読者より:イタリアの2008年4月上下院選挙結果について
お元気でしょうか。
先日イタリアの左派についての話をしましたが、その後動きがありました。プローディ内閣の退陣に伴う、4月中旬に行われた上下院同時選挙は、端的に言って凶悪な結果となりました。すなわち、ベルルスコーニ派は「中道左派」民主党(※)の経済失政を上手く衝き大勝しました。
※イタリア民主党は、1991年に旧イタリア共産党が解体された際、いわゆる「マルクス・レーニン 主義」を完全に放棄し社民主義に路線転換することを標榜した党内多数派(左翼民主党、後に左翼民主派)が、中道政党を取り込み2007年に誕生。ただし現党首ヴェルトローニ(1955−)が、選挙スローガンの一つに「Yes, We Can!」というアメリカ民主党のオバマのそれを流用して話題となるなど、「社民」色より「リベラル」色を強調する傾向が見られます。一方で、旧共産党内少数派の潮流は現在も二つの共産主義政党を形成しています。
ここまでは日本のメディアも拾っていますが、さらに重要なのは、今回民主党が選挙協力をしなかったため「虹の左翼」連合を形成した議会内最左翼グループ(共産主義再建党・イタリア共産主義者党・社会党・緑の党・民主的左派)が、合わせて15パーセント弱あった議席をすべて失った事です。「すべて」というのは比喩ではありません。ベルルスコーニ時代に「二大政党制を目指して」改定された選挙法(上院では州ごとに8%、下院では全国で4%の得票率がない政党には、自動的に議席が配分されないというシステム)に、見事ひっかけられたという訳です。連合の中心となっていた共産主義再建党のジョルダーノ書記長は辞任、当分左翼間の混乱は収拾がつきそうにないです。
日本のネット版の『しんぶん赤旗』では特別な記事は出ていません。勝っていたら絶対取り上げたろうに……。この文章を書いている最中にようやく、『かけはし』のネット版に、再建党から分裂したトロツキー派の候補による記事が出ました(。ところで、この号の1面は別に興味深い。「中共でもダライ・ラマでもなく」のスローガンはよい。しかし平気で「右も左もなく」とかいうあの腐ったフレーズを左翼が口にするのはどういう事なのか?)。
もちろん、現存秩序に対抗的な人々の実力は議会とは必ずしも比例しないですし(レーニンやガンディーが、各々の革命に国会議員を必要としたでしょうか)、日本と比べると各種の自律的なファクター(労働組合、議会外新左翼、市民運動、反体制的サブカルチャー)もまだまだ強力なのは明らかです。しかしこの選挙結果はそれらにも影響を与えるでしょう。正直、対岸の火事とは思えません。
象徴的な意味でもこれは大事です。イタリアの歴史では、アンドレア・コスタという初期社会主義者が1882年に下院に当選して以来、ファシズム期をはさんだ100年以上、社会主義者・共産主義者を名乗る者が議会から消えた事は絶無でした。また、少なくとも第二次世界大戦以降の西欧諸国のうち、「社民」「社会」「労働」「共産」のうちどれかのキーワードを名乗っている政党が議会にない所は、独裁時代のスペインやポルトガルなどを除き存在しなかったと思います。ましてや、労働運動や左翼勢力が強力であるとして知られてきたイタリアで起こったことですから。これが近隣諸国に派生しなければよいですが……。
ただ、彼らの失敗の原因が選挙法の改悪にのみあるとも言い難い。「虹の左翼」諸党は、議会においてはプローディ内閣と連合していたわけですが、その中で「ニュー・レイバー」に通じる民主党の政策に相当程度賛成してきました。特に再建党は、かつてプローディ内閣を離脱して政権を瓦解させた「前科」があり、民主党からも下院議長などのポストを割り振られていたため、同調に気を使っていました。
それだけ彼らは「反ベルルスコーニの団結」を優先した訳ですが、「中道左派内閣」の一員としてベルルスコーニと似たような事をやるとすれば、意味はどこまであるのか(こういうジレンマを少数派に押しつけるような部分に、自分は「“ブルジョワ議会制度”のマジック」を感じもするのですが)。彼らは少なくとも議会をうまく使えなかったとは言える。民主党が独自で選挙戦を戦うと決定した時、かつて議会内最左翼に票を投じた人の多くは、選挙制度の変更による死票を恐れたのに加え、そもそも民主党に票を投じても同じ結果となるという考えに、容易に動く準備があったと思います。
さらに、北部を中心とした左翼の従来の地盤が、排他主義を唱える右翼政党「北部同盟」に動いたという高級紙の分析もあります。これについては、向こうの記事を翻訳している方がおられます。
「赤いエミリア・ロマーニャ州へ北部同盟、進出」
「エミリア・ロマーニャ州の投票分析」
