筑紫哲也の訃報を聞いて「9.17」直後に彼が書いたコラムを思い出した。改めて読み直してみると、当時は気づかなかったのだが、その後の左派の推移を予言するような、ある徴候的な醜悪さがあることに気づいた。
その文章というのは、2002年10月18日付『週刊金曜日』(特集は「それでもやっぱり日朝の正常化を」)に書いた「せめて「狂乱の場」を」というコラムである。筑紫はここで、「週刊金曜日」は拉致問題を取り上げることを避けているのでは、という読者からの疑問を紹介して「そういう印象を与えたとしたら、誌面に「理」が勝ちすぎて「情」に欠けるからではないか。そして今週号はもう「それでもやっぱり日朝の正常化を」(特集タイトル)である」と揶揄しつつ(筑紫は編集委員のはずだが)、続けて次のように記す。 「他の週刊誌がこぞって露骨な反北朝鮮キャンペーンを張っているなかで、それは"栄光ある少数派"のひとつの立場であろう。感情的でなく理性的にも映る。だが、少数派が真に栄光を獲得するためには、説得力を持とうとするきびしい自己点検が欠かせない。それなくしては知的自己顕示とアリバイ証明でしかない。人間が「情」と「理」の間を揺れ動きながら生きていることへの洞察力、そして「理」を「情」の上位価値に据えることが常に正しいとは限らぬことへの警戒心なくしては、「私の心に打ち勝つ」ことはできない。」 さて、では筑紫のいう、人間が「理」よりも上位価値に据えがちな「情」の内容とは何か。筑紫は続ける。 「「強制連行、「従軍慰安婦」が比較にならぬほどの規模と残酷さであったことを「理」ではわかっても目前の拉致被害者に涙してしまう「情」。近くはイラク戦争準備まで、アメリカの自己目的的な世界政策がテロを誘発していることは「理」でわかっていても、テロ犠牲者を悼む「情」。それに立ち向かうには生半可な理性では太刀討ちできない。早い話が、「それでも国交正常化を」と言う「理性」は、「11人の命よりそれが大事」と言い放った外務省幹部の「国家理性」とどこがちがうのか。「拉致事件のようなことを起こさないためにそれが必要だ」と言う小泉首相の論証不十分な大義名分を鵜呑みにする気なのかをまず説得的に説明する必要がある。」 目前の拉致被害者への「情」に加えて、なぜか「テロ犠牲者」を悼む「情」まで自明視されている。ここでの「情」はもちろん「人間」一般の被害への「情」などではなく、それどころかナショナルな感情ですらない。いずれも米国や日本が戦争や経済制裁の正当化のために持ち出す「被害」の「情」という点で共通している。「反テロ戦争的『情』」、とでも言うべきものだろう。 筑紫はこうした「情」が存在することを仮定し、そして巧妙に自分はその「情」に共感しているのかどうかをこの時点ではまだ明言していない。歴史認識問題を議論しているときによく見かける言い訳の一つに、「私は同意しないんだけど、確かにそれに納得しない感情はあるから、戦略的に語る必要がある」云々というものがある。自分が「理」の側にいると見せかけて、他人に「冷静」に語ることを強要したりする傲慢な言い草なわけだが、筑紫の言い回しはそれに似ている。ほとんどの場合、そういう人間は実は「納得しない感情」に自分も「理」のレベルで納得しているのだが、筑紫はどうだろうか。続く文章を読んでみよう。 「理性の行使がもっとも求められるのは国交正常化そのものである。それは目的なのか、手段なのか。目的だとしたら、当然、経済援助という名の賠償を払わねばならないが、それで一息ついた相手が再び拉致、工作船をふくむ軍事的脅威にならぬ保証はどこにあるのか。そうならないために、あの国を開放的にし、民主主義と自由を導入するための手段として国交正常化をとらえるとしよう。相当に内政干渉の疑いのあるアプローチだが、それを別としても、そういう方向に導いていく外交的能力がこの国に果たして備わっているのか。 私たちが見聞してきたこの国の外交とは利権まみれのODAとあの外務省の姿ぐらいしかない。またそれに任せる「お人好し」と理性的判断とはどう折り合いが付くのか。」 あえて解説する必要も無いかと思うが、筑紫は「経済援助という名の賠償」(おかしな表現だが)は、国交正常化を「目的」と考えるものとして退ける一方、「理性の行使」の一例として、朝鮮民主主義人民共和国を「開放的にし、民主主義と自由を導入するための手段として国交正常化をとらえる」ことを提案している。以前、『世界』の提言を「介入の論理」として批判したが、ここでもその論理を確認できる。 しかも、前段の「情」との関係でいえば、明らかに筑紫は「反テロ戦争的『情』」に納得してもらうために、「民主主義と自由を導入するための手段として国交正常化をとらえ」ることを提案していることがわかる。筑紫は「それに立ち向かうには生半可な理性では太刀討ちできない」などと言っているが、別に彼は「情」に「立ち向かう」ために、「情」に反したとしても、「理」を駆使するといっているのではない。彼はただ「情」が納得しやすいような理屈をこしらえて、「情」に擦り寄っているだけだ。そして、擦り寄るさまを「理」なる言葉を用いて粉飾しているのである。 そして、次の一行で筑紫はこのコラムを締めくくる。 「理」を語る前に少しは「狂乱」があってよい。 私がこのコラムを読んだ際、深い戦慄を覚えたことをよく記憶している。9.17直後といえば、朝鮮人に対する物理的暴力や威嚇が吹き荒れていた時期であるし、明らかにメディアはそうした暴力を唆していた。筑紫も知らないわけではない。そういうことをよく知っていながらの、「少しは『狂乱』があってよい」の一言である。私は、筑紫は煽っている、と思った。いま「冷静」「沈着」の代名詞として振り返られる筑紫は、「9.17」直後に自らの編集する雑誌で、「狂乱」を煽ったのである。この事実を歴史に刻み込んでおかねばならない。 しかも恐ろしいのは、その「狂乱」の後に語られる「理」の内容が、「民主主義と自由を導入するための手段として国交正常化」だということだ。「反テロ戦争的『情』」におもねり、その「狂乱」を発散させた後で、その「情」に基づいて朝鮮民主主義人民共和国に「民主主義と自由を導入する」というわけだ。 冒頭に「徴候的な醜悪さ」と書いたが、その後の六年半を見ると、筑紫の「煽り」通りに事態は推移している。散々「狂乱」した挙句、「介入の論理」が最左派の議論として持ち出されている。「反テロ戦争的『情』」に立ち向かうふりをしながら、擦り寄っている。筑紫の示した模範にみな従っているのである。そう考えてみると、この一文は単なる排外主義の文章というだけでなく、その後の左派の行動規範を示した記念すべき文章なのかもしれない。 by kscykscy | 2009-02-12 02:58
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