梶村太一郎氏による評価 [2008-02-18 23:13 by kollwitz2000]
鈴木裕子氏からの寄稿 [2008-02-14 23:19 by kollwitz2000] 佐藤優・安田好弘弁護士・『インパクション』編集長による会合の内容について① [2008-02-05 01:54 by kollwitz2000] 私の尊敬する、ドイツ在住のジャーナリスト、梶村太一郎氏が、「撫順の奇跡を受け継ぐ会」のメーリングリストで、私の論文を高く評価してくださる文章を投稿しておられたので、御本人の承諾を得て、引用・転載させていただく。
梶村氏は、基本的に商業雑誌であれば両論併記もありうる、問題点は、読者も含めて誌上で論議すれば良い、という立場なので、金とは立場を異にするが、金の論文での護憲派ジャーナリズム批判は、護憲派ジャーナリズム内で徹底的に議論されるべき重要な問題提起である、というご認識である。 梶村氏は、私の論文の感想の投稿の中で、自身が2007年に「日本の論壇で読んだ論考では,非常に数少ない優れた痛快で鋭い批判」とした上で、以下のように書いておられる。 「わたしも、ちょうどマル2年間、訪日していないのですが、その間にこれほど、日本の左派、リベラル護憲派の「転向準備」が進んでいたとは気付きませんでした。事実であれば真性の危機です。 「うんなるほど、さもありなん」というのが、まず最初の感じです。それから、筆者の金光翔氏が何と、76年生まれの在日朝鮮人3世であることに、感銘しました。 なぜなら、わたしには、なぜこのような在日外国人の若い人(わたしの娘と同い年)が、このような論考を書かれるのかがよく理解できるからです。詳しくはまたの機会にしますが、わたしも外国人生活が長く、マイノリティーの力と鋭さを知っているからです。」 そして、私の論文がウェブ上で全文公開された際には、再度、私の論文を紹介する文章を投稿しておられる。以下は、その抜粋である。 「論文は1976年生まれの在日3世による、最近の日本の論壇に対する厳しい批判です。 わたしの見方は、在日外国人のこのような批判は、いわば「炭坑のなかのカナリヤ」のように、日本の危機に敏感に反応した悲鳴です。 日本の知識人はこの批判を警告として真剣に受け止める必要があります。 そして、これは佐藤氏への個人批判ではなく、あくまで<佐藤優現象>の批判ですから、そのようなものとして応答していかねばなりません。 ようやく全文が読めるので,論争がまともなものとして活発化することを希望します。」 なお、梶村氏の、いくつかの啓発的な文章は、季刊「中帰連」のサイトで読むことができる。http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/text/kajimura_huna.htm 梶村氏は恐らく、「進んで過ちを正しみずからに正義を回復する」(私の論文の「10.おわりに」で引用した安江良介の文より)ことを志向され、該博な知識と行動力をもって文筆活動を行っておられる、極めて貴重なジャーナリストである。私の論文・ブログの読者(特に若い読者)に、梶村氏の文筆活動への注目を呼びかけたい。 ※追記※ ただし、「花岡和解」を高く評価する梶村氏の見解については、残念ながら、私は同意できない。梶村氏への尊敬、感謝の念には変わりはないが、重要な点なので一応付記しておく。(2008年7月18日) 私の尊敬する女性史研究者・鈴木裕子氏が、私の論文を高く評価して下さっているとのことだったので、文章の寄稿を依頼したところ、ありがたいことに快諾して下さった。下に、鈴木氏からいただいた文章を掲載する。鈴木氏が指摘している<朴裕河現象>は、<佐藤優現象>と同質の、重要な現象であり、朴裕河をどう評価するかは、ある種のリトマス紙の役割を果たしている。