この記事はその原因として、左翼が同性愛者や移民の擁護・エコロジー・フェミニズムといった「新しい社会運動」を結集軸としようとしたのに対し、人々が関心を持たなかったゆえと説明しています。そうかもしれません。しかしこの記事から読み取れるより重要な問題(翻訳者は気づいていないであろう)はおそらく、91年の旧イタリア共産党の解体後も左翼政党を支持し続けた人々の「支持の中身」が、相当に国民主義的な論理に支配されたものであったということです。
最近私は、一時期日本でも合同出版を中心に訳出されていた「ユーロコミュニズム」の本を何冊か読み、例えばエンリコ・ベルリングェル(70年代、旧共産党が最も議席を増やした時分の書記長)の演説には現代に通ずるような内容が何もない(例えば、いわゆる「ポスト・フォーディズム」の兆候などを全然掴んでいない)のにガッカリしたのですが、加えて彼の「共産主義」がものすごく国民主義的なニュアンスで語られていたのに愕然としました。グラムシを取り上げる事でソ連体制を批判するイタリア共産党のスタイルは日本でもずいぶん真似された(ている)ものですが、果たしてグラムシは自身の構想する革命のために「国民政党」を必要としていたのでしょうか。もちろんグラムシはそれを構成する一員として「階級政党」への改善要求はいくらも出していますが、彼の死後の党は彼を勝手に「国民政党」の看板にした訳です(日本で言えば、スケールこそ小さいが野呂栄太郎の扱いが似ているかも)。
私の素朴な疑問は、本質的に世界大に広がるものである(これは今に始まったことではない)資本主義経済の勢いに対して、原理的に一国単位のモデルが対抗しうるのかということです。たとえばコミンテルンは実践的には多くの面でろくでもない事が多かったですが、この事は必ずしも「一国社民主義」の正当性の担保とはならない。
金さんの論文で、「凡庸な政治学者」として山口二郎氏の名前が出ていましたが、本当に彼がおめでたいのは、ソヴィエト圏のような外的圧力がないのに「社民主義」(※)が成立しうる(しかも民主党によって!)と思っている部分です。さらに私の見るところ、彼の言うスタンダードである「社民主義と(新)自由主義の二大政党制」を旧来から採っていた国の多くにおいて、二大政党間の違いがどんどん薄くなり、かつ経済流動化の進展に疲弊した人々が、このシステムに明らかに倦みつつあります(イタリアの近年の政局に関しては、90年代前半までの比例制重視の選挙制度による、小党乱立と集合離散に倦んだ人々が「二大政党制」に対する期待を抱いた、と説明されます。しかし、「二大政党制」の成立を「真の民主制の成立」として賛美する人たちというのは、ほとんど機械的発展段階論者のように思えますね)。
※私は、少なくとも現在の西欧式社民主義、特に「ニュー・レイバー」化したそれは、もはや労働者階級(中・下層の)や「プレカリアート」にはほとんど利益にならないものとなっていると思っています。ただし、その外で実践されている「北欧式」社民主義には一定の関心を持っています(結局彼らも、移民問題などの大問題は未解決でしょうが)。私などもつい混同しがちですが、山口氏は「社民」という言葉で、「(70年代までの)西欧式社民主義」「北欧式社民主義」「ニュー・レイバー」の差をあいまいにしているように読めます。
ところで、日本の社民党は少なくとも「ニュー・レイバー」は支持していません。これは西欧の社民系諸政党の多くと比べれば、日本の労働者階級および「プレカリアート」にとって評価すべき態度です。ですが山口氏は、彼の「社民主義」なるものを社民党にではなく民主党に求めています。とすると、彼の「社民主義」なるものは「ニュー・レイバー」そのものかと疑うのが妥当ですが、彼は決してそう言いません。それとも山口氏は、西欧式であれ北欧式であれ旧来的な意味での社民主義を本気で民主党にやらせようとしているのかもしれません。しかし、毎度おなじみの松下政経塾出身の連中が、教育・福祉・医療に傾斜配分した公共支出の再編成の必要性や労働組合が経営者と常に合議する企業形態の素晴らしさを理解するようになるより、目下議席一ケタの社民党が今後政権を獲得する確率の方が高いでしょう。
二大政党制不信が、フランスのル=ペンやオーストリアのハイダーといった、ネオナチの台頭を生んでいるという指摘も一部でありますが、それからさらに考えることもできます。ヨーロッパ諸国においては、「人権」が政治・外交の話題の中心にあり、露骨な人種主義的イデオロギーを振り回す事は、それぞれの国の「正しい国民」――これには、穏健な保守派ばかりか、社民主義から共産主義までを支持する広義の「左派」層もしばしば含まれる――のふるまいではない、という一応の広範な合意がある(※)。なのに何故か?
