護憲論の2つの立場 [2008-10-14 00:00 by kollwitz2000]
メモ1 [2008-10-13 00:00 by kollwitz2000] 仰天しました――『金曜日』と「日の丸」 [2008-10-11 00:00 by kollwitz2000] 長くなるが、坂本義和『地球時代に生きる日本――憲法と「国際貢献」』(ききて:安江良介、岩波ブックレット、1991年9月)より、いくつかの文章を引用する(以下、強調はすべて引用者)。
「安江 リー・クアンユー氏は『読売新聞』のインタビューでは、日本の経済力からして国際的にしかるべきことをしなければいけないだろう、掃海艇の派遣もしなければいけないかもしれない。しかし、それにたいしてアジアにおいては反対論があるので、その反対論を軽減するためには、「日本がいかに早く、他国民、とくに戦争の犠牲となったアジアの人びとを納得させられるのかにかかっている」といっています。そのとおりだと思います。ところが、日本のなかでの自衛隊の問題とか、これらの国際貢献を考えていくときに、この問題は抜けてしまっています。これが一つです。/さきほど憲法の問題についていわれましたが、ドイツのヴァイツゼッカー大統領は、湾岸戦争のなかで、ドイツも金を出さないとか、軍隊を派遣しないといろいろ批判されているけれども、「ドイツは歴史の重荷にかんがみて、新たな軍事勢力になってはならないという前提から出発した」のだといいながら、憲法に書いてあるからなにかをしないかということではなくて、ドイツの軍事的行動が、自らの国土と同盟国の領域内に限られるべきだというのは、近隣国とドイツ人自身の気持ちが、戦後の全期間を通じて、そのことで完全に一致していた結果なのです」(『世界』1991年2月号)といっています。日本のなかに、自衛隊派遣について賛成する側も、危惧をもっている側も、はたしてそれと同じだけのつよさがあるかないか、これが二つ目の問題です。」(37~38頁) 「坂本 戦後長いあいだの憲法論議を、いまの時点に立って見なおすべきだと思います。私自身についていえば、憲法を守るといってきたのは、決して抽象的な原則論として語ってきたわけではないし、真空のなかで議論していたわけではありません。少なくとも二つの基本的に重要で具体的な文脈が私にはあるのです。/一つはいまのお話のとおり、日本の戦争責任、侵略責任という歴史の文脈のなかで、反省のあかしとして憲法を堅持しなければいけないということです。もう一つは、戦後の冷戦という国際政治の文脈のなかで憲法にのっとった政策をとることが、日本のとるべき選択であるということ、この二つです。/そのうちの第二の文脈で、私は中立主義政策による日本の東西緊張緩和への貢献を考えてきましたが、冷戦の終結によって、この第二の文脈は大きく変わりました。これにたいして、第一の文脈はまだ変わらずに残っています。ですから、いま憲法と、それに立脚した日本の政策とを考えるときには、またみずからの歴史的責任の重みを自覚すべきであって、それをふまえないで、自衛隊派遣やPKO参加を議論するのはたいへんな間違いだと思います。今の時点で私が、自衛隊がそのままで海外出動することに反対する最大の理由はこの点にあります。冷戦は日本が始めたことではなく、日本国民の意思をこえて始まったものですが、朝鮮植民地化、日中戦争、太平洋戦争などは日本が選択したことであり、それだけに日本の責任は重いのです。」(40~41頁) 「坂本 (注・国連平和維持活動について、自衛隊とは)別組織にして、場合によっては参加を個人とし志望する隊員を含めていいのですが、大事なことは身分を切りかえるということです。ここでも焦点は、憲法と自衛隊とPKOとのつじつま合わせなどではありません。そうではなくて、かりに自衛隊にいた人が参加する場合、「自分は自衛隊員として行くのではなく、国連の平和維持組織の一員として行くのです」という姿勢をハッキリ示すこと、これがアジアの国に対する歴史的責任という点から、きわめて重要だと思うのです。歴史的責任を負うという、そうした主体的な選択のあらわれの制度的なあかしとして、身分の切りかえをするのです。」(45~46頁) 「坂本 PKOについて、スウェーデン、カナダなどを視察して参考にするのはいいですが、これらの国と日本とでは歴史的な戦争責任がちがうのです。アジアの諸国民が反対したりしぶしぶ支持したりするのでなく、積極的に支持し評価する、そういうかたちで日本はPKOに参加すべきなのです。」(46頁) 「坂本 かりに憲章どおりの国連軍ができたからといって、日本が自動的に軍隊を派遣しなければならないわけではないと思います。