2008年 04月
佐藤優・安田好弘弁護士・『インパクション』編集長による会合の内容について②:コメント(4) [2008-04-28 00:03 by kollwitz2000]
佐藤優・安田好弘弁護士・『インパクション』編集長による会合の内容について②:コメント(3) [2008-04-28 00:02 by kollwitz2000]
佐藤優・安田好弘弁護士・『インパクション』編集長による会合の内容について②:コメント(2) [2008-04-28 00:01 by kollwitz2000]
佐藤優・安田好弘弁護士・『インパクション』編集長による会合の内容について②:コメント(1) [2008-04-28 00:00 by kollwitz2000]

佐藤優・安田好弘弁護士・『インパクション』編集長による会合の内容について②:コメント(4)
(注1)なお、佐藤が1月10日の会合で、在日朝鮮人(朝鮮総連?)を排除すべきなどとは自分は言っていない、と述べていたという情報は、かなり蓋然性が高いと思われる。なぜならば、私の論文発表後、佐藤の朝鮮総連に対するスタンスが変わっているからである。

佐藤は、『国家論――日本社会をどう強化するか』(NHK出版、2007年12月26日発売)で、以下のように述べている。

「いま重要なのは、JR総連のような労働組合、部落解放同盟、そして在日外国人の運動――これは朝鮮総聯(在日本朝鮮人総聯合会)も含みます――です。このような、国家に頼らずに、お互いで助け合っていける団体がある。国家に対する異議申し立て運動をして、国家に圧力を加えられたとしても、自分たちの中で充足して、生き延びていくことができる。そのようなネットワークが複数ないといけません。これが国家の暴走を阻止し、民主主義を担保するのです。もちろん、日本人の拉致問題であるとか北朝鮮の大量破壊兵器開発に朝鮮総聯が関与している面については看過できません。それを法的、政治的手段で封じ込めるのは、主権国家間の国際関係というゲームの中では当然のことです。しかし、それと同時に朝鮮総聯の日本社会の民主化を担保する機能もきちんと理解しておく必要があります。」(136~137頁。太字は引用者)

「自己完結している社会団体、部落解放同盟や朝鮮総聯、あるいはJR総連のような集団は、近代国家の嫌悪の対象になる可能性が高い。これに創価学会を加えてもいいかもしれません。これらはゲルナーの言うところの「強固な下位集団」に該当するからです。」(187頁)

佐藤は必死で一貫性を保とうとしているが、佐藤が、上で示したように、〈地球を斬る〉「北朝鮮からのシグナル」(二〇〇六年四月一三日)では、「「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ」として、朝鮮総連を「敵」と記述しており、また、同じく上で示した『マスコミ市民』の記事でも、「部落解放同盟やJR総連の人たち」と朝鮮総連に対して明確に二重基準を用いているのであるから、ここでの文章に無理があるのは誰の目にも明らかであろう。

また、『国家論』には、以下のような文章もある。

「国家は弱くなればなるほど剥き出しの暴力に依存するようになるのです。日本国家をこのような危機的状況から救い出さなくてはなりません。そうでないと、何よりも暴力性を秘めた国家によって、この国に住んでいるわれわれ――日本人でも外国人でも――が被害を被るからです。」(309頁。太字は引用者)

ところが、佐藤はほぼ全く同時期に、以下のように書いている。

「貧困社会が到来すると、金持ちはもはや貧困層を同胞と考えなくなり、そして結局は国家体制が弱体化していきます。この同朋(注・ママ)意識という点で、私がもう一つ注目しているのが、沖縄の集団自決をめぐる問題です。教科書問題に端を発する県民集会の人数などで、左右両翼で激しくやり合っているのですが、まず、沖縄問題は左翼の専権事項、北方領土問題は右翼の専権事項、などというように、地域を左右対立の場にしてはいけません。特にいけないのは、今、右派の沖縄に対する見方が、朝鮮や中国に対する見方と同じになっていることです。これはいけません。沖縄は、わが同胞なのだということからまず出発しなければなりません。沖縄に外国に対するように処すれば、これは沖縄の本土からの独立運動さえ誘発しかねないのです。」(「吉野、賀名生詣でと鎮魂」『月刊日本』2007年12月号。文章末に「2007年11月10日脱稿」とある)

同様の主張を、佐藤が2007年後半以降、『月刊日本』だけではなくあちこちで発言していることは、佐藤の読者には周知のことであろう。ここでの佐藤の「同胞」の概念に「外国人」が含まれることはありえまい。だから、佐藤の『国家論』での「この国に住んでいるわれわれ――日本人でも外国人でも」という記述は、佐藤のいつもの主張と異質なのである。

この記述が佐藤の従来の言動の中でいかに異質であるかは、以下の佐藤の発言を読めばより明瞭になるだろう。

「われわれ官僚がやらないといけないのは、日本の国を強くしていくために、どうやったら内閣総理大臣をよりよくサポートしていけるかです。なぜなら、内閣総理大臣というのは、今の制度の下で外交において日本の国をその人間によって現してるからなんですよね。/この点、ロシア人はしっかりしてる。ロシア人の中ではプーチンはとんでもない奴だ、エリツィンはとんでもない奴だ、アル中だと、みんなものすごい悪口を言います。(中略)/そういう状況の中で、もし外国人が確かにプーチンはひどい、エリツィンはアル中だなんて一言でも言おうものなら、今まで批判していたそのロシア人が「おまえ、外国人のくせにわが国の大統領に対して何を言うか。それはわが国家、民族に対する侮辱だぞ」と、こういうふうになるわけなんですよ。これは国際スタンダードなんです。アメリカの民主党支持者でも、もし日本人がブッシュさんのことを人格的に悪く言ったら、そのアメリカ人はすごく不愉快に思います。イギリスでも同じですよ。」(『国家の自縛』産経新聞社、2005年9月、15~17頁。太字は引用者)

ここには、「われわれ」に「外国人」を含める余地などいささかもあるまい。私には、『国家論』における「この国に住んでいるわれわれ――日本人でも外国人でも」という記述も、朝鮮総連に対するスタンスの変更に対応した、佐藤の「われわれ」観に関するスタンスの(一時的な)変更のように思われる。

では、佐藤のこうしたスタンスの変更はなぜ生じたのだろうか?

