きぷん・そり 小 ロゴ


 
 家 族 

50代の夫婦と3人の子供達。
在日KOREAN。
そして、CHRISTIAN。


 50を過ぎて 
 50を過ぎて、ある日急に、肩が痛くなりました。いわゆる四十肩、50になったから五十肩にいよいよなった模様です。 前に彼が四十肩になった時、早く直るようにと病院へ行くように口を酸っぱくして勧めました。 いざ自分がそうなると、病院へ行くのが面倒くさい・・・ それで取り敢えず、ピップエレキ版を肩の周辺の痛い所にぺたぺた張ってみました。 2〜3週間で、何となく痛くなくなっている。エレキバンとったらまた痛くなるかもとは思いつつも、 もう大丈夫かな〜って思い始めている、今日この頃です。


 携帯電話 
問題の携帯電話  ずいぶん前から、ずっと彼女は携帯電話を欲しかったらしい。  中学を卒業すると、携帯電話が欲しいと初めて口にした。  中学3年の時には、もうクラスのほとんどの子供が持っていた、と彼女は言う。  高校生になるから、携帯を持ちたいと。
 私は小中はもちろん高校生も携帯を持つ必要はないと思っている。  子供が携帯電話を持って、結局は、携帯に依存した生活を送るようになると思うからだ。  部屋にこもったり、メールばかりしていたり、いいことはない様に思う。  人と実際に触れ合って、話して、かかわって、人間性を高めて欲しいと思う。  世間を見ていると、携帯はそういうことから子供を遠ざけてしまうように感じる。
 ところで、娘は一番味方してくれる人を、しっかり味方にした。  そう、아버지―アボジ(父親)―を。  今までだって一人だけ持っていなかったのに、 高校生になっても携帯がなくて仲間はずれになったらかわいそうだと。  携帯がないから友達になれないのなら、そんな了見の狭い子とは友達になる必要ないと言うと、 君はそんなに強いのかと返してくる。  私はそんなに強いし、この子ももっと強い子になれるというと、 ひどい親だと返してくる。  挙句の果てに、末娘に持たせないのなら上の二人の携帯も必要ないと言い出す始末。  そんな話し合い?を何回か繰り返した。  すったもんだの末、3月の終わりについに彼女は、目出度く?携帯を手にした。

 ちなみにオレンジ色の携帯が末娘のもの。  クリーム色の携帯がもう5年使っている、娘が臨時に持つことも拒んだ私の携帯。  銀色の携帯が、電池が持たなくなって、目出度く新しくした私の携帯。 

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 オンニ 
いとことその娘と記念に  10月の後半、韓国のいとこが来日した。 久しぶりの再会だ。  私が 「언니 オンニ」 (お姉さん) と呼ぶ身内は、この人だけだ。  オンニと呼ぶ機会が普段あまりにも少なくて、初めのうちは何となく気恥ずかしい思いがする。  でもすぐに、心地よい響きとなって、私の体を駆け巡る。  언니、 オンニ、 と呼ぶと、暖かい気持ちになる。
 私もそう思ってもらえる、언니になっているのかな・・・ 



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 西武ライオンズ 
 2004年シリーズ、前半戦を辛うじて首位で折り返すことができた。  監督一年目の伊藤監督、カブレラの骨折、シーズン前は、今年は優勝できなくても仕方ない、 なんて思ったりしていた。 ところがふたを開けてみれば、なかなか。  みんなよく頑張っていて、我が家は気を揉みながらも、ニコニコだ。  後半戦も頑張ろう!!
 みんな頑張ってるんだから、私達も頑張って、今年は球場まで行こう!!
 それにしても、野球はどうなるのだろう。 パ・リーグ、存続しようよ。  2リーグ制を維持して、球界の活性化を考えようよ!!     近鉄とオリックスは本当に合併するのか。 パ・リーグのもう一組の合併って、何処と何処?  近鉄買収に名乗りを上げた”ライブドア”に買収させてあげて!  そして何よりも、ナベツネっていう人、もういい加減うんざりだ〜。

