわけ、激戦地域の関西ではあいかわらず商品券などが飛び交っている。一紙が仕掛ければ、他紙が応戦し、「販売正常化」の掛け声とは裏腹に紙面を置き去りにした拡販合戦が延々と続いている。

 各紙とも読者を1年契約、2年契約で縛るのが常態化しており、契約時には1年につき1万円前後の金券や商品をつぎ込む。他紙の読者を奪うには多くが2年先、3年先の契約となり、将来の購読者を放さないために、4年先、6年先の契約に景品が投入されることも珍しくない。

 しかし、「景品」という鎖で2年も3年も読者を縛り付けることがジャーナリズムの復権につながるのか。新聞を景品の付属品にし、紙面の力を低下させてきたのは新聞業界自身である。

 新聞労連の役員を務めていた10年前、『新聞が消えた日』という未来予測本を出した。すでに新聞の行方には暗雲が垂れ込めていたにもかかわらず、業界の危機意識があまりに低いことへの警鐘として企画した。全国紙、地方紙の編集、広告、販売など、各部門のベテランに最も悲観的な将来を書いてもらった。私が編集責任者となったが、シェアが高く経営が安定している社の組合員ほど予測は甘く、何度か書き直してもらった。

 販売は、再販制度が撤廃され、歯止めがかからない拡販競争に新聞社も販売店も疲弊し消費税アップが致命傷になる。広告は、有能な広告マンがどれだけ奮闘してもクライアントが新聞からインターネットに一斉に鞍替えしていく。編集では、過熱報道が権力の規制を招き、市民の信頼をも失う。

 執筆者たちは異口同音に「まさかこんなことにはならないと思う」と語っていたが、その後の10年の経緯はどうだろう。まるで現場リポートのように多くが的中している。

 加えて用紙代の値上げである。各紙とも増ページから一転、減ページを強いられているが、販売店も折り込みチラシが減少し、拡販競争のために配達部数に上乗せした「積み紙」「押し紙」が重荷になっている。読まれることのない新聞が廃品として回収されることが、環境問題以前に道義的に許されるのか。本のサブタイトル「2010年へのカウントダウン」が現実味を帯びてきたとさえ思う。

 それでも「ジャーナリズム」の気概に立ち返れば、広告がつかず減ページになっても、ジャーナリスト精神さえ堅持しておれば、との主張もあろう。だが、ことの深刻さは、もはやそんなレベルではない。新聞が市民に見捨てられるところまで危機は迫っている。

 新聞購読者ゼロ。私が講義している神戸市内の私大の学生たちだ。関西では名の通った大学であり、受け持っている約20人もそこそこの学力は有しており、初めはショックを受けた。教職や一般企業を目指す者が大半でマスコミ志望は少ない。それだけに、若者の平均的な新聞への関心度を測ることができる。

 3年前に受け持って以来、この実態は変わらない。ニュースに興味はあるが、情報はテレビやインターネットで十分という。テキストに新聞を使うから持参するように言うと、「どこで売っているんですか」と真顔で尋ねる者さえいる。会社に毎年やってくるインターンシップの学生たちでさえ新聞を読んでいないと公言してはばからない。

 学生たちは新聞を読まないどころか、新聞そのものを知らない。テレビやインターネットと同じような情報が印刷されているぐらいのイメージしかない。授業で読ませると「難しい」「疲れる」との反応が多数を占める。だが、これを「いまどきの若い者は」と突き放していていいものか。宅配制度によって新聞は各家庭まで届いてはいるが、そこに読者がどれだけいるのだろう。買ってさえくれればいいと、読んでもらうことを放置してきた結果が新聞知らずの若者を生み出しているのではないか。

◆”読み方教室”で新聞の面白さ伝える

 ジャーナリズムなどと言えば尻込みする学生たちに、中高生に教えるように紙面上のニュースの価値判断や1面記事の雑観やサイド、分析、識者コメントなどが社会面や中面に載っていることを説明する。それを何度か繰り返して、やっと新聞がテレビやインターネットと違うことを分かってもらえる。連載記事やフィーチャー面を読み込ませると「新聞って面白い」と喜ぶ者が出てくる。

 そんな”読み方教室”をやっていて、新聞は自転車に似ていると思う。乗れれば便利だが、乗れるようになるまで練習が必要だ。子どもの多くは親に教えられて乗れるようになる。新聞も祖父母や両親が読んでいる姿に接していて、自然に読み方を覚える。そんな環境が消えれば、新聞は乗れない自転車と同じ不要品にすぎない。「父親しか新聞を読んでいなかったので母親がやめてしまいました」との感想文に象徴されるように、新聞離れが彼らの親の世代から進行していることが分かる。

 新聞広告の落ち込みも無読者の増大も根っこのところは新聞が読まれなくなっているからであり、新聞と読者をつなぐ努力を怠ってきたからである。

ジャーナリストとして読者とどう信頼関係を築くか。私たちに残された時間はほとんどない。

 沈む船の上で殴り合うような消耗戦を続けている時ではない。(「ジャーナリズム」08年12月号掲載)

    ◇

服部孝司 はっとり・こうじ

神戸新聞社地域活動局長。1951年北九州市生まれ。大阪芸術大学卒。75年神戸新聞社入社。文化生活部長、編集局次長などを経て現職。

・「ジャーナリズム」最新号の目次はこちら

掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。

検索フォーム
キーワード:


朝日新聞購読のご案内