ここで、『国家論』の「あとがき」の日付を見てみよう。日付は、「2007年11月18日」となっている(刊行日は2007年12月25日)。私の論文が掲載された『インパクション』は、11月初頭には都内の大手書店の店頭に並んでおり、佐藤の盟友で、『情況』での上記の佐藤の発言を黙認していた和田春樹は、11月8日発売の『世界』2006年12月号に掲載された論文「安倍路線の破産と新朝鮮政策――拉致問題、核問題をどう考えるか」で、「安倍首相と漆間警察庁長官が推進した対北朝鮮圧力としての在日朝鮮人とその団体に対する圧迫をやめなければならない。安倍内閣の「拉致問題における今後の対応方針」(昨年10月16日)第3項「現行法制度の下での厳格な法執行を引き続き実施していく」は数々の不当な恣意的な圧迫を生み出した。これをやめなければならない。在日朝鮮人をわれわれのコミュニティの一員と考え、「共生」の道を求めていくべきである。」と述べている。

和田の文章を読み、佐藤はリベラル・左派論壇の「空気」の変容の可能性を感じ取ったのではないか。私は、佐藤が、私の論文や和田春樹の文章を読み、慌てて執筆中の『国家論』の原稿に修正の筆を加えたと推定する。

それにしても、佐藤の朝鮮総連に関するスタンスの変更を見ると、佐藤にとって、朝鮮総連弾圧への扇動は右派メディアでの執筆のネタであり、自らの「右翼性」をアピールするための材料に過ぎなかったようにすら思われる(無論、だからと言って、そうした言動の問題性が軽減されるわけではない)。このことは、佐藤の言説戦略について、重要な示唆を与えているのではないか。

佐藤は、左派メディアで執筆しているからこそ、右派からの「左翼」嫌疑を晴らすために、右派メディアでは自らの「右翼性」をアピールする発言をしなければならない。佐藤の一連の言動は、こうしたバランスの上に成り立っている。佐藤が排外主義的発言を繰り返していたのは、恐らくこの佐藤の言説戦略に大きな要因がある。当時の朝鮮総連ほど、こうした佐藤の言説戦略に好都合だったものはないだろう。リベラル・左派は弾圧に対して見て見ぬ振りをしていたのだから(※)

したがって、「佐藤は左派よりの発言をしているから擁護すべきだ」という言説ほど破廉恥なものはない。そうした言説は、佐藤が右派メディア(もちろん、左派メディアよりはるかに社会的影響力は大きい)において攻撃の対象とするものを、切り捨てることで成り立っているからだ。

現時点の佐藤は、「集団自決」問題での言動(例えばここここ)によって「左」を利すると右派に表象される印象を与えたため、「右」へ重心を置き直そうと図っているところであろう。「日本が守るべきもの」(『別冊 正論Extra.9 論戦布告――今こそNOと言える日本へ』扶桑社、2008年2月刊)や「南朝精神に帰れ」(<地球を斬る>2008年3月26日・4月2日・4月9日)において、「大日本者神国也」というテーゼや「大和魂」の重要性を強調し、自らの「右翼性」をアピールしているのはその一例である。また、佐藤は、映画『靖国 YASUKUNI』上映に関して、稲田朋美衆議院議員の発言を支持した上で、上映問題は「表現の自由」の問題ではなく、中止の責任を右翼とは対話が成立しないという偏見を持っている映画館のせいにしている(「佐藤優の眼光紙背:第28回」)が、これもこの流れの中で位置づけられよう(※※)。

この傾向は、「集団自決」訴訟をめぐる言動について小林よしのりから攻撃を加えられたため(※※※)(「新機軸!実写版ゴー宣EXTRA「石垣島から領土・領海を思う」」『わしズム』2008年春号、2008年4月26日刊)、当面の間、ますます昂進するだろう。言説戦略上、佐藤は右翼的発言をより強調していかなければならないのである。

(※)この点は、現在でも大して変わっていないと思われる。プリンスホテルの日教組への会場提供拒否は、誰が見ても、朝鮮総連や関係団体への一連の集会・会場使用拒否という前例が、社会的にほとんど批判を浴びなかったことに一因があろう。ネット右翼も、「朝鮮総連も日教組も同じ」と言って、プリンスホテルの決定を支持しているのである。驚くべきことに、プリンスホテルの決定を批判するリベラル・左派のほぼ全員が、朝鮮総連や関係団体に関する前例とプリンスホテルの例との明白なつながりについて、誰も言及していない。

マルティン・ニーメラーの周知の言葉――「ナチスが共産主義者を攻撃したとき、自分はすこし不安であったが、とにかく自分は共産主義者でなかった。だからなにも行動にでなかった。次にナチスは社会主義者を攻撃した。自分はさらに不安を感じたが、社会主義者でなかったから何も行動にでなかった。/それからナチスは学校、新聞、ユダヤ人等をどんどん攻撃し、自分はそのたびにいつも不安をましたが、それでもなお行動にでることはなかった。それからナチスは教会を攻撃した。自分は牧師であった。だからたって行動にでたが、そのときはすでにおそかった」――や、サルトルの『ユダヤ人』(安堂信也訳、岩波新書、1956年刊)のこれまた有名な末尾の言葉――「ユダヤ人の立場を失わせるために敵方が払っている情熱と執着のいく分かを、イスラエル人の味方の人々も持ってそれを擁護のために用いさえすれば、イスラエル人の勝利はそれだけで半ば確定するであろう。この情熱を生むためには、「アーリヤ人」の高邁さなどをあてにしてはならない。高邁さは、最も立派な人のうちでさえ影がうすれている。それより、ひとりひとりに、ユダヤ人の運命が、同時に、自分達の運命であることを見せる方がよかろう。ユダヤ人が彼等の権利を完全に行使出来ぬ限り、フランス人は一人として自由ではないのである。フランスにおいて、更には、世界全体において、ユダヤ人がひとりでも自分の生命の危険を感じるようなことがある限り、フランス人も、ひとりとして安全ではないのである」(強調は原文)は、その正しさが示されているにもかかわらず、相変わらず黙殺されている。

私は論文の注(55)で、「「国民戦線」の下では、「人権」等の普遍的権利に基づかない「国民のコンセンサス」によってマイノリティが恣意的に(従属的)包摂/排除されることになる」と書いたが、「日教組は朝鮮総連と違って同じ国民だから、朝鮮総連とは違う」という論理は、「国民のコンセンサス」論と土俵を同じくするから、「国民のコンセンサス」に基づき社会的に排除されても、有効に反撃できないだろう。

(※※)もちろん、佐藤はリベラル・左派系の人々と恒常的なつきあいがあるから、この発言も、リベラル・左派が許容するであろうことを計算した上での発言と思われる。実際に、上映中止は映画館の自己規制のせいだと言わんばかりの論調が、リベラル・左派内でも出てきている(例えば、日下部聡「政治時評 常套句は思考停止をまねく 「靖国」の騒動を「民主主義の危機」と括るのは早計だ」(『金曜日』2008年4月18日号)、田原牧「こちら特報部 右翼・民族派の憂うつ」(『東京新聞』2008年4月26日付朝刊))。日下部は、毎日新聞の記者である)。