国連憲章43条のいうように、これは加盟国と安全保障理事会との個別の協定にもとづいて決められるので、日本は後方支援とか、その他の「援助や便益」の提供に限ればいいのです。くりかえしていえば、これは単に憲法上できないといった消極的な理由ではなく、歴史的責任を明らかにするという主体的な選択なのです。」 ここで安江と坂本は、一貫して、「戦争責任、侵略責任」と関連付けて、憲法を捉えている。だから、「国際貢献」も、単に9条との整合性を問題にしているのではなく、「歴史的責任を負」っている(過去清算が終わっていない)ために、近隣諸国に軍事的脅威を与えない方策が志向されている(ただ、坂本の具体的な方策は両義的である。ここで私が注目しているのは「歴史的責任」と憲法との関連付けという認識である)。 そして、この立場は、私がかつて書いた、アジア諸国からの「押し付け」としての憲法9条という認識ともかなり重なるものである。 2000年代以降の護憲運動においては、こうした、日本の侵略責任・戦争責任の観点から憲法を捉えるという視点がほとんどなくなったように思われる(もちろん、元々希薄だったのである)。改憲論への対抗のために、9条の平和主義・理想主義・先進性などの素晴らしさ(9条の「リアリズム」を説く言説もここに含まれる)を訴える中で、9条を外部からの制約、外部への誓約(たるべきもの)と捉える認識は後景に退けられ、憲法は「敗北を抱きしめて」日本国民が自分のものとして獲得したものとされることになる(戦後日本における9条の規範力としての役割を全否定しているわけではない。これについては別の機会に触れる)。 こうした認識こそが、以前書いた、2005・6年以降のリベラル・左派における「戦後社会」肯定言説の蔓延を準備した、と私は思う。 上記の安江・坂本の発言のように、憲法を侵略責任・戦争責任と関連付けて捉えない限り、護憲論は、民主党的な解釈改憲論に帰結するだろう。もちろんそれは、憲法と自衛隊の「つじつまあわせ」であって、「歴史的責任」などという認識の入る余地はない。 議論をもっと進めてみよう。民主党的な解釈改憲論とは、朝日新聞の「提言 日本の新戦略―地球貢献国家を目指そう」(2007年5月3日)が、その典型である。 この朝日の提言は、一言でまとめると、対テロ戦争推進のための解釈改憲論である。ところが、朝日はこの中で、次のように述べている。 「9条には、二度と侵略の愚を繰り返さないという宣言の意味がこもっている。とりわけアジアでは「9条を持つ国」の安心感が役に立つ。」(「1.〈総論〉地球貢献国家」) 「侵略戦争と植民地支配という負の歴史への、反省のメッセージとして9条は国際社会に受け止められた。あの過ちを繰り返さないという、国民の真摯(しんし)な思いが読み取れたからこそ、戦後の日本と日本人への信頼を取り戻すことができた。/まだ過去の傷の癒えない人々が近隣諸国にいる。戦争や植民地を経験しなかった世代にも、記憶や歴史は引き継がれていく。9条でメッセージを発し続ける意味は今も失われない。」 そして、この提言を取りまとめた、論説主幹(当時)の若宮啓文は、提言について、以下のように述べている。 「「戦争放棄」を掲げ、軍隊をもたないことを宣言した憲法9条は、日本の野心のなさを印象づけています。それは「地球貢献国家」にとって格好の資産。だから9条は変えず、日本の平和ブランドとして活用する方がよいし、アジアで和解を進めつつ緩やかな共同体づくりをめざすにも、あるいは独自のイスラム外交を展開するにも、この憲法を日本のソフトパワーの象徴として生かす方が戦略的ではないか。それが結論でした。」(朝日新聞論説委員室編『地球貢献国家と憲法――提言・日本の新戦略』2007年11月、ⅳ頁) 上記の安江・坂本の発言では、「歴史的責任」を問うアジア諸国に「主体的」に向き合うために、9条の擁護が謳われていた。ところが、朝日新聞の提言では、アジア諸国を出し抜くために、9条が、イチジクの葉として使われているのである。9条は、あってもなくてもどうでもよいが(解釈改憲で制約は乗り越えるから)、特にアジア諸国向けのイチジクの葉として、「反日」を抑制するツールとして使えるから、残しておくわけである。 鶴見俊輔・加々美光行編『無根のナショナリズムを超えて――竹内好を再考する』(日本評論社、2007年7月)を読んでいたら、いい言葉に出会ったので、メモしておこう(この本自体は大して薦めないが)。鶴見俊輔の発言である。