※「正しい国民」は「人種差別には反対」と唱えなければならない、という規範は日本と比べ物にならないほど強い。西欧が「人権スタンダード」を振りかざして国際政治を占有している事には問題があるが、逆に「人権」への攻撃を通じた「タブー破り」が「正しい国民」となるイニシエーションと化している日本は、むしろ人倫のレベルで異常である。遠からぬうちにこの事実は、例えばG8の中で経済的利害が決定的に激突する事態が起きた際、他国が日本を集中攻撃する口実となるだろう。ちょうど現在の中国がそうされているように。
私の考えでは、現実において「正しい国民」が移民を差別するのは、自分たちを見舞う経済的脅威のシンボルとして彼らを見る(ような、右からのシンボル操作に容易に乗る事を許す窮状がある)からです。我々は「正しい国民」として、基本的には君たちと仲良くつき合ってあげてもいいけど、自分たちを襲っている経済的脅威に抵抗しなければ飢え死にしてしまう。だから君たちに反対するのは「イデオロギー」じゃないんだよ、と。これに対して、自由主義も社民主義も(さらにそれより左側の政党もしばしば)、「寛容」「多元性」といった倫理を強調した説得を切り札にしているが、これは世界経済の問題と直接対決するものではなく、「君たちも自分の国で活動した方が幸せじゃないか」という言説を否定するものでもない。すると、一国主義の枠内での経済問題の論理的解決として、それぞれの国で世界経済の暴力に最も明確に抵抗しているのは極右ということになる!
「赤いエミリア・ロマーニャ州へ北部同盟、進出」の記事の、以下の箇所は、そのことをよく示していると思います。
「さらに別の町サッスオーロにはロリス・マゼッリという投票行動を急進左派から北部同盟に移した工場労働者がいる。彼は、イタリア共産主義者党のディリベルトが町を訪れた時に、「私の妻がスーパーマーケットにいくと、買ったものを運ぶとき、いつも背後を気にしていないといけない。北アフリカ人がたくさんいて盗られるからですよ」それに対するディリベルトの返答は、イズモ〔筆者注:英語の-ism〕がたくさんあるもので、おおむね次のような趣旨だった「グローバリズムを過小評価するべきではないが、第三世界支援という選択を捨て去るわけにもいかない」。その返答について考え、マゼッリは支持を変えた。」
自分のイタリアに対する期待と憧れ(?)が、楽観的に過ぎたと反省しています。91年以降もしぶとく続いていたイタリアの議会内最左翼への支持は、東欧圏の解体にもかかわらず新しく生まれた「反資本主義」や「国際主義」的な精神への支持によるものと見積もっていたのですが、その実質の相当は「国民主義」という旧共産党の貯金/負債に支えられていたものだったとは……なかなか希望は遠い!