念のために書いておくと、映画館に出向いて直接抗議した右翼の当事者は、抗議の際に『南京1937』でのスクリーン切り裂きの前例を持ち出した、という映画館側の主張を否定しておらず(4月7日放映のTBS『NEWS23』より)、また、上映中止活動を行っている右翼は、「無論上映となれば断固抗議行動を徹底し、日本の正義を守る覚悟である」と明言しているのだから、これが「表現の自由」の侵害でないならば何が侵害になるのか。日下部も田原も、こうした事実には触れていない。

<佐藤優現象>に乗っかるリベラル・左派は、格差問題等で右翼との連帯を志向しているらしいから(象徴的なことに、最近刊行された雨宮処凛と佐高信の対談本(『貧困と愛国』(毎日新聞社、2008年3月刊))のある章の表題は、「右翼と左翼を超えて」である)、<まっとうな右翼>を救い出したいという衝動が強いからこそ、上映中止を映画館の自己規制のせいにするという認識が生まれるのである(現に、田原の記事は、「(注・桐山襲『パルチザン伝説』単行本化への右翼の抗議活動時の時と)今回の主役は違う。一部では街宣活動もあったというが、「ネット右翼がネットを走らせ、オタクっぽい人が電話をかけてきた」(配給宣伝会社アルゴ・ピクチャーズの岡田裕社長)」として、上映中止の電話等の抗議活動をしてきた「ネット右翼」と、上映中止が「自分たち(注・右翼)の表現活動をも封じかねない」と発言している一部の「右翼・民族派の活動家」という対比を用い、後者の発言を多く紹介している(発言が、「右傾化でなく管理化」として、見出しにも使われている)。ただし、田原は、後者のような主張を「右翼・民族派の中で多数派ではない」とも記しているので、これでは「今回の主役は違う」という記事内の記述と矛盾してしまう)。

だから、こうした認識は、ある種のイデオロギーに根ざしたものなのである。イデオロギーは現実を簡単に乗り越える。こんな認識の下では、テロ行為も含めた右翼によるいかなる「言論・表現の自由」への侵害行為も、「<まっとうな右翼>ではないニセの右翼によるもの」として表象されることになり、「言論・表現の自由」の深刻な問題として受け止められなくなる。

ちなみに、少し前までは、<佐藤優現象>に乗っかるリベラル・左派の連帯の対象は<健全な保守>だったはずなのだが、一向にそうした<健全な保守>が現れないためか、いつのまにかそれが<まっとうな右翼>になっている。

(※※※)佐藤が小林への賛美・追従をあちこちで行なってきたことは、佐藤の読者には周知のことであろう(例えばこの、佐藤の熱烈なファンによる記事を参照)。佐藤にとって、日米同盟の推進・対テロ戦争の必要性の強調・イスラエルの擁護は絶対に譲れない一線であろうが、だからこそ、佐藤は「反米」の小林からの攻撃を避けるために、沖縄戦での米軍の残虐さを強調するなど「反米」のポーズをとって、小林からの攻撃を避けようとしてきたわけである。

佐藤が小林からの攻撃を警戒してきたのは、小林から攻撃を受けると、佐藤が「親米」右翼であることが露呈し、「「親米」と「右翼」は論理矛盾」という共通理解を持つリベラル・左派論壇において、佐藤が「右翼」であることで担保されていたある種の「オーラ」が消えかねないからである。佐藤は「<左右の図式>を超えて活躍する一流の思想家」なる表象を維持しなければならないのだから、「親米保守」と一緒にされなかねない「親米」ではなく、真の「右翼」と思われなければならないのだ。したがって、この観点からも、佐藤は小林からの攻撃が本格化しないうちに、自らが「右翼」であることを示す発言をより強調していかなければならない。


(注2)佐藤が岩波書店での執筆にこだわるのは、<佐藤優現象>を成立させる基盤に関係があると思われる。佐藤の文章には、(柄谷行人のように)根拠を示さない、または、(落合信彦のように)情報の出所が不明確な断定が非常に多い。佐藤の言明が事実であるかどうかは、佐藤を<信>じるしかないのである。では、佐藤の言明のもっともらしさは何によって担保されているか?佐藤が<一流の思想家>だという表象によって、である。論文でも指摘したが、佐藤は、「左」で執筆しているからこそ、「<左右の図式>を超えて活躍する一流の思想家」なる表象が生まれる。岩波書店が使っているからこそ、他の護憲派ジャーナリズムも安心して佐藤を使えるわけである。また、岩波書店がいまだに保持しているらしい、「学術性」なる表象も、佐藤が<一流の思想家>であることを担保する上で不可欠だろう。佐藤の文章は、読者が佐藤を<信>じるか否かの一点にかかっている。私は前に、佐藤が、もはや熱心な佐藤信者すら追いかけるのが難しいほど多くの媒体で書きまくるのは、自分が「超売れっ子」であるという表象を不断に作るためであることを指摘したが、それと同様に、読者の<信>を失ってしまえばバブルが崩壊するという危険性を、恐らく誰よりも認識しているからこそ、佐藤は岩波書店での執筆にこだわらざるを得ない。


(注3)論文でも引用したが、佐藤と懇意の馬場公彦(岩波書店学術一般書編集部編集長)は、以下のように述べている。「この四者(注・権力―民衆―メディア―学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論の公共圏を形成していく」(岩波書店労働組合「壁新聞」2819号。同紙は、2007年4月上旬に岩波書店社屋内部にて掲示された)。佐藤の言う「化学変化」と似た、「化学反応」という言葉が使われているのが興味深い。佐藤やその周辺の編集者の間では、<佐藤優現象>やそれに関する人的交流がもたらす変化が、「化学変化」「化学反応」というジャーゴンを用いて表現されているのかもしれない。


(注4)朝日新聞の2003~2006年のソウル支局長で、「現在は編集局で外交問題を担当」(注・奥付より)している市川速水の以下の発言は、なかなか示唆的である。

「慰安婦問題については、95年にアジア女性基金ができたのが一つのゴールだと思います。韓国は猛反発してるし、結果的にうまくいかなかったけれど。政府は関与していないという日本政府の名目上の責任のとり方としては精いっぱいだったと思います。あのあと、朝日新聞も僕も、さらに責任を取れとは言っていないですよ。」(黒田勝弘・市川速水『朝日VS.産経 ソウル発――どうするどうなる朝鮮半島』朝日新書、2006年12月刊、57頁)

「国民基金」で終わり、ということは、日本政府の「法的責任」はないということであるから、「慰安婦」問題に限らず、全ての個人補償が否定されることになる。もちろんこれは日朝平壌宣言のラインでもある。


