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梶村太一郎氏による「<佐藤優現象>批判」への推薦文 

私の尊敬する、ドイツ在住のジャーナリスト、梶村太一郎氏が、「撫順の奇跡を受け継ぐ会」のメーリングリストで、私の論文を高く評価してくださる文章を投稿しておられたので、御本人の承諾を得て、引用・転載させていただく。

梶村氏は、基本的に商業雑誌であれば両論併記もありうる、問題点は、読者も含めて誌上で論議すれば良い、という立場なので、金とは立場を異にするが、金の論文での護憲派ジャーナリズム批判は、護憲派ジャーナリズム内で徹底的に議論されるべき重要な問題提起である、というご認識である。

梶村氏は、私の論文の感想の投稿の中で、自身が2007年に「日本の論壇で読んだ論考では,非常に数少ない優れた痛快で鋭い批判」とした上で、以下のように書いておられる。

「わたしも、ちょうどマル2年間、訪日していないのですが、その間にこれほど、日本の左派、リベラル護憲派の「転向準備」が進んでいたとは気付きませんでした。事実であれば真性の危機です。

「うんなるほど、さもありなん」というのが、まず最初の感じです。それから、筆者の金光翔氏が何と、76年生まれの在日朝鮮人3世であることに、感銘しました。

なぜなら、わたしには、なぜこのような在日外国人の若い人(わたしの娘と同い年)が、このような論考を書かれるのかがよく理解できるからです。詳しくはまたの機会にしますが、わたしも外国人生活が長く、マイノリティーの力と鋭さを知っているからです。」


そして、私の論文がウェブ上で全文公開された際には、再度、私の論文を紹介する文章を投稿しておられる。以下は、その抜粋である。

「論文は1976年生まれの在日3世による、最近の日本の論壇に対する厳しい批判です。
わたしの見方は、在日外国人のこのような批判は、いわば「炭坑のなかのカナリヤ」のように、日本の危機に敏感に反応した悲鳴です。

日本の知識人はこの批判を警告として真剣に受け止める必要があります。

そして、これは佐藤氏への個人批判ではなく、あくまで<佐藤優現象>の批判ですから、そのようなものとして応答していかねばなりません。

ようやく全文が読めるので,論争がまともなものとして活発化することを希望します。」


なお、梶村氏の、いくつかの啓発的な文章は、季刊「中帰連」のサイトで読むことができる。http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/text/kajimura_huna.htm

梶村氏は恐らく、「進んで過ちを正しみずからに正義を回復する」(私の論文の「10.おわりに」で引用した安江良介の文より)ことを志向され、該博な知識と行動力をもって文筆活動を行っておられる、極めて貴重なジャーナリストである。私の論文・ブログの読者(特に若い読者)に、梶村氏の文筆活動への注目を呼びかけたい。
  • 2008.02.18 00:00 
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鈴木裕子「金光翔「<佐藤優現象>批判」を読んで」 

佐藤優氏があちこちのメディア媒体に登場するようになってからも、わたくしは佐藤氏の書いたものに特別な関心を持っていなかった。ところが、昨2007年7月末に米国下院で決議された、いわゆる「慰安婦」問題解決促進決議をめぐっての、『週刊 金曜日』誌上に載った佐藤氏の文章を読んで、ああ、やはり「国権主義者」だったのだなということを確認させられた次第であった。

最近、とみに気になっていることは、言論界全体の論調に「国益」が浸透してきているらしいことである。先の「慰安婦」決議のときも痛感したが、それまで「リベラル」であることを誇っていた言論機関・言論人の、「人権」よりも「国益」の観点を優位におく傾向が顕著になってきたように思える。私見では「歴史認識」をめぐる問題の対応がその見本である。

そういう折に手にしたのが、金光翔氏の「<佐藤優現象>批判」(『インパクション』第160号・2007年11月)であった。1976年生まれ、という筆者の若さにまず驚いた。その読書力にも驚かされた。が、最も舌を巻いたのは、その分析力の鋭さである。日本の言論界ひいては思想界が溶解しはじめているのは、大分前から感じさせられていたものの、その「謎とき」に、金光翔氏の論稿は大きく示唆を与えてくれるものであった。

佐藤優氏の正体は、国家主義者そのものであり、「国益」論者であるのは、先の『週刊 金曜日』掲載の一文を読めば容易に分ることである。問題は、その佐藤氏が左派系・リベラル系メディアにおいてももてはやされている背景・土壌であろう。

さて、<佐藤優現象>と同質なものとして、わたくしは最近<朴裕河現象>なるものがあると思う。朴裕河氏の著作『和解のために』が2007年度の「大仏次郎論壇賞」(朝日新聞社)を受賞してにわかにもてはやされている。が、そこに至るまでに日本側関係者によって周到な準備がなされてきたものと思われてならない。佐藤氏同様、率直にいって朴氏の著作のレベルはどう見ても高くない。リベラルないし進歩派さらにはフェミニストを自称している一部知識人や大手言論機関が激賞している、その背後に何らかの意図や企みが働いているのではないかとわたくしには思われてならない。

金光翔氏の「<佐藤優現象>批判」は、「一佐藤優」問題にとどまらず、今日の日本の思想言論状況について、多くを考えさせ、触発させてくれる論稿である。それだけにこの論稿を発表するにあたっては相当の勇気を要したであろうことが推測される。また発表後のリアクションも相当程度あるのではないかとの危惧も覚える。前途多望な若い思想者の芽を摘まないでほしいと思うこと大である。
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<管理人注>
私の尊敬する女性史研究者・鈴木裕子氏が、私の論文を高く評価して下さっているとのことだったので、文章の寄稿を依頼したところ、ありがたいことに快諾して下さった。下に、鈴木氏からいただいた文章を掲載する。鈴木氏が指摘している<朴裕河現象>は、<佐藤優現象>と同質の、重要な現象であり、朴裕河をどう評価するかは、ある種のリトマス紙の役割を果たしている。

なお、鈴木氏の著作からは、私は非常に多くのことを学ばせていただいている。特に、鈴木氏による、「国民基金」と、その推進者をはじめとした「国民基金」に関する言説への批判(特に、『天皇制・「慰安婦」・フェミニズム』(インパクト出版会、2002年))は、私の論文の所論とも密接に関連していると思うので、私の論文に関心を持った読者には是非読んでいただきたい。
下のリンク先で、鈴木氏の最近の文章を読むことができる。

「国民基金」(女性のためのアジア平和国民基金)とは何であったのか(上)
「国民基金」(女性のためのアジア平和国民基金)とは何であったのか(中)
「国民基金」(女性のためのアジア平和国民基金)とは何であったのか(下)
  • 2008.02.14 00:00 
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