「私がメキシコに住んでる時に、同僚に台湾出身の人がいて中国語を教えていた。彼が私に言うにはね、彼の親父は中国大陸から国民党と一緒に台湾に移ってきた人なんだ。だから、日本占領下のいろんなことを知ってるわけですね。彼の息子に対しての遺訓はね、「日本の知識人というのは、日本国家の方針が変われば全部それと一緒になって変わるから、決して信用するな。どんなに人が良くても、知識は非常に豊富であっても、決して心を許すな」。それが親父の遺訓なんだ。私はそれを聞いてね、なるほどと思いましたよ。というのは、私の日本の知識人に対する見方と同じだから。我が意を得たりと思ったね(笑)。それが私の転向研究の底にあるものなんですよ。」 鶴見の転向研究の実際はさておき、この「遺訓」は、心に留めておきたい。 発売されたばかりのの『金曜日』2008年10月10日号を読んでいたら、北村肇編集長の「『週刊金曜日』もよくネットで攻撃されます。時間のムダなので見ないけど」という発言が載っていた(「編集長連続インタビュー 第1回」)。呆れたので叩こうかと思ったのだが、何気なく背表紙の広告を見て、仰天し、書く気を失ってしまった。
上の方の写真が、背表紙下部の写真。その下の写真は、その一部の拡大図。 この集会ポスター(ちらし?)の日の丸、これ、アイロニーとかで使われてるわけではないな。「打ってでよう」というスローガンの旗印として、使われている。一番上の写真の集会告知のデザインも、日の丸の図柄が参照されているように思う。 愛国主義的左翼というわけですか。前回の記事の「(注)」で、山口二郎と萱野稔人(2人とも、『金曜日』の常連執筆者である)の発言を紹介したが、それらの主張そのまんまである。もちろんここでの「自由の女神」は、山口が言うところの「能動的市民」の隠喩であろう。かつて、日の丸・君が代問題が、リベラル・左派内部において、大日本帝国との連続性の象徴としては問題にされなくなっていることを指摘した(「思想・良心の自由」による反対論の陥穽」)が、今から考えると、それも当たり前といえば当たり前だったわけだ。 それにしても、ここまでストレートに『金曜日』が日の丸を掲げてくるとは予想していなかった。前書いた記事で、「護憲派ジャーナリズムにとって現在は(注・「国益」中心主義的なリベラルへの変質の)過渡期なのであって、護憲派ジャーナリズムが佐藤を使うにあたっての言い訳や論理は、恐らく、この過渡期にのみ観察できるものである」と書いたが、誤りだったようだ。『金曜日』の「国益」中心主義への変質は、完了していたわけである。これならば、佐藤優が登場してもおかしくもなんともないだろう。『金曜日』の変質をこれほどわかりやすく示してくれたという意味では、わざわざ変質を指摘する労を省いてくれてありがたいとは言える。 最近の『金曜日』は、一昔前ならば載るのが考えられなかった記事が多いが、この「日の丸」はその総仕上げだろう。9・11陰謀論にまでのめりこみつつある(この点は、msq氏のサイトや、南雲和夫氏のブログで論じられている)が、何か歯止めがなくなってしまっている(カルト化?)ようである。 このポスターは、『金曜日』が創刊15周年という「大集会」で新しいスタートを切るにあたって、まさにうってつけのものだ。「日の丸」を積極的に掲げる大国主義的な「護憲派」。もう、『金曜日』に影響を受ける「左派」や「市民」など、心配する方が間違っているのかもしれない。そうした読者がいれば、最早それは共犯関係であり、「騙されたがっている」ということだろう。 『金曜日』のこの15年間は、いったい何だったのだろうか。15年前、創刊時の関係者や読者は、15年後に「日の丸」を『金曜日』が掲げていることを予期していただろうか。 なお、『金曜日』同号で、山口泉は、『週刊朝日』による、宮崎あおいへの「“メディア・テロ”の典型」の記事を捉えて、以下のように述べている(「きんようぶんか テレビ」)。 「私は一瞬、別の週刊誌ではないかと疑ったほどですが、今や新聞・雑誌ごとの旗幟の違いなどなきに等しく、つい、この間まで“進歩派”“革新”の看板を掲げていたはずのオピニオン・ジャーナリズムが雪崩を打って新保守主義の別働隊と化している以上、こんなことはいちいち驚くに当たらないのでしょう。」 山口さん、それ、『金曜日』のことですか。 それにしても、『金曜日』社員が、この「大集会」のポスターだかチラシだかの配布や貼り付けの会社指示を、「良心の自由」をたてに拒否した場合、それは認められるのだろうか。佐高信社長や北村編集長に聞いてみたい。
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