ボスは迷文家シリーズ

「南京虐殺の虚構」諸君一月号
弁明ができない立場に追いやられた日本軍のナイーブさ


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東京のFKさんから諸君一月号の特集記事コピーを送っていただきました。 南京虐殺の虚構と題する記事です。僕の高校三年の担任は現在南京大学 名誉教授ですが、教授として四年間南京に住んでいた当時、彼は数多くの お年寄りたちと対話を持ちました。彼がそこで知った事実は、南京で生き 残られたお年寄りの口から直接、日本軍は大虐殺をしていない、という事実 でした。


日本軍の手にかかって死んだ中国人の数は大それた数ではなかった、 それよりもむしろ、国民党と 赤軍の間に停戦合意が結ばれていたものの市民に紛れ込んだ 赤軍ゲリラを国民党軍が殺した数が多かったこと、さらには日本 軍将校の軍服に身をまとった国民党軍の仕業が多かった、そん な事実を知ることになったのです。

諸君の記事は、日本軍が情報戦略に関して稚劣であった為、国際世論を見方に つけるべく情報宣伝活動を全く怠ったのだが、その点に長けていた蒋介石らは そうでなかった。国民党は国際世論を味方につけ、日本軍を追い込んで、日本を アジアの悪餓鬼に仕立てることに成功したのです。それはアジア侵略だけでは もの足らない日本軍によるアメリカ攻撃でした。蒋介石の戦略は巧みなもので 当時から武力よりも情報戦で成功。最後の閉めが南京での死傷者の責任の 全てを日本軍におしつけることでした。大虐殺というでっちあげ、その為に アメリカ人ライターを巻き込んで南京虐殺の本を上梓に至らしめたのです。 天真爛漫そしてナイーブに日本人の正義と精神論を通している限り間違いは ないと信じていた為に、日本軍は言い訳がたたない場に自らを置いたのだと思います。

今でもそうですが、日本は世論や情報の利用、そして服装を 含めた演技演出さらには話術の効果を軽視しすぎているキライにあります。この記事に あるように、日本人には信念とか誠意だとかの観念的な言葉にすがる傾向あって、 天真爛漫な態度を良しとするナイーブな単純さがあるのです。

余談ですが、昨年、気が向くままに相手の気持ちも考えずに好き勝手な言葉を、 無神経に発言する成人と出会いました。僕はそれを煩わしく思い、その点に関し注意をし ました。無神経とは言わずに、親切に天真爛漫という言葉を使ったのですが、それは 無神経と天真爛漫の間の差が,相手の心を傷つけるかそうでないかの違いにあって、 基本的には何事にもトラワレルことがない自由な思考と発言に関する限り 両者の間には差がないからです。しかし、 相手の口から出た反論は、天真爛漫のどこがいけないのか?という言葉でした。 日本では天真爛漫さが美化されているから、そういう反発がでたものと考えましたが、 現実には、諸君の記事に書かれているように、天真爛漫とはある意味では馬鹿という意味 なのです。最後に僕は相手にそう伝えざるを得ませんでした。従って、天真爛漫 とは馬鹿という意味と説明されたこの記事は、正に我意得たりのものだったのです。

小野沢、昭志 2002年1月5日

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