なお、鈴木氏の著作からは、私は非常に多くのことを学ばせていただいている。特に、鈴木氏による、「国民基金」と、その推進者をはじめとした「国民基金」に関する言説への批判(特に、『天皇制・「慰安婦」・フェミニズム』(インパクト出版会、2002年))は、私の論文の所論とも密接に関連していると思うので、私の論文に関心を持った読者には是非読んでいただきたい。 下のリンク先で、鈴木氏の最近の文章を読むことができる。 「国民基金」(女性のためのアジア平和国民基金)とは何であったのか(上) 「国民基金」(女性のためのアジア平和国民基金)とは何であったのか(下) ----------------------------------------------------------------- 金光翔「<佐藤優現象>批判」を読んで 鈴木裕子 佐藤優氏があちこちのメディア媒体に登場するようになってからも、わたくしは佐藤氏の書いたものに特別な関心を持っていなかった。ところが、昨2007年7月末に米国下院で決議された、いわゆる「慰安婦」問題解決促進決議をめぐっての、『週刊 金曜日』誌上に載った佐藤氏の文章を読んで、ああ、やはり「国権主義者」だったのだなということを確認させられた次第であった。 最近、とみに気になっていることは、言論界全体の論調に「国益」が浸透してきているらしいことである。先の「慰安婦」決議のときも痛感したが、それまで「リベラル」であることを誇っていた言論機関・言論人の、「人権」よりも「国益」の観点を優位におく傾向が顕著になってきたように思える。私見では「歴史認識」をめぐる問題の対応がその見本である。 そういう折に手にしたのが、金光翔氏の「<佐藤優現象>批判」(『インパクション』第160号・2007年11月)であった。1976年生まれ、という筆者の若さにまず驚いた。その読書力にも驚かされた。が、最も舌を巻いたのは、その分析力の鋭さである。日本の言論界ひいては思想界が溶解しはじめているのは、大分前から感じさせられていたものの、その「謎とき」に、金光翔氏の論稿は大きく示唆を与えてくれるものであった。 佐藤優氏の正体は、国家主義者そのものであり、「国益」論者であるのは、先の『週刊 金曜日』掲載の一文を読めば容易に分ることである。問題は、その佐藤氏が左派系・リベラル系メディアにおいてももてはやされている背景・土壌であろう。 さて、<佐藤優現象>と同質なものとして、わたくしは最近<朴裕河現象>なるものがあると思う。朴裕河氏の著作『和解のために』が2007年度の「大仏次郎論壇賞」(朝日新聞社)を受賞してにわかにもてはやされている。が、そこに至るまでに日本側関係者によって周到な準備がなされてきたものと思われてならない。佐藤氏同様、率直にいって朴氏の著作のレベルはどう見ても高くない。リベラルないし進歩派さらにはフェミニストを自称している一部知識人や大手言論機関が激賞している、その背後に何らかの意図や企みが働いているのではないかとわたくしには思われてならない。 金光翔氏の「<佐藤優現象>批判」は、「一佐藤優」問題にとどまらず、今日の日本の思想言論状況について、多くを考えさせ、触発させてくれる論稿である。それだけにこの論稿を発表するにあたっては相当の勇気を要したであろうことが推測される。また発表後のリアクションも相当程度あるのではないかとの危惧も覚える。前途多望な若い思想者の芽を摘まないでほしいと思うこと大である。 以前書いた、1月10日の佐藤優・安田好弘弁護士・『インパクション』編集長による会合内容について、あらましを書いておく。なぜ書くのがこれほど遅れたかといえば、『インパクション』編集長の深田卓氏が、極めて遺憾なことに、会合で話された内容を私にまともに伝えないため、どういう形で公開するかの検討に時間がかかったからである。ここで「あらまし」と書いたのは、以下の会合内容は、私が深田氏に直接確認できたものではなく(注)、深田氏から会合内容を聞いた、『インパクション』関係者からの情報だからである。もしこの会合内容の記述内容について、佐藤・安田弁護士側が異論を述べたいならば、自ら会合内容を明らかにすべきである。佐藤はこのブログを読んでいることを深田氏に明言しているのだから。