(注5)例えば、山口二郎は「メディアは自民と民主に違いがないと言うが、どこの部分を代表するかということを政党が自覚し、具体的な政策の優先順位の議論をしていけば、政党間の差はおのずと出てくる。メディアはそういう差を正確にとらえていくべきだ」(姜尚中と山口二郎の対談記事「耕論 政治は大丈夫か」『朝日新聞』2007年11月11日付)と述べ、メディアが二大政党制の確立を助けるよう注文している。また、宮本太郎との共同執筆論文(山口二郎・宮本太郎「日本人はどのような社会経済システムを望んでいるのか」『世界』2008年3月号)でも、「90年代から始まった政治改革や政党再編の試行錯誤は、最終段階に入った。右側に新自由主義路線をとる保守政党、左側に福祉国家路線をとる社会民主主義・リベラル政党が対置するという世界標準の二大政党制の姿がようやく現れつつある」という認識を披露している。

姜尚中も、中島岳志との対談本で、中島の「今の民主党が健全な保守リベラルを生み出す可能性は、まだなくはないと思います」という発言を受けて、「その可能性は、僕は十分にあると思う」と答えている(姜尚中・中島岳志『日本――根拠地からの問い』毎日新聞社、2008年2月刊、151頁。対談は、2007年8月30~31日)。


(注6)この点については、さしあたって、私の論文の「5.なぜ護憲派ジャーナリズムは佐藤を重用するのか」や、「リベラル・左派からの私の論文への批判について(3) ③「リベラル保守」を探し求める論理と衝動」を参照していただきたい。

# by kollwitz2000 | 2008-04-28 00:03 | 佐藤優・<佐藤優現象>
佐藤優・安田好弘弁護士・『インパクション』編集長による会合の内容について②:コメント(3)
ところで、ここにきて、私の論文への反応と思われる佐藤の文章が出てきている。『SPA!』2008年3月15日号の「佐藤優のインテリジェンス人生相談 第33回」における、「在日朝鮮人三世」からの相談(佐藤の創作くさい)への佐藤の回答もその一つであるが、ここでは、佐藤の新連載「猫は何でも知っている」(『WiLL』2008年5月号)の該当箇所を取り上げよう。

佐藤は言う。

「「お前は『神皇正統記』や『大日本史』を熱心に読んでいるのに、マルクスの『資本論』や『経済学・哲学草稿』のような共産主義の本を読むのか」と批判されたり、あるいは、「『世界』や『週刊金曜日』のような良心的雑誌に寄稿しながら、『SAPIO』、『諸君!』、『正論』(それにこれから本誌『WILL』が加わる)のような排外主義を煽る雑誌に書くのか」というお叱りを受ける。率直に言って、私には、なぜそのようなお叱りを受けるのかがわからないのである。/いま名前を挙げた雑誌はすべて商業媒体である。党派の機関紙・誌ならばともかく、商業媒体に載せる原稿に対しては、基本的に原稿料が支払われる。書き手は、自分の主張を媒体で行うとともにカネ儲けのために寄稿するのだ。物書きは、表現者であるとともに売文業者であるという原点に立ち返る必要があると思う。/何をもって左翼、何をもって右翼とするかについての基準がどうもステレオタイプ化しているように思えるのだ。」

私は、排外主義そのものの主張を撒き散らしている佐藤のような右翼を重用するリベラル・左派を批判しているのであって、佐藤が「良心的雑誌」や「排外主義を煽る雑誌」に書こうとすることについて、佐藤個人を批判したことは一度もない。当たり前だが、書こうとするのは佐藤の勝手である。だから、佐藤がここで挙げている佐藤への「批判」なるものは、形式的には、私のものではないはずである。だが、私には、佐藤のこの文章は、私の<佐藤優現象>批判に対して、自らが何らかの回答をしている、と読者に思わせるための、アリバイづくりとして書かれているように思われる。

この文章が興味深いのは、これが、一見、佐藤自身の弁護に見えながら、佐藤を重用するリベラル・左派の弁護にもなっていることである。佐藤のここでの主張の論理を適用すれば、次のようになろう。「『世界』や『週刊金曜日』のような良心的雑誌」も「商業媒体」であり、「党派の機関紙・誌」ではないのだから、どのような政治的主張をしている人間に書かせようが自由ではないか。佐藤を「良心的雑誌」が重用することを批判する人々は、「何をもって左翼、何をもって右翼とするかについての基準」が「ステレオタイプ化」しているのだ、と。一応、コメントしておくと、この手の主張ほど下らないものはない。八木秀次や櫻井よしこはなぜ『世界』や『週刊金曜日』に、佐藤のような常連執筆者として登場しないのか?「右」を代表する著名人だからである。はじめから、「左」「右」を超えて登場している佐藤と違うからだ。<リベラル・左派雑誌も「商業媒体」だから>といった<佐藤優現象>の正当化は、あらゆる雑誌が「編集方針」を持っている現実を無視した、カマトトぶった駄論にすぎない。

このことを念頭において、いささか長くなるが、以下の佐藤の文章を読んでみよう。『月刊日本』(2007年11月号)に掲載された、「村上正邦論」の中の一節である(以下、太字は引用者)。

「私は『国家の罠』(新潮社)上梓以来、『世界』や『週刊金曜日』、更に新左翼系の『情況』から、右翼媒体では、『諸君!』『正論』からこの『月刊日本』まで、左右の両翼の活字メディアで仕事をさせていただいています。そうした縁もあって、魚住昭さんや宮崎学さんといった、コワモテの左翼の論客を村上先生にご紹介するようになりました。すると、不思議なことに、本来左翼であって、「右翼の親玉」のように思われていた村上先生のことなど蛇蝎の如く忌み嫌うかと思われた人々が実際に先生に会ってみると、なぜか先生のことを人として好きになってしまうのです。村上正邦という磁場に取り込まれてしまうのです。/その結果、左翼の理論誌とも言うべき『世界』に「聞書き 村上正邦」が連載され、『週刊金曜日』に村上先生が主催される「司法を考える会」の記事が連載されることになるわけです。これは従来の惰性にとらわれている左右両翼の人にとって困惑すべき状態です。(中略)/右、左の対立を乗り越える、と言うのは言葉では簡単ですが、それが理念的概念的レベルで留まっているだけでは駄目なのです。思想を生きている左右それぞれの具体的個人が人間として、誠実に語り合うことが大事なのです。そのためには、それぞれがほんの少し勇気を出して、リスクを冒すことが必要です。魚住昭さんや岩波書店の皆さんは、リスクを冒して一歩踏み出して、その結果、彼らの側にも大きな化学変化が起きつつあります。我々右翼の側も、左翼の人々との対話に踏み出す、そのリスクを冒すことで、真の意味で左右対立を乗り越えた日本思想というものの構築が可能になるのではないでしょうか。私はその可能性に期待しています。」(注3)