実はこの選挙に一番喜んでいるのは、結果として負けた民主党執行部かもしれません。同時期に行われたローマ市長選でも、15年ぶりに民主党系候補は落選したのですけど。ヴェルトローニは、二大政党制を志向していたという点ではベルルスコーニと同じでしたから。うるさい左翼は全て議会外に消え去ったため、安心して二大政党の一翼として、「反ベルルスコーニ連合」の軸をますます右側に置くこともできるわけです。
最後に、漫画をひとつ紹介しましょう。現在イタリアの広義の左派系メディアで最も人気のある漫画家の一人、マウロ・ビアーニが総選挙直後に発表した作品です。タイトルは「イタリア、右へ進む」。
http://farm4.static.flickr.com/3202/2417178754_3604215630_o.gif
王冠をかぶり緑・白・赤の三色を服にした「イタリア」は、しょんぼりした様子で「右」に向かっている。しかしよく見ると、彼女の進む道は円になっている。つまり、遠からぬうちに彼女は「左」へ帰って来る――こうビアーニは、民主党から共産主義再建党までの「左派」を、なかなかの機知で励ましています。しかし、これらの政党の議席が今後回復したとしても、それは「左」に国家や社会が進んだという事を必ずしも意味しないのかも知れない。どのような「左」が労働者階級および「プレカリアート」には必要なのか、また明示的であれ潜在的であれ、「左」に期待する人々すら有している国民主義の思想はどう批判されるべきか、これは日本にも共通する課題そのものではないでしょうか。
それではまた。
先日イタリアの左派についての話をしましたが、その後動きがありました。プローディ内閣の退陣に伴う、4月中旬に行われた上下院同時選挙は、端的に言って凶悪な結果となりました。すなわち、ベルルスコーニ派は「中道左派」民主党(※)の経済失政を上手く衝き大勝しました。
※イタリア民主党は、1991年に旧イタリア共産党が解体された際、いわゆる「マルクス・レーニン 主義」を完全に放棄し社民主義に路線転換することを標榜した党内多数派(左翼民主党、後に左翼民主派)が、中道政党を取り込み2007年に誕生。ただし現党首ヴェルトローニ(1955−)が、選挙スローガンの一つに「Yes, We Can!」というアメリカ民主党のオバマのそれを流用して話題となるなど、「社民」色より「リベラル」色を強調する傾向が見られます。一方で、旧共産党内少数派の潮流は現在も二つの共産主義政党を形成しています。
ここまでは日本のメディアも拾っていますが、さらに重要なのは、今回民主党が選挙協力をしなかったため「虹の左翼」連合を形成した議会内最左翼グループ(共産主義再建党・イタリア共産主義者党・社会党・緑の党・民主的左派)が、合わせて15パーセント弱あった議席をすべて失った事です。「すべて」というのは比喩ではありません。ベルルスコーニ時代に「二大政党制を目指して」改定された選挙法(上院では州ごとに8%、下院では全国で4%の得票率がない政党には、自動的に議席が配分されないというシステム)に、見事ひっかけられたという訳です。連合の中心となっていた共産主義再建党のジョルダーノ書記長は辞任、当分左翼間の混乱は収拾がつきそうにないです。
日本のネット版の『しんぶん赤旗』では特別な記事は出ていません。勝っていたら絶対取り上げたろうに……。この文章を書いている最中にようやく、『かけはし』のネット版に、再建党から分裂したトロツキー派の候補による記事が出ました(。ところで、この号の1面は別に興味深い。「中共でもダライ・ラマでもなく」のスローガンはよい。しかし平気で「右も左もなく」とかいうあの腐ったフレーズを左翼が口にするのはどういう事なのか?)。
もちろん、現存秩序に対抗的な人々の実力は議会とは必ずしも比例しないですし(レーニンやガンディーが、各々の革命に国会議員を必要としたでしょうか)、日本と比べると各種の自律的なファクター(労働組合、議会外新左翼、市民運動、反体制的サブカルチャー)もまだまだ強力なのは明らかです。しかしこの選挙結果はそれらにも影響を与えるでしょう。正直、対岸の火事とは思えません。
象徴的な意味でもこれは大事です。イタリアの歴史では、アンドレア・コスタという初期社会主義者が1882年に下院に当選して以来、ファシズム期をはさんだ100年以上、社会主義者・共産主義者を名乗る者が議会から消えた事は絶無でした。また、少なくとも第二次世界大戦以降の西欧諸国のうち、「社民」「社会」「労働」「共産」のうちどれかのキーワードを名乗っている政党が議会にない所は、独裁時代のスペインやポルトガルなどを除き存在しなかったと思います。ましてや、労働運動や左翼勢力が強力であるとして知られてきたイタリアで起こったことですから。これが近隣諸国に派生しなければよいですが……。
ただ、彼らの失敗の原因が選挙法の改悪にのみあるとも言い難い。「虹の左翼」諸党は、議会においてはプローディ内閣と連合していたわけですが、その中で「ニュー・レイバー」に通じる民主党の政策に相当程度賛成してきました。特に再建党は、かつてプローディ内閣を離脱して政権を瓦解させた「前科」があり、民主党からも下院議長などのポストを割り振られていたため、同調に気を使っていました。