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 春 
 春が近づくと、実家へ上がる道は 「菜の花街道」 になる。 高さが1m以上に育った菜の花の黄色い花がいっせいに開いてきれいだ。 年々花の量が増えている。山側はすみれが、おおいぬのふぐりが、ハルジオンやヒメジオンが、 小さなかわいらしい名も知らぬ花が、一面をおおう。少し目を上げると山桜がそこここに咲いて、 はらはらと花びらが舞う。蝶もひらひら舞っている。
 各家の庭や、公園や、道端、色々な所で、花に色取られたこの時期は、とても気持ちがいい。  ところがあちこちで花が咲き始めると、我が家にはどこからかカメムシが飛来?!する。 また不用意に洗濯物に付いていたカメムシを触って、強烈なにおいが・・・・ 。  まだ今は1〜2匹見つける程度なのでいいですが、やっぱり今年もカメムシは来るのねと、 がっくりしました。ちなみに、カメムシは白っぽい色の洗濯物によく付きます。

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 温泉 
 何年か前から、正月が終わったころに、親戚一同で温泉へ一泊旅行に行きます。
 「最初は一度みんなで行こうよ」と掛け声をかけて、エイヤ! と行きました。 次の年には、親族の一人が還暦だからいこう!! と出かけました。 そうしている内に、「なんだから、今年も行こうか!!! 」という感じで、 毎年行くようになっていました。それがまた楽しいから、毎年、心待ちにしています。 恒例行事になりつつあるのか、すでに恒例になったのか・・・ 
 今年は箱根に行ってきま〜す。

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 誕生日 
 12月14日は彼の誕生日。
 一年に一度、襟を正して、両親に生んでくれた事、育ててくれた事を、心から感謝する日です。 自分が年齢を重ねる毎に、改めて、親の愛に深い感謝の念を覚えようになりました。 だから誕生日はいくつになっても、とても大切な日です。 この日には、感謝の気持ちを込めて、両親にプレゼントを送りたいと思っています。
 彼には、毎年、大好きなサッカーの「TOYOTAカップ」の試合の券をプレゼントしたいと、 ずっと思っていますが、まだ実現していません・・・ 来年こそ、プレゼントしてあげたい。

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 結婚記念日 
 10月10日は結婚記念日。今年この日を迎えて、結婚して丸々22年が過ぎた。 23年目に突入だ。月日が過ぎるのは、つくづく早いと思う。 この間におきたさまざまな事は、みんな二人の財産だと、しみじみ思う。 そして、こんなに長い間お互いに愛情を持って過ごせた事を、神様に感謝。 その豊かな愛と恵みと導きに、心から感謝の祈りを捧げます。
 昨日は二人で食事に行った。ジャズのライブを聴きながらの食事、ゆったり時間が流れた。 照明を落とした店内で、ジャズを聴いたり、おしゃべりをしたり、とても楽しかった。 店のオーナーからシャンパンをご馳走になったりして、「記念日」という感じだった。 これからは健康に気をつけて、互いに思いやり、いたわりあい、暮らして行きたい。

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 バーベキュー 
バーベキュー  春から秋にかけて、実家で時々(無理やり?!)バーベキューをします。 両親は家の中で普通に食事したいかもしれないけど、気持ちいいからとか、 誕生日だからとか、適当に理由をつけて、押しかけていきます。 若い人はお肉が中心ですが、我が家は必ず魚介類も入ります。 鯵や秋刀魚は外で炭で焼くと、とてもおいしいですね。生もいいけど、干物もいけます。 バーベキューは屋外だから、煙やにおいを気にせずに、思いっきり焼けるのでいいですね。 実家は山あいにあって、近所に家も少ないところなので、 照明をつけて夜遅くまで外でにぎやかに過ごせます。きもちいいですよ〜!!

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 寄る年波 

 寄る年波には勝てません。
 40代も半ばを過ぎると、身体的な衰えはどうしても認めざるを得ません。 からだは動きが以前ほど機敏ではないし、疲れが取れにくいし、フットワークも軽くない。 そんな彼と私ではありますが、密かに、百円ショップで老眼のめがねを買って愛用しています。 普段は字を読む時に昔より焦点が少し遠くなったかなと感じる程度ですが、 細かいものが見えにくくなってきました。パソマニアの彼も機械をいじる時は、このめがねに お世話になっています。先日遊びに来た叔父に、老眼もちゃんと目に合わせて作ったほうがいいよと アドバイスを受けました。百円ショップのめがねもよく見えるけれど、 でもちゃんと自分の目にあわせないと老眼が進んでしまうとの事。 だけどね、作るとなると百円では出来ないし、それに老眼ね・・・  今、思案中です。