さて、『インパクション』関係者によれば、会合内容は、以下のとおりである。 ①佐藤が週刊新潮の記事で、金の論文について、「私が言ってもいないことを、さも私の主張のように書くなど滅茶苦茶な内容です。言論を超えた私個人への攻撃であり、絶対に許せません」と言っているが、ここで佐藤が「私が言ってもいないこと」として挙げているものの一つは、<佐藤の言う「人民戦線」とは、在日朝鮮人を排除した「国民戦線」のことだ>(佐藤は、「在日朝鮮人」ではなく、「朝鮮総連」と言っていたかもしれない)という、金の主張を指している(他の部分について、具体的な指摘があったかは分からない)。 ②深田氏が、週刊新潮の金に関する記事はよくないと言ったところ、佐藤は、週刊新潮の記者(私に関する記事の筆者)は、何かあると相談する関係であり、今回は、佐藤が悩んでいることをいつものように相談したところ、週刊新潮側が独断で記事にすることにし、記事になったものだと答えた。佐藤は、記事での佐藤の発言には責任を負うが、記事自体には責任は負えないと主張している。 ③佐藤は、金の論文への反論記事を書くつもりがない、と言っている。 ④佐藤は、金の論文において、岩波書店の内部情報が使われたことも問題だと主張している。 ⑤佐藤は、金の論文において、『金曜日』編集長のメールが使われたこと(多分、片山貴夫氏のブログの記述の引用)も問題だと主張している。 ⑥佐藤は、金の論文への反論ではなく、インパクションに自分の別の論文を投稿したいと述べている。これに対して、深田氏は、掲載は編集委員との相談で決めることだと答えた。 (注) 1月10日の会合内容について、深田氏から一向に連絡がないので、私は1月15日、深田氏に会合内容についてメールで問い合わせた。翌16日の、深田氏からのメールの返事では、私の論文に関する話し合いは約30分間行われたこと、話が平行線のままなので、佐藤から打ち切られたこと、佐藤は論文への反論はしないと言っていることが伝えられた。 30分間も話し合ったらしいのに、これでは会談内容の詳細が全然分からないので、私は、同日、会合内容について、より詳しい内容を教えてほしい旨のメールを送った。 ところが、深田氏から返事がないので、深田氏から何か聞いていないか『インパクション』関係者に尋ねてみたところ、この記事で記した会合内容の情報(①~⑥)を深田氏から聞いていたことを教えられた、という次第である。 私は驚いて、その後、1月22日に、深田氏に対し、①~⑥の事実確認を求め、①~⑥以外にも私の論文に関連することがらで話し合われた点があれば、うかがいたい旨のメールを送った。その際、この会合自体が、私の論文に対する佐藤の異議申し立てから始まっている以上、また、佐藤が、週刊新潮において、「滅茶苦茶な内容」などと、明らかに私の名誉毀損たる発言を行なっている以上、少なくとも私の論文に関連することがらについて話された内容は、私としては知っておきたいと考えます」と、書き添えた。 このメールに対して、深田氏から、1月23日にメールで返事があった。深田氏は、①~⑥の事実確認は一切せず、私が16日に深田氏に送ったメールに対して返事をしなかったのは、忙しかったからではなく、前述の16日の私宛のメールで伝えた以上に付け加えることは何もないからだ、とのことだった。また、金が、週刊新潮が名誉毀損したと考えるならば(佐藤の名誉毀損については深田氏は触れていない)、自分が表に立って週刊新潮に内容証明を出してはどうか、とのことだった。 この回答からは、私に会合内容の詳細を伝えようという発想は、微塵も感じられまい。したがって、1月10日の会合内容について、深田氏は、知る権利がある当事者の私に詳細を伝える気は全くない、と断定せざるを得ないのである。 深田氏の私に対する対応は、「左翼」を建前としている雑誌どころか、普通の雑誌の著者と編集部の関係のレベルから見ても、最低限の誠実さと常識を欠いたものである。呆れざるを得ない。 そもそも、この会合は、2007年11月中に、佐藤が、深田氏に、安田氏を仲介にして会合を持つことを電話で提案し、その後、深田氏が了承したことに端を発する。私は、このような会合が持たれることについて、深田氏に強く反対したが、この件について、深田氏は私に、<あなたの論文と雑誌の立場が一致しているわけではない>とした上で、<あなたは、佐藤さんのことを打倒・殲滅の対象と考えているようだが、自分はそうは考えていない。