それだけ彼らは「反ベルルスコーニの団結」を優先した訳ですが、「中道左派内閣」の一員としてベルルスコーニと似たような事をやるとすれば、意味はどこまであるのか(こういうジレンマを少数派に押しつけるような部分に、自分は「“ブルジョワ議会制度”のマジック」を感じもするのですが)。彼らは少なくとも議会をうまく使えなかったとは言える。民主党が独自で選挙戦を戦うと決定した時、かつて議会内最左翼に票を投じた人の多くは、選挙制度の変更による死票を恐れたのに加え、そもそも民主党に票を投じても同じ結果となるという考えに、容易に動く準備があったと思います。
さらに、北部を中心とした左翼の従来の地盤が、排他主義を唱える右翼政党「北部同盟」に動いたという高級紙の分析もあります。これについては、向こうの記事を翻訳している方がおられます。
「赤いエミリア・ロマーニャ州へ北部同盟、進出」
「エミリア・ロマーニャ州の投票分析」
この記事はその原因として、左翼が同性愛者や移民の擁護・エコロジー・フェミニズムといった「新しい社会運動」を結集軸としようとしたのに対し、人々が関心を持たなかったゆえと説明しています。そうかもしれません。しかしこの記事から読み取れるより重要な問題(翻訳者は気づいていないであろう)はおそらく、91年の旧イタリア共産党の解体後も左翼政党を支持し続けた人々の「支持の中身」が、相当に国民主義的な論理に支配されたものであったということです。
最近私は、一時期日本でも合同出版を中心に訳出されていた「ユーロコミュニズム」の本を何冊か読み、例えばエンリコ・ベルリングェル(70年代、旧共産党が最も議席を増やした時分の書記長)の演説には現代に通ずるような内容が何もない(例えば、いわゆる「ポスト・フォーディズム」の兆候などを全然掴んでいない)のにガッカリしたのですが、加えて彼の「共産主義」がものすごく国民主義的なニュアンスで語られていたのに愕然としました。グラムシを取り上げる事でソ連体制を批判するイタリア共産党のスタイルは日本でもずいぶん真似された(ている)ものですが、果たしてグラムシは自身の構想する革命のために「国民政党」を必要としていたのでしょうか。もちろんグラムシはそれを構成する一員として「階級政党」への改善要求はいくらも出していますが、彼の死後の党は彼を勝手に「国民政党」の看板にした訳です(日本で言えば、スケールこそ小さいが野呂栄太郎の扱いが似ているかも)。
私の素朴な疑問は、本質的に世界大に広がるものである(これは今に始まったことではない)資本主義経済の勢いに対して、原理的に一国単位のモデルが対抗しうるのかということです。たとえばコミンテルンは実践的には多くの面でろくでもない事が多かったですが、この事は必ずしも「一国社民主義」の正当性の担保とはならない。
金さんの論文で、「凡庸な政治学者」として山口二郎氏の名前が出ていましたが、本当に彼がおめでたいのは、ソヴィエト圏のような外的圧力がないのに「社民主義」(※)が成立しうる(しかも民主党によって!)と思っている部分です。さらに私の見るところ、彼の言うスタンダードである「社民主義と(新)自由主義の二大政党制」を旧来から採っていた国の多くにおいて、二大政党間の違いがどんどん薄くなり、かつ経済流動化の進展に疲弊した人々が、このシステムに明らかに倦みつつあります(イタリアの近年の政局に関しては、90年代前半までの比例制重視の選挙制度による、小党乱立と集合離散に倦んだ人々が「二大政党制」に対する期待を抱いた、と説明されます。しかし、「二大政党制」の成立を「真の民主制の成立」として賛美する人たちというのは、ほとんど機械的発展段階論者のように思えますね)。
※私は、少なくとも現在の西欧式社民主義、特に「ニュー・レイバー」化したそれは、もはや労働者階級(中・下層の)や「プレカリアート」にはほとんど利益にならないものとなっていると思っています。ただし、その外で実践されている「北欧式」社民主義には一定の関心を持っています(結局彼らも、移民問題などの大問題は未解決でしょうが)。私などもつい混同しがちですが、山口氏は「社民」という言葉で、「(70年代までの)西欧式社民主義」「北欧式社民主義」「ニュー・レイバー」の差をあいまいにしているように読めます。
ところで、日本の社民党は少なくとも「ニュー・レイバー」は支持していません。これは西欧の社民系諸政党の多くと比べれば、日本の労働者階級および「プレカリアート」にとって評価すべき態度です。ですが山口氏は、彼の「社民主義」なるものを社民党にではなく民主党に求めています。とすると、彼の「社民主義」なるものは「ニュー・レイバー」そのものかと疑うのが妥当ですが、彼は決してそう言いません。それとも山口氏は、西欧式であれ北欧式であれ旧来的な意味での社民主義を本気で民主党にやらせようとしているのかもしれません。しかし、毎度おなじみの松下政経塾出身の連中が、教育・福祉・医療に傾斜配分した公共支出の再編成の必要性や労働組合が経営者と常に合議する企業形態の素晴らしさを理解するようになるより、目下議席一ケタの社民党が今後政権を獲得する確率の方が高いでしょう。
二大政党制不信が、フランスのル=ペンやオーストリアのハイダーといった、ネオナチの台頭を生んでいるという指摘も一部でありますが、それからさらに考えることもできます。ヨーロッパ諸国においては、「人権」が政治・外交の話題の中心にあり、露骨な人種主義的イデオロギーを振り回す事は、それぞれの国の「正しい国民」――これには、穏健な保守派ばかりか、社民主義から共産主義までを支持する広義の「左派」層もしばしば含まれる――のふるまいではない、という一応の広範な合意がある(※)。なのに何故か?
