韓国による竹島の"誘拐"を許すな!
川崎といえば(主に在日)朝鮮人の街。そして朝鮮人といえば犯罪。
それが偏見でも誹謗中傷でもない事は、このサイトを見ても判るように
数値で立証できるものです。
今回は、川崎市にある日本で唯一の税務官殉職碑をご紹介します。
この碑は山野車輪氏著「在日の地図〜大韓棄民国物語〜」でも
紹介されているので、ご存知の方も少なくないかもしれません。
ご覧になっていない方は、是非ご覧下さい。
やや遠目の撮影なので分かりにくいかもしれませんが、
殉職税務官吏 故端山豊蔵之碑
と書いてあります。この碑(の表)は当時の大蔵大臣・池田勇人氏が
揮毫しています。また、裏には殉職碑の建立に至った経緯が書かれて
いますので、原文のまま紹介します。但し、原文は句読点がなく、また
旧字体が多用されているので、ところどころ補足してあります。
予め、ご了承下さい。
故・大蔵事務官端山豊蔵氏は終戦後、世態の劇變※1に伴う道徳の
頽廢に因り、税法違反、日に多きを加えんとするに際し、神奈川税務所
間税課長として、これら悪質犯則の摘發に日夜鞅掌※2しつつありたるが、偶偶昭和二十二年六月二十二日第三國人酒類密造※3の報に接し、
卒先課●※4を統卆してこれが取締に當りたる處、不幸凶漢の不逞の
報復に遭い、遂に前途有為の身を犠牲に供し、その職に殉ずるに至り
たるは、寔※5に痛歎の極にして遺族の衷情を察するとき真に哀悼に愖え
ざるも、君が烈々たる職責遂行の信念と事に當りての果敢な行動とは、
全国六萬税務官吏の旗標として同僚を奮起せしむると共に、國民の
正義感に訴え、弛緩せる道義心を肅然たらしむものあり。茲に、同僚
有志として君が殉職を丘卩※6む者相諮り、資を捐て※7碑を建て、君が
名誉※8を永く後世に傅えんとするものなり。
昭和二十五年十月一日 東京国税局長 阪田泰二 誌
当時、朝鮮人は川崎市桜本町に千人位の部落を作り、大々的に酒類の
密造を行っており、法秩序を無視した存在となっていたので取り締まりに
当たる事になりました。これはGHQから要請された事でもあり、いかに
彼らが傍若無人に振る舞っていたかが分かります。
この時、先頭に立って働いていたのが端山課長で、物品の押収や残務
処理を終えての帰り道に、京急川崎駅近くで闇討ちに遭い、その時に
腸が切れた事が原因で亡くなりました。
現在は未記ですが、在特会公式サイトの「在日Q&A」で【戦後の在日
事件編】を取り上げる予定なので、このエントリーが一助になれば、と
思っています。
注釈集
※1 現代字では「激変」。原字まま
※2 鞅掌=「おうしょう」。忙しく立ち働いて、暇のない事
※3 この密造酒とは、ドブロクの事
※4 恐らくは員の旧字体。原字は「員」の口の部分が"ム"
※5 現代字では「是」。原文まま
※6 原字では丘を遍に、卩を作りにした一文字の漢字。
文面から「いたむ(悼む)」と推測される
※7 「すて(=捨て)」と読む
※8 原文では全く違う文字だが、IMEでは記述不可能な文字
この事件というのは当時ニュースになって盛んに報じられたのでしょうか?
また、税務官が殉職したケースというのは他にあるのでしょうか?
そして、この件は現在働いておられる税務官の方々も知っておられるのでしょうか?
この件然り、東武東上線のときわ台駅付近の踏切内に入り、電車に轢かれて死のうとした女性を助け出そうとして殉職した宮本警部の件然り、イラクでテロリストに襲撃され殉職した奥大使と井ノ上一等書記官の件然り、新大久保駅で泥酔した男性が線路に転落し、男性を助けようとして亡くなった韓国人留学生と「日本人男性」の件然り、時が経つと忘れ去られてしまう…。
特に、新大久保駅の件では、韓国人留学生のみが男性を助けようとしたという話になり、関根さんという日本人男性が、転落した泥酔男性を助けようとして亡くなったことが、残念ながら(いや意図的に?)忘れ去られてしまっています。
「失敗学」ではないですが、この税務官殉職の件から学べることはあるのに、学ぼうとしない日本人の体質にも問題があると思います。
話はズレますが、だから何か大問題・大惨事が起きた時、責任追及や吊るし上げ等ファッショ的な行動しかせず、結局原因追究が何ら行われないんですよね…。
「司法の場で原因が明らかになるだろう」と思っている人が多いけど、結局司法の場ではきちんとした原因追究は行われず、責任追及しか行われないことが分かっていないと思います。
年金問題で首相や、社保庁の長官、厚労相を叩くけど、結局実際に年金掛け金をネコババしていた公務員連中のトンズラを許し、原因追究が何らなされない。
福知山脱線事故の記者会見で、JR西日本の幹部らを、国民の代表面した記者達が、「社長呼べや!人が死んでんねんで!」と叩いていたけど、結局幹部が「責任をとって辞職します」と言って辞職し、天下りを許しただけで、結局根本原因の追究と改善が行われないままです。
現代日本人は「烏合の衆」なのかと思ってしまいます。
流石のGHQも在日の悪逆非道振りに眉を顰め、対策を講じなければ、と要請したのでしょう。本来なら密造酒の摘発、押収は危険で有り、警察官の職務ですが、警察官では無くて、税務官であった事は、政府の苦肉の策だったのでしょう!、警察官が襲われたのなら、情況に依るが、武器を所持して居る事も有り、更に武道には心得が有って易々とは命は奪われ無かったであろうと思うと無念です!。此の事件は警察官は第三国人には手が出せなかった事が真実で有るのを物語って居ます。
”濁酒(ドブロク)”は懐かしい言葉ですネ、久しく此の言葉を聞きませんでした。部落民が在日と結託してドブロク、ヒロポンを密造して居ました。当時の繋がりが現在の市民団体の基と成ったのだと思います。
要するに犯罪者の集団が差別を声高らかに叫び、自虐思想の虜に成った自虐教徒初代の世代の優柔不断の措置で市民権を得た仕舞った様です。
終戦直後、暗黒の時代の負の遺産を日本は21世紀まで引き摺って居る。
安倍首相(当時)が標榜した戦後体制(レジームの言葉は私は大嫌い)からの脱却が今と成っては、懐かしいが、虚ろに響く今日です!。
大三国人は第三国人の誤りでしあ!。失礼しました。
この事件に関する報道具合はこれからの調査になりますが、
川崎南税務署員は折に触れて碑を掃除し、
また東京国税局では毎年、端山氏の命日に法要を
営んでいるという事です(内薗惟幾氏(元・税務
大学校研究部教授)著「税務署員の殉難小史」より)。
>小山圭介さん
当時の三国人が腕章を巻いてまで自己の存在を
誇示していた事、濁酒のみならずヒロポンさえ
密造(という事は、当然ながら販売も)していた事は
知りませんでした。
そういえば、戦後直後を舞台にした「はだしのゲン」や
「哲也」(雀士、阿佐田哲也氏の物語)でヒロポンを
射つシーンが出てきますが、あれの黒幕は…。