「左翼が弱体化したことには、それなりの理由があると思います。もちろん、東西冷戦構造の終結もありますが、左翼ビジネス、という安易な商売がそれ以上に左翼を蝕んでいます。例えば、誰とは名指ししませんが、憲法九条ビジネス、というのがあります。「憲法というのは不磨の大典ですよ。皆さん戦争はイヤですよね。憲法九条を守れば日本は永遠に平和です。ですから九条を守りましょうね」という、面と向かって反論しにくい単純な話を講演して回るビジネスです。(中略)/こうした志のない左翼が蔓延する中で、スジの通った左翼である魚住昭さんや宮崎学さんが、やはりスジの通った右翼である村上先生に出会うと、同じスジを通している人間同士、不思議に共鳴してしまうのでしょう。なにしろ、村上先生は国家に裏切られ、検察から無実の罪で訴えられても、検察の横暴を告発しはするものの、反国家、という立場にはならないのです。相変わらず愛国者であり続けるのです。このように、自分の信念にブレがない村上正邦とは何なのか、そこに私も、魚住さんや宮崎さんも惹かれてゆくのだと思います。」

「左翼であるはずの『週刊金曜日』が司法制度の問題点を追求している、という奇妙なねじれが生じています。『週刊金曜日』は、左翼的立場を徹底的に突き詰め、理性によって村上裁判を含む最近の特捜事案を見ると「どうもおかしいぞ」という疑念が出てきて、日本の司法を根本的に考え直すという点で村上さんや『月刊日本』が共闘を組むような状況が生まれたのです。ここに現代日本の思想的混迷ぶりが象徴されているのですが、これはとてもよい捻れだと思います。」

ここで佐藤は「『世界』や『週刊金曜日』のような良心的雑誌」が村上正邦に好意的な記事を掲載することについて、「商業媒体」だから問題ない、と言っているか?そうではないのだ。「スジの通った」左翼雑誌や左翼の人間が、「左翼的立場を徹底的に突き詰め」たからこそ、村上正邦や『月刊日本』のような右翼雑誌と共闘するようになっているのだ、と言っているのである。この論理でいけば、当然、リベラル・左派が佐藤を重用するのも、リベラル・左派が「左翼的立場」を徹底的に突き詰め」たから、ということになる。これでは『世界』や『金曜日』は、佐藤が否定したはずの、「党派の機関紙・誌」ではないか。「商業媒体」云々の主張が入り込む余地はどこにもない。佐藤のこの矛盾は、私の論文の注(48)で指摘した、『金曜日』が、「「左」であることの自己否定と、「左」であるとの自己規定が並存している」ことと正確に対応している。

また、佐藤は、上記の『WiLL』での文章で、以下のようにも述べている。「実は、左翼対右翼という批判の応酬はそれほど深刻な対立を生み出さない。距離がありすぎるので、人間的憎悪があまり湧かないのである。これに対して、左翼内部、右翼内部での対立は、思想対立が人間的な憎悪に転化しやすい。内ゲバにつながっている。」

これも、私の論文を念頭に置いた一節のように思われる。佐藤を重用するリベラル・左派を批判するのは「内ゲバ」だ、と。

「内ゲバ」などとんでもない。論文でも書いたが、私は、<佐藤優現象>を成立させているリベラル・左派は、「国益」を軸とした、「対テロ戦争」等の侵略ができる国、すなわち「普通の国」に向けて突っ走っていると認識している。朝日新聞の民主党化は既に完了したが、護憲派ジャーナリズムの民主党化もまた、最終段階に達している、ということだ。私から見れば、自民党も民主党も「普通の国」路線であることには変わりないので、民主党化を終えつつある護憲派ジャーナリズムが、自分と同じ陣営だとは考えていない、ということである。

この点は、私の論文に好意的な人々にもよく誤解されているようであるが、私の論文は、佐藤優を重用するリベラル・左派に反省させるために書かれたわけでは全くない。無論、私の批判をまともに受けとめる動きが出てくることは歓迎するが、<佐藤優現象>に乗っかるリベラル・左派内で、そうした動きが層として出てくることはないであろうというのが、私の一貫した認識である。そのことは論文でも、「もっと言えば、佐藤優自体はどうでもいい。仮に佐藤優が没落して、「論壇」から消えたとしても、<佐藤優現象>の下で進行する改編を経た後のリベラル陣営は、佐藤優的な右翼を構成要素として必要とするだろうからだ」と書いたとおりである(現に、『世界』2008年4月号・5月号には、松本健一が登場している)。

私は、リベラル・左派論壇において、2005・2006年頃、日本の経済的地位に見合った政治大国化を志向する勢力、同じことであるが、日本の経済的地位に見合った政治大国化を支持する国民に受け容れられるような「護憲」論ではないと駄目だと考える勢力――ここでは、大国主義的護憲派(護憲派系解釈改憲派としてもよいが)としよう――が、従来の小国主義的護憲派に対して、ヘゲモニーを確立したと考えている。9・11テロの2001年でもなく、小泉訪朝の2002年でもなく、イラク戦争の2003年でもなく、2005・2006年頃が変動期・再編期だった、というのが私の認識である。そして、<佐藤優現象>は、そうしたリベラル・左派論壇における大きな変動――恐らく、1990年代初頭の、大国主義的護憲派がリベラル・左派論壇に台頭してきた時以来の――の重要な一コマだと考えている。

大国主義的護憲論とは、論文でも述べた山口二郎らの「平和基本法」のラインであり、簡単に言えば、自民党政権下での改憲は、米軍主導のイラク戦争のような戦争に巻き込まれるから反対だが、国連が関与する対テロ戦争や国連の軍事活動には積極的に参加すべきだから、民主党の安定政権下の改憲には(積極的に)賛成する、というものだ。「普通の国」路線である。もちろん、この背景には、日本の過去清算は既に終っている(注4)、という認識が背景にある。こうした論理は、今の朝日新聞が典型であるが、他の護憲派ジャーナリズムの論調も、現在の基本はこれである。従来の、小国主義的護憲論が支配的となる可能性はない。それは不可逆なものである。

日本のような「先進国」でファシズム体制など到来しないことは論文で指摘したが、安倍政権が崩壊し、ある種のファッショ的な空気が弛緩した現在、護憲派ジャーナリズムは、右派・保守派との大同団結を解除して、護憲派の従来の主張に帰ったか?そうはなっていない。それどころかむしろ、民主党政権の実現の展望が開けてきたとして、護憲派ジャーナリズムの民主党化がより進んでいるように私には思われる。安倍政権崩壊後、右派・保守派が明文改憲への絶望振りを表明しているにもかかわらず、護憲派ジャーナリズムは二大政党制の実現を待望する方向へと進んでいるのである(注5)