※「正しい国民」は「人種差別には反対」と唱えなければならない、という規範は日本と比べ物にならないほど強い。西欧が「人権スタンダード」を振りかざして国際政治を占有している事には問題があるが、逆に「人権」への攻撃を通じた「タブー破り」が「正しい国民」となるイニシエーションと化している日本は、むしろ人倫のレベルで異常である。遠からぬうちにこの事実は、例えばG8の中で経済的利害が決定的に激突する事態が起きた際、他国が日本を集中攻撃する口実となるだろう。ちょうど現在の中国がそうされているように。
私の考えでは、現実において「正しい国民」が移民を差別するのは、自分たちを見舞う経済的脅威のシンボルとして彼らを見る(ような、右からのシンボル操作に容易に乗る事を許す窮状がある)からです。我々は「正しい国民」として、基本的には君たちと仲良くつき合ってあげてもいいけど、自分たちを襲っている経済的脅威に抵抗しなければ飢え死にしてしまう。だから君たちに反対するのは「イデオロギー」じゃないんだよ、と。これに対して、自由主義も社民主義も(さらにそれより左側の政党もしばしば)、「寛容」「多元性」といった倫理を強調した説得を切り札にしているが、これは世界経済の問題と直接対決するものではなく、「君たちも自分の国で活動した方が幸せじゃないか」という言説を否定するものでもない。すると、一国主義の枠内での経済問題の論理的解決として、それぞれの国で世界経済の暴力に最も明確に抵抗しているのは極右ということになる!
「赤いエミリア・ロマーニャ州へ北部同盟、進出」の記事の、以下の箇所は、そのことをよく示していると思います。
「さらに別の町サッスオーロにはロリス・マゼッリという投票行動を急進左派から北部同盟に移した工場労働者がいる。彼は、イタリア共産主義者党のディリベルトが町を訪れた時に、「私の妻がスーパーマーケットにいくと、買ったものを運ぶとき、いつも背後を気にしていないといけない。北アフリカ人がたくさんいて盗られるからですよ」それに対するディリベルトの返答は、イズモ〔筆者注:英語の-ism〕がたくさんあるもので、おおむね次のような趣旨だった「グローバリズムを過小評価するべきではないが、第三世界支援という選択を捨て去るわけにもいかない」。その返答について考え、マゼッリは支持を変えた。」
自分のイタリアに対する期待と憧れ(?)が、楽観的に過ぎたと反省しています。91年以降もしぶとく続いていたイタリアの議会内最左翼への支持は、東欧圏の解体にもかかわらず新しく生まれた「反資本主義」や「国際主義」的な精神への支持によるものと見積もっていたのですが、その実質の相当は「国民主義」という旧共産党の貯金/負債に支えられていたものだったとは……なかなか希望は遠い!