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 遠賀郡 

 「遠賀郡」を知ってますか。
 母なる大河(彼はこう呼んでます)「遠賀川」は知っている人も多くなるかな。
 遠賀郡は福岡県です。福岡市と北九州市の間にあります。福岡県の大都市、博多と小倉。 遠賀郡から一番近い町で、黒崎という町(北九州市)があります。 横須賀生まれの私は結婚する時に「黒崎」で結婚の買い物をした時、大きな町だなと思いました。  (この前遊びに来た甥達が言うには、今は黒崎もさびれて見る影がないとの事。 地方の都市は大変なんだなと思いました。)  二つの政令指定都市に挟まれたベッドタウン的所なのに、 通勤や通学に2時間もかけるのが当たり前の横須賀と、そういう感覚はかなり違います。
 海も山もすごく綺麗で、感動します。外国でもないのに白い浜辺に、私は感動しました。 彼は黒い砂浜の三浦海岸を見て、幻滅したそうです。とにかく、風光明媚なところです。 交通機関は、断然、車。電車は結構不便に感じました。 街中でも、密集した感じがないかな・・・
 このあたり一帯は筑豊炭鉱の町でした。朝鮮人強制連行の歴史が詰まった町です。 福岡出身の麻生代議士は地元の在日の前で、先日の問題発言を出来るのでしょうか・・・

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 横須賀 

 三浦半島の大部分を占めています。
 東京へ行こうと思うと、2時間はかかります。
 大学や会社務めで2〜3時間かけて通っている人が、たくさんいます。 米軍基地があって、少し知られた町です。
 山口百恵や渡辺真知子、ひで(よく知らないけど、ひでミュージアムがある)、小泉首相。 ノーベル賞の小柴先生の通った小学校は、市役所の裏にあります。 海と小高い山があって、夏には観光客で混雑します。 東京から横浜を過ぎて、トンネルを幾つも通ると、横須賀に着きます。
 ちょっと有名なのは、スカジャン。 我が家の彼は20余年前に横須賀に住み始めたとき、 外国人があまりにも身近にたくさんいて驚いたと言ってました。 その基地前のどぶ板通りにある、刺繍入りジャンパーを売っている店が始まりだとか。
 そんな田舎町です。

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 パソマニア 
 彼のことをひそかにこう呼んでいます。
 結婚して横須賀に来てからしばらく経って、自分で仕事をはじめました。 しばらくして仕事上の書類作成や会計処理の為にパソコンを導入しました。 ここから彼のパソマニアへの道が始まったのかもしれません。
 パソコンの基本的なソフトを一応使いこなせるようになり、 いろいろな処理がスムーズに行えるようになった頃、 デスクトップが飛躍的に進歩し、ノート型も格段の進歩を遂げました。 気が付くとソフトにもハードにも、 結婚前にシステム設計やプログラマーをしていた私よりとても詳しくなっていました。 私はと言えば、結婚して、子育てをして、その間に何もせずにいたのだから仕方ない。 20代の頃のコンピュータ知識なんて、もう化石同然です。 今では彼に脱帽!! 
 凝り性の彼は今では、パソコンを自分の好きな仕様で制作したり、 パソコンを修理する専門の人が諦めたパソコンを貰いうけ、 何回も試行錯誤を重ねて修理をし続けます。 そして努力の甲斐があって、結構直ってしまったりするんです。 私が今メインに使っているこのFMVもその口ですが、とても快調です。
 今日彼はジャンク品の3年ほど前のノートをひとつ競り落としました。 これを何とか修理してハードの研究をし、直ったらリナックス用にしてソフトの研究です。 さらに「パソマニア」を磨くようです。

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 朝 

 朝5時過ぎに起きて、お弁当を3人分作ります。 6時に出られるように長男を起こし、朝食を食べさせます。 彼が言った後、朝練で7時に家を出る末っ子の為に、6時過ぎには無理やり全員を起こして朝食。 一週間のうち、3日間はそういう日です。 残りの二日は朝練の時間に合わせてみんな起こしてしまいます。 土曜日は部活の為に、7時に起きます。試合で遠くへ行くときは、5時だったり、6時だったり。 彼と二人で適当な時間に朝食をとります。上の二人はぐうぐう寝てます。 適当に起きてセルフサービスで、食べています。
 唯一、日曜の朝だけゆっくり眠ります。 でも結局は7時には目が覚めていて、いつもとあまり変わらないかな。
 皆さんの朝は、いかがですか? 食事はみんなで一緒にと思っていますが、 今はそれが結構大変です。みんなで食べようとすると、5時半頃かな・・・
(それにしても、早くお弁当作りが終わらないかなあ〜。 今中2だから、あと約5年。頑張らなくては!)