仮に佐藤バブルがはじけるとしても、リベラル・左派は最後まで佐藤を使い続けるだろう。右派メディアにとっては、佐藤は代替可能な書き手の一人に過ぎないが、リベラル・左派メディアが佐藤を使うことは、ある種のイデオロギー、本質的な衝動に根ざしているからである(注6)。今や佐藤は、「軍法会議をきちんと作ること」まで提言するように至っているが、これも、「普通の国」路線のリベラル・左派からすれば、それほど奇異なものではない。そのことは佐藤も了解済みであろう。

だから、改憲と「普通の国」が孕まざるを得ない戦争国家体制を拒否したい人間は、読売も産経も朝日も護憲派ジャーナリズムに対しても、同じように、批判的に捉えていく必要がある段階に至ったのであり、そのことを示しているのが<佐藤優現象>だ、というのが私の論文の論旨である。

今後、佐藤が私に関して何らかのリアクションを起こしてきた場合、 再び取り上げる。

# by kollwitz2000 | 2008-04-28 00:02 | 佐藤優・<佐藤優現象>
佐藤優・安田好弘弁護士・『インパクション』編集長による会合の内容について②:コメント(2)
なお、2月5日記事の②の点についてもう少し詳しく述べよう。佐藤は、『週刊新潮』の記者(私に関する記事の筆者)は、何かあると相談する関係であり、今回は、佐藤が悩んでいることをいつものように相談したところ、『週刊新潮』側が独断で記事にすることにし、記事になったものだと答えたとのことである。このことを聞いたとき、『週刊新潮』の記事の成立経緯については、佐藤が口を割ることはないと思っていたので、佐藤がここまで喋ったらしいことに私は非常に驚いた。

まず、このことが事実であれば、これだけでも佐藤の行動は卑劣極まりないという他ない。『週刊新潮』が、特定の個人に対して、事実の捏造込みのプライバシー暴露や卑劣な中傷を躊躇わない雑誌であることを佐藤が知らないはずはあるまい。佐藤は、記事での佐藤の発言には責任を負うが、記事自体には責任は負えないと主張しているとのことであるが、佐藤は、悩みを相談した相手がたまたま『週刊新潮』の記者だった、とでも言うのであろうか?ここで佐藤が行なっていることは、懇意な『週刊新潮』の記者に対して、金を攻撃する記事を書くよう教唆しているということに他ならない。

佐藤は、今日に至るまで、公的な(誰もが読める)形では私の論文への具体的な反論は一切行なっておらず、私の論文に公的に言及したのは、管見の範囲では、『週刊新潮』の記事だけである。結局、佐藤は、私の論文への反論を回避するために、『週刊新潮』の記者に私を攻撃する記事を書くことを教唆して、私の論文の評判を落とし、かつ、私を沈黙させたかっただけではないのか。これまでの佐藤の行動から、そう判断されても仕方あるまい。

これだけでも重大な問題だが、私はむしろ、佐藤は『週刊新潮』の記事に関して、教唆どころか、より深く関与しているのではないか、と推測している。

『週刊新潮』編集部の荻原信也(佐藤と懇意な記者とは、この荻原記者らしい)が私に、11月23日15時36分付のメールで送ってきた「取材のお願い」には、私について、岩波書店の「営業部」の社員と書いている。

荻原記者は、翌日11月24日20時7分付でも、再度「取材のお願い」のメールを送って来ている。内容は、前日に送って来たメールのそれとほぼ同じだが、重要な違いがあった。私の会社での所属について今度は、「校閲部(営業部?)」と書いているのである。

そして、11月29日発売の、『週刊新潮』の記事では、私の会社での所属は「校正部」になっている。現実には、「校正部」が正しい。

岩波書店社員、それも、私の件で『週刊新潮』から取材を受けるような岩波書店社員で、私の所属部署を「営業部」と間違える社員など、まず100%、存在しない。また、24日のメールでもまだ、「営業部」との誤情報を捨て切れておらず、また、「校閲部」なる、岩波書店社員ならばまず使わない用語が用いられている。

ここから推測すると、荻原記者は、11月24日20時7分まで、岩波書店社員と直接コンタクトをとっていなかったことになる。11月23・24日のメールでは、荻原氏が自身の取材の結果として得たいくつかの情報が記されていたが、これは、第三者から提供された情報、ということになる。

そして、『週刊新潮』編集部が、今回の件で、取材にそれほど時間をかけたようにも思われない。『週刊新潮』が、今回の件に関して私について好意的もしくは中立的に記述することはありえないが、実際に取材を開始した場合、(自分たちの意図通りの記事に仕立て上げる材料としてではあれ)取材のかなり早い段階で、私に取材をしてくるであろう。ところが、11月23日のメールが、『週刊新潮』の私への最初の働きかけだったのである。とすると、この記事のための取材には、それほどの日時はかけられていない、と推定できよう。荻原記者に最初に情報を提供したのが佐藤だったならば、恐らく、荻原記者は、佐藤からの情報だけを基に私にメールを送ってきたように思われる。

ここで、上記の、荻原氏の私宛の23日と24日のメールにおける違いに注目しよう。なぜ「営業部」と「校閲部(営業部?)」といった形で、違いが生じたのか?常識的に考えれば、これは、はじめに「営業部」という情報を荻原氏に提供した第三者が、「営業部という情報は誤りだった。岩波書店の社員によれば、正しくは校閲部のようだ」という旨の、新たな情報を荻原氏に提供したからだ、ということになろう。だから、初めに荻原氏に提供したのが佐藤であったならば、佐藤が、『週刊新潮』の記事のために積極的に動いている姿を、ここに垣間見ることができる。

また、荻原記者は、上記2つのメールにて、記事の締切の関係上、25日夜までには回答をほしい旨を記している。発売日は29日(木曜日)であり、入稿から印刷までの日数を考えると、ほとんど時間がない。『週刊文春』元編集長の花田紀凱は、『週刊文春』『週刊新潮』について、「火曜校了で発売が木曜」と述べているので、
この号の場合、校了日は27日(火曜日)ということになる。前述のように、荻原氏は24日20時7分まで、岩波書店社員と直接コンタクトをとっていなかった可能性が高い。おまけに、23日は祝日、24日は土曜日、25日は日曜日である。だとすれば、ほとんど時間がない中で、荻原氏は、どのように記事に登場する「岩波関係者」とコンタクトをとったのだろうか。