実はこの選挙に一番喜んでいるのは、結果として負けた民主党執行部かもしれません。同時期に行われたローマ市長選でも、15年ぶりに民主党系候補は落選したのですけど。ヴェルトローニは、二大政党制を志向していたという点ではベルルスコーニと同じでしたから。うるさい左翼は全て議会外に消え去ったため、安心して二大政党の一翼として、「反ベルルスコーニ連合」の軸をますます右側に置くこともできるわけです。
最後に、漫画をひとつ紹介しましょう。現在イタリアの広義の左派系メディアで最も人気のある漫画家の一人、マウロ・ビアーニが総選挙直後に発表した作品です。タイトルは「イタリア、右へ進む」。
http://farm4.static.flickr.com/3202/2417178754_3604215630_o.gif
王冠をかぶり緑・白・赤の三色を服にした「イタリア」は、しょんぼりした様子で「右」に向かっている。しかしよく見ると、彼女の進む道は円になっている。つまり、遠からぬうちに彼女は「左」へ帰って来る――こうビアーニは、民主党から共産主義再建党までの「左派」を、なかなかの機知で励ましています。しかし、これらの政党の議席が今後回復したとしても、それは「左」に国家や社会が進んだという事を必ずしも意味しないのかも知れない。どのような「左」が労働者階級および「プレカリアート」には必要なのか、また明示的であれ潜在的であれ、「左」に期待する人々すら有している国民主義の思想はどう批判されるべきか、これは日本にも共通する課題そのものではないでしょうか。
それではまた。
- 2008.05.26 00:00
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中西新太郎氏より:「<佐藤優現象>批判」について
「〈佐藤優現象〉批判」、興味深く、共感をもって読ませていただきました。佐藤優氏の主張については、金さんの仰るように、陳腐な(とはいえ90年代のグローバル資本主義−帝国主義秩序に対応するものかもしれません)国益論の域を出るものでなく、まるで興味を惹かれません。その主張が、なぜ「リベラル・左派」にもてはやされるのかに焦点を当てたご論文は、現代日本の歴史的位置と状況とを検証・検討するうえで、大変に有効かつ刺激的なアプローチだと思います。その問題把握に深く共感します。
90年代以降の政治言説(もちろん広い意味での政治です)が、言説の社会的・歴史的文脈への自覚を欠き、かつそうした自覚の欠如自体を有効な手段へと反転させて特定の政治舞台をつくり、ありうべき批判を排除してしまう構造を持つこと――この点をあきらかにするために、金さんが提起されているような問題把握が不可欠だと思います。
「論壇」(はたしてこの言葉がいまも有効で適切かどうか疑わしいところですが)をつらぬいている言説の政治を「論壇」が解明することは不可能に近く、「〈佐藤優現象〉批判」は、この困難な課題に挑んだ勇気ある試みではないでしょうか。「言説の政治」が日本社会の歴史的変化とどのようなかたちで共鳴・共犯関係を結んできたかについて検証することの重要性をあらためて感じさせられました。
私としては、70年代に始まった思想・イデオロギー変容と金さんが今回問題とされている90年代の状況とを俯瞰する「言説の政治」分析が必要だと感じています。
上の点とも関係しますが、「リベラル」とは何かについてきちんと議論すべき状況ですね。あいまいなリベラル意識が保守二大政党型の政治舞台づくりに結節していることの問題を金さんは指摘しておられます。それはそのとおりですが、あいまいなリベラル像が、新自由主義対福祉国家型リベラリズムという政治哲学上の対抗とはおそらく無縁に日本社会では流通していることの検討が必要だと思います。それは、「リベラル・左派」がなぜ、「・」で結ばれるのか、という問題ともかかわります。
もう一つ、この論文から触発されたことがらとして、東アジアの諸社会に対し、現代日本の言説政治が、たとえば「反日ナショナリズム」非難に典型的なように、特徴的な排除(排外主義)機能を果たしていることを考えると、「排除されない東アジア」がそうした言説政治のカウンターパートとして不可避的に想定されるという問題があります。「リベラル」な言説もふくめた、言説政治のいわば、「東アジアスパイラル」を批判的に検討すべき状況になっていると感じます。
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<管理人注>
中西新太郎氏から、私の論文を高く評価してくださるメールをいただいたため、該当部分をご本人の了解を得た上で、掲載する。中西氏については改めて紹介するまでもないだろう。現代日本社会へのその鋭い批評からは、私も多くを学んでいる。
90年代以降の広義の政治言説が、「ありうべき批判を排除してしまう構造」を作り出してしまっている、という中西氏の指摘は、特に重要である。