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 門限 

 我が家は親があれこれうるさ過ぎると、子供たちは言います。 最近は、
「中学生なのに友達同士で(横須賀の)繁華街に遊びに行けないのはおかしい。」
「大学生なのに門限11時はおかしい。」
という苦情?!が寄せられます。
 私から見れば、今の子供は放任主義(ということにしておきます)の人が多すぎです。 大体よその家がどうだろうと、我が家は我が家。  人に左右されて方針がころころ変わりながら、子育てなんて出来ません?!  子供の機嫌をとる為に言いなりになっていたら、子育てなんて出来ません?!  自分の希望通りにならないと、まるで私を鬼とでも言わんばかりの眼差しで見ています。  でもそんな事はへっちゃらです。  自由と責任、それは子供も親も持たなければならないものです。 だから私はこれからも変えるつもりはありません?!
 そんな親に育てられている子供たちよ。 自分達は幸せだと思いなさい?!?!?!?!

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 セキセイインコのピーちゃん 

 この5年間一緒に暮らしたインコのピーちゃん。3月の始めに死にました。
 赤ちゃんの時からこのうちに来て、皆にかわいがられました。 息子の部屋では籠から出て、自由に気ままに過ごしていました。手乗りで、ピーピー鳴いて、 とってもかわいかったです。下の子がいつも「オンニ・オンニ」(韓国語でお姉さんのこと) と呼ぶのを聞いていて、オニ・オンニ(鬼オンニ)オニ・オンニと覚え、笑いを誘いました。 その他にも「アンニョン」(韓国語の挨拶)などいくつか言葉を覚え、いつも元気に、 うるさいくらいにしゃべっていました。そんなピーちゃんがだんだん元気がなくなって、 とうとう死んでしまいました。ピーちゃんのいた玄関は、今は寂しくなりました。 そろそろ籠も片付けるかな・・・

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 在 日 

 在日2世の私たち。そんなこと言われてもわからないですか?関係ないって思いますか?
 そこでちょっと説明です。在日韓国朝鮮人、この存在は歴史による産物です。
 歴史の中で、外国に侵略し、その国を植民地として、また新たにアジアに突き進んでいた、 そう20世紀の日本。第1次世界大戦。第2次世界大戦。そのことを知らない人はいないですよね。 でもその歴史の影に、日本に国を奪われ、土地を奪われ、名前を奪われ、文化を奪われた国と国民が いたのです。そして強制的に、社会状況の中で半強制的に、日本に住まざるを得なくなった。 戦争が終わっても、様々な理由で祖国に帰れない。しかも日本人であったのに、一方的に 外国人にされてしまった。(国際上、植民地とされた人々は戦争が終了後、国籍を選択できるのです)。 そういう存在が、在日韓国朝鮮人です。
 その2世が私達。もう殆ど2世の終わりの世代です。今は5世・6世が世に出ようとしています。 それなのに、日本の中では未だに多くの制限の中で暮らしています。社会生活上の差別。 そして心の中に脈々と受け継がれている、日本人の朝鮮人に対する差別感情。 あまりにも多くの人が当然のように差別的な考えを持っていると、それが差別である事に 気が付く事がとても難しくなります。
 早く差別のない、人間がありのままの人間を受け入れて、共に生きる事の社会が実現できると いいですね。

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 クリスチャン 

 クリスチャンホームで育った私達夫婦は、当然、子供にもクリスチャンに育ってほしいと 願っている。だから毎週日曜に教会へ行く事が最優先で、子供達を育ててきた。 これからもそうだ。だけど、洗礼は子ども自身が神様に導かれ、神様と出会い、 信仰を与えられてからだ。それは私には強制できない。神様だけが何時になるかご存知だ。 私たちはその日が訪れる事を祈るのみ。

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