最初に情報を提供したのが佐藤だったならば、佐藤が荻原記者に、懇意にしている岩波書店社員を紹介した、と考えるのが自然な推測だと思われる。岩波書店社内には、佐藤と親しい編集者が複数名いる(例えば、佐藤優『獄中記』(岩波書店、2006年12月刊)終章を参照のこと)。

『週刊新潮』の記事では、「岩波関係者」による、私が「社外秘」の組合報まで持ち出した等の私を非難する内容の発言が掲載された後で、「社外秘の文書がこんなに簡単に漏れてしまう所とは安心して仕事が出来ない」云々という佐藤のコメントが載っているので、『週刊新潮』の記者が「岩波関係者」に取材して知った内容を佐藤に伝えたところ、佐藤が激怒した、と読まれる構成になっている。だが、最初に情報を提供したのが佐藤だったならば、順番が完全に逆になる佐藤の行動がこの記事の出発点なのだ。むしろ、その事実を隠蔽するために、『週刊新潮』は、佐藤のコメントを最後に持ってきたように思われる。

佐藤が記事への最初の情報提供者だったならば、この記事の持つ、私の<佐藤優現象>批判を「岩波書店の社内問題」へと矮小化しようとする性格(「『週刊新潮』の記事について④」参照)や、記事が<嫌韓流>の話法に則って作られている点(「『週刊新潮』の記事について⑥」参照)も、佐藤が荻原記者に入れ知恵した可能性が極めて高くなる。佐藤は私の論文に関して、「言論を超えた個人への攻撃」などと言っているが、これこそが「言論を超えた個人への攻撃」である

また、佐藤は、『週刊新潮』の記事で、「『IMPACTION』のみならず、岩波にも責任があります。社外秘の文書がこんなに簡単に漏れてしまう所とは安心して仕事が出来ない。今後の対応によっては、訴訟に出ることも辞しません」と述べているが、佐藤は、『世界』2008年3月号に、「『プーチン20年王朝』シナリオの綻び」という文章を執筆しており、また、『世界』2008年5月号の巻末に掲載されている、岩波書店の「5月刊行予定の本」欄によれば、佐藤と柄谷行人との共著で『国家の臨界――世界のシステムを読み解く――』という本が、5月28日に刊行されるとのことである。これは一体どういうことなのか?

佐藤の言う「社外秘の文書」とは、岩波書店労働組合の文書であって、この件で岩波書店労働組合から受けた抗議に対して私が何ら配慮する気がないことは、すでに「『週刊新潮』の記事について④:「岩波書店の社内問題」への矮小化」「『週刊新潮』の記事について⑦:記事の尻馬に乗る岩波書店労働組合」で書いている。そのことを佐藤が知らないはずはない。また、『週刊新潮』の記事の後で、岩波書店労働組合が「壁新聞」の掲載をやめたという事実もなく、株式会社岩波書店が岩波書店労働組合に対して、「壁新聞」を廃止するという措置を執った事実もない。要するに、『週刊新潮』の記事の後でも、状況は全く変わっていないのである。にもかかわらず、佐藤はなぜ岩波書店の雑誌で文章を書き、単行本を刊行するのだろうか?「安心して仕事が出来ない」「訴訟も辞さない」のではなかったのか?

誰にでも浮かぶ疑問であろう。やはり、「『週刊新潮』の記事について⑤:「<佐藤優現象>批判」の「「佐藤優」批判」へのすりかえ」で述べたように、岩波書店が、佐藤を使うのに躊躇するようになることを防ぐことと、岩波書店に私に圧力をかけさせて、私を黙らせたかったことを理由として、佐藤の岩波書店への(求愛的)恫喝は行われたのではないのか。これまた「言論を超えた個人への攻撃」である。佐藤は、『週刊新潮』の記事であれだけの非難を岩波書店に行なったにもかかわらず、岩波書店の雑誌で文章を書き、単行本を刊行することにした理由を、公的に明らかにすべきである(注2)

# by kollwitz2000 | 2008-04-28 00:01 | 佐藤優・<佐藤優現象>
佐藤優・安田好弘弁護士・『インパクション』編集長による会合の内容について②:コメント(1)
2月5日の記事「佐藤優・安田好弘弁護士・『インパクション』編集長による会合の内容について」①で、1月10日の3者の会合内容のあらましを記した。佐藤からの、これに対する言及を待ったが、結局、3ヶ月近くになる今日に至るまで、具体的なものは何ら現れなかった。

会合での佐藤の言い分(とされるもの。『インパクション』編集長から確認が取れないため、このように留保をつけなければならないのが極めて不快である)が、論理の体を成していないことは一目瞭然であろうが、以下、ポイントを指摘しよう(以下、注は(4)でまとめている)。

まず、佐藤は、『週刊新潮』の記事(「佐藤優批判論文の筆者は「岩波書店」社員だった」(『週刊新潮』2007年12月6日号)のこと。以下、文章中での「『週刊新潮』の記事」とは、この記事を指す)で、私の論文(「<佐藤優現象>批判」(『インパクション』第160号)のこと。以下、文章中での「私の論文」とは、この論文を指す)について、「私(注・佐藤)が言ってもいないことを、さも私の主張のように書くなど滅茶苦茶な内容です。言論を超えた私個人への攻撃であり、絶対に許せません」と言っているのだから、佐藤は、

A.「私(注・佐藤)が言ってもいないことを、さも私の主張のように書」いたような箇所は、金の論文内のどこなのか、具体的に挙げること

B. Aで佐藤が挙げる箇所が、単なる金のミスではなく、「言論を超えた私(注・佐藤)個人への攻撃」と言うべき水準のものであることを示すこと

が、当然できていなければならない。

ところが、2月5日のブログ記事の①で述べたように、佐藤が言う、「私(注・佐藤)が言ってもいないことを、さも私の主張のように書」いた箇所というのは、<佐藤の言う「人民戦線」とは、在日朝鮮人(朝鮮総連?)を排除した「国民戦線」のことだ>という、私の主張を指しているらしいのである。佐藤は、在日朝鮮人(朝鮮総連?)を排除すべきなどとは自分は言っていない、と述べていたとのことである。

それでは、論文から、該当すると思われる箇所を抜き出しておこう。論文「<佐藤優現象>批判」の、「7.「国民戦線」としての「人民戦線」」内の箇所である。

「私が興味深く思うのは、佐藤の論理においては、「日本国家、日本国民の一体性」を守る観点からの、それらの人々―経済的弱者、地方住民、沖縄県民、被差別部落出身者―の国家への包摂が志向されている点である。「国益」の観点からの、「社会問題」の再編が行われている。この論理は、改憲後、リベラル・左派において支配的になる可能性が高いと思われる。
 この包摂には、基本的に、在日朝鮮人は含まれない。ここがポイントである。ただし、「反日」ではない、日本国籍取得論を積極的に主張するような在日朝鮮人は入れてもらえるだろう。佐藤が言う「人民戦線」とは、「国民戦線」である。」

これのどこが「「私(注・佐藤)が言ってもいないことを、さも私の主張のように書」いた箇所なのだろうか?佐藤が問題視しているらしい私の主張は、現在の社会情勢を背景において、私が佐藤の発言に下した「解釈」であることは、論文を読めば、誰の目にも明らかであろう。

例えば、私は論文で、以下のように述べている。

「佐藤は、「在日団体への法適用で拉致問題動く」として、「日本政府が朝鮮総連の経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮が逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネスで利益を得ている勢力を牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(〈地球を斬る〉二〇〇六年四月一三日「北朝鮮からのシグナル」)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(佐藤優「対北朝鮮外交のプランを立てよと命じられたら」『別冊正論Extra 02決定版 反日に打ち勝つ!日韓・日朝歴史の真実』二〇〇六年七月)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」(注・入稿時にはこうなっていた。原文が「声」となっているのは『インパクション』編集部のミス)は考慮すらされてない。
 漆間巌警察庁長官(当時)は、今年(注・2007年)の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件の摘発が拉致問題を解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮に日本と交渉する気にさせるのが警察庁の仕事。そのためには北朝鮮の資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤の発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関・民族学校などへの強制捜索に理論的根拠を提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(佐藤優・和田春樹「対談 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)問題をどう見るか」『情況』二〇〇七年一・二月号)。」

「佐藤は、日本がファシズムの時代になり、「国家に依存しないでも自分たちのネットワークで成立できる部落解放同盟やJR総連の人たち」が叩き潰されると、左右のメディアも弾圧されて結局何もなくなると主張する(「国家の論理と国策操作」『マスコミ市民』二〇〇七年九月号)。ところが、佐藤は同じ論文で、緒方重威元公安調査庁長官の逮捕について、「国民のコンセンサスを得ながら朝鮮総連の力を弱める国策のなかで、今回の事件を(注・検察は)うまく使っている」と述べており(傍点引用者)、朝鮮総連の政治弾圧には肯定的である。この二重基準に、「国民戦線」の論理がよく表れている。「国民戦線」の下では、「人権」等の普遍的権利に基づかない「国民のコンセンサス」によってマイノリティが恣意的に(従属的)包摂/排除されることになる。」(注・論文の注55より)

上記の引用からも明らかなように、私は、根拠を明示して、「佐藤が言う「人民戦線」とは、「国民戦線」である」と「解釈」しているのである。これで、在日朝鮮人(朝鮮総連?)を排除すべきなどとは佐藤自身は言っていないから、金は、「私(注・佐藤)が言ってもいないことを、さも私の主張のように書」いたのだ、などという主張が成立するならば、およそ言論など不可能だろう。呆れるほかない(注1)


それにしても、私は、『週刊新潮』の記事を読んでから、佐藤が私の論文のどの箇所を指して発言しているのか訝しんでいた。実際、佐藤優ファンのブログでも、私を「かなり極端な左で固まった方」としながらも、私の論文について、以下のように書いている

「本日入手で全部読めてないのですが、佐藤さんが上記(注・『週刊新潮』の記事での佐藤の発言)で言われるように言ってもいないことを書いているようなひどいものではないと思います。内容は以前「諸君!」に出た柏原竜一氏とはだいぶ違って詳細に出展(注・ママ)を読んでいることは明白です。」

もし実際に、佐藤が論文のこの箇所を主な根拠として、『週刊新潮』の記事での発言を行なったのだとしたら、これはもはや「言論」に携わる人間としてはおろか、一般の社会常識すら超えた主張である。

無論、佐藤の『週刊新潮』の記事での主張を額面どおりに受け止めれば、この箇所以外にも、佐藤が、「私(注・佐藤)が言ってもいないことを、さも私の主張のように書」いたとしている箇所や、他に「無茶苦茶な内容」とする理由がありうることになるので、即断はできないが、それらの箇所がこの「国民戦線」云々と同じレベルであれば、論外である。もし、「私(注・佐藤)が言ってもいないことを、さも私の主張のように書」いた箇所が、「国民戦線」云々のレベルを超えないのであれば、佐藤が私に対して行なったことは、重大な名誉毀損である。

佐藤は、私の論文に対して、反論記事を書くつもりはないと述べているとのことである(2月5日記事の③)。一体何様のつもりなのだろうか。佐藤は、1月10日の会合では、『週刊新潮』での同発言に関しては、(記者が発言内容を誤って伝えているのではなく)佐藤自身の発言として認めたとのことだ(2月5日記事の②)。そうであれば、佐藤は、少なくとも上記のAとBを、『週刊新潮』と同じく公的な場で行う義務、私に対して公的に反論する義務がある。佐藤が反論するとなれば、場を提供しようというメディアはいくらでもあろう。

ひょっとすると、佐藤は、『週刊新潮』の記事での発言内容の意味するところが問われることを、想定していなかったのかもしれない。『週刊新潮』の記事が出て、金が黙れば、佐藤自身は、論文に憤慨している身振りを保持しているだけで済むからである。

私は、2月5日記事で、「1月10日の会合において、佐藤・安田氏側と深田氏の間で、会合内容の詳細を私には伝えない、という密約が交わされた可能性もある」と書いたが、もし佐藤の『週刊新潮』での発言内容の意味するところが「国民戦線」云々レベルだったのならば、佐藤・安田側は、当然必死で隠そうとするだろう。「密約」を推定する理由の一つである。

2月5日記事の④⑤も、話にならない。④については別のところ(ここここ)で既に何度も述べたので繰り返さない。

⑤に関しては、『金曜日』編集長が、一読者に対して、『金曜日』編集長として送ったメールなのだから、内容には十分公共性があろう。メールを公開したのが法的に問題、というのならば、それは、『金曜日』と片山氏の間の問題である。

④にしても⑤にしても、佐藤が発言したとされる内容は、「言論人」というよりも、岩波書店や金曜日の(会社ベッタリの)社員のような発言である。公的に言論を行使する人間(つまり、潜在的には全ての一般市民)という意味での「言論人」としても、この発言内容の醜悪さは明らかである。

⑥に関しては、基本的には『インパクション』と佐藤の間の問題であるが、これは、③とセットで考えるべきだろう。佐藤は、私の論文に反論しないかわりに、『インパクション』で佐藤の論文を掲載させることによって、私の批判の左派への影響力をそぎたい、と考えたのではないか。

# by kollwitz2000 | 2008-04-28 00:00 | 佐藤優・<佐藤優現象>
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