先日も、リベラル・左派系のメディアで活躍するある人物が、私の論文を意識していると思われる文脈で、日本の左派や社会運動は、内部闘争にエネルギーを浪費してばかりで大局に立てていない、などと述べていた。勝手に「一枚岩であるべき左翼陣営」なるものを設定して、その中に勝手に私まで加え(言うまでもないが、一緒にされる筋合いはない。ここ参照)、(批判内容ではなく)批判自体を不当だとしているわけである。「ありうべき批判を排除してしまう構造」そのものだ。こうした独善性に基づいた排除の姿勢は、私が首都圏労働組合のブログで述べている、岩波書店労働組合による私への嫌がらせや、それへの株式会社岩波書店による容認の根底にあるものであろう。
それにしても、リベラル・左派による私の論文への反応は、ほとんどがこんなレベルである。ここで批判した「大学4年生」の文章や、この佐高信の文章が典型であろう。この批判の排除の構造は、批判する主体が日本人であっても当然成り立つが、ましてや私の場合、<佐藤優現象>が排除する当の在日朝鮮人なのだから、二重に抑圧的である。この連中は、「君の利益は、自分たちの方がよくわかっているよ。だから黙っていろよ」と言っているわけだ。どこまで破廉恥なのだろうか。
前置きが長くなったが、中西氏の文章は、多くの示唆を含むものである。他の触発された点については、後日改めて論じたい。
90年代以降の政治言説(もちろん広い意味での政治です)が、言説の社会的・歴史的文脈への自覚を欠き、かつそうした自覚の欠如自体を有効な手段へと反転させて特定の政治舞台をつくり、ありうべき批判を排除してしまう構造を持つこと――この点をあきらかにするために、金さんが提起されているような問題把握が不可欠だと思います。
「論壇」(はたしてこの言葉がいまも有効で適切かどうか疑わしいところですが)をつらぬいている言説の政治を「論壇」が解明することは不可能に近く、「〈佐藤優現象〉批判」は、この困難な課題に挑んだ勇気ある試みではないでしょうか。「言説の政治」が日本社会の歴史的変化とどのようなかたちで共鳴・共犯関係を結んできたかについて検証することの重要性をあらためて感じさせられました。
私としては、70年代に始まった思想・イデオロギー変容と金さんが今回問題とされている90年代の状況とを俯瞰する「言説の政治」分析が必要だと感じています。
上の点とも関係しますが、「リベラル」とは何かについてきちんと議論すべき状況ですね。あいまいなリベラル意識が保守二大政党型の政治舞台づくりに結節していることの問題を金さんは指摘しておられます。それはそのとおりですが、あいまいなリベラル像が、新自由主義対福祉国家型リベラリズムという政治哲学上の対抗とはおそらく無縁に日本社会では流通していることの検討が必要だと思います。それは、「リベラル・左派」がなぜ、「・」で結ばれるのか、という問題ともかかわります。
もう一つ、この論文から触発されたことがらとして、東アジアの諸社会に対し、現代日本の言説政治が、たとえば「反日ナショナリズム」非難に典型的なように、特徴的な排除(排外主義)機能を果たしていることを考えると、「排除されない東アジア」がそうした言説政治のカウンターパートとして不可避的に想定されるという問題があります。「リベラル」な言説もふくめた、言説政治のいわば、「東アジアスパイラル」を批判的に検討すべき状況になっていると感じます。
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<管理人注>
中西新太郎氏から、私の論文を高く評価してくださるメールをいただいたため、該当部分をご本人の了解を得た上で、掲載する。中西氏については改めて紹介するまでもないだろう。現代日本社会へのその鋭い批評からは、私も多くを学んでいる。
90年代以降の広義の政治言説が、「ありうべき批判を排除してしまう構造」を作り出してしまっている、という中西氏の指摘は、特に重要である。
先日も、リベラル・左派系のメディアで活躍するある人物が、私の論文を意識していると思われる文脈で、日本の左派や社会運動は、内部闘争にエネルギーを浪費してばかりで大局に立てていない、などと述べていた。勝手に「一枚岩であるべき左翼陣営」なるものを設定して、その中に勝手に私まで加え(言うまでもないが、一緒にされる筋合いはない。ここ参照)、(批判内容ではなく)批判自体を不当だとしているわけである。「ありうべき批判を排除してしまう構造」そのものだ。こうした独善性に基づいた排除の姿勢は、私が首都圏労働組合のブログで述べている、岩波書店労働組合による私への嫌がらせや、それへの株式会社岩波書店による容認の根底にあるものであろう。
それにしても、リベラル・左派による私の論文への反応は、ほとんどがこんなレベルである。ここで批判した「大学4年生」の文章や、この佐高信の文章が典型であろう。この批判の排除の構造は、批判する主体が日本人であっても当然成り立つが、ましてや私の場合、<佐藤優現象>が排除する当の在日朝鮮人なのだから、二重に抑圧的である。この連中は、「君の利益は、自分たちの方がよくわかっているよ。だから黙っていろよ」と言っているわけだ。どこまで破廉恥なのだろうか。
前置きが長くなったが、中西氏の文章は、多くの示唆を含むものである。他の触発された点については、後日改めて論じたい。
- 2008.05.12 00:00
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