対話すべき(対話可能な)対象だと考えている>旨、述べた。 私はこれを聞いて呆れた。私の論文の論旨は、「リベラル・左派が、排外主義者・右翼である佐藤を使うこと」への批判であるが、深田氏は、佐藤を対話すべき(対話可能な)対象と位置づけ、その上で、直接会おうというわけだから、深田氏が言っていることは、私が論文で批判した、佐藤を重用するリベラル・左派と同じではないか。掲載論文と雑誌の立場が一致しないことは当然だが、ものには限度があろう。ましてや、『インパクション』は単なる商業雑誌ではなく、左翼雑誌であることを謳っているのだ。 深田氏の私に対する、こうした唖然とさせられる対応は、私がブログで、佐藤に助太刀した、安田好弘弁護士を批判したことが一因かもしれない。 深田氏は、1月16日の私宛のメールで、私のブログの「佐藤の助太刀をするのは、社会的にバッシングを受けている安田氏にとって、佐藤が有力な応援者だからだろう」という記述に関して、安田氏はそのようなつまらないレベルでものを考える人ではない、あくまで両方の友人であることから立ち会ってくれたのであって、佐藤の意を受けて立ち会ったのではない、伝聞や憶測で記事を書くのは控えてほしい旨を書いている。 この深田氏の説明では、会合しようと言い出したのは、佐藤ではなく、安田氏ということになる(それならば、安田氏の行為は一層問題ではないか)。私が以前深田氏から聞いた、佐藤が深田氏に、安田氏を仲介にして会合を持つことを提案したという説明とは明白に異なる。また、深田氏は、「憶測」などと言っているが、「だろう」と、憶測であることを明示した上で書いており、しかも、憶測の根拠に合理性があると私は考えるから、別に問題あるまい。私は、同日送ったメールで、深田氏が希望するならば、ブログの記事に「(注記)」として、深田氏の安田氏に関する見解や私のブログの記述への批判(例えば、「なお、「インパクション」編集長の深田氏によれば・・・とのことである。」といった形で)を掲載することを申し出た。 これに対して、深田氏は、23日の私宛のメールでは、私の申し出には一切触れず、邪推と憶測で安田氏について批判的な書き方をする私のブログには何の共感も持たない旨を書いている。こうした経緯から、私の安田氏批判を深田氏が問題だと感じているらしいことが、深田氏の私への非常識な対応の大きな要因になっているのではないか、と推定する次第である。 深田氏には、左派系ジャーナリズム・運動界隈に信用されているらしい安田氏が、佐藤に助太刀していることを批判的に考える視点は、片鱗すら見られない。佐藤が、安田氏の言うことならば「インパクション」側も聞いてくれるだろうと考えて、安田氏を利用したことは誰にでも分かることである。そして、佐藤の思惑通り、会合を行い、しかも、私に対しては内容の詳細を公開しないのだ。「インパクション」に自分の別の論文を投稿したいなどと、佐藤にナメられるのも当たり前である。 また、1月10日の会合において、佐藤・安田氏側と深田氏の間で、会合内容の詳細を私には伝えない、という密約が交わされた可能性もある。内容の詳細を私が聞けば、私がブログで公開することは明らかであり、深田氏は、安田氏にこれ以上迷惑(?)をかけまいと考えたのかもしれない。 いずれにせよ、ここでは、佐藤が安田氏を押さえていることが、深田氏が私に会合内容の詳細を伝えないことに役立っているようである。私は、前の記事で、安田氏の佐藤への助太刀について、「論文」で書いた、<佐藤優現象>が示唆する国家体制への社会的弱者の従属的包摂のバリエーションと位置づけたが、ここでの深田氏の私への対応は、安田氏を介して、『インパクション』編集長をも包摂しうることも示している。佐藤としては、安田氏を押さえておくことは、自分が「「弱者」の味方」であるイメージを流せるだけではなく、左翼からの批判を抑える効果も持つのである。
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