地球温暖化防止のポスト京都の枠組み交渉で日本が示す温暖化ガスの排出削減の中期目標について、政府は4分類6案を軸に検討することを決めた。中期目標は国際交渉での日本の発言力を左右する。日本の低炭素社会の方向も決める。説得力と志のある目標を求めたい。
6案は2020年に1990年比で7%増から25%減まで幅がある。選択肢として様々な案があるのはよいが、削減でなく排出増の案まであるのは驚くしかない。場合によっては国際社会に背を向けるつもりというメッセージなのか。世界が削減を議論するなかで排出増の選択肢を残した感覚は疑わざるを得ない。
素案は首相直轄の懇談会の下部にある検討会で議論してきた。そこで多様な意見がかわされるのはいいが、数値の議論に終始しているのは極めて残念である。日本は地球の温度上昇を何度以下で抑えるつもりなのか。その原点を明確にしなければ中期目標に魂がこもるまい。
温暖化防止はそもそも、将来の子孫にどんな地球を残すのか、という問題である。欧州は2100年に産業革命以来の温度上昇を2度以下に抑えるとし、究極目標を明確にしている。では日本はどうなのか。そこが議論の出発点のはずである。
高い温度上昇を許容するのであれば、それによって生ずる被害拡大への責任も日本が負うという意思が示されなければならない。
枠組み交渉は国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第四次報告書を前提にしている。報告書に書かれた、先進国が20年までに90年比で25―40%削減するというシナリオの採用も合意している。目標の議論ではこの前提の軽視が散見されるが、国際合意の重みを十分に認識する必要がある。
欧米では景気対策として温暖化防止に絡めた「グリーン・ニューディール」政策に力を入れている。太陽電池や風力など新エネルギーの投資で雇用を創出し、低炭素社会への移行を早める決意は固い。
日本でも遅ればせながら景気刺激に同様の政策が検討されている。だが、この政策は高い削減目標があってこそ成り立つ。目標が低ければ、温暖化防止の投資拡大の理由付けが苦しい。低炭素社会への決意が見えぬ目標なら、国民も高額な太陽電池の設置などに動いてくれまい。
中期目標の議論はとかく、欧米との駆け引きという視点に陥りがちだ。だが、この国の低炭素社会づくり、環境立国、そして地球のあるべき姿に思いをはせた